〜 民族楽器バンドゥーラが紡ぐ、祖国への思い 〜
バンドゥーラ奏者・ボーカリスト カテリーナさん
ウクライナの伝統音楽の素晴らしさを伝えるため、日本に根を下ろしたカテリーナさん。幾多の試練を乗り越えてきた彼女のかたわらにはいつも、民族楽器バンドゥーラがありました。弦の音色にのせて伸びやかに響く歌声は、希望に満ちた祖国の未来の景色を描き出すかのようです。
●人々を救う音楽の真価
ロズリン:日本での暮らしを始められて、どのくらいになりますか。来日のきっかけなども、ぜひ伺いたいところです。
カテリーナ:日本に活動拠点を移してからは、18年になります。
私が生まれたのは、ウクライナのチェルノブイリから2.5?離れたプリピャチというところです。生後1ヵ月の1986年4月にあの原発事故が起きて、私たち一家はキーウに緊急避難を余儀なくされました。
避難先の小学校では、私を含めた避難民の子どもたちがたくさんいたわけですが、事故のことでずいぶんいじめに遭いました。「一緒に遊ぶと放射能が伝染する」「あの子たちは夜中に光ってる」等々、いわれのない差別を受けたものです。
ロズリン:子どもたちにとって、苛酷な試練が続いたのですね。
カテリーナ:そんな日常を少しでも明るくしようと、ある音楽の先生の発案で、被災避難民の中から音楽に興味と素質のある子どもを選抜した音楽団「チェルボナカリーナ」が結成されたのです。
ロズリン:素晴らしいアイデアですね。あなたもそこに?
カテリーナ:小学校に上がった6歳で加わりました。学校の授業が終わって午後3時から夜9時まで毎日6時間、週6日を音楽学校で過ごしました。おかげで遊ぶ時間はありませんでしたが、同じ境遇の子ども同士で悩みを打ち明け合ったりしたものです。
7歳のとき、ドイツからの招きで楽団は初めて海外コンサートを行いました。大勢の人の前で歌や踊りを披露するのは生まれて初めてで緊張しましたが、とても楽しい経験でした。自国の文化を外国で披露する喜び、誇りというものを、このとき知ったのだと思います。
その後もスイス、スペイン、カナリア諸島等々を公演し、その際の募金は原発事故による病気の子どもへの支援に充てられました。
●日本の地で一歩を踏み出す
ロズリン:日本にも公演で訪れたことがありますか?
カテリーナ:最初の日本公演は10歳のときの1996年で、このときはメンバー約20名で全国各地を回りました。主目的がチャリティーなのでノーギャラですが、滞在中は観光などのお楽しみもありました。日本はいろんな意味ですごく遠い国、というのが良かったのかも知れませんが、日本の人たちはみな優しくて親切で、すっかり好きになりました。
ロズリン:世界中を回ってみての収穫には、どんなものがあったでしょうか。
カテリーナ:人は言葉が分からなくても、同じ場面で泣いたり笑ったりできるものです。だから、祖国の文化をアピールする活動なら、私の好きな日本でもできるのではないか、と考えるようになっていきました。将来ソロで音楽活動をするにも、また自分の子どもを育てるにも、より安心で安全な場所を選びたい、その思いが募っていったのです。
ロズリン:そしていよいよ、日本を活動拠点に定めたのですね。
カテリーナ:19歳の2006年、学生ビザで来日して日本語学校に入りました。2年間、朝から午後まで勉強漬けでがんばったので、読み書きは出来るようになりましたよ。
日本では部屋を借りての一人暮らしでした。何せ切り詰めた生活ですから、「勤めるなら賄いが出るところがいい」とのアドバイスに従い、毎日のように賄いのお世話になっていました。
ロズリン:日本語学校を卒業してからはどんなことを?
カテリーナ:音大に行きたかったのですが、現在の夫に出会ってすぐ結婚して、やがて長男が生まれ……その間も、少しずつ音楽活動ができる場所と機会を自分で探していました。一人の人間として、好きなことを仕事にしたいとの思いは変わらなかったので、妊娠8ヶ月まではステージに立ちましたよ。
●手探りの先で掴んだ光
ロズリン:プロモーション活動などのマネジメント業務も、全てお一人で?
カテリーナ:はい、お腹が目立ち始めた頃でも、子ども時代からお世話になっている知人とコンタクトをとり、小さなイベント情報などを提供してもらうことからスタートしました。
さらに、音楽事務所やレコード会社など100社くらいに宣材資料を送りましたが、反応があったのは1社のみ。しかもお腹もだいぶ大きくなって、「仕事と育児、どう折り合いつけるの?」と厳しいことを言われました。こちらとしては、妊娠や出産がそこまでネガティブに扱われることに納得がいかず、その会社との関係は白紙にしました。
ロズリン:今も多くの女性がぶつかる壁です。
カテリーナ:ですが一方で、自分のやり方は間違っているのだろうか、と自信がなくなってきたんですよね。日本で私の音楽はそんなにニーズがないのか、と落ち込んでいると、夫が「あなたの音楽や文化は、ここ日本では珍しすぎるからじゃないか?」とひと言。そこで、プロモーション戦略の見直しにとりかかりました。
ロズリン:ご主人の意見が大きなヒントだったようですね。
カテリーナ:演奏ができるライブハウスや、出演者を募集している場所の情報を収集するほか、ノーギャラでもPRになるところならどこでも行くつもりで、FMラジオ番組に出たり、地方にも出向いて、自分の音楽を知ってもらう活動を地道に続けました。
でも、18年前の主流はほぼジャズやロック、ポップス限定だったので、民族音楽OKなライブハウスは少なくて苦労したものです。
ロズリン:時代を経るにつれ、周囲の状況も変わっていったでしょう。
カテリーナ:その後、SNSで「ジャズ喫茶だけど、バンドゥーラの演奏もある」といった発信で、少しずつ認知が広まり始めました。「のどじまんTHEワールド!」(日テレ)という番組で3位になったこともきっかけになったようで、徐々にマスコミからオファーが来るようになりました。
●葛藤との対峙で見えてくるもの
ロズリン:昨今は、ご多忙を極めていますね。
カテリーナ:おかげ様でここ2年では年300公演ほどをこなしています。ウクライナという国が今よりマイナーだった頃は、まず地図上のどこにあるのかという説明から始めてたんですが。
チェルノブイリという地名は有名ですが良いイメージがないので、当初は一切出さないつもりでした。しかし3.11東日本大震災を境きっかけに、原発の話題が語りやすい空気になりましたよね。
ロズリン:国民みんなが、我が事として捉えざるを得ない出来事でしたから。
カテリーナ:支援コンサートなどのチャリティーイベントも増えて、福島県から避難してきた子どもたちのサポートなど、音楽を通して交流の機会ができたのはうれしいことです。
ただ私の場合、経歴を語ろうとするとどうしても原発と切り離せない面があるんです。しかし、まさか今度は戦争が起きるとは……
ロズリン:世界中が驚き、混乱し、心を痛めました。
カテリーナ:祖国のために何かしないではいられないと思ったとき、方々から声がかかり、結果としてステージのほか、メディア取材も多くこなすなど、流れが大きく変わっていきました。
後編へ続きます。
【カテリーナさんプロフィール】
ウクライナの伝統楽器バンドゥーラ奏者・歌手 Kateryna(カテリーナ・ミュージック)
6歳の時にチェルノブイリ原発で被災した子供たちで構成された音楽団「チェルボナカリーナ」に入団後、海外公演に多数参加。
コンサートで来日したときに日本の素晴らしさに感動し、19歳の時に音楽活動の拠点を東京に移す。
現在、日本に数少ないウクライナのバンドゥーラ奏者の1人として、ウクライナ民謡や日本歌曲を演奏し、テレビ、新聞、ラジオなど数多くのメディアに取り上げられている。
2023年からウクライナのために全国各地を周りチャリティーコンサート、支援活動中。
年間の出演コンサート数は300本を超える。
祖国のウクライナと日本の架け橋となり、平和の調べを届け続けている。
(株)カテリーナ・ミュージック公式サイト https://www.kateryna-music.co.jp
]]>〜理想を求めてひた走る蔵元のプライド〜
(株)南部美人 代表取締役社長/五代目蔵元 久慈浩介さん
岩手県の地酒「南部美人」の五代目蔵元を務める久慈浩介さん。日本酒の文化を世界に発信する活動は、日本酒へのあふれる愛とパワフルな情熱に満ちています。後編の今回は、もう一つのテーマでもある海外展開について、さらに詳しく伺いました。
●昭和から引き継ぐ、南部ブランドの魂
ロズリン:海外へのアプローチにも、積極的に取り組んでおられますね。
久慈:創業当初は二戸だけで飲まれる酒だった「南部美人」は、祖父が盛岡市に持ち込んだことで、岩手の地酒として広く知られることになりました。
その後、父が東京の銀座三越に売り込み、そこから全国展開へとつながっていき、自分の代になってからの1997年、海外進出を視野に入れて日本酒輸出協会を立ち上げました。
日本酒って、それまでは世界ではまだ全然知られていませんでしたからね。だから、売るためにはまず啓蒙普及から始める必要があったんですが、日本酒の魅力を伝えることができるのは蔵元以外にいないので、自ら立ち上がったというわけです。
ロズリン:賛同してくれる同業他社は、すぐ集まりましたか。
久慈:大丈夫、酒造業界は横のつながりが強いんです。昔はたくさんあった蔵元も、今では1,000もないくらいに縮小してしまったので、皆で結託して闘わないと生き残れないんですよ。
むしろ我々にとって目下の敵は、“無関心”です。無関心と闘うには、横でつながって仲間を増やしていく活動が不可欠なので、SNSでの情報交換も欠かせません。
ロズリン:企業秘密を守りたい歯みがき業界とは、そこがずいぶん違いますね(笑)。
久慈:酒造の世界には、「酒屋万流」という言葉があります。同じやり方で作っても、絶対に同じものは出来ない、酒とはそういうものです。何より、我々はそれぞれが違うもの、独自の酒を創りたいと考えていますからね。
●ニューヨーカーを虜にしたSAKEパワー
ロズリン:日本酒の海外初上陸は、どこの国から?
久慈:発足当時、活動の理念と目的は明確でも、「何をどうやるか」が定まっていない状態でした。
するとあるとき、日米の文化交流団体ジャパン・ソサエティーが、協会のニュースを見て連絡をくれたんです。「今、ニューヨーカーが日本酒に興味を持ち始めているので、ぜひ来てくれ」と。
ロズリン:さすが、ニューヨーカーは目新しいものに敏感ですね。
久慈:当時の海外では「“SAKE”?何だそりゃ?」という認識しかなく、まともに説明できる人材を探していたようで、すぐにサンプルを持ってNYに来てほしいと言われました。
この広報プロジェクトでラッキーだったのは、今では日本酒ジャーナリストとして有名なジョン・ゴントナー氏がメンバーに加わっていたことです。彼のネイティブ英語での講演は大好評で、これで一気に日本酒への関心が高まり、大きな注目が集まりました。
まず「これは何だ?」に始まり、フルーティーな香りに驚いて「果物が原料か?」と。
違うと答えると「何でこんな味になるんだ?」「オーマイガー!!」
その次は「How much?」となるんですが、これはサンプル品なので販売はできないと言うと「オー、ノォ〜〜〜!!」
これなら絶対にいける、海外進出は成功すると確信した、これが24歳のときの出来事です。
●それぞれが創り上げる唯一無二の酒
ロズリン:昨今の日本酒の人気ぶりは、貿易統計からも分かります。ヨーロッパなど海外のコンペでも日本酒の部門がありますね。
久慈:たとえば、有名なワインコンテストのインターナショナル・ワイン・チャレンジ*(IWC)では、日本酒部門が2007年に正式に設けられました。
これはワイン界の著名なスペシャリストであるサム・ハロップ氏に我々が働きかけた功績とも言えます。日本に招いて蔵に案内したりして、日本酒のファンになってもらえたのが良かった。
ロズリン:見えない努力が実りました。
久慈:そうでなければ、今の市場はなかったでしょう。
ロズリン:今、海外でも日本酒は作られているのですか。
久慈:もちろん、作っていますよ。地理的に稲作ができない国は米を輸入して、杜氏が現地に出向いて技術指導しています。
ロズリン:海外にノウハウをすっかり教えても大丈夫?
久慈:先ほども触れた「酒屋万流」の通り、酒造りでは絶対に同じものにはなりません。ワインにも同じことが言えますよね。決まったゴールを目指してたどり着くものではなく、段階を踏みつつ、その過程でそれぞれ育っていくのが日本酒の良さですから。
但し、輸入した日本産の日本酒は価格が高いんですよ。我々としては富裕層だけでなく中間層にもユーザーを広げたいので、気軽に飲める現地生産の美味しい日本酒の提供を目指しています。
ロズリン:これでますます、世界中に日本酒ファンが増えますね。
●地球を制覇? 瞬間冷凍のスゴ技
ロズリン:他にも、これからの夢は?お聞かせください。
久慈:今や日本酒は地球上で人が暮らす五大陸すべてに行き渡っていますが、唯一、未開拓な場所があるんです。分かりますか?
ロズリン:さて、五大陸以外と言うと……
久慈:南極大陸です。日本酒やビールなどは凍るので、持ち込めるのはウイスキーやウォッカ、焼酎などアルコール度数の高い酒に限られてしまうんです。
しかし、当社オリジナルのスーパーフローズン技術で瞬間冷凍した日本酒なら、味を損なわない状態で南極大陸にも持ち込めるんですよ。「最初から凍った日本酒ならいいじゃん!」ということです。
南極に近づいたら保管は簡単だし、室内では冷やでもお燗でもいけますから。
ロズリン:なるほど、それは素晴らしい技術ですね。
久慈:昭和基地内にはバーがあって、自分は3ヵ月間そこに立って日本酒を提供したいと思っているので、観測隊とも連絡を取り合っています。現実的には3ヵ月も留守にするのは難しいかな……と迷ってたら、周りからは「別にいいんじゃない」みたいに言われたりもしてますが。
ロズリン:早く実現するといいですね。
久慈:お酒は本来、人を楽しませるものであるべきです。だから、遥か南極の地で、熱燗にさきイカでも添えて「ひとり酒ぇ〜♪」なんてやりたいなあ、って思うんですよ。
〈ロズリン インタビューを終えて〉
日本酒愛にあふれる楽しいお話で、インタビューの時間があっという間に過ぎてしまいました。豪快でパワフルな久慈さんですが、日本酒造りという奥深く繊細な仕事に真っ向から向き合い、その心を伝えようと邁進する姿に、蔵元としてのプロ意識を感じます。またいつか、その後のお話を伺う機会ができますように!
【久慈 浩介(くじ・こうすけ)さんプロフィール】
株式会社南部美人 代表取締役社長/五代目蔵元
東京農業大学醸造学科卒。岩手の地酒「南部美人」およびリキュールの製造・販売を手がける。
東京農業大学客員教授、日本吟醸酒協会理事長、岩手県酒造組合副会長、一般社団法人awa酒協会副会長などを務める。メディア戦略を通じ、日本酒の魅力と文化的価値を世界に向け積極的に発信。
「南部美人」公式サイト https://www.nanbubijin.co.jp/
*インターナショナル・ワイン・チャレンジ(International Wine Challenge)
英ロンドンで年1回開催される国際ワイン品評会。2007年から設けられた日本酒部門(Sake Category)では9カテゴリーについてブラインドテイスティングによる審査が行われる。同部門最高賞の称号は「チャンピオン・サケ」。2023年は1,601銘柄が出品、うち32点がゴールドメダルの中から特に優れた酒としての「トロフィー」を獲得した。
https://www.internationalwinechallenge.com/about-the-sake-competition.html
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〜理想を求めてひた走る蔵元のプライド〜
(株)南部美人 代表取締役社長/五代目蔵元 久慈浩介さん
岩手県の地酒として名高い「南部美人」の醸造元で五代目蔵元を務める久慈浩介さんは、ブランドのたゆみない改革に心血を注ぐ傍ら、日本酒の魅力を海外に紹介する活動にも精力的に取り組んでいます。
伝統を引き継ぐリーダーの使命感とともに、次世代にふさわしい理想の酒造りを模索する日々の先に広がるのは、まさに地球規模のビッグヴィジョンでした。
●新時代の酒に宿るストーリー
ロズリン:久慈さんとは、ソムリエの友人が代表を務める「日本のSAKEとWINEを愛する女性の会」が開催したパーティーで初めてお会いしたんですが、面白い方をご紹介いただけて、嬉しく思っています。
久慈:ありがとうございます。今日はこの法被、「南部美人」のユニフォームで、よろしくお願いいたします。
ロズリン:ご実家で代々、お酒づくりをなさっていますね。
久慈:はい。久慈家は1902年から代々酒造りを続けて121年、僕は蔵元の五代目になります。
初代は曽祖父で、一戸(いちのへ)の醬油屋の九男坊?だったかな。とにかく末っ子だから家を継ぐことはせず、二戸(にのへ)に移って、借地借家に借金して酒造りを始めたんです。
ところがまあ、酒飲みだったんで早死にしちゃって、息子もまだ幼かったので、奥さんが二代目として事業を引き継ぎました。
そして三代目が僕の祖父、四代目が父、2013年から五代目の僕へとつながります。
ロズリン:女性が事業、特に酒蔵に関わるのは珍しいことだったのでは。
久慈:はい、当時はご承知のように酒蔵は女人禁制で、蔵には入れませんでした。実際の酒造りの現場は、杜氏や蔵子さんなど専門の職人が作業するので、いわゆるオーナーですよね。とにかくやらざるを得ない状況だったので。
ロズリン:古い時代には、相当なご苦労だったと察します。
久慈:戦争が始まると、祖父は徴兵されて戦艦大和の護衛艦に乗船しました。が、身体が弱くて戦地で病気になって艦を降ろされたおかげで、生きて帰ることができたという人です。
酒造りは戦中でも続けていましたが、もちろん米は無いのでリンゴなどの代替原料を使い、他にも味噌を作ったり、豚や鶏を飼うなどして、どうにかしのいだそうです。
ロズリン:戦時中は女性も勤労動員されたりして、厳しい時代でしたよね。
久慈:廃業する蔵元も多かったけれど、祖父は戦後、志新たに事業を立て直しました。
それ以前にメインだった銘柄「堀の友」に代わる、旧南部藩という土地の誇りを体現した“美しい酒”を、という発想で、新しいブランドの酒造りに取り組んだのです。
ロズリン:「南部美人」は、東北のお酒なのに南という字があって、ちょっと不思議な印象です。
久慈:これがよく混乱するんですよ〜。“南部”は、南部藩主の姓なので、英語のサザンじゃないよと説明するんですが、やっぱりどうしても分かりにくいんですね。かと言って、東北だからとノーザンにしちゃうとますます違うし。ここが難しいところです。
●留学先で言われたこと
ロズリン:久慈さんご自身は、小さいときから蔵を継ぐことを意識されていたんですか。
久慈:それは全く、もう全く思っていませんでしたね。だいたい、子ども時代から周りに人が多くて、プライバシーなんか皆無だし。彼女と道歩いてるだけで通報されるんだから(笑)。
最初は学校の先生になろうと思っていて、高校生のときアメリカのオクラホマに留学したんです。このときのホームステイ先のお父さんが大のワイン好きで、持って行った大吟醸酒を出したら、初めて味わう日本酒に驚いて、すごく喜んでくれまして。「お前、もちろん家業を継ぐんだろう?」「いやいや、まさか」そしたら「バカヤロー!」って𠮟られた。「お前しか継げる人間はいないのに、もったいない」とね。
そんなこと、誰からも言われたことがなかったんですよ。ホームステイ初日から最後の日まで、ずーっと言われ通しでした。
そのこともあって、東京農大の醸造学科に進みました。父も祖父も喜びましたね。
ロズリン:大学での勉強はどうでしたか。
久慈:それまでは、他に酒蔵の息子なんて周りに居なかったでしょ。風呂に酒を一升瓶ごとドバドバ入れるような家なんて、普通ないじゃないですか(笑)。
でも大学では、蔵元から来た同じ立場の学生が30人とかいる。気持ちが分かり合えて、話が通じる仲間が初めてできたもんだから、そりゃもう楽しかったですよー。
農大では教職課程もあるので教師になることもできたけれど、そんなことはもう考えもしませんでしたね。教授だった小泉武夫先生 の授業なんか本当に楽しくて、最高でした。
ロズリン:学校で学んだことは、現場でどのように役立っていると思いますか。
久慈:現場作業は杜氏に任せるんですが、酒造りは全体に複雑で難しいので、いろいろ勉強しないといけないんです。でも大学では先生方や蔵元同士のネットワークができましたし、醸造経営学でビジネス面のノウハウも学べて、本当に良かったと思います。
ロズリン:留学のご経験もあったから、英語は得意?
久慈:いやー、そんなには……酒の話ならいくらでもできるけど、日常会話はどうもね(笑)。
●幻の酒がもたらした人生の転機
久慈:あるときから、自分の酒を変えていきたい、と思いが強くなりました。きっかけは、山形の酒「十四代」との出会いです。
日本のロマネコンティ、とも評される幻の名酒で、東京で初めて飲んだときの衝撃ときたら! こんな酒、いったいどうやったら作れるのかと。
今のまま何もしないのではまずい、という忠告もあって、そこから技術者として酒の改革に本気で取り組み始めました。
ロズリン:ひと口にリニューアルと言っても、時間がかかりそうに思えます。
久慈:10年くらいかけて、味を変えていきました。この4〜5年で完成に近づきつつあるところまでは来れたかな。
酒造りで不変なのは、水。そこにプラスして、原料の米を改良することがカギです。昔は米って配給制で、規制のもとに割り当てられるものだったってご存知ですか。それ以外の米は“ヤミ米”扱い、そんなことが90年代に入ってからも続いていたんですよ。
2000年頃になってようやく食糧管理法が変わって、米の売買が自由化され、農家と提携した事業も可能になってから、まずは契約栽培で米の質を変えるところから改革に着手していきました。
ロズリン:人を雇う立場では、スタッフの管理や育成も大切ですよね。
久慈:その通りですが、重視したのはまず基本に戻ること。これまでの問題はいろんな“手抜き”が原因だったので、これを正していくことが急務でした。
一方、職人も高齢化して、身体があちこち痛いとか言って動いてくれないことが増えて、遠からず引退する流れにもなっていたんですね。そうした事情もありまして、今現役の若いメンバー12名は、僕が集めて育てた精鋭部隊というわけです。
ロズリン:今、自己採点するなら百点満点?
久慈:酒に百点というのはないですね。「もう、取れる賞は取り尽くしたのでは」と言われたからって、それは違う。一生、百点は取れません。
不変である水に対して、技術、原料の米、設備環境などを掛け合わせてできるのが日本酒です。もちろん、外部の人が高く評価してくれているので、いいものになったとは思っていますが、理想は高くなっていく一方だし、下げたくはない。常に、どこまで理想に迫れるかという真剣勝負なんです。
後編へ続きます。
【久慈 浩介(くじ・こうすけ)さんプロフィール】
株式会社南部美人 代表取締役社長/五代目蔵元
東京農業大学醸造学科卒。岩手の地酒「南部美人」およびリキュールの製造・販売を手がける。
東京農業大学客員教授、日本吟醸酒協会理事長、岩手県酒造組合副会長、一般社団法人awa酒協会副会長などを務める。メディア戦略を通じ、日本酒の魅力と文化的価値を世界に向け積極的に発信。
「南部美人」公式サイト https://www.nanbubijin.co.jp/
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〜 出会いの縁が織りなす、食という幸福 〜
フードクリエイター・料理家 森村芳枝さん
和食やタイ料理など、独自のセンスで食文化の可能性を開拓する料理家、森村芳枝さんのインタビュー。波乱万丈、ドラマチックな前半生を語る前編に続き、今回はいよいよ料理の世界の核心へと迫る後編をお届けします。
●運命の歯車が回り出した!
森村:勤めていた銀座のギャラリーが閉店して暇を持て余していた頃、狂言の大鼓(おおつづみ)奏者の友人から頼まれ、彼の開催するイベントの事務局を手伝うことになりました。
野菜や果物を使ったフルーツカービングを習っていたのですが、当時の日本では、フルーツカービングアーティストがいなかったので、珍しがられて、これが「面白い」と評判を呼び、私が風邪で仕事を休んだときに、イベントのパンフレットにフルーツカービングアーティストとして私の名前が入れられてしまったのです。もう載ってしまっているから仕方がない、では何か作品を作らなきゃ、となって。
ロズリン:何かが始まる予感がしてきました。
森村:このときの作品が料理研究家の先生の目にとまり、「あなた面白いから、ぜひ私のサロンにいらっしゃい」と。それが、マキシム・ド・パリなどを日本で立ち上げた花田美奈子先生です。
玄米などの自然食を提唱する先生のギャラリーカフェで、自然食のタイ料理パーティーを開催していたとき、ご来店されたファッションデザイナーの花井幸子さんから「あなたのお料理は美味しい」とお褒めの言葉をいただきました。
花井先生は、とてもお料理上手で、よく家庭画報などに美しく盛り付けられたパーティー料理が掲載されており、憧れの存在でした!その花井先生にお墨付きを得たので、お料理に自信が付きました。
ロズリン:それは知りませんでした。
森村:私は、茶道と懐石料理を長年、鎌倉に通って勉強し、茶懐石料理教室の助手をしておりました。
アートスペースハナダで働くようになって、「料理を仕事にできるだろうか、やっていけるだろうか」と考えはじめました。
タイ料理はその頃のブームもあって、あるとき新店の立ち上げで声がかかりました。しかし、料理人たるもの本来3年は修業すべきだから、1年にも満たずの独立は不安だと花田先生に相談したら、「あなたはへっぴり腰だけど、人の心をひきつける魅力があるから」と送り出されて。そうして、埼玉でタイ料理店の立ち上げのプロデュースに携わりました。
●天賦の才能が輝くとき
ロズリン:ようやく、本格的に料理の道へと参入したのですね。
森村:その後、「自宅を開放するから、料理教室を開いてほしい」という友人の申し出を受け、人に料理を教えるという新しい世界の扉が開いたのです。
新しいこと、難しいことにチャレンジするのが好きな自分としては面白くなっていきました。
ロズリン:いよいよ羽ばたくときが来た、という感じがします。
森村:数年間、タイ料理教室やタイ料理のケータリングを中心に活動していましたら、やがてネットから私の情報を見つけた人や、大手企業からもオファーが増え、それが現在につながっています。
直近の10年間は、母を介護する事情から仕事量を減らしていました。
精進料理の第一人者鎌倉不識庵の藤井まり先生のところで精進料理を勉強したり、お手伝いしたり、さらに研究を積んでいます。
ロズリン:研究熱心でいることは、料理家として大切ですよね。
森村:まり先生にタイ料理を教え始めて30年近くになるというお話をしたら、では、不識庵でタイ料理教室を開催しましょう!ときっかけをいただきました。せっかく精進料理教室で教えるので、精進風にしようと、タイ料理を精進風にアレンジして教えました。始めた頃は「精進風タイ料理」と銘打っていたのですが、やがて生徒さんから「本格的なタイ料理を習いたい」とのご要望も増えていったので、今は、自宅での本格タイ料理教室が復活いたしました!
地球温暖化で世界中が亜熱帯化している今、タイ料理に関心が高まっています。
母中心の生活でしたので、和食が多くなっておりましたが、母を見送り、自分の食生活が戻って来て、今また再び、タイ料理に魅せられています。
●ブームの予感? タイ宮廷料理の華やかさ
ロズリン:森村さんは、豆腐マイスター協会の幹部講師もされています。私たちサンギとは「つきじおから茶」の開発でお世話になって以来のご縁ですよね。
森村:お豆腐とのご縁と言えば、豆腐料理のコンテストで2回、受賞したのがきっかけでしょうか。
2011年の豆腐プロジェクトジャパンでは、豆腐を使った【タイ風がんもどき】2012年の大阪府堺市のコンテストでは、私が一番影響を受けた、同地出身の千利休に捧げる料理で、「絶対に賞を取りたい!」と燃え応募し、私が落ち込んでいるときに支えてくれた大阪堺市の友人に賞を取って元気になって会いに行きたいと思い、偉大な千利休に捧げる料理をテーマに、黒楽茶碗とお抹茶をイメージし、季節の色どりを添え、利久にまつわるエピソードを盛り込んだ、お抹茶色の茶そば【利休風豆乳そば】を出品しました。
利休風豆乳そば(豆腐があればごちそうレシピより)
ロズリン:きれいでゴージャスで、とても美味しそう!
森村:これは私のキャリアの中でも、まさに“降りてきたレシピ”でした。ただこうしたひらめきは、偶然に見えても長年の積み重ねがあってこそのものだ、という方がおりましたが、本当にそうかもしれません。
ロズリン:豆腐は、まだたくさんの可能性を秘めた食材なのでしょうね。
森村:豆腐は中国が発祥ですが、お豆腐そのものをおいしくしようと工夫するのは日本だけなのです。職人気質なのでしょうね。中国料理では、豆腐の形状など種類が豊富で、豆腐をいかに料理しておいしくするかが重要で、生の豆腐そのものををおいしくすることにはあまり関心を払いません。
日本は生食の文化なのにも起因していると思われます。
ロズリン:なるほど、確かにそれはあります。
森村:豆腐そのものの味わいを大切にする日本人の繊細さ、職人魂を支えたいので、せめて町に1軒は残ってほしいのですが……高齢化と後継者不足、大豆の高騰などで、消えゆく傾向は止められません。私の小学校時代の同級生も実家がお豆腐屋さんでしたが、後を継ぐことはありませんでしたし。
ロズリン:料理の本を出版されたことは?
森村:まだないのです。以前に一度、チャンスはあったのですけれど。
ロズリン:ぜひとも出してほしいです、きっと素敵な本になりますよ。
森村:ありがとうございます。自分のスタイルが完成した、と自分自身で腑に落ちないうちはだめだ、というのがあって。でも最近は、そろそろ潮時かなとも思います。テーマはタイ料理か、江戸料理か、あるいはシリーズ化するのも良いでは?とアドバイスされたりしております。
ロズリン:一つが売れたら、次々に話がくるものです。
森村:インプットばかりでなくアウトプットもしなさい、とよく言われます。
タイ料理のジャンルであまり知られていない宮廷料理は、お花を材料にしたり、見た目が和菓子のようだったりと非常にアーティスティックなのですが、作れる人は少ないのが現状です。
和食にしても、一般に知られている懐石料理に比べて、江戸料理はまだ耳になじみがありませんから、私の15年間の研究成果を紹介する機会があればうれしいです。
●縁(えにし)の上で花開く、明日の料理
ロズリン:森村さんのお話を伺っていると、人の縁によって人生が本来あるべき方向に導かれていったように見えてきます。料理こそが天職だったんですよね。
森村:食べることが好きなので、そうかも知れません。何より、母がパスポートの申請書類にひらがなでサインしなかったら、私は今ここにこうしてはいないかもしれません(笑)
ロズリン:厳しいお父様の影響も、現在の活動にずいぶんと活かされているのでは?
森村:厨房の設計士だった父は、包丁を20本持っているほど、料理も玄人はだしの人でした。そもそも料理ができない人に、厨房の設計はできないらしいのですね。家のお風呂場にいきなりアンコウが吊るしてあったときには驚きましたが、父がさばいたあんきもは美味しかったですよ。
実家は近くの築地市場の仲買人の方々が出入りして、いつも何かとにぎやかでしたから、料理にこだわりがあるのは当然でしょうね。私も、子ども時代からお寿司はカウンターでしか食べたことがないのですが、主人から「それは人前で言っちゃいけない」と口止めされてます(笑)。
ロズリン:幼い頃から、味覚を鍛える環境に恵まれていたのは大きいですよ。
森村:私の料理は、子供の頃から、たとえばみそ汁などは父も褒めてくれるほどでしたし、おつまみにしても、お酒が飲めない母より私のほうが上手く作れて評判も良かった。あれもやはり、飲める人の勘どころを分かっているからだと言われます。
ロズリン:思わずうなずいてしまうお話です。
森村:父の亡き後、実はあのマキシム・ド・パリの厨房設計も父と叔父が手がけていたと知りました。こうなると、私は結局、父の手のひらで走り回ってただけなの? と思ってしまいます。
ロズリン:出会いの縁に恵まれ、導かれ、豊かな世界を創り出すのは、本当に素晴らしいことです。
森村:ええ、ロズリンさんともこうして、ご縁がつながったわけですから。
[ロズリン インタビューを終えて]
白が大好きという森村さん、この日も白のコーディネートがよくお似合いでした。ご自宅で育てたハーブを加えたおから茶と、寒天で固めた江戸時代のお豆腐のデザートは、まさに絶品&未知の美味しさ!
人を幸せにする料理は、あくなき探求心と好奇心、光るセンスが一体となって生まれるものだと実感しました。いつもワクワクして、キラキラ輝く森村さんが、これからも素晴らしい料理で私たちを驚かせ、幸せに導いてくださるよう、こちらもワクワクしながら期待しています!
【森村 芳枝(もりむら・よしえ)さんプロフィール】
フードクリエイター/料理家
タイ料理教室主宰/タイ国大使館認定タイフードコンシェルジュ
一般社団法人日本豆腐マイスター協会理事・豆腐マイスター認定講師
いなり寿司マイスター認定講師
東京生まれ、実践女子学園卒。現在、東京・月島の自宅にてタイ料理教室「ヨシエズキュイジーヌ」を主宰するほか、「豆腐マイスター認定講座」や、「いなり寿司マイスター講座」、茶道・懐石料理、江戸料理を中心に日本の食文化研究および普及にも取り組む。
ヨシエズキュイジーヌHP http://yoshiesc.mints.ne.jp/
instagram https://instagram.com/sweetmintchoco1234/
森村芳枝X(Twitter)https://twitter.com/sweetmintchoco
(一社)日本豆腐マイスター協会 https://mytofu.jp/cookingteacher/morimura/
]]>ここは現世なの?と錯覚するぐらい美しい空間が広がり、海の色は様々な濃淡のブルーを覗かせます。
白、青、時おり遠くに見える岩肌の大地の黒。
見事な3色がシンプルに延々とつづく景色は、言葉を失う圧倒的な美しさでした!
フランス籍の船Le Commandant Charcot
夫が景色を見て
お話していた通り、この年末は世界6大陸の1つで、私が訪れる最後の大陸である南極への旅、
まさにアドベンチャーへ出掛けてきました!
南極へは様々なルートがありますが、私たちの場合は羽田からシドニー経由でまず南米・チリの首都サンティアゴへ飛びました。
念のために余裕をもった到着でしたので、三泊した後、世界最南端の港であるアルゼンチンの「ウシュアイア」という街へ向かいました。
ウシュアイアは南極への玄関口となっており、私たちの乗船する船もここからいよいよ出発です。
南極へは、フランス籍の船Le Commandant Charcot(ポナン(PONANT)社の一隻)で向いました。
客船として数少ない砕氷船(さいひょうせん:Icebreaker)で、文字通凍った海面を砕きながら進める船です。
氷を分け入り、他の客船より深く南へ突き進んでいくことが可能でした!
ポナン社は「研究船でもある」と誇りを持って、数人の学者や研究生も乗船していますが、船内に設置されている研究室で南極やそこに生息する生き物など、様々な研究を進めています。
そして彼らのもう一つの役目が、乗船客のために船内で行われる講義の講師を務めることで、現地に降り立つときに専門家としてツアー案内もしてくれます。
それは乗船客にとって素晴らしい機会となりますし、旅行中は最初の探検者に関する様々な書籍を読み、
その内容を目の前で確認できた自分にとっても、一生忘れられない貴重な体験でした。
日頃は仕事に追われショートスリーパーの私ですが、旅行中は仕事を忘れ読書にいそしみ、
毎晩ぐっすりとたくさん睡眠をとることができました。
すっかりリフレッシュしました!
ここでひとつ新しく得た知識をご紹介します。
英語では北極を「Arctic」、南極を「Antarctic」と言いますが、「arctic」の語源はギリシャ語の「artikos」で、「熊」という意味だそうです。
皆さんご存じでしたか。なぜそうなのかが大変面白い。
実は北極にはシロクマが生息していますが、南極にはクマはいません。
そこで熊がいる北極をArcticと言うのに対して、熊がいない南極をAntarctic(「Ant-無い」つまり「熊はいない」)と言うことになっています。
また星座の「おおぐま座」は北半球でしか見られず、北極の目印ですが、南半球では見られません。南極では南十字星が目印です。
さて動物といえば、南極旅行の目的のひとつでもありました。
多くのアザラシやクジラを見ましたし、たくさんのかわいいペンギンがお出迎えしてくれました!
船の上から見たクジラ
南極のペンギン
ペンギンは人間をまったく怖がりません。
逆に好奇心旺盛で、研究者と歩いている私たちに「何をしているの?」とばかりに近寄ってきます。
野生動物とは一定の距離を保つようにとの約束事がありますが、あちらから近寄ってきてしまうのですから、私たちはあわてて後ずさりしていました(笑)。
南極にはたくさんの約束事があり、旅行者は船を降りる際にキャメラ以外何も持ち込んではいけない。
何も拾って船に持ち帰ってはいけませんし、服に付着したものまで丁寧に取り除き、長靴は下りるときも戻る際にも土などを落として消毒しないといけません。
ゴムボートのZodiacに乗り換え、流氷の中を進みます
旅に終わりはつきもので、本当にあっという間の2週間でした。
素晴らしい体験の数々、もっと皆さんにご紹介したいことがたくさんあるのですが、今回はここまでとします。
皆さんも是非訪れていただきたい、夢のような場所でした!
では、お待たせしました。
今回は久しぶりに、ロズリンのお土産プレゼントが復活です!
私が厳選したお土産を、ブログを読んでいただいた5名様へプレゼントします。
まずは私が出会ったかわいい野生動物・南極ペンギンのぬいぐるみです!
実際には手を触れることができませんでしたが、このぬいぐるみのふわふわとした手触り(実はペンギンのひなの状態)は、ペンギンと少し近いものがあるかも?知れません(笑)。
とっても癒されることは間違いなしです!
ぬいぐるみ(おひとり様1体です)
そしてもうひとつが、こちらのニット帽です!
ニット帽(ブルー、グレーどちらか選んで!)
2色ご用意したのですが、とっても暖かそうな一部絹を含む素材で、絵柄としてペンギンが織り込まれています。
どちらの色か好きな方を選んでご応募くださいね。
ペンギンのぬいぐるみを3名様
ニット帽2色を各色1名様ずつで、合計5名様へのお土産になります。
以下のリンク先からご応募くださいませ。
年初にお伝えしたように、今年はサンギ50周年となっています。
様々な活動を通じて、「あなたと輝く毎日へ」を企業スローガンに掲げ皆さんを益々元気にするお手伝いを継続していきたいと思います!
50周年を記念したページをサンギサイトに設置しましたので、是非こちらもご覧ください。
■ロズリンのお土産プレゼント
2024年2月15日(木)まで
合計5名様 にプレゼント。(ぬいぐるみ3名、ニット帽2名)
たくさんのご応募ありがとうございました!
ご当選者の発表は商品の発送をもって代えさせていただきます。
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〜 出会いの縁が織りなす、食という幸福 〜
フードクリエイター・料理家 森村芳枝さん
本格的な和食をはじめ、タイ宮廷料理などの料理教室を主宰するかたわら、豆腐マイスターとしても活躍する料理家の森村 芳枝さん。東京・月島の料理教室「ヨシエズキュイジーヌ」は、自家栽培のハーブなどたくさんの植物に囲まれた、風情ある一軒家です。今回のインタビューでは、日々新しい料理のアイデアを模索する森村さんの、無限に広がるレシピ作りの秘密に迫ります。
●大きな愛に囲まれた、木造の家
ロズリン:私の主人の実家は八丁堀なので、佇まいがよく似たここはとても懐かしい感じがします。狭い路地があって、部屋でお茶を飲んでいると、お隣の人が気軽に通り抜けて行くんですよ(笑)。
森村:そのほうが近道だからですね(笑)。
ロズリン:近隣との密なコミュニケーションがありましたよね。主人は子どもの頃、たばこ売りの店番もさせられていたそうですし。
森村:ここも築80年ですから古いのですが、木の造りの家って、ホッとできて落ち着きますよね。
ロズリン:とてもいい雰囲気です。
森村:この家は、たくさんの人の愛で成り立っているんです。もともとは、厨房設計士だった父が事務所にしていたんですが、昔は築地市場の仲買人の人たちが出入りするなど、常に人が集まって交流するにぎやかな場所でもありました。
ロズリン:この茶釜など、とてもしゃれていて見事です。
森村:作り付けの棚とか、祖父が持っていたイギリスのアンティークの棚、上海の友人が譲ってくれたサイドボードなどなど、別々にいただいたものなのですが、なんとなく調和が取れております。今はこんな風に、懐石料理やタイ料理などに使う食器類を納めるのに使っています。
ロズリン:ずっと、ここ月島で暮らしていたのですか。
森村:はい。ですが結婚してから、新婚旅行を兼ねて大好きなハワイにしばらく居たこともあります。二人とも本気で移住したかったのですが、ビザの取得が難しくて諦めざるを得ず、語学留学として3ヵ月ほどの滞在でした。向こうには友人もいるし、何よりハワイの風が大好きなんです。風も太陽も心地よくて、現地の人はフレンドリーで。
●夢も現実も、試練とともに
ロズリン:かつては、将来にどんな夢を描いていたのでしょう?
森村:最初は、ファッションデザイナーに憧れていました。今のような既製服が豊富になかった頃、服は自分で作るか、プロに仕立てを頼むかしかなかったでしょう。
けれど、うちは母がおしゃれな人で、目白の洋裁店であつらえることが多く、外国の雑誌を見て、イタリアの生地でお揃いであつらえたりしていたので、ファッションへの興味が高じていったのですね。小学校の卒業文集にも「私は、ファッションデザイナーになって世界各国を駆け巡りたい」と書いていたくらいですから。
エスカレーターの附属中学に通っていたのですが、美術が得意でしたので、高校は女子美に行きたくて。でも、父の反対でそれは断念。私は子供の頃から「自分の感性をカタチにしたい」という思いが強く、高校を卒業してようやくファッションの道に進むことになりました。19歳のとき、本格的に学ぶならやはり本場に行きたいと、仏ソルボンヌ大の準備校への留学をひそかに計画しました。
ロズリン:素晴らしい!
森村:もちろん、父は反対するに決まっていますから、パスポートの申請書類は母にサインをもらいました。ところが母は、自分の名前の難しい“禰”という漢字をひらがなで記入してしまったのですよ。当然、法務局から問い合わせがきて、その電話に父が出て……すべてが水の泡になりました。
ロズリン:あらあら、大変!
森村:父はもう激怒しまして、留学手続きのすべてを泣く泣くキャンセルさせられました。
この件で私は、「この家を出るしかない!」と決意し、20歳になるとすぐに、代官山で一人暮らしを始めました。中学校が代官山の近くでしたので、学校帰りによく散歩していて、お気に入りの環境でした。
古いマンションのワンルームで、内部は木をあしらった造りがとても素敵な部屋で、あの当時でフローリングの床なんてなかなか無かったのですよね。
そこでアルバイトをしながら、留学のチャンスを待つ生活を心からエンジョイしていましたら、今度はA型肝炎でダウン……実家に戻るしかなくなり、一人暮らしはそこであえなく終了しました。
●人生はジェットコースター
森村:全快した後、友人の紹介でイタリアのカッシーナ社でインテリアコーディネーターのアシスタントとして、六本木のショールームで勤務することになりました。
ロズリン:そうすると、ファッションの勉強のほうは?
森村:私は、コツコツと積み重ねて作り上げることのほうが好きなのですよね。でも、アパレルは基本的に「新しいものを作っては捨てる」の繰り返しですから、それは自分には合わないと気づいたのです。そこで、以前から興味のあったインテリアの世界に飛び込みました。
ロズリン:華麗なる転身ですね。
森村:インテリアコーディネーター候補として入ったのですが、ショールームの営業職と兼務する激務でしたし、やはり「何か違うなあ……」という違和感が拭えなくなり、しばらくして辞めました。
ロズリン:ああ、そうですか。
森村:その次は、外国製のランジェリーのレースの美しさに魅せられたことで、美しいレースに関わる仕事がしたくなって、レースメーカーの企画営業職にチャレンジしました。レースの本場はヨーロッパですから、パリとベルギーの展示会に行ける約束だったのですが、何と湾岸戦争の影響で、海外出張の機会は残念ながら訪れませんでした。
ロズリン:そういう時代がありましたよね。
森村:一人で新規開拓したり、ベテランバイヤーの前でプレゼンしたりの激務をこなしてがんばっていたのですが、さすがに疲れが限界にきて休職し、3年の契約期間が切れました。
ロズリン:ドラマのような展開は、まだ続くでしょうね。
森村:はい、その後は絵画のギャラリーに勤めたいと考えました。
ロズリン:絵もお好きですか。ご自分でも描かれますか?
森村:どちらかと言うと彫刻のほうが好きで、野菜や果物を使うフルーツカービングが得意なのですが、絵はあまり上手じゃないのです。
京橋の木版画専門ギャラリーから、銀座のギャラリーへと移って、やっと腰を落ち着けられるかなと思っていたら……バブルがはじけて、ギャラリーはクローズしてしまいました。
ロズリン:まあ〜、本当に波乱万丈!
森村:何と言うかもう、時代に翻弄される前半生でしたよね。
後編へ続きます。
【森村 芳枝(もりむら・よしえ)さんプロフィール】
フードクリエイター/料理家
タイ料理教室主宰/タイ国大使館認定タイフードコンシェルジュ
一般社団法人日本豆腐マイスター協会理事・豆腐マイスター認定講師
いなり寿司マイスター認定講師
東京生まれ、実践女子学園卒。現在、東京・月島の自宅にてタイ料理教室「ヨシエズキュイジーヌ」を主宰するほか、「豆腐マイスター認定講座」や、「いなり寿司マイスター講座」、茶道・懐石料理、江戸料理を中心に日本の食文化研究および普及にも取り組む。
ヨシエズキュイジーヌHP http://yoshiesc.mints.ne.jp/
instagram https://instagram.com/sweetmintchoco1234/
森村芳枝X(Twitter)https://twitter.com/sweetmintchoco
(一社)日本豆腐マイスター協会 https://mytofu.jp/cookingteacher/morimura/
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年末年始はどのようにお過ごしでしたか?
帰省や旅行におでかけの方、お仕事だった方もいるかも知れません。
新たな年、サンギも1月9日から営業開始です。
毎年干支の画像で新年最初の投稿をしていますが、今年の干支は辰年ですね。
辰は竜で現しますが、干支の中で想像上の動物はこの竜だけです。
竜というと神の化身のイメージがしますが、中国では古くから皇帝のシンボルとして使われ、「竜顔」(帝王の顔)など皇帝にまつわる言葉もあるなど、権力の象徴です。
竜の顎の下には1枚だけ逆さに生えた「逆鱗」があり、ここに触られるのが大嫌いで、触れられると烈火のごとく怒り狂ったという伝説があるそうです。
「逆鱗に触れる」という表現は、ここから生まれた言葉だそうです。
辰年は活力旺盛になって大きく成長し、形がととのう年だと何かで読みました。
実はサンギにとって本年は大きな節目、おかげさまで50年目を迎えました!
これからさらにすばらしい将来を目指して、幸先良いスタートが切れること祈っています!
南極大陸制覇のご報告は、また改めて。
今年もよろしくお願い致します!
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早いもので、今年も残すところあとわずかとなりました。
この1年、皆さんにとってどんな年だったでしょう。
突然ですが、世界にある大陸の数をご存じですか?
言うまでもなく、世界には6つの大陸がありますよね。
私の出身地である、オーストラリア大陸、ユーラシア、アフリカ、北アメリカ、南アメリカ、そして南極です!
オーストラリア大陸は一番小さな大陸ですが、唯一1つの国の領土となっている大陸です。
これまで世界中の様々な国へ、仕事やプライベートで訪れてきました。
そして、これらの大陸を制覇してきたと言えます(笑)。
いまだに制覇できていなかったのが、
そう、南極大陸です。
南極には日本・オーストラリアを含め各国の観測基地がありますが、太陽の光が届きにくく、人間が住むのに研究以外にはほとんど無理な環境ですね。
年中一面が氷で覆われているイメージです。
ですが南極にも多くの動物達が暮らしています。
なぜこんなお話をしたのかと言いますと、この12月に南極に行くことになりました!
お仕事ではなく、もちろんプライベートです。
南極って普通の旅行で行くことができるの?と、思った方もいるかも知れません。
でも行けるんです。
実は、皆さんにはご報告できていなかったのですが、
今年の夏休みに、北極へのクルーズ旅行に参加したんです!
本当は3年前に北極へ行く予定だったのですが、新型コロナウイルスで保留となっていました。
今年やっとコロナが落ち着き、いよいよ行くことができたんです。
そしてもちろん素晴らしい旅になりました。
小さいゴムボートに乗り換えて探検です!(笑)白い帽子が私。
<実際に見た動物の写真>
北極で暮らす様々な野生動物に出会うことができました!
で、その旅行があまりにも楽しくて、今度も同じクルーズ会社の南極へのクルーズにもさっそく参加することにしました。
南極ではどんな出会いがあるのか分かりませんが、動物が大好きなので、ペンギンやゾウアザラシなど、南極に生息する野生動物をみることも楽しみの1つです。
最近お土産プレゼント企画をやっていなくて、すみません。
今回の旅行ではぜひ素敵な何かを持ち帰りたいと思います。
南極にお土産のお店があるかわかりませんが、お楽しみに!
来年はまたサンギにとって、大きな節目となる年。
サンギの50周年になる年だとご存知でしたか。
年末年始はしっかりリフレッシュして英気を養い、新たな年を迎えたいです。
皆さんも、良い年末年始をお過ごし下さいね。
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株式会社加藤製作所 副社長 加藤里絵さん
●ソニーの営業→マーケティングの経験がいまの仕事に生きている
ロズリン:加藤さんは、この会社に入るまではどのような仕事をされていたんですか。
加藤:九州の大分県で生まれ、福岡県の大学に行きましが、卒業後、ソニーに就職して東京に出てきたんです。
ロズリン:ソニーでは何を?
加藤:国内営業の部署に配属され、カメラの営業をしていました。数年して、ふと「海外と関わる仕事がしたいな」と思い、社内公募にチャレンジしたところ、願いが叶って海外マーケティング部に異動できました。英語が得意なわけではなかったので、すごく大変だったのですが、なんとか頑張っていました。
ロズリン:営業は大変でしょうけれど、マーケティングの仕事をするのに営業の経験はプラスになったでしょうね。
加藤:そうですね。お客さまのニーズをいかにプロモーションしていくかがマーケティングなので、営業を通してお客さまのニーズをキャッチするスキルを身につけられたのは良かったと思います。
ロズリン:マーケティングの知識はすぐに身につきましたか。
加藤:ソニーは研修がすごく充実していて、外部の研修も、希望すればどんどん行かせてくれたんです。それで、たくさんの研修を受けて知識をインプット。学んだことはすぐに実践し、業務に生かしていきました。
ロズリン:すばらしい。
加藤:そのうち「どうせなら海外に赴任したいな」と思い始め、チャンスが巡ってきたので中国・香港に赴任しました。
ロズリン:中国ではどんなお仕事をしていたのですか。
加藤:中国全土のプロモーションを担当しました。大変ではありましたが、中国の営業の方とミーティングを重ね、プロモーションプランを練り上げていく仕事は、とてもやりがいがありました。展示会をしたり、ポスターを作ったり、すごく楽しかったです。
ソニーでの経験がいまの仕事に生きています。ソニーには本当に感謝しています。
●夫と出会い、予想もしなかった人生に
ロズリン:現地では中国語を話していました?
加藤:いやー。挑戦したんですけど、中国語は発音が複雑でむずかしくて。結局、英語で仕事をしていました。
ちなみに、弊社の社長(主人)は中国語ができるんですよ。若いころ中国に語学留学をしていたので、ペラペラなんです。
ロズリン:旦那さまとは中国で知り合ったのですか?
加藤:いえ、中国で仕事をしていたときの同僚の親戚なんです。紹介してもらい、ネットで話をしているうちになかよくなりました。お付き合いを始めたのは日本に帰国してからです。
ロズリン:ええ…ソニーでバリバリお仕事をされていた加藤さんが、中国に赴任されたことがきっかけで旦那さまと出会い、こうして缶の会社を切り盛りするようになるとは、不思議ですね。
子どものころ、こういう人生をまったく予想していなかったでしょう。
加藤:本当に。ソニーでの仕事はとっても楽しかったので、ずっと働き続けるつもりでした。でも、結婚してから子どもがほしくなり。会社員で勤めながらだと難しいと思ったので仕事をやめて、主人の会社を手伝うことにしたんです。
ロズリン:私もいまはここの社長ですけど、主人がこの会社を作るのに一緒にやらないかと言われたときは、別のキャリアがいいと思っていたので断って自分の好きなことをしていました。その後、紆余曲折あって、会社を手伝うことになりました。
それまでとは全然、畑違いの分野でしたので何もわからないところから始めましたが、毎日がバラエティにとんでいておもしろかった。
いまも毎朝、出社するときに「今日は何が起こるかな」ってワクワクするんですよ。こうしてすてきな方に会うこともできるし、おかげさまで楽しくやっています。
●商品がよくてもマーケティング力がないと売れない
加藤:ところで、アパガードの商品はいいですよね。先日、うちの社員にも配ったんですよ。そうしたらみんな「ちょっとみがいただけで歯がツルツルになる」って大喜び。リピートしている人も多いみたいです。
ロズリン:うれしい! ありがとうございます。「値段が高い」という人もいますが、化粧品やスキンケア商品に比べたら高くはないと思うんですよね。
加藤:最近、思うのは、マーケティングがいかにすぐれていても商品がよくないと売れないし、逆に商品がいくらよくてもマーケティング力がないと売れないんです。
ロズリン:それは本当にそうですね。
加藤:だから私、商品についてちょっとここ問題だなと思ったら、社員を呼んでミーティングをするんです。責任を追求するのではなく、責任は私が負うので、次に同じことが起こらないためにはどうしたらいいか考えたいと伝えたうえで「ここ、どうしてこうなったのかな」って。
ロズリン:たとえば、どんな問題が起こり、どのように対処していますか。
加藤:小さなことから大きなことまで日々、いろいろなことが起こります。初歩的なミスでいえば、「ゴールドで印刷してください」と言ったのにグリーンで印刷してしまったとか。人がやっていることなので、コミュニケーション不足や思い込みでそういうことも起こってしまうんですよね。それを責めるのではなく、「じゃあそれはどうしたらいいと思う?」と問いかけて、フローを変えるなどして対処します。
●海外に茶筒缶のよさを広めたい
ロズリン:最後に、将来の夢についてお聞きしましょう。
加藤:海外の方に買ってもらいたいと思っているんです。茶筒缶のよさを海外の人に認めてほしい。たとえば、香港とか湿気がすごいので、ぜひ食品保存などに使ってもらいたいな、と。
ロズリン:絶対に売れると思います。和紙の缶も外国の方には喜ばれそうですよね。
加藤:実は最近、荒川区モノづくり見学・体験スポットに認定されたんです。外国の方も多くいらっしゃる可能性があるので、ここでも缶の魅力をアピールできるかなと思います。
ロズリン:それはいいですね! がんばってください!
加藤:ありがとうございます。がんばります!
[ロズリン インタビューを終えて]
思いもかけなかった人生の展開を、アグレッシブに楽しんでいらっしゃる加藤里絵さん。はじめは違うキャリアを築いていたのに、ご主人のお仕事を手伝うことになったくだりは私と似ていて、親近感をおぼえました。お互いワクワクする毎日を過ごしていきましょう。心から応援しています。
【加藤 里絵(かとう・りえ)さんプロフィール】
株式会社加藤製作所/副社長
大分県生まれ。大学卒業後、ソニー株式会社に就職。国内にてカメラ営業として従事したのち、希望が通り海外マーケティング部に異動。2014年まで中国全土のプロモーションを担当。
2015年より、明治28年創業の120年以上続く老舗茶筒メーカー「株式会社加藤製作所」入社。2023年より副社長を務める。
株式会社加藤製作所公式サイト http://kato-seisakusho.net
株式会社加藤製作所公式Instagram https://www.instagram.com/kato_seisakusho
]]>皆さんに嬉しいお知らせがあります!
今年3月にアパガードのラインナップに新たに加わった、ステインケアタイプの美白歯みがき「アパガードセレナ」はお試しいただきましたか?
実はこのアパガードセレナが、一年の販売期間も経たないのに、あの国内最大のコスメ口コミサイトで
今年度のオーラルケア1位を受賞したんです。
2017年に同アワードのオーラルカテゴリーで初の殿堂入りを果たしたアパガードプレミオ、そして同年に1位を受賞したアパガードスモーキンに続く、すばらしい快挙です!
何より多くの方々にお使いいただき、気に入っていただけた結果で、本当に感謝しています。
皆さんありがとうございました。
今年最後のこの嬉しいニュースに、サンギスタッフ一同喜んでいます。
来年も自信をもっておすすめできる商品をお届けしていきますので、よろしくお願いします。
こちらでは、アパガードセレナ現品(53g)プレゼントを実施中です。
是非ご覧ください。<外部サイト/2024年1月2日(火)まで>
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皆さんご存知でしたでしょうか。
オーラルケアブランドとしてコフレセットを発売したのは、おそらくアパガードが初めてだと思います。
今年で第4弾目となりますが、2023年はオリジナルのギフト缶に「アパガードプレミオ」の3つのフレーバーをおさめた限定セットです。
今回は明治28年創業の老舗缶メーカーが、アパガードのために素敵なギフト缶を製作してくださいました。
老舗缶メーカー加藤製作所副社長、加藤里絵さんはつい最近私のブログインタビューにご協力いただきましたが、ご覧になりましたか?
まだ読んでいないという方は、ぜひこちらから前編をご覧ください!
さて、私からのクリスマスプレゼントとして、この「アパガードコフレセット2023」を
3名の方へプレゼントさせてください!
左から、ライトミント、エクストラミント、ラベンダーブーケ、3つのフレーバー
商品詳細はこちらからご確認ください。(リンク)
今年はどんなクリスマスを予定されていますか?
皆さまにとって温かく楽しい時間になりますように。
■ロズリンの部屋プレゼントご応募は終了しました!
2023年12月12日(火)まで
3名様 にプレゼント。
たくさんのご応募ありがとうございました!
ご当選者の発表は商品の発送をもって代えさせていただきます。
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株式会社加藤製作所 副社長 加藤里絵さん
明治時代より茶筒・珈琲缶・菓子缶等の製作を手がける加藤製作所の4代目社長の妻で、副社長を務める加藤里絵さん。企業勤めで培ったマーケティング力を生かし、日本の伝統技術と現代のセンスを絡めたすてきな製品を次々と世に送り出しています。
アパガードのホリデーシーズンを彩るクリスマスコフレを入れる缶を製作していただいたご縁で、インタビューにお越しいただきました。
●加藤製作所の手作り缶は、大切なものの保存にぴったり
ロズリン:今回、コフレセット用に作っていただいた四角缶、とても繊細ですてきです!
加藤:ありがとうございます。75歳の職人がブリキ板を曲げるところからすべて手作業で成形したものなんです。
ロズリン:すごく軽くて、まるで紙の箱みたい。これがブリキ製だなんて、職人さんの技はすごいですね。
▲アパガードプレミオコフレセット
加藤:私は7歳の子どもがいるんですが、その子が0歳のときから毎年誕生日にメッセージカードと写真を缶の中に入れて保管しているんです。ふたと本体が絶妙にフィットして光や湿気から中身を守ってくれるので、食品の保存はもちろん、写真など大切なものをしまっておくのにぴったりなんですよ。
●モダンなデザインに切り替え、業績が上向きに
ロズリン:加藤製作所は、ご主人の会社ですね。
加藤:はい。弊社は明治28年創業で、主人が4代目の社長、私が副社長を務めています。
ロズリン:ここまでの歴史を教えてください。
加藤:1代目が創業した当初は、アルマイト*のお弁当箱を作っていました。それがあんまり儲からなくて、2代目が茶筒を作り始めました。どこの家にも2つ3つは茶筒があった時代です。
ロズリン:和紙を貼った茶筒、わが家にもあります。味わいがあってすてきですよね。
加藤:おかげさまで当時は需要が多く、そのときに会社がだいぶ大きくなったのです。でも、そのうちお茶といえばペットボトルが主流になってきて。家庭でお茶っぱからお茶をいれて飲む習慣が廃れ、茶筒の出番が減ってきました。それで、20年ほど前には会社がつぶれかけました。
ロズリン:そんな時期もあったのですね。
加藤:そんなときに、コーヒー豆屋さんが訪ねてきたんです。「完全密閉性ではないからガスが適度に抜けつつも光や湿気を通さない茶筒のしくみがコーヒー豆の保存にちょうどいいと思うんだよね」と。和風なデザインだと若い人が買ってくれないということで、色をつけて模様をプリントしてモダンなデザインにしました。
ロズリン:なるほど。
加藤:茶筒缶に保存しておくとコーヒー豆の保ちがいいということがどんどん口コミで広がり、どんどんお客が増えて、会社が持ち直したんです。
*アルマイト(陽極酸化処理):アルミニウムを陽極(+極)で電解処理して人工的に酸化皮膜(アルミの酸化物)を生成させる表面処理のこと。
●熟練の職人が一つひとつ手作業で
ロズリン:どんな工程で作っているのですか。
加藤:まず、ブリキをカットして曲げ、成形します。次に、ろくろを回して缶に塗装します。それを2時間くらい釜で焼き、最後に模様をシルクスクリーンで印刷します。
ロズリン:手がかかっているのですね。職人さんは何人くらいいますか。
加藤:10人くらいですね。工程ごとに専門の職人がいて、成形をする人、塗装する人、印刷する人と分かれて作業しています。
あと、職人というカテゴリーではないと言われそうですが、私自身は「これぞ職人だ」と思っているのが検品をする人。うちの検品担当はすごいんです。私が見てもまったくわからない小さな傷とか凹みを見つけてくれます。
ロズリン:一人前になるまでにどれくらい時間がかかりますか。
加藤:成形が一番難しくて、20年はかかりますね。塗装が10年くらい。印刷は早いですが、それでも5年はかかります。
ロズリン:わあ、そんなにかかるのですね!
加藤:そうなんです。いま、職人の高齢化が進んでいて……。若い方にどんどん入ってきてほしいのですけれど、最近はハングリー精神のある人がなかなかいなくて。職人の確保は今後の課題ですね。
●SNSの発信でオーダーが増えた
ロズリン:加藤さんは会社で、どのような仕事をされていますか。
加藤:私が入社したのは10年くらい前なのですが、当時は電話番号が載っているくらいの簡単なホームページしかなかったんです。そこで、まずはホームページやInstagramなどを充実させました。
茶筒缶のよさとか、どのように作っているのかを丁寧に解説して発信したら、そこからオーダーをいただくことが増えてきたんです。それでいまは、コーヒーや紅茶、お菓子など食品メーカーさんはもちろん、雑貨屋さんなどからも声がかかります。
ロズリン:うちとのご縁も、社員がInstagramで見つけてきて、缶の製作をお願いしたんです。
株式会社加藤製作所公式Instagram https://www.instagram.com/kato_seisakusho
加藤:弊社がほかと違うのは、OEM(他社ブランドの製品を製造すること)で缶を製作していること。まずコンサルティングから始め、「この商品ならこんな色、こんな形が合うかもしれませんね」などとお客さんと相談しながら、オリジナルを作り上げていきます。
ロズリン:大きさも形も色も中身に合わせてくれるんですね。
加藤:オーダーを受けたら、その会社のホームページやSNS、パンフレットなどをじっくり見るようにしています。そうすると会社の雰囲気とかオーナーさんの思いなどがわかるので、「このお店に置くとしたらこのような色合いがいかがでしょう」などと提案できるんです。
ロズリン:こうしてホームページを拝見していると、あらためて色づかいがすてきですよね。
加藤:実は色にはこだわりがあって、キッチンやお部屋のインテリアに馴染むようにちょっとくすんだくすみカラーを取り入れています。センスを磨くために、美術館にはよく足を運びます。
後編へ続きます。
【加藤 里絵(かとう・りえ)さんプロフィール】
株式会社加藤製作所/副社長
大分県生まれ。大学卒業後、ソニー株式会社に就職。国内にてカメラ営業として従事したのち、希望が通り海外マーケティング部に異動。2014年まで中国全土のプロモーションを担当。
2015年より、明治28年創業の120年以上続く老舗茶筒メーカー「株式会社加藤製作所」入社。2023年より副社長を務める。
株式会社加藤製作所公式サイト http://kato-seisakusho.net
株式会社加藤製作所公式Instagram https://www.instagram.com/kato_seisakusho
]]>あっという間に2023年も最後の月を迎えようとしています。
今年は皆さん、どんなクリスマスを迎えるのでしょうか。
ちょっとお知らせですが、私たちサンギのスキンケアブランド、ハップアールから嬉しいニュースがあります。
昨年秋に発売した、“超つぶつぶ” な使い心地が特徴のフェイススクラブが、女性誌「anan」の2023年秋モテコスメ大賞新定番部門 “頬ずりしたくなるほどふわもち素肌に導く賞” を受賞することができました!
これもひとえに、愛用してくださっている皆さんのおかげです。
受賞ロゴが目を惹くドアステッカーが、日比谷線の一部の車両に貼られました。
このフェイススクラブを含むサンギの全化粧品には、「アパリン」という特殊な成分を配合しています。
その成分はうるおいに必要な皮脂は残しながら洗い上げることが特徴です。
サンギのコア技術であるハイドロキシアパタイトをスキンケア用にまるい粒に仕上げたもので、洗浄補助成分のひとつです。
毎回、感動するほどつるつるな素肌に洗い上げてくれますので、乾燥が気になる冬でもツッパリ感がなく、とても心地よい洗い上がりになります。
私は年中、毎朝、ハップアールのフェイススクラブで洗顔してから仕事をスタート。
気分のリフレッシュにも、とてもお勧めです。
そんなフェイススクラブで、今、キャンペーンを行っています。
まずは、12月26日まで、サンギショップでフェイススクラブが送料無料でご購入できます。
そして、すてきなプレゼントをもらうことができます!
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〜ママの笑顔で、最高のおやつタイムを〜
株式会社やまやま 代表取締役社長 猪原有紀子さん
気鋭の起業家、猪原有紀子さんプロデュースの「無添加こどもグミぃ〜。」誕生秘話と、これからのソーシャルビジネスの可能性についてのお話の、今回は後編です。
●腸内環境改善のカギは乾燥技術にあり
ロズリン:(「無添加こどもグミぃ〜。」を試食後)なるほど味が濃くて甘いし、美味しいです!
猪原:子どもが自分からパクパク食べてくれるので、ママもストレスフリーでいられます。
特に子どもは5歳までに腸内環境のバランスが決まり、それが生涯変わらないとも言われますから、与えるものには慎重になるべきです。
ロズリン:どういった流れで製品化されているのですか。
猪原:和歌山の小規模農家から買い取ったよそでは売れないフルーツを、地元の障害者施設に持ち込み、ここでカットして並べて乾燥機に入れ、48時間乾燥させたら完成です。ドライフルーツなので大きさは10分の1に縮みますが、きれいな色はそのままに、栄養分がギュッと凝縮されています。
ロズリン:まさにその通りの食感です。
猪原:フルーツの食物繊維や乳酸菌が腸内細菌のバランスを整えて活性化するので、年齢問わずすべての人にいいことづくめ。食物繊維は乾燥させたほうが、より吸収が良くなるんですよ。
大人の方なら、ワインと一緒につまむのもおススメです。
ロズリン:歯の健康が守られるところも素晴らしいですね。
猪原:砂糖がなくて、噛むことで唾液がたくさん出るので、虫歯リスクも減らせますよね。
ロズリン:こうなると、無添加グミに続く新製品にも期待したくなります。
猪原:第2弾商品として、某製菓学校とのコラボによる桃のアイスクリームを準備中です。学生と一緒に1年かけて完成しました。砂糖や乳成分を一切加えないのに、甘くてとろみもあるアイスクリームです。今夏の発売を予定していますので、どうぞお楽しみに。
ロズリン:それは食べてみたいですね。アイスクリームというアイデアは、どこから?
猪原:おお、良くぞ聞いてくださいました(笑)! うちの三男が夏になると「アイス、アイス」と騒ぐんですが、市販品は量が多すぎて体を冷やすのが心配でした。そこで、大量に廃棄されている桃を原料に、子どもが食べきれる量の無添加アイスクリームを作ろう、と思い立ったんです。
ロズリン:桃もそんなに捨てられているんですか。
猪原:桃は非常にデリケートで、ちょっとしたキズでも廃棄処分されてしまうんですよ。肥料にもならないし、廃棄場所が野生動物に荒らされるといった問題もあります。そんな農家の悩みと、フードロス問題解決の一助になればと思います。
●世界を視野に、サステナブルな展開へ
ロズリン:面白いお話がまだまだありそうですが、今後はどのようなヴィジョンを描いていますか。
猪原:当面、ネット販売を中心に展開する予定ですが、無添加グミのビジネスモデルを世界に広げていけたらと考えています。
廃棄されるフルーツの再利用、雇用の創出、子どものヘルスケアの3要素が揃ったしくみを、私は「ゴールデントライアングル」と呼んでいます。
たとえば、アフリカではマンゴーの大量廃棄が問題になっているので、海外でも発展する可能性は十分あると見ています。実際にタンザニアで同様の取り組みが雇用を生み出し、アメリカ向けの輸出ルートを確立した例がありますから。
ロズリン:障害者施設の協力については、当初から計画にあったのですか。
猪原:初回分がすぐ完売してしまって、あわてたというのが実際のところです。ちょうどコロナ禍にあった時期で、施設への業務委託そのものが激減していたタイミングでもあって引き受けていただけました。まさにトライアングルの最後のピースがはまって完成した、という感じでしょうか。
施設では、フルーツの香りに包まれながら、それぞれが自分のできる範囲で加工作業に参加することができますし、何より子どもに喜ばれるものを作ることで社会から注目されることが誇りになる、と言われるのがうれしいです。
ですが、障害者の雇用環境はまだまだ厳しいので、今後は一人ひとりが誇りを持てる仕事を継続的に提供することが課題でしょう。
ロズリン:まさに三方良し、のビジネス展開ですが、次の一手は?
猪原:今年2月、経産省からの派遣事業で米シリコンバレーを訪ねることができました。自分の構想を話した相手から「それはアメリカでやりなさいよ!」と激励されました。
今年中にはBto Bを視野に、企業のお客さんを作ろうと動いています。福利厚生として企業に提案できるものを作りたいし、卸方面も拡大したいですね。
ロズリン:お土産や特産品などでも、需要は小さくないと思います。
猪原:ただ、大量生産が難しく、販売数を増やすのは簡単ではないので、この点に注力していくことにはなりますね。
ロズリン:あと、ブランディングについての構想はありますか。
猪原:これからは必要ですよね。社名の“やまやま”は、もとは「本当は〜したいけど、できない」という意味ですが、私としてはこれをひっくり返したい。昨年8月の法人化で気持ちを新たに、これからもいっそう認知度アップに努めていくつもりです。
●“おやつストレス”の克服で、みんな笑顔に
ロズリン:この間のビジネスコンテスト受賞後は、メディア取材や講演などの機会も増えて、注目度は増したでしょう。
猪原:取材が増えるのはありがたいんですが、起業してすぐの頃などは人前でしゃべるのが本当に苦手で……。そこで被り物があれば何とかなるかと、Amazonで買った熊のマスクで顔を隠し、「農業女子 くま子」と名乗ってSNS発信を始めたら、講演依頼がきたんですよ(笑)。おかげ様でここ3年の間に、くま子なしでもOKにはなりましたが。
ロズリン:私も人前でのスピーチは苦手ですが、そういう方法は思いつきませんでした。
猪原:こんな私ですが、自分の居なくなった後の社会にもこの理念を残していくにはどうしたら、とか、もっともっと広げるには等々、いろいろと悩みが尽きません。
ロズリン:ところで、可愛らしいパッケージデザインの裏面に、不思議なメッセージがありますが。
猪原:このお菓子を「ギューってしてから渡してね!」と呼びかけているのは、たいていのお母さんたちは子どもにおやつを与えるとき、「歯や体には良くないけど、仕方ない」という“おやつストレス”で怒っているからなんです。本来、おやつタイムは幸せな時間であるべきで、子どももママも笑顔でいてほしい、という願いを込めました。
かつて私自身、長男の寝顔を見ながら「怒っちゃってごめんね」と言って泣いた経験がありますが、そんな人ってたくさんいると思うんです。だから、少しでもストレスを軽減して、親子で楽しいおやつタイムを過ごしてもらえたら、こんなにうれしいことはありません。
〔ロズリン インタビューを終えて〕
快活でチャーミングな猪原さんは、無添加グミのプロデュースの他にも、子連れファミリーが気軽に楽しめる農園の運営など活躍されています。この日は、ご自身の農園で栽培するラズベリーを意識した装いで、そのこだわりぶりにも唸らされました。
夢を持ち続け、粘り強く着実に結果を積み上げていく猪原さんのパワフルな生き方は、つい夢を諦めがちな多くの人の心にも、明るい気づきをもたらすのではないでしょうか。
【猪原 有紀子(いのはら・ゆきこ)さん プロフィール】
株式会社やまやま代表取締役/社会起業家
1986年生まれ。同志社女子大学卒業後、2009年株式会社セプテーニ入社(〜2019年)。2018年和歌山県かつらぎ町に家族で移住後、農業家に転身。無添加グミの開発販売で農家フードロス及び障害者雇用促進に取り組むほか、子連れファミリー向け農園「くつろぎたいのも山々」運営、耕作放棄地問題、移住促進、再生可能エネルギー普及などの社会課題を解決するソーシャルビジネスの創出をテーマとした活動に従事。
株式会社やまやま公式サイト https://nou2c.com
「無添加こどもグミぃ〜。」公式通販サイト https://yama2.shop-pro.jp
ご自身で起業し、3人のお子さんを育てながら頑張っている若き女性経営者猪原有紀子さんは、和歌山県かつらぎ町で廃棄フルーツを活用した無添加のグミを開発し販売する会社、「株式会社やまやま」を立ち上げました。
このブログでインタビューさせていただき、前編を公開中です。
まだ読んでいないという方は、ぜひこちらからご覧ください!
彼女が開発したのが、この「無添加こどもグミぃ〜」です!
とてもかわいらしいパッケージでしょう。
私も試食させていただきましたが、お砂糖はいっさい使っていないのに優しい甘みを感じました。
一つの袋の中に、いろいろなフルーツがミックスされていて、これは何の果物かしらと一粒一粒楽しくいただきました。
砂糖はもちろんどんな添加物も使用していません。本当に天然のものです。とても健康に良い!
大阪市立大学との2年間の共同開発による特殊な乾燥技術により柔らかな食感で、「子どもがパクパク食べるくらい美味しい無添加おやつ」とのこと。
大人はワインのお供にもいいと言われましたが、試してみたら確かにそうです♪
どんな味だろうと、気になりませんか?
読者の皆さんにもぜひ試していただきたいので、プレゼントさせてください!
そしてもし気に入っていただけたら、皆さんにも猪原さんを応援していただきたいです!
ご応募お待ちています。
■ロズリンの部屋プレゼントご応募
2023年11月20日(月)まで
3袋をセットにして、20名様 にプレゼント。
ご当選者の発表は商品の発送をもって代えさせていただきます。
プレゼント応募は終了しました。たくさんのご応募ありがとうございました!
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〜ママの笑顔で、最高のおやつタイムを〜
株式会社やまやま 代表取締役社長 猪原有紀子さん
和歌山県を拠点に、農園の運営を営む傍ら、画期的なアップサイクル事業に取り組む猪原有紀子さんは、3児の母としても多忙な毎日を送る、気鋭の起業家です。
国産フルーツ100%の「無添加こどもグミぃ〜。」の展開は、子育てにまつわる問題がクローズアップされる昨今、ママと子ども、そして地域社会をも巻き込んだ新しいソーシャルビジネスモデルとして注目に値します。
ご自身が子育て経験から得た悩みと気づき、そして熱い思いが、どのように笑顔の輪を広げていったのかを伺いました。
●本当に登りたい山を目指そう
ロズリン:日本アントレプレナー大賞ほか、様々なアワードを受賞されている猪原さんのご活躍には、私も大いに注目しています。拠点は移住先の和歌山と伺っていますが、ご出身はどちらですか?
猪原:生まれ育ちはずっと大阪です。同志社女子大学を卒業後、大阪のマーケティング会社に10年務めました。途中、転勤で東京の中野区に住んでいたこともありますが。
ロズリン:現在お住まいの和歌山県とは、何かしらのご縁が?
猪原:いいえ。夫婦共に、縁もゆかりもない場所だったんです。でも、夫が出張先で、和歌山県かつらぎ町の山の景色に一目ぼれしたのが移住のきっかけです。
ロズリン:大阪や東京の都会暮らしから、突然、地方への移住に抵抗は?
猪原:最初は「移住? 何で?」となりますよね。そして実際にかつらぎ町に足を運んだら、あまりに田舎すぎて、「自分が住んでいるイメージ」がまるで湧いてこなかった。
でも私、人生は変化が大きいほうが豊かになるし、人がやらないことをあえてしたいタイプなんですよ。分からないことが多いほうが、海外留学みたいで面白いだろう……そう考えた末に、夫婦で話し合って土地を買い、三男が生まれてすぐの頃、かつらぎ町に移り住みました。
ロズリン:以前のご専門は、WEBマーケティングだったとか。
猪原:大学時代から広告に興味があったので、当時急成長していた大阪の広告代理店に就職しました。FaceBook広告運用に勢いがあって、バリバリやってましたよ。
ロズリン:多忙な中で、出産、育児との兼ね合いは大変だったろうと想像します。
猪原:私の場合、100人に1人の割合という重度の妊娠悪阻(おそ)で、何も食べられず、点滴が欠かせない状態になりました。それでも年子で次男を出産し、育休を取得して子育てに奮闘していましたが、一方で仕事のキャリアが停滞することが悲しく、産後うつに悩んだりもしましたね。
それでも大阪で職場復帰を果たし、自転車で2人を保育園に預けて出勤、とやっていたら、まもなく3人目ができて…またしてもつわりに苦しみながら、妊娠8ヶ月目までは仕事を続けました。
ロズリン:ものすごいパワーですね。その間にも移住の計画は進めていたということ?
猪原:実はコロナ禍以前から、会社がリモートワークを推進していたことで、移住が現実味を帯びた側面はあります。移住先でも仕事はできそうに思えたので、当初は辞める気はありませんでした。
ところがその後、会社が方針転換してリモートワーク推進をやめてしまうと、会社の目指すところと、自分のそれとがズレていることが分かってしまって。お互い、登りたい山が違うんだと気づいたんですね。
●子育てママが抱える“おやつストレス”とは
ロズリン:大きな転機となる気づきでしたね。
猪原:そうですね。私の中には、子どもの未来にとって良い社会を作りたい、という強い願いがあって、そこでまず、“看取り”に関する本を読みまくりました。
ロズリン:……看取り、ですか? それはなぜ?
猪原:人は死ぬときに何を思うのか、を学ぼうと。人生での幸せとは何か、死ぬとき最後に人が思うのはどんなことなのかを知ることが前提だと思ったからです。
ロズリン:なるほど。その時点で、今後につながるテーマを求めていたんですね。
猪原:それまでの仕事をずっと続けるべきか、それとも対岸に渡るべきか。お世話になった恩人が悲しむと思うと胸が痛みましたが、死ぬときに後悔はしたくないと、2019年3月に退職しました。
ロズリン:大きな決断でしたね。そこからコア事業の「無添加おやつ」の開発まで、いつ頃のどんなことがきっかけに?
猪原:企画については、移住前の2016年10月からすでに始めていました。
産後うつでつらかった頃、代わりに長男の面倒を見ていた私の両親が、頻繁にカラフルなグミ菓子を与えていたんですよ。イヤイヤ期の長男が「グミちょーだい!」と騒いで泣いたりすねたりすると、こちらは仕方なく甘いグミを与えてしまう。でも一方で、虫歯や健康への悪影響が頭をよぎり、イライラしてつい怒鳴ってしまい、さらにその罪悪感からストレスを募らせ……。
ロズリン:添加物を全く加えていないお菓子って、なかなかありませんものね。
猪原:そうなんですよ〜! 市販品は「無添加」をうたっていても、裏の成分表示を見ると決してその通りじゃないんです!
かと言って本当に添加物を一切入れないと、硬くて色も悪く、子どもは自分から食べてくれません。
そこから、ママが抱える“おやつストレス”の解消が、私にとって重要なテーマになっていきました。
●国産フルーツ100%×無添加=美味しいグミ
ロズリン:「無添加こどもグミぃ〜。」の原材料は、どういったものですか。
猪原:かつらぎ町は柿の生産が盛んな地域ですが、売り物にならない柿が大量に廃棄されます。実際にその現場を目撃したとき、これらを原材料に利用できないかと考えたのです。
他にも、地元の農家さんとタッグを組んで、梨やリンゴ、イチゴ、キウイフルーツなどが、子ども用のグミ菓子に生まれ変わっています。
ロズリン:開発を始める上で、何らかの専門的なノウハウがありましたか?
猪原:いいえ、全く何にもなくて。けれど、とにかく「作りたい!」という強い思いで、まずは企画書を作成しました。「美味しく、見た目にカラフルで、体にもいい」というアピールポイントを、周囲のママ友さんや上司など100人ほどに聞いてもらって。
町の企業補助金制度の審査には3回落ちていますが、私が諦めずにプレゼンしているのを、審査員のお一人だった行政関係の方がずっと見ていてくださっていたんです。「何度でもチャレンジしてくる人」と認識されていたようで、個人的に応援してくださいました。
ロズリン:やはり、人並みではない行動力がありますね。
猪原:そこからのご縁で、大阪市立大学の乾燥技術学研究の大学教授を紹介され、2018年から共同開発する運びとなりました。
ロズリン:研究段階ではご苦労も多かったでしょう。
猪原:2万通りほど実験した中では失敗だらけで、販売に至るまでには4年かかりました。添加物や砂糖を入れずに柔らかく乾燥させるのって、本当に難しいんですよ。
ロズリン:世の中には、そこを簡単にするいろいろな添加物がありますからね。
猪原:当社のグミは国産フルーツそのものが原材料で、それ以外は本当に何も入っていません。なのに柔らかくて色鮮やかで、とっても甘いんですよ。
ロズリン:製法などは、特許の対象とはなりませんか。
猪原:取りたいし、取るべきと考えています。乾燥時間、温湿度だけでなく、カットの仕方や乾燥時の並べ方など、あらゆるプロセスにそれぞれ根拠がありますので。
ロズリン:それはすごいですね!
猪原:そうなんですよ、スゴいんですよ〜〜!!
▲「無添加こどもグミぃ〜。」に関するSNS投稿
後編へ続きます。
【猪原 有紀子(いのはら・ゆきこ)さん プロフィール】
株式会社やまやま代表取締役/社会起業家
1986年生まれ。同志社女子大学卒業後、2009年株式会社セプテーニ入社(〜2019年)。2018年和歌山県かつらぎ町に家族で移住後、農業家に転身。無添加グミの開発販売で農家フードロス及び障害者雇用促進に取り組むほか、子連れファミリー向け農園「くつろぎたいのも山々」運営、耕作放棄地問題、移住促進、再生可能エネルギー普及などの社会課題を解決するソーシャルビジネスの創出をテーマとした活動に従事。
株式会社やまやま公式サイト https://nou2c.com
「無添加こどもグミぃ〜。」公式通販サイト https://yama2.shop-pro.jp
]]>〜サバティカル・タイムは神様からのご褒美〜
美術家 たかぎ きぬこさん
〈マグネットアート〉の考案者として創作活動に携わる美術家、たかぎ きぬこさんのあまりにドラマチックな人生をたどるインタビューの後編として、その輝かしい未来予想図を展望します。
●夢は遥か海を越えて
ロズリン:結婚時代は、波瀾万丈な山あり谷ありを乗り越えられてきたのですね〜。
たかぎ:10月に予定する個展のテーマ「羽卵晩生(はらんばんじょう)」は、そこから連想したものです。もうそろそろ、のんびり好きなことをしてもいいのかなと。
ロズリン:それはすでに実現していますよね。
たかぎ:はい。30年間ひたすら追求している〈マグネットアート〉ですが、まだ他に手がける人がいないジャンルでもあるので、もっと広く知られてほしいと思っています。
かつて、売り物ではなかった店舗ディスプレイも、だんだんと「売ってほしい」という要望が増え、やがて北海道の全ての新聞に紹介記事が掲載されて認知度が上がっていったので、これからは発信のほうにも力を入れたいと思います。
ロズリン:たかぎさんの作品をいつでも観られる場所はありますか?
たかぎ:今はまだありませんが、今後は販売を視野に入れて、個展などでもPRしたいですね。「原宿に店を出したら売れる」と言われたこともありましたけれど。
ロズリン:本当にそうかも! すぐには実現せずとも、夢は大きく持っていましょう。
今、お仕事はミュージアムグッズがメインですか。
たかぎ:はい。オリジナルマグネットのほか、美術展にちなんだ物販用アクセサリーなども、依頼に応じて製作しています。
その他、成田空港のショップでは日本がテーマの商品として、浮世絵や漢字をデザインしたマグネットが好評です。過酷な温度変化にも劣化しにくく、柔らかいシート状の樹脂製マグネットを裏面に貼り合わせています。これらはNYのジャパンフェスで紹介されたことがきっかけで、MoMAにも営業をかける機会ができたものです。
ロズリン:ええっ、すごいことじゃないですか!
たかぎ:ところが、帰国したら夫の会社のメインバンクの破綻もあり大変なことが続き……営業活動は中断のやむなきに至ってしまいました。
●書くことが再生への第一歩に
ロズリン:たかぎさんは執筆活動もされていますね。どんなことがきっかけに始めたんですか?
たかぎ:結婚してすぐの頃、お休みを頂けました日に、油絵具箱を開きましたところに夫が帰宅して、
「嫁の休みは、普段できないところの掃除などをするのが当たり前だろう、そんなことにも気が付かないのか」と言われまして、ショックでした。
そんなとき、向田邦子さんの短編を読みました時に、まるで、シーンが映像のように目に浮かんできて、「あっ、そうだ!」鉛筆一本あれば、描ける事が出来る創作の世界がある。
と思えたのです。少しずつ書きためた原稿をトイレの戸棚の中に隠しておき、それらを東京の新聞社に送ったところ、友人の住所から送ったのですが、金一封が届き、その後も別な媒体に吉森緑のペンネームでコラムを書く機会を得たのです。吉森緑は、選り取り見取り人生を書いてみたい思いで名付けましたペンネームです。
旭川市民文芸賞を受賞した作品はNHKでラジオドラマ化され、女優の高畑淳子さんが主演しました。高畑さんは「女優は“待つ仕事”だから、作家がうらやましい」とおっしゃっていました。作家なんて、私もこれが最初で最後のつもりだったんですが。
ロズリン:こう言うと失礼ですが、男運が悪い、という表現は合っていますか?
たかぎ:一理ありますよね〜、でも、あちらも女運が悪かったと私の事を思っていたかもしれません。ただ、一緒に商戦を戦ってきた戦友のような気もするんです。ですから、不思議と憎しみとかは無いです。今は成人した子供がいて、孫までいてくれます事に感謝しています。
日本はまだまだ、古い因習や社会通念が残っているんですよね。男尊女卑・セクハラ・モラハラ・デートDVなど、いまでも、どこかで苦しんでいる女性がたくさんいるのではと思います。でも、日本には、「終わりよければすべてよし」(英語では、 All's well that ends well! というそうですね)。きっと大丈夫の日が来ることを自分にも今苦しみの只中に居られる方々にも、祈りたく思います。
●64歳、ハワイで新たな門出を誓う
ロズリン:その後再び、今度はハワイに留学されたそうですね。
たかぎ:2014年、64歳でセルフマッサージの技術を学ぶため、就業に必要な専門知識を学ぶM-1ビザでハワイに留学しました。
手術を勧められるほどの首の痛みに悩まされていたところ、友人の勧めで受けたホノルルのセラピストの施術の素晴らしさに感動したのと、何より自分の健康回復と今後の充実した人生のために、この年齢でのチャレンジを決めたのです。
ロズリン:もう、秘密にしておく必要もなくなりましたし。
たかぎ:ええ。ですが、ハワイに到着するとビザを忘れてきたことに気づき、不法入国者の部屋に連れていかれるというハプニングから始まって、学校では若い人たちとコミュニケーションを取るのに苦労するなど、最初のうちは落ち込みました。
そんなとき、現地紙「日刊サンハワイ」のコラムニスト募集に応募して、月2回の連載が決まったのです。ホノルルの新聞へは、青い空にちなんで、ペンネームを蒼井絹子にしました。
ロズリン:いろいろあっても、ご縁に恵まれていますね。ハワイは良い思い出になったでしょう。
たかぎ:良かったです! いろいろな国から来た若い人と知り合えたし、勉強の他にも貴重な経験がたくさんできましたから。
また、ハワイ行きを予定しています。今回は、少人数でハワイ島とモロカイ島を回る2週間のツアーに参加します。サンライズ&サンセットの変化を描いてみたいし、新しいアイデアもたくさん生まれそうで楽しみです。
●無限に広がる〈マグネットアート〉の未来
ロズリン:これから目指すアートの形とは?
たかぎ:〈マグネットアート〉をさらに深化させると共に、旅を通じて自分のアートのスタイルを深めていけたらと。たとえば、うつ病のリハビリとしては箱庭療法などが有名ですが、もっと簡便な方法として〈マグネットアート〉の活用に道が開かれる夢を抱き続けていたいです。
最近ようやく、〈マグネットアート〉の営業に集中できるくらいには周囲の環境が落ち着いてきたので、今回のインタビューは嬉しいチャンスだと思っています。なかなか日の目を見ることの無かった〈マグネットアート〉の認知度アップに、光が差してきたのなら本当にうれしいです。
ロズリン:見た人が元気をもらえるような作品ですものね。
たかぎ:「金持ちではなくて、人持ち」という言葉の通り、新しいモノは新しい出会いから生まれると信じています。今日をきっかけに、また新たに羽ばたけるかも知れません。
これからは自分のペースで好きなことを学びつつ、作品の質を深めていきたいです。紆余曲折の人生ですが、今は何があってもアートと向き合っている間は、すべてを忘れて夢中になれる。だから、ストレスなんか吹き飛ぶんですよ。
〔ロズリン インタビューを終えて〕
二度の留学が重要な節目となったたかぎさんの人生は、まさに波瀾万丈。好きなことへの情熱を絶やさず、僅かずつでも前進を止めないでいることの強さと大切さを痛感しました。
長女の麻千子さんを頼もしいビジネスパートナーに、明るい方へと確かに動き出した前途を祝して、これからの創作活動がいっそう豊かに彩られますことを、心から応援しています!
【たかぎ きぬこ(?木 絹子)さんプロフィール】
美術家/株式会社エピックス クリエイティブ・ディレクター
1949年、北海道旭川市生まれ、学習院女子短大英文科卒。1984年、『ベルーシの波は、スニーカーブルース』が旭川市民文芸賞、NHKラジオドラマ化。1989年、グリフィンカレッジ・シアトル卒。1994年、陶磁器工房〈工房【G-club】〉開設。1996年、?エピックス設立。マグネットアートの作品を発表。1999年、〈マグネットアート〉商標登録。2002年、〈マグネットアート〉中小企業総合研究機構会長賞。2009年、『NAMIURA 浪裏』(文芸社)出版。2014年、ハワイ留学。2015年、「日刊サンハワイ」コラム寄稿開始、「ロングステイエッセイ大賞」佳作。2016年、「美術の祭典 東京展」奨励賞。2020年、『人生の“サバティカル”留学』(日本橋出版)出版。
2023年10月7日〜14日、
第49回 美術の祭典 東京展にて出品。http://www.tokyoten.com/infomation.html
2023年10月10日〜15日、個展「羽卵晩生(HA RAN BAN JOU)」を東京浅草画廊Gei藝にて開催。https://www.tokyoasakusagallery-gei.com
株式会社エピックス公式サイト http://www.mgartx.com
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美術家 たかぎ きぬこさん
鉄×磁石による独自の表現形態〈マグネットアート〉を手がけて30年になる美術家のたかぎ きぬこさんは、アクセサリー製作や執筆活動など多方面で活躍する異色のクリエイターです。
結婚、留学、離婚ののちの起業と、千変万化する波乱の人生には、たくさんの悩みや苦しみ、悲しみの情念すらも余すことなく光に変え、豊かな表現に結実させた軌跡を見ることができます。
そして円熟期の64歳にして決意した「サバティカル留学」が彼女にもたらしたもの、それは大いなる“癒し”の恵みであり、やがて訪れる“赦し”の境地への導きでした。
●時は昭和、旭川の地で
ロズリン:あるパーティーで、たかぎさんが身に着けていた手作りのアクセサリーを拝見して、とてもステキだと思いましたが、このインタビューにお声をかけるまで、ほかにもマグネットのアートをはじめとして幅広い活動をされていることは知りませんでした。
今は東京でご活動されていますが、ご出身はどちらですか?
たかぎ:生まれは北海道の旭川で、実家は呉服商でした。
ロズリン:もともと、ものづくりがお好きだったのですか。
たかぎ:ええ。離婚して独立する以前は、元夫の経営する会社で店舗ディスプレイを担当していました。でも大学進学の際は、「英文科か国文科、家政科以外は受験させない」という親の意向に従わざるを得なくて、デザインの勉強ができず、学習院女子短大の英文科に入りました。
それでも卒業後は、当時の旭川ロタリークラブの学生応援プログラムの奨学資金制度試験に運よく合格出来ましたので美術を学ぼうとオーストラリアのパースに2年間留学を予定していたんです。ところが直前に父が倒れ、母は「こんな時に留学なんて!」と猛反対。結局、留学は断念。
ロズリン:まあ、残念!
たかぎ:私、なぜか好きなことでも頓挫したり中断したりといったことが多いんですよね。両親の切望を覆せられる手立てもなく、23歳でお見合い結婚することになってしまいました。
ロズリン:……そんなこと、本当にあるんですね。
たかぎ:「女、三界に家なし*」と言いますが、嫁いでからは紆余曲折で。夫などは「使用人にも見せられないところは、嫁が黙して片づけるものだ」という考えだったんですよ。
ロズリン:妻に対してのそういう考え方は、初めて聞くものですね。
たかぎ:夫の手伝いとして店頭での販売員や店舗のディスプレイデザインを担当するほか、休む間もなく働きましたが、発熱でダウンしてしまうことがありますと「弱い嫁だと世間から陰口が流れる」と嫌がられました。『関白宣言』などという歌が男性に賛歌さていました昭和の亭主関白な旦那様でした。
それを実家の母に訴えても、「子どもができれば変わるから」とか、「3年は我慢しろ」と。当時の母はリュウマチで苦しんでおりました自分の姉を介護していて、私の面倒まで見られないという事情はありましたが。
こんな具合に、居場所がなく息苦しい毎日に疲れ果てた私は、うつの症状がひどくなり、1987年、亡き父が残してくれました僅かな田舎の土地を手放して、37歳のときに子供を連れて米シアトルにおいて2年間の移住生活をしようと決めたのです。
*女三界に家なし…仏教の諺で、女性は幼少期は親に、婚家では夫に、老いては子に従うべしとの教えから、どこにも安住の場所は無く、思い通りにはできないとの意。
●家族ぐるみの米国留学で見つけた希望
ロズリン:ずいぶんと思い切った決断をされましたね。
たかぎ:娘の英語の先生が、当時アメリカで増えていたボートピープル(難民)の支援団体の活動に携わっていた関係で運よくサポートが得られ、私は学生としてF-1ビザ(学生ビザ)での留学がかなったのです。
当時小学生だった子ども3人を連れ、夫は観光ビザで頻繁に行き来するという生活が始まりました。F-2(家族)ビザの子どもたちは現地の小学校に編入し、私は専門学校でコンピューターの基礎などの実務を学びました。
ロズリン:勇気のある、素晴らしい第一歩です。
たかぎ:このシアトルでの生活は「サバティカル・タイム」、すなわち人生に必要な充電と休養の期間に当たるのだとの助言をくれた方に、今でも感謝しています。短い期間ではあったものの、家族の絆が感じられたあの移住生活がなかったら、今の私はないでしょうから。
以前は折り合いの悪かった義父も、移住から帰国すると和解を申し出てくださったんです。ディスプレイだけ担当すればよいと言われました。
帰国後に、夫も私が陶芸をすることにとても協力的で、自宅に窯も設置してくれまして、会社の地下には粘土も保管してくれて、応援してもらえました。
世の中の流通が街の中心部から郊外の大型モールへ移ってしまいましたのは残念なことでした。流通の流れが変わってしまいましたのも、諸行無常なことでした。
ついには、バブルの崩壊と共に夫の会社の業績は落ち込み、その後、自主廃業となりました。
ロズリン:離婚を機に、拠点を東京に移したということですか。
たかぎ:はい、54歳で離婚して、浅草で起業しました。元夫の会社が靴のチェーン店を展開していた関係で、靴業界が集まる浅草にはゆかりがあったんです。
最初は、手芸用品大手のユザワヤさんから、陶製のボタンを沢山作る仕事を請け負いました。こちらでは大きな窯は置けませんから、アクセサリー用の小型の窯が活躍しました。
あるとき、脚本家の倉本聰氏がプロデュースに大きく関与されていました富良野プリンスホテルのギャラリーのニングルテラスふくろうの家から、陶製アクセサリーの製作依頼が舞い込みまして。
ロズリン:素敵なお仕事が来ましたね。
たかぎ: はい。釉薬を用いない焼き締め陶磁器のブレスレットは、長く身に着けるうちに皮脂でツヤが出てくるんですが、紐の交換を希望されるお客様に男性の方が多いのにはビックリです。おしゃれな方がたくさんいらっしゃるんですね。
●惹きつける、マグネットの魔力
ロズリン:たかぎさんと、マグネットを用いたアート作品との出会いはいつですか。
たかぎ:娘が短期留学先のスペインから戻ったときのおみやげが、プラド美術館のミュージアムグッズだったのです。ゴヤの名画「王女マルガリータ」がプリントされた小さなマグネット、これがもう本当に素敵で、すべてはここから始まったと思っています。
マグネットは冷蔵庫に貼るという常識の枠を超えて、もっと素敵に飾りたいと願ったのです。
自分の作品としては、会社の店舗ディスプレイとして壁に飾ったのが最初です。ディスプレイの場合、木質素材やコンパネなどの大型資材は入れ替えがたいへんですが、鉄に磁石なら一瞬で動かせます。コラージュと違って、変幻自在なアート表現の可能性に魅了されたんですよね。
和紙など様々な素材の組み合わせや、赤ちゃんの足形や子どもの絵など、アイテムに制限や決まりはありません。マグネットなら誰でも自由に、感性のおもむくままにアレンジできる、そこが最大の特色であり魅力です。
ロズリン:具体的に、どのような仕組みになっているのですか。
▲羽卵晩生(HA RAN BAN JOU)
たかぎ:スチールや鉄粉壁剤、鉄素材入りゴムシートなどで出来たアートボードをベースに、樹脂製マグネットシートを裏面に貼り付けた陶板などのアイテムを、自由にレイアウトしていきます。
皮革やフェルト、染色した糸など様々なアイテムに和紙を組み合わせることで奥行きが生まれ、動かしたり外したりが自在ですので、好みや気分で様々な表情を持つ作品が創れます。
ロズリン:画像にある作品は、羽のモチーフがとても斬新で魅力的です。
たかぎ:これも〈マグネットアート〉の一つで、極細の鉄製ワイヤーを仕込んでいるんですが、お分かりでしょうか。
マグネットのアートは、百均で売られている材料だけで簡単にできて、誰にでも楽しめます。
私自身、マグネットでの表現に没頭することがうつ症状の改善や心身の健康回復に大きく役立った経験がありますので、アートセラピーとしての可能性にも期待して良いと考えています。
後編へ続きます。
【たかぎ きぬこ(?木 絹子)さんプロフィール】
美術家/株式会社エピックス クリエイティブ・ディレクター
1949年、北海道旭川市生まれ、学習院女子短大英文科卒。1984年、『ベルーシの波は、スニーカーブルース』が旭川市民文芸賞、NHKラジオドラマ化。1989年、グリフィンカレッジ・シアトル卒。1994年、陶磁器工房〈工房【G-club】〉開設。1996年、?エピックス設立。マグネットアートの作品を発表。1999年、〈マグネットアート〉商標登録。2002年、〈マグネットアート〉中小企業総合研究機構会長賞。2009年、『NAMIURA 浪裏』(文芸社)出版。2014年、ハワイ留学。2015年、「日刊サンハワイ」コラム寄稿開始、「ロングステイエッセイ大賞」佳作。2016年、「美術の祭典 東京展」奨励賞。2020年、『人生の“サバティカル”留学』(日本橋出版)出版。
2023年10月7日〜14日、
第49回 美術の祭典 東京展にて出品。http://www.tokyoten.com/infomation.html
2023年10月10日〜15日、個展「羽卵晩生(HA RAN BAN JOU)」を東京浅草画廊Gei藝にて開催。https://www.tokyoasakusagallery-gei.com
株式会社エピックス公式サイト http://www.mgartx.com
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人生は一度きり。枠にとらわれずやりたいことはつきつめる!
巧株式会社 代表取締役社長 大橋大記さん
●密着番組がきっかけで、タレント活動が本格化
ロズリン:タレント活動を始めたきっかけは何ですか?
大橋:5年ぐらい前に、あるテレビ番組で密着の特集を組んでくれたことがきっかけで、他の番組からもお声がかかるようになり、あれよあれよという間に、テレビでレギュラー番組を持つようになりました。その密着は、僕がモデル活動をしていたことがのっていた雑誌を見てくれたことからオファーされたんです。
ロズリン:モデルをなさってたんですか?
大橋:はい。もともと趣味でサッカーをしていたら、ある試合で足を折って、もうサッカーができなくなってしまったんですね。それで、何か足を使わないものをやりたいと考えたとき、バンドをやめるときに役者かモデルをやってみないかという話があったのを思い出しまして。自分でモデル事務所を検索し、オーディションを受けてやるようになったんです。
ロズリン:どのような種類のモデルですか?
大橋:大阪は広告モデルの仕事がほとんどでしたね、企業のHPのイメージモデルとか。具体的にいうと、介護事業の企業で車いすを拭いている写真とかです。
フリー素材の撮影も当初はいろいろやって、それは結構まだ残っているようです。先日も某企業のサイトに僕が写っていると知り合いからいわれました(笑)。フリー素材なので、やめてくれといえないんです。
ロズリン:モデルの仕事は楽しいですか?
大橋:はい、とても。撮影自体も楽しいですが、企業の撮影で、普段は入れないような場所にモデルとして行けると、とたんに自分も経営者目線となって「こんなにちゃんと対応してくれる社員がいるんだ」「うちとは全然ちがうな」とか考えるのもおもしろいです。
▲モデル活動のお写真
ロズリン:わかるような気がします。その仕事をしている間は、本業は社員の方に任せてるんですか?
大橋:今はスタッフがやってくれるようになりました。それに今は外にいてもリモートでたいていの仕事はできますしね。
ロズリン:仕事面でも、タレント活動をしていることのいい影響はありますか?
大橋:いいことも悪いこともあります。喜んでくださる方もいれば、ひっこんでろみたいなアンチの対応を受けることもあります。ただ、いつも心掛けているのは、今の時代、誰もが名前ですぐ検索できるので、たとえ無名だとしても、もしかしたら自分のことを知っているかもしれないという思いで、何事も対処しています。ネットで変な発言をすれば、それこそ何をいわれるかわかりません。
ロズリン:そうですね。モデルやタレント活動で、メイクをするのは抵抗ありませんか?
大橋:僕はビジュアル系バンド時代、自分でしっかりメイクしていたので、全く抵抗ありませんね。
ロズリン:うちの会社もスキンケアの商品を作っていますが、PRに起用した男性のタレントさんもそのときに使っていただいたら好評でした。男性のみなさんも最近はスキンケアをよくされているんですね。大橋さんも肌がとてもきれいですが、スキンケアのコツは?
大橋:月に1度は皮膚科にいっていますし、日々きちんとスキンケアはしています。僕はとても焼けやすいので、趣味で時々サーフィンにいくのですが、1時間であがるようにしています。やはり継続しかないですね、睡眠時間はきちんととっています。
●人生は一度。とことんやりたいことはつきつめてみたい
ロズリン:様々な活動をしてきた大橋さんですが、バンド活動や社員として働いた経験が、現在の大橋さんの糧になっているのはどういうところですか?
大橋:バンドのときに、ボーカル、ギター、ベース、ドラムなど役割が分担されていたように、会社のスタッフもそうだということに気が付きました。全員が4番打者というわけではなく、やはり役割があるんだと。またバンド時代に悩んでいたようなことを今も悩んだり、同じような結果を生んでいたりしていて、自分の思考回路は同じなんだなと、常に改善の必要性を感じます。また振り返ると、僕は「学」はないですが、バンドも起業もそれぞれ10年以上続けられたことはとてもよかったし、自信になりましたね。だから何事も「10年はやったほうがいい」と思っています。
ロズリン:大橋さんは勉強は好きでしたか?
大橋:いえ学生時代は音楽一色で、本当に勉強しませんでした。高校も3年で卒業できず4年かかりましたし、大学も名のある所には受かりませんでした。
でも起業して10年目ぐらいに特許をとったんです。それまで学がないのが気になっていたのですが、特許をとったら「お前かしこいな」と言われるようになり(笑)、本当とってよかったです。
ロズリン:ああ、そうですか。どんな特許ですか?
大橋:空調機器のメンテナンスや管理に関するものです。出願するときは、自分でレポートにして、専門の弁理士さんにお願いするのですが、その方が直してくれたレポートはもう自分が書いたものと似ても似つかず(笑)。確認してくださいといわれても、できないぐらい専門的なすごいものになっていました。ピーク時は4つ特許があったんですが、あれは保持するのもお金がかかるので、2つ手放しました。
ロズリン:大橋さんにとっては、支えてくれるご家族の存在は大きいのではと思いますが、お子さんはいますか?
大橋:上が女の子で17歳、下が男の子で15歳です。今は妻と子どもは大阪で僕は都内にいるので、別れて暮らしていますが。
ロズリン:お子さんたちには、音楽の才能が遺伝していますか?
大橋:どうですかね、子どもには好きなことをやってほしいと思っています。自分も親から「出ていけ」といわれて、これまで音楽や好きなことをやってきたので、子どもも早く家を出て好きなことをしてほしいんです。でも、男の子には出ていけといえますが、女の子にはなかなかそれは難しいですね。
ロズリン:そうですね(笑)。奥様とは離れて暮らしていますが、いかがですか?
大橋:仲が悪いことはないですが、今は始終話をするという感じでもないです。でも、妻に感謝しているのは、若いころから僕が何をするにもサポートしてくれたこと。独立して、趣味でサッカーをして、足を折ったらモデルをして、タレントになってと、いろんなことをしてきましたが、一度たりとも「やめろ」と言われたことがないんです。どんなときも「あなたはやるべきだ」といい続けてくれた。それには本当に感謝しています。
ロズリン:すごいことですね。本当、奥様に感謝しなくては。今後一緒に住む計画はあるんですか?
大橋:はい。拠点を東京に本格的に移そうと思っています。今は僕一人が都内ですが、人生の終わりは東京で迎えたいので、家族で住める家を探しています。でも本当に高いですね、東京は。
最近うれしかったことがあって。母校で講演会によばれたんです。自分は留年もしたし、全く勉強していませんでしたが、そんな学生でも様々なことにチャレンジし、起業することもできるという例です(笑)。お役にたてるのはすごくうれしかったです。
ロズリン:そういうことは、本当にうれしいでしょうね。
今もテレビのレギュラー番組はあるのですか?
大橋:いえ。大阪で3つ持っていたのですが、いまはありません。
僕はバンドでは東京で活動することができなかったという悔いがあり、どうしても東京で活動したくて。大阪のテレビの仕事を一度お願いして退かせてもらい、拠点を東京に移すため上京したんです。そういうわけで、今はこちらで活動しながら、営業中です。
▲サンテレビ「バキバキ☆ビート!?」出演の様子
ロズリン:俳優業もされればいいのに。
大橋:実は僕もしたくて、今、訓練中です。オファーがあったyoutubeでのドラマには出たりしています。実はそのエンディングで20年ぶりに歌いました。ただバンド時代は自分で作った曲を歌っていたので、人が作ってくれた曲を歌う難しさをすごく感じました。
ロズリン:そういうものなんですね。俳優は何歳になってもできるので、すごくいいと思います。
大橋:僕もそう思いまして。もっと訓練して本格的にやりたいです。ガチの社長の僕が平社員の役をしてもおもしろいと思いますし。実際、社長で本格的に役者をやっている人はいないと思うので、自分がそうなりたいですね。ちょっと飛び抜けてるぐらいだとすぐにたたかれるので、とことんまでやってやろうかなと思っています。
本業のほうも、M&Aをしかけて会社を大きくしてみたいですね、人生は一度ですから。若いときの人生は一度という思いとは違い、いろいろ経験したうえで改めてそう思うので、今後もとことんやってやろうと思っています。
ロズリン:私もいろいろやりたいタイプですが、大橋さんには負けますね。(笑)なぜそこまでモチベーションがあるんですか?
大橋:実は日々、楽しいと思うことより嫌だと思うことのほうが多いからかもしれません(笑)。昔ある人にいわれて印象に残っている考え方があるんです。物事って、ダイヤモンドのカットのように、いろんな角度から光があたるけど、光が集まる焦点が一つであるように「真実は一つ」だと。だから人生もいろんな光があたり、同じことであっても、それをつまらなくするのも、おもしろくするのも自分次第だということ。できるだけ人生を楽しくしたいと思っているんです。今後、もっと年齢を重ね、仕事もがんばりますし、タレント活動はもちろん俳優業も勉強して、その年齢なりの役に挑戦してみたいと思います。
ロズリン:素晴らしいですね。頑張ってください。
[ ロズリン インタビューを終えて ]
大橋さんにお会いしたとき、35歳ぐらいの方かと思ったら、今度52歳になるということで、とても若々しくてびっくりしました。様々な経験をしながら、怖がらずに新たなチャレンジをして、年齢を重ねてもその勢いはとまらないことが、年齢を超えているのかもしれません。会社の経営はわたしも経験していますが、なかなか大変です。
その本業と、東京でのタレント活動、そして新たな俳優への挑戦と、大橋さんがどんな風に活動していくのか、とても楽しみです。
とりあえずフリー素材の大橋さんを探しちゃおうかしら(笑)。
【大橋 大記(おおはし・だいき)さん プロフィール】
15歳〜26歳までビジュアル系インディーズバンドのボーカルとして活動。
その後1994年にイワタニ近畿株式会社に(旧マルヰガス株式会社)入社。本社開発営業部に所属し、営業・設計・提案・管理業務に従事し、2001年7月に円満退職。
それまでの経験を生かし、空調専門会社 巧株式会社を創業。
大橋独自のアイデアを基に特許を取得し、空調業界の慣習に縛られない提案や、柔軟な自社ブランドのシステム開発に力を入れる。「空調×ITで人の生活を快適に」をスローガンに世の中にないサービスで革新を起こすべく企業経営を行う傍ら、個人でモデルやタレントとしても活動中。
]]>人生は一度きり。枠にとらわれずやりたいことはつきつめる!
巧株式会社 代表取締役社長 大橋大記さん
空調管理の設計を行う巧株式会社の社長とタレント活動の2足のわらじをはく、大橋大記さん。学生時代から11年、ビジュアル系バンドのボーカリストに打ち込み、26歳で会社員に転身した後、独立して、近年はモデル、MC、バラエティタレント、そして役者に挑戦などさまざまな活動をしている大橋さんの、そのユニークな歩みと考え、そして元気の秘密を語っていただきました。
●ビジュアル系バンドのボーカルから会社員を経て、社長に
ロズリン : 大橋さんとは、若い起業家を応援するイベントで初めてお会いしたんですよね。
大橋:はい。そのときに、共通の知人から、ロズリン社長はすごく素敵な方だと伺いまして。あのときのイベントは楽しかったです。本日も呼んでいただき、ありがとうございます。
ロズリン:こちらこそ楽しかったので、改めてお話を伺いたいと思いまして。大橋さんはいろいろな活動をされていますが、現在の状況を教えてください。
大橋:本業は巧株式会社という空調関係の会社の社長をしています。社員は約10人ほどの小さな会社ですが、その傍ら、ここ数年はタレント活動もするようになりました。大阪ではテレビでレギュラー番組を3本持っていたこともあり、イベントのMCなどもしています。
ロズリン:違うカテゴリーのお仕事をされていて、すごいですね。会社のお仕事は具体的にはどんな内容ですか?
大橋:例えばスポーツジムやドラッグストアにエアコンをいれるとしたら、そこにどのぐらいの人数が集まるのか、どの場所に設置すれば一番効率的かなどを検討して設計するんです。
ロズリン:おもしろそうですね。
大橋:おもしろくなってきたのは最近ですね。ずっと大変でしたので。
ロズリン:もともと大橋さんはビジュアル系のバンドのボーカルだったそうですね。
大橋:はい。15歳から26歳まで音楽をやって、それ一色の生活でした。
ロズリン:音楽を始めたきっかけはなんですか?
大橋:家に姉のエレキギターがあって、高校受験が終わったころに時間があったので、ちょっとやってみたら、はまりまして。そこからすぐにプロになりたいと思って、高校入学後3か月ぐらいで、もうライブハウスで歌ってました。
ロズリン:それはすごい。先生に習ったのですか?
大橋:いえいえ。独学です。曲も自分で書いていました。ライブハウスは自分で探してデモテープを聞いてもらい、出演させてもらうようになりました。そこから26歳までずっとバンド活動です。お金がなくて、ヒモ生活のバンドマンでした。
ロズリン:バンドのピークの頃の活動はどういう感じでしたか?CDは出したんですか?
大橋:プロの歌手になる前に音楽をやめましたが、大阪ではかなり注目されていたインディーズバンドだと思います。当時はyoutubeなどもなかったので、今のようにネットで発表や配信することはできなかったので、ライブハウスを中心に活動し、オーディションなどもいろいろ受けていました。CDは自主製作版で出しましたね。
ロズリン:ずっとバンドをするつもりだったのですか?
大橋:26才になって、自分が将来、メジャーで活躍している姿が想像できず、う〜んとなって、人生を思い直したんですね。
ロズリン:でも音楽活動は楽しかったでしょう?
大橋:人生を楽しくしてくれたのも音楽ですが、いろいろ思うようにならず、つらい思いをした原点も音楽ですね。
●通勤初日から社長に言われた、「仕事覚えたら出て行ってくれ」
ロズリン:音楽をやめた後は、一度就職なさったんですね?
大橋:はい。父の紹介で一般企業に入ったんです。それは現在の自分の会社と同じ、空調の会社です。父は、僕が音楽をやることにすごく反対で、15歳のときに家を出ていけといわれたほど。でも音楽をやめる決意をしたときに、自分の関連会社を紹介してくれたんです。岩谷産業の子会社で、当時300人ほどの社員のいる、とてもきちんとした会社でした。ここに3年いた後独立したのですが、実は入社当日に、社長に「君は仕事を覚えたら出ていけ」といきなりいわれたんです。
ロズリン:それはまたどうしてですか?
大橋:「自分は多くの人を見てきたからわかる。君はサラリ―マンを続けられるタイプじゃない!」と。僕は音楽をやめて、骨をうずめるつもりでいたのに。
もっとも当時、バンドをやめたばかりで髪はまっ茶、青色のカラーコンタクトをいれて出社していましたけど。直属の上司になった常務からもやっぱり「あぁ、大橋さんの息子さんね。仕事覚えたら出ていってくれ」と言われちゃって(笑)
ロズリン:でも、お仕事はちゃんとやったのでしょう?
大橋:はい。一生懸命やりました。客先でも、おもしろい若いのがきたと、かわいがっていただきまして。身だしなみについては社会にでたらいろいろわかって(笑)、徐々に普通になっていきました。
ロズリン:それで、起業したきっかけはなんですか?
大橋:入社して3年、やはり、こういう人生でいいのか?という問いがわいて「自分でやるか?」と思いまして。
ロズリン:大胆ですね。お父さまの反応はいかがでしたか? 紹介した会社をやめることになるわけで。
大橋:それが思いがけず、父が初めて僕のやることに賛成してくれたんです。起業したいといったら、周囲の人はみんな失敗すると思っていたようですが、父だけが「わかった。勝負してみろ」みたいな。それで、「お前にしてやれる最後。そして必ず返せ」といって株式会社を作る資金、一千万を出してくれたんです。
ロズリン:わ〜、素晴らしいですね、お父さま。
大橋:僕自身全く信用がなかったので、エアコンの機械を扱わせてもらうためにも、株式会社にする必要がありました。でも、会社は6畳一間で、社員は僕だけ。とにかく信用がないのが厳しかったです。独立したら応援するといってくれた人たちも、いざ独立したら、機械はおろか数百円の部品一つ売ってくれなくて。会社に置くコピー機もリースさせてもらえなかった。普通は会社という保証か、個人の信用かどちらかで借りれるんですが。
ロズリン:それは厳しいですね。どう解決されたんですか?
大橋:結局、社会的に信用のある父が印鑑を押して、保証人になってくれていました。知らなかったんですが、実は家も抵当にいれ力になってくれていたんです。
また機械をおろしてくれる会社から、500万円補償金として預けろといわれて、それも資金から預けました。本当にお金がなかったです。
実は起業2年目で結婚したんですが、妻がほかで働きにいきたいというのを「お願いだから手伝ってくれ」といって、サポートしてもらいました。経理を見ていた父から二人の生活費は月に10万円しかでなくて。休みの日は二人で散歩したり、サイクリングするなど、お金がかからないことをしてました(笑)
ロズリン:お金がないのは、私も夫と創業時に経験したのでよくわかりますよ。お仕事自体は独立してうまくいったのですか?
大橋:はい。なにかおもしろいやつがきたと、実は爆発的に売れたんです。それで一生懸命働いてお金を作り、1年後に父に1千万返したんです。でも結局お金がないから、その2日後に「また貸してくれ」と(笑)。翌年一旦返し、また借りると、それを繰り返していました。でも5年ぐらいでだいぶ楽になって。
ロズリン:社員の方も徐々に採用されたんですね。
大橋:かなり長い間一人でやっていたのですが、一人社員を雇うと、また辞めてしまって、みたいな感じで。現在も10人ぐらいの小さい会社ですが、人材を集めるのが本当に難しいと感じています。
ロズリン:そうですね。そこから現在のように、タレント活動を並行するようになったお話はぜひ後編でお聞かせください。
後編へ続きます。
【大橋 大記(おおはし・だいき)さん プロフィール】
15歳〜26歳までビジュアル系インディーズバンドのボーカルとして活動。
その後1994年にイワタニ近畿株式会社に(旧マルヰガス株式会社)入社。本社開発営業部に所属し、営業・設計・提案・管理業務に従事し、2001年7月に円満退職。
それまでの経験を生かし、空調専門会社 巧株式会社を創業。
大橋独自のアイデアを基に特許を取得し、空調業界の慣習に縛られない提案や、柔軟な自社ブランドのシステム開発に力を入れる。「空調×ITで人の生活を快適に」をスローガンに世の中にないサービスで革新を起こすべく企業経営を行う傍ら、個人でモデルやタレントとしても活動中。
]]>変わる社会と歩み続ける、女流棋士のまなざし
公益社団法人日本女子プロ将棋協会(LPSA)特別相談役
女流棋士 蛸島 彰子 さん
女流棋士第一号として輝かしい棋歴を持つ蛸島彰子さん(女流六段)に、女性と将棋界について大いに語っていただいた、インタビューの後編です。
●LPSA設立16年の歩みを誇りに
ロズリン : LPSA(公益社団法人日本女子プロ将棋協会)に所属する棋士の方は、今どのくらいですか?
蛸島 : 現在は17名ほどが在籍し、活動しています。
ロズリン : LPSAの普及活動では、カフェで試合をやったり、ラジオのトークショーを行ったり、将棋のおもちゃや絵本の制作といったものづくりまで、色々な活動で注目に値します。多彩でユニークだし、自由で軽やかな印象ですね。
蛸島 : 16年前にLPSAを立ち上げた背景には、男性優位な将棋界でのやりにくさが根底にあり、そのストレスからの解放を目指したわけですが、規模こそ小さくても筋を通すことができたのは誇ってよいと思っています。
今後はさらにカジュアルな形で、将棋の魅力をアピールしていけたらいいですね。
昨年3月には、私の生い立ちから女流棋士としての歩み、そしてLPSAの発足から今日に至る活動をまとめた書籍「駒我心」を自費出版しました。協会創立の経緯を整理し、女流棋士による会の歩みを記録として残すのも大きな目的のひとつです。
ロズリン : 現在、メインの活動はどんなことでしょう。今も対局で将棋を指す機会はありますか?
蛸島 : 多くは将棋教室での指導にあたっています。教えるのは楽しいですよ。
一方で、「もうがんばらなくてもいいかな」なんて思っていても、いざ誰かと指して負けると悔しいんですねこれが。だから今も勉強は続けていますが、若い人の倍くらいやらないといけなくて。
女性の棋士も全体にレベルアップしていますから、誰にとっても生き残りをかけた厳しい世界には違いありません。でもその中で、現役として活動できる喜びも味わってほしいと思います。
ロズリン : 蛸島さんは、かつてNHK杯テレビ将棋トーナメントで棋譜の読み上げをなさっていたことでも有名ですが、そう言えば将棋の番組では今も、男性が解説、女性は聞き手という位置づけが定番のようです。
蛸島 : そうですね。女性も解説役を務めるなどで互角の関係になること、これは私たちの次の大きな目標だと考えています。
ロズリン : 男女の別に囚われないことが当たり前という感覚になるところまで、早くたどり着きたいものですね。
●進化する将棋、変化する将棋界
ロズリン : 昨今の将棋界では、ネット上でのAI対局も増えてきていますね。
蛸島 : AIの進化は止まりませんよね。むしろあちらが先生の立場になりつつあるというか、自分の戦術を練るための教材にしている人もいるくらいです。
ロズリン : 私の夫も、今ではもっぱらネット将棋の人なんですよ。私は長考がすぎて、対局の相手になれないと言われて。
蛸島 : 昔の将棋は、負けを認める際にも「見苦しい悪あがきはしない」的な潔さが美徳とされていました。ところが今は、最後まで諦めずとことん粘る姿勢が支持される流れに変わってきています。
AIの進化とも相まって、ますます何が起こるか、どう変わるのか分からなくなっていますよね。
ロズリン : 女性と将棋界の今後については、どのようなビジョンをお持ちですか。
蛸島 : たとえば女子ゴルフ界のように、女流棋界も盛り上がるといいですね。長年応援していただいているアパガード杯女子アマ団体戦はアマチュア女性にとって毎年参加を楽しみにしている人が多く、LPSAにとっても力を入れて開催している大会です。アパガード杯では、お揃いのチームTシャツを着たり、勝っても負けても仲間全員で楽しめる大会です。
LPSAはフットワークの良さが最大の強みなので、自分の意志や女性の感性を大事にしながら、自由に積極的に企画を進めていきます。身近で気軽に楽しめる催しを通じて、一人でも多くの女性に将棋の魅力を知ってほしいですね。
ロズリン : その素晴らしい精神は、弊社も大いにバックアップしていきたいところです。
蛸島 : そう言えば最近、「観る将」というファン層が急増しているのをご存知ですか? 自分では指さないけれど、プロの指し方を評論して楽しむんだとか。きっかけはどうあれ、女性も多いと聞くと時代の変化を感じますね。
ロズリン : 女流棋士の対局では、素敵な和服姿も見どころの一つだと思います。蛸島さん、和服はお好きですか?
蛸島 : ええ、好きですよ。やっぱり将棋の世界、対局の空間に合っていますものね。
でも私たちが現役の頃は余裕がなくて、簡単には調えられませんでした。今は和服のレンタルなどもたくさんあって、本当にいい時代です。
ロズリン : 将棋は奥が深く、そして素敵がいっぱいの素晴らしい世界ですね。
今日は貴重なお話をたくさん、ありがとうございました。
[ ロズリン インタビューを終えて ]
将棋通なら知らない人はいない女流棋界のレジェンドでありながら、とても気さくでチャーミングな人柄が印象に残る蛸島さん。多くの人たちから慕われるのも納得です。
課題の残る女流棋界の未来への道は、決して平坦ではないかも知れませんが、これからもリーダーとして先頭に立ち、若い人たちのゆく手を照らす頼もしき存在であり続けてほしい、と心から願っています。
【蛸島 彰子(たこじま・あきこ)さん プロフィール】
公益社団法人日本女子プロ将棋協会
(LPSA:The Ladies Professional Shogi-player’s Association of Japan)
https://joshi-shogi.com 特別相談役/女流棋士(女流六段)
東京都出身。8歳から将棋を始め、15歳で日本将棋連盟の奨励会初の女子会員となる。初段で同会を退会後、プロとして各種の女流棋戦に出場し通算7期のタイトルを獲得するなど、女流棋士のパイオニアとして長きにわたり活躍。
NHK杯将棋トーナメントにおける棋譜読み上げを20年あまり務めたことでも広く知られる傍ら、女流棋界の重鎮として2007年のLPSA設立に携わり、女流棋士の地位向上ほか後進の育成、普及活動などでも中心的役割を果たす。
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変わる社会と歩み続ける、女流棋士のまなざし
公益社団法人日本女子プロ将棋協会(LPSA)特別相談役
女流棋士 蛸島 彰子 さん
女流棋士第一号である蛸島彰子さんは、数々の名だたる棋士の称号を女性で初めて手にした、輝かしい経歴の持ち主です。
ほぼ完全に男性中心の将棋界において、女流棋士の門戸を広げ、普及と育成に尽力した蛸島さんは、まさにパイオニアと呼ぶにふさわしい存在と言えます。
戦後社会と共に歩んだ蛸島さんが見据える女流棋界の未来には、いったいどんな景色が広がっているのでしょうか。
●「将棋を指す女の子」が珍しい時代
ロズリン : まずは、蛸島さんと将棋の出会いについて伺えますか。
蛸島 : 将棋好きだった父の影響ですね。戦後間もない頃は、女の子が将棋を指すこと自体がきわめて珍しい時代でしたから、まさか自分がその道で生きることになるとは思ってもいませんでした。
ロズリン : 将棋は男性がやるもの、というのが社会の認識だったでしょう。
蛸島 : その通りです。父は当初、私の兄を相手に指していて、兄を負かしては喜んでいました。
ところが兄も悔しいので一生懸命勉強して、あるときついに父に勝ってしまったんですよ。
ロズリン : あら、大変!
蛸島 : 息子にダメ出ししていた関係が逆転して、面白くなくなったんでしょう、それから父は娘の私に将棋を教えるようになりました。もちろんまだ小学校低学年でしたから、最初は簡単なはさみ将棋とか、山崩しという駒遊びから始めたように覚えています。
ロズリン : お父さん以外の相手もいましたか?あの当時は、男性ばかりだったでしょう?
蛸島 : そのとおりです。いとこの男の子とも指したりしましたが、とても「変わってる女の子」に見えたようです。
ロズリン : 私は小さいとき周りは男の子ばかりの環境だったので、tomboy(お転婆娘)と言われましたが、蛸島さんも同じようですね。
蛸島 : 小5になって、父に連れられて渋谷の道場に行ったときのこと。偶然来ていた名誉九段の金易二郎先生に手ほどきを受けたら、「この子は筋がいい」と。将棋連盟の初等科に誘われました。
ロズリン : 何だか、ドラマチックな展開ですね。
蛸島 : 初等科は初心者のクラスですが、父はもう大喜びで、さっそく入会となりました。
でも実はそのときすでに女の子が1名在籍していたので、対局相手にもう一人女の子がいるといいとの考えがあったのかも知れません。
ロズリン : もう一人女性がいて、心強かったでしょう。
蛸島 : ただ彼女は、私に負けてから会をやめてしまったんですよ。それで結局女性は私だけになってしまいました。
ロズリン : 女性との対局で、特に女性には負けたくないと考える男性も多いでしょうね、昔も今も。
蛸島 : そうですね、確かに「女の子に負けた!」となるとショックは大きかったですね。私に負けたからと坊主頭になったり、将棋をやめたりした人がいたのはさびしいことです。
でもね、剃髪スタイルは何だかこう、気合いが入ると言いますか、たとえば坊主頭で名人に挑戦して、気迫で勝ってしまったような人もいますから。そういう効果はあるみたいですよ。
●「女性第一号」という立ち位置で
奨励会在籍時 初段になった時に取材を受けている蛸島さん
ロズリン : その後、どのようにステップアップしましたか。
蛸島 : 1961年、高校生になって、将棋連盟の奨励会に編入しました。
奨励会はプロ棋士を目指す場で、小中学生や地方の強い人も集まっているので、かなり厳しい状況になっていきました。
ロズリン : その頃、他に女性のメンバーはいましたか。
蛸島 : 全然いません! というか、私が初めての女子奨励会員だったので。
連盟の側には、時代の流れに鑑みて女性の棋士を増やしたい意向があったんですね。昇級規定に特例措置が設けられたのも、私にがんばって将棋を続けてほしいという方針が背景にあったからです。
こうして女流棋士第一号という立場で、プロとして本格的に将棋に携わることになっていきました。
ロズリン : 女性の棋士は、もっと昔の時代にも存在したと思っていました。
蛸島 : 女性による最古の棋譜は江戸時代後期のものだそうですが、それ以外の記録は一切残っていません。私の教え子には優秀な人もいましたが、結婚を機に将棋をやめてしまって。女性はそうするのが当たり前だと、長く認識されていたんですね。
ロズリン : 当時の「将棋=女性らしくない」といったイメージや社会通念は、思っているよりずいぶん根深いものだったように思えてきます。
蛸島 : そもそも将棋はスポーツなどと比べて競技人口が少ないし、さらに女性となると圧倒的に少数です。向き不向きを論じる以前に、母数が少なすぎるんですよ。
ロズリン : それでも女流将棋の普及に向けて、たゆまぬ努力を続けて来られました。
蛸島 : 奨励会を初段で退会した1966年頃から、女性のアマチュア棋士がようやく増え始めまして。女流棋士が6名となった1974年からは女流プロ名人位戦などの公式戦が初めて行われるようになり、第一回は私が優勝しました。
他にも、デパートなどでの普及イベントなどを通じて、少しずつすそ野が広がっていったのです。
ロズリン : 世間の注目が集まってくると、緊張の度合いも違うでしょう?
蛸島 : アマチュアでも強い人はいますからね。かつては私も対局前はドキドキして落ち着かず、家事の最中にもあたふたして、取り込んだ洗濯物を落っことして、また洗って……なんてドジをやらかしていたものです(笑)。
ロズリン : どんなにベテランになっても、平常心を保つのは難しい。
蛸島 : ところがある時、強豪の女流棋士が対局中のアクシデントで反則となり、準決勝で敗退するという出来事がありまして。このことから、将棋は何が起きるか分からない、誰であれ今ここからスタートすればいいんだと思ってからはふっ切れました。
ロズリン : 将棋は相手次第で流れが変わるから、結果が読めないし、見えません。そういう感じですか。
蛸島 : そうですね。無限に変化するのが将棋です。一手一手を自分で決断して指す、そして責任を持つ。これは生きていく上でも、とても大切なことだと思います。
女流名人位戦の対局の蛸島さん
後編へ続きます。
【蛸島 彰子(たこじま・あきこ)さん プロフィール】
公益社団法人日本女子プロ将棋協会 https://joshi-shogi.com
(LPSA:The Ladies Professional Shogi-player’s Association of Japan)
特別相談役/女流棋士(女流六段)
東京都出身。8歳から将棋を始め、15歳で日本将棋連盟の奨励会初の女子会員となる。
初段で同会を退会後、プロとして各種の女流棋戦に出場し通算7期のタイトルを獲得するなど、女流棋士のパイオニアとして長きにわたり活躍。NHK杯将棋トーナメントにおける棋譜読み上げを20年あまり務めたことでも広く知られる傍ら、女流棋界の重鎮として2007年のLPSA設立に携わり、女流棋士の地位向上ほか後進の育成、普及活動などでも中心的役割を果たす。
]]>年末年始はバタバタして、その後海外出張や弊社の会計年度末などの用事が続いて、やっと5月で落ち着いたという気持ちです。
いよいよコロナも終息に近づいて、3月からマスク着用に関するルールが変わり、今月8日からは新型コロナが感染症法上の5類へと移行されましたね。
数年間続いたマスク生活がやっと終わり、一種の解放感は感じますが、やっぱりマスクを外すとなると気になることもありますね。
特に口元の清潔感と美しさを意識してしまいます。
慌てて歯のメンテナンスのために歯科医院に飛び込んでいる方が多いとまで聞いています。
素敵な笑顔からのぞく健康的で美しい白い歯!マスクがないと、本当に相手の口元に気が付きますね。
特に面接などのときにはそう感じます。でも、日頃からアパガードやアパデントを愛用いただいている皆さんはきっと笑顔にも自信があるはずです。
皆さんは気が付いたと思いますが、春からアパガードブランドがリニューアルされ、商品は増量となって、パッケージデザインも洗練されました。
その中で素晴らしい新商品の「アパガードセレナ」が誕生しました。私自身も大好きな商品なのです。
もうお試しになりましたでしょうか?
アパガードにおなじみのエナメル質を修復するむし歯予防成分薬用ハイドロキシアパタイトに、赤ワインやコーヒーなどのステイン除去成分が加わっています。
その使用実感が素晴らしいし、心からお勧めできます!
アパガードセレナ 容量:105g、53g/販売名:サンギMSR
医薬部外品・薬用はみがき
商品発売に伴ってキャンペーンを行い、非常に多くの方に応募いただきましたが、
まだセレナを使っていない!キャンペーンも見逃した!という方もいらっしゃるのではないかと思い、このロズリンの部屋読者の皆さんのために、アパガードセレナをお試しいただくチャンスをご用意しました。
アパガードセレナのトライアル品(20g)と、宝石のようなクリスタルがハンドルに埋め込まれた美しいアパガードクリスタル歯ブラシをセットにして、10名 の方にプレゼントさせてください。
アパガードセレナトライル20g
アパガードセレナは、コーヒー・紅茶、赤ワインなどを楽しまれる方にピッタリの商品です。
実はステインの始まりは飲み物や食べ物に含まれるポリフェノールが、歯の表面を覆っている「ぺリクル」という唾液由来のタンパク質と結合し、歯の表面に蓄積することです。
その構造は複雑で、たとえばコーヒーより、紅茶のフラボノイド系のポリフェノールの方が落ちにくいと言われています。
セレナにバランスよく配合されているステイン除去成分は、複雑なステインもケアします。
そしてこのジャスミンミントフレーバーは抜群です!
ジャスミンと言えば、かのクレオパトラも愛した香りだそうですが、歯みがき後はとってもはれやかな気持ちにしてくれます。
ぜひともお試しいただけますように!
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10名様 にプレゼント。
応募は締め切りました。
ご当選者の発表は商品の発送をもって代えさせていただきます。
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問い続ける、真の「平等」のかたち
築地本願寺 SDGs プロジェクト リーダー
西永亜紀子 さん
荘厳な佇まいが歴史を物語る、東京・築地本願寺。
私たちサンギもまた、同寺院の「お膝元」の地で歴史を刻んできた企業としてご縁があります。
後編となる今回は、SDGsプロジェクトのリーダーでもある同寺院の僧侶、西永 亜紀子さんに、ジェンダーフリーな社会への展望と、あるべき心構えについてのお話をご紹介します。
●全ての宗教はひとつになれる?
ロズリン : 仏教というと瞑想というイメージが浮かんできますが、最近は身近でも瞑想のような精神修養に関心が高まっていると思います。
西永 : 瞑想は浄土真宗では行わないものですが、銀座の「GINZAサロン」では他宗派のお坊さんを招いて体験会を開催していますよ。
ロズリン : 私の夫は日本人でクリスチャンとして洗礼を受けていましたが、もう長いこと朝の日課として瞑想を欠かさず実践しています。あれはどちらかというと、むしろ仏教の世界観のほうにつながる気がしますが。
西永 : 気持ちとしては、とても良く分かります。私は色んな宗教に興味を持っています。遠藤周作の小説が多くの人を惹きつけるように、キリスト教には独特の魅力を感じますし、見習うべきところもたくさんありますから。
ロズリン : オーストラリア人の私は生まれたときからクリスチャンですが、世界の宗教には共通点があると思います。表現の仕方は違っても、深い部分では通じています。
西永 : 本当にそうですね。たとえば先頃、英国で行われたエリザベス女王の国葬の様子は、私もたいへん興味深く拝見しました。歴史的なセレモニーに世界中の人が立ち会った貴重な機会でしたが、厳粛な中の荘厳さ、そして音楽の素晴らしさに感動しました。歌や音楽も、宗教にとって大切な要素ということですね。
ロズリン : いま、私たちが仏教を身近に感じるのは、大変恐縮ながら葬儀や法事の場面くらいですが、そうしたときにお坊さんが唱えるお経は美しいな、といつも思うんですよ。
あれは声も良くないといけませんよね。
西永 : そうですね、毎日の読経は声を出す訓練でもありますし、法話の際にも発声は大変重要です。
仏様のみ教えを伝えるのが私たちの仕事ですので。
ロズリン : 仏教の経典もキリスト教の讃美歌も、手法こそ違ってもそれぞれに磨き抜かれた表現手段を持っている点で、人間の心はみな同じなんですね。
●「平等」の中に息づくダブルスタンダード
ロズリン : 西永さんが考える仏教の魅力とは、どんなところにあるのでしょうか。
西永 : 何人も平等に救われていく、という基本の教えは、この上なく尊いものに思えます。
どんな人でも等しい存在として、弱い人にも手を差し伸べるという姿勢が素晴らしい。
そしてこのことは、SDGsが提唱する「誰一人として取り残さない」という基本理念にそのまま通じるものです。
ロズリン : 平等を謳うということは、女性の僧侶も活躍しやすい環境と解釈しても良いですか?
西永 : そこなんですが……仏教界は伝統的に、女性に対して旧来の固定的な役割を期待する傾向がありまして。「平等に」とは言いつつも実際にはそうでないのが現実で、ジェンダーフリーからは程遠いと言わざるを得ません。
ロズリン : 女性はサポート役が当たり前、とされた時代はずいぶん長かったけれど、そうした期待をされる風潮はなかなか無くなりませんよね。
西永 : 前に出て意見するような女性は、仏教界であってもどうしても煙たがられる。
ジェンダーフリーという理想と、「誰一人〜」という仏教の基本理念との間のこうした矛盾には、長いこと違和感を拭いきれないでいました。
ですから、私がSDGsの活動に出会い、取り組むようになったのは、ジェンダーフリーや人権問題に当事者意識を持つ仏教者として、ごく自然な行いであるという考えです。
●2030年の節目に向けて、今できることを
ロズリン : 時代は変わって、社会全体でジェンダーフリーを考える潮流が生まれました。
「築地本願寺SDGsプロジェクト」は、どういったメンバー構成になっていますか。
西永 : リーダーの私を含めて女性3名、男性4名からなるチームです。
実はそれ以前に、2018年発足の、宗派を超えた僧侶のグループで運営する「SDGsおてらネットワーク」での啓発活動が下地になっています。
ロズリン : いま、時代が西永さんを求めるようになったわけですが、新しい活動を始めた当初はご苦労も少なくなかったのでは。
西永 : 築地本願寺でのプロジェクトは、私がこちらに戻った2020年に立ち上がったのですが、発足当時はSDGsの知識を持つ人はほとんどいなくて、それではまずいと職員が一丸となって勉強を始めました。
たとえば、SDGsの世界観を疑似体験する「2030SDGs」というカードゲームを取り入れた研修は、全職員の意識を高める取り組みとして成果を上げました。
また、認定ファシリテーターの資格を取得し、出張講義などで活動の場を広げる一方、朝活清掃の実施など、小さなことから積み上げる取り組みも行っています。
2022年 築地本願寺SDGsプロジェクト
ロズリン : 最後に、西永さんの率いるプロジェクトが目指す将来のヴィジョンについて伺えますか。
西永 : 昨今、SDGsは一種のブームのように捉えられがちですが、地球や社会をどのようにしてより良い形で次世代にバトンタッチしていけるかという、本質の部分を見失ってはいけません。
ロズリン : そう聞くと、あまりのテーマの大きさに圧倒されてしまいそうですが。
西永 : それでも、自分にできる範囲のことから着手する以外に方法はないでしょう。
私自身、ずっと以前から女性の人権問題には強い関心がありましたが、そこに後輩や若い女性たちがキャリア形成や生きづらさに悩む姿を見てしまい、見過ごすわけにはいかなくなって……見て見ぬフリ、ができない性格なもので。
ロズリン : SDGsとは、まさにこれから育っていく人たちのためのものですからね。
西永 : 世界や社会が大きく変わり始めたこれからは、まず一人ひとりが自分の大事な人を思い浮かべ、その人のために何ができるか、大事に守り続けていくにはどうしたらいいかという視点で考える姿勢が大切なのではないでしょうか。
2030年を一つの目標に、さらに活発に議論を重ね、模索を続けていくことが求められています。
ロズリン : SDGsの頼もしき旗手としてのご活躍が、ますます楽しみになってきました。
これからも、当社の窓から見守りつつ応援させていただきますね。
〔ロズリン インタビューを終えて〕
浄土真宗とSDGsの両者が掲げる、「一人として見捨てない平等な社会」というテーマがこれほど一致することには驚きますが、こうした流れは、もしかしたら単なる偶然ではなく、起こるべくして起きた必然なのかも……という気がしてきます。
時代の大きなうねりの中、不安に駆られてなすすべもない私たちにとって、こうして励まし導いてくれる西永さんのようなリーダーの存在は、本当に心強いものです。光ある未来に踏み出すためにあと少しだけ勇気がほしいときは、築地本願寺の門を気軽にくぐり、軽やかな風に吹かれてみましょうか。
【西永 亜紀子(にしなが・あきこ)さん プロフィール】
浄土真宗本願寺派 築地本願寺 教化育成部 教化活性担当
SDGsプロジェクト リーダー
和歌山の浄土真宗本願寺派寺院に生まれ、二十歳で得度し僧侶に。
2018年に超宗派による「SDGsおてらネットワーク」設立に参加。
現在、築地本願寺職員としてSDGs関連の啓発活動に携わる。
【築地本願寺】
東京都中央区築地三丁目にある浄土真宗本願寺派の寺院。東京都内における代表的な寺院の一つで、京都市にある西本願寺の直轄寺院である。本尊は聖徳太子手彫と伝承される阿弥陀如来立像。
・SDGs=Sustainable Development Goalsの略で、「持続可能な開発目標」と訳される国際社会共通の開発指針。
・ジェンダー=「社会的性別」と訳され、性別による役割分担などの概念を指す。
ジェンダーフリーとは、従来型の社会的な「男らしさ/女らしさ」の規範に囚われず、自由な指向性や多様性を尊重する社会モデルのこと。ジェンダー平等とは、性別に関わらず、誰もが機会と権利を有し能力を発揮できる状況を指す。
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築地本願寺 SDGs プロジェクト リーダー
西永亜紀子 さん
歴史的価値の高い荘厳な佇まいが有名な東京・築地本願寺は、誰にでも広く開かれた寺院を目指し、新しい視点による様々な取り組みで注目を集めています。
同寺院の職員で僧侶である西永 亜紀子さんは、より多くの人が仏教への関心と親しみを持てるよう、様々なイベントの企画担当として活躍するほか、近年関心の高まるSDGs(持続可能な開発目標プロジェクトのチームリーダーとして、積極的に情報発信や提言を行っています。
前編である今回は、より開かれた寺院として生まれ変わった「新生・築地本願寺」の見どころとともに、その魅力を発信する西永さんの日常の一端をご紹介します。
●リニューアルがもたらす軽やかな風
左:サンギ本社(5・6階) 右:築地本願寺
ロズリン : サンギ本社は本願寺さんのすぐ向かい側なので、私たちはいつも職場の窓から眺めているんですが、実際に事務所にお邪魔するのはほとんどありません。
本堂正面の敷地内は、最近とてもきれいにリニューアルされましたね。
西永 : 「一見さんが入りにくい雰囲気を払拭しよう」というのが、改装の大きな目的の一つでした。
初めて訪れた方にも気軽にお寄りいただけるよう、カフェや物販、インフォメーションセンターなどを設けて、「誰にでも開かれたお寺」を目指しています。
ロズリン : おしゃれなオープンカフェや芝生のスペースなどがあって、本当に素敵です。思わず写真を撮りたくなってしまうような。
西永 : おかげ様でリニューアルを機に、お立ち寄りくださる方は、海外からの観光客を含めてとても増えているんですよ。
ロズリン : 以前は、地方から見えた信徒さんなどのための宿泊施設もありました。2011年の東日本大震災ときにうちの社員で家に帰れない人が2、3人お世話になりましたよ。
西永 : 本堂向かって右側の建物がそうでしたが、新型コロナウィルス感染症拡大の影響もあって、残念ながら現在は運営終了しています。ちなみに、東日本大震災の際には、本堂向かって左側の「蓮華殿」 という広間を帰宅困難者のために開放していました。
ロズリン : そうなんですか。思えばコロナ禍では、世の中のいろいろな活動が制限や中止の憂き目に遭いましたね……でもこの夏は、恒例の盆踊りが復活して嬉しかったです! 私たちも毎年、窓から拝見していたんですよ。
西永 : 例年の規模まで戻すことはまだ出来ませんでしたし、縮小体制ではありましたが、それでも今年はようやく開催がかないました。特に、近隣の方々が「待ってたよ〜!」と大喜びしてくださって。たくさんの人が楽しみに待っていらしたんだなあ、と嬉しくなりました。
そうした地域の支えは本当に大きくて、築地場外市場からの出店や、踊り手、和太鼓手などで参加された皆さん、今年は気合いの入り方が違っていましたね。
2022年夏 盆踊りの様子
ロズリン : それから何とこちらの本堂には、パイプオルガンもあるんですよね!私も演奏を聴きに行っています。
西永 : はい、月に1回、パイプオルガンのランチタイムコンサートを開催しています。
普段はなかなか機会がない方でも、コンサートなら気軽にお寄りいただけるのではないでしょうか。
感染症拡大をうけて、一時期は配信がメインでしたが、その後ナイトタイムで再開し、現在はランチタイム開催に戻りました。ただ人気の催しなので、会場からご参拝者様があふれることもありまして。
ロズリン : 早めに行かないと席が埋まってしまうんですよね。
パイプオルガン ランチタイムコンサートの様子
●仏教の世界に生を受けて
ロズリン : 西永さんは僧侶ですね。女性でお坊さんというのは、やはり珍しいのですか。
西永 : 実は私と姉、二人とも浄土真宗本願寺派の僧籍を取得しています。僧侶であった父の希望が大きかったということもありますが。私自身は、二十歳で得度してから、大卒後に一般企業およびいくつかの寺院で勤めた後、結婚と離婚、さらに仏教を学び直すなど曲折を経て、ここ築地本願寺とは二度目のご縁をいただいて現在に至ります。
ロズリン : もう一度学ぶ、という決心は大変なことだったでしょう。
西永 : 最初の大学でも仏教は学べたはずなんですが、その頃は遊んじゃって(笑)……姉のほうが真面目で熱心でしたね。そんな姉を見て、さすがに焦りが出てきて「勉強せねば」と。
ちなみに姉は今、和歌山で坊守(ぼうもり)として実家の寺を継いでおります。
ロズリン : 僧侶というと、真っ先に剃髪した頭を思い浮かべます。かの瀬戸内寂聴さんも、女性でありながら頭髪を剃っていましたが。
西永 : 剃髪するかどうかは宗旨によります。浄土真宗においては、男性は得度をする際には剃髪をしますが、普段の生活の際は剃髪していない方もいます。 女性は得度の際も剃髪しなくてもよいのですが、 儀式として、頭に剃刀を三度当てる仕草を行います。
浄土真宗は、たとえて言うなら「普通の生活者」を主役とする宗派なので、「僧侶も、あなた方と同じですよ」というメッセージなのかも知れません。
そのように、他の宗派とは異色なところが多い分、現代人になじみやすい面はありそうです。
ロズリン : 普段、メインで担当されているのはどういった内容のお仕事ですか。
西永 : 基本的にはイベント企画がメインです。
普段のご法事や法要は専門部署の者が担当しますが、毎朝7時からのお勤めには、私たち他部署の職員もシフトで出勤・参拝する決まりになっています。
ロズリン : 西永さんのその装いは素敵ですね。ちょっと変わった制服のようで。
西永 : 今日の装いは簡易的なスタイルで、普通のスーツに上衣を重ねています。
首に掛けているこれは略式の袈裟で、「輪袈裟(わげさ)」と呼ばれるものです。
僧侶の法衣は、袖や裾の丈、袈裟の有無など様々ありまして、法要や仕事の内容のルールに沿って身に着けることになっています。
ロズリン : 手にお持ちのものは、お数珠ですね。
西永 : 私たちは「お念珠(おねんじゅ)」と呼んでいます。
お念珠は、「自分が生きていること」とは即ち、「万物が影響し合った結果、生かされていること」であるとの意味から、「全ては繋がりの縁(えにし)のもとにある」、つまり「縁起」を重んじる心を象徴するアイテムとして、常に携えています。
ロズリン : 珠が連なった輪の形は、そのように深い世界観を表現しているんですね。
●現代人に贈る、仏教によるこころの処方箋
ロズリン : 築地本願寺さんでは、他にもユニークな取り組みがたくさんあると伺いました。
西永 : 浄土真宗を学ぶ「TSUKIJIアカデミー」をはじめとする講座や法話などのプログラムを用意し、初心者から上級者までの幅広い層に対応しています。
また、銀座にある「GINZAサロン」で開催している「KOKOROアカデミー」では、仏教をベースに、宗派を超えた様々な専門家を招いてのセミナーが人気です。
ヨガや音楽、伝統芸能などを通じて、こころの問題から終活に至るまで、多彩なテーマを扱っていますので、ご興味のある方はぜひご検討を。
ロズリン : いずれも、広く地域社会に貢献するアクションとして反響がありそうですね。
西永 : 変わったところでは、お坊さんによる落語や漫才などの演し物、親子を対象に「宇宙とお寺」がテーマのイベントなどもたいへん好評で、仏教に親しんでもらうきっかけとして期待しています。
ロズリン : 仏教は宇宙とも紐づいているんですか。
西永 : 仏教は、教義において宇宙の概念を非常に重視しています。
宇宙の果てしなさは、そのまま広大な浄土のイメージとリンクしている、そんな風に感じられませんか。
後編へ続きます。
【西永 亜紀子(にしなが・あきこ)さん プロフィール】
浄土真宗本願寺派 築地本願寺 教化育成部 教化活性担当
SDGsプロジェクト リーダー
和歌山の浄土真宗本願寺派寺院に生まれ、二十歳で得度し僧侶に。
2018年に超宗派による「SDGsおてらネットワーク」設立に参加。
現在、築地本願寺職員としてSDGs関連の啓発活動に携わる。
【築地本願寺】
東京都中央区築地三丁目にある浄土真宗本願寺派の寺院。東京都内における代表的な寺院の一つで、京都市にある西本願寺の直轄寺院である。本尊は聖徳太子手彫と伝承される阿弥陀如来立像。
・SDGs=Sustainable Development Goalsの略で、「持続可能な開発目標」と訳される国際社会共通の開発指針。
・ジェンダー=「社会的性別」と訳され、性別による役割分担などの概念を指す。
ジェンダーフリーとは、従来型の社会的な「男らしさ/女らしさ」の規範に囚われず、自由な指向性や多様性を尊重する社会モデルのこと。ジェンダー平等とは、性別に関わらず、誰もが機会と権利を有し能力を発揮できる状況を指す。
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いよいよ2023年、新たな1年を迎えました!
年末年始はいかがお過ごしでしたか?
このブログでもお伝えしましたが、今回は3年ぶりにオーストラリアに帰り、
家族で年末年始を迎えることができました。
久しぶりのサマークリスマス。冬のクリスマスも素敵ですが、暖かい年末年始も開放的な気持ちになります。おかげさまですっかりリフレッシュしてきました!
ウィズコロナの日常ではありますが、引き続き健康に注意しながら、できるだけパワフルにがんばっていきたいですね。
さて今年は干支の四番目、卯年です。
動物のウサギのイメージからか、卯年は「飛躍」、「向上」の年と言われるそうで、
サンギもそのような一年となるよう、力を入れたいと思います。
また来年サンギは、創立50周年を迎えます。
周年のイヤーに向け、これから準備を進めてゆきます。春にはアパガードから新商品も出る予定ですので、お楽しみに!
2023年もどうぞ宜しくお願い致します!
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私はこのブログが公開される頃には、オーストラリアでの3年ぶりのサマークリスマスを終え、
新年を迎えるまでの数日を家族とともに静かに過ごしているはずです。
でも不思議なものですね。
2019年末に武漢で新型コロナ感染が発生してから、瞬く間にその感染は世界中に広がり、
ある日突然、当たり前の日常が奪われてしまいました。
多くの方が大切な家族のメンバーや友人を失い、多くの医療従事者の方々が命を救うために奔走しました。
その後、奇跡的なワクチン開発もあって、猛烈な勢いの新型コロナがようやくおさまりかけ、
喜ぶはずだった2022年、また心が痛む事件が発生しました。
2月24日、ロシア軍によるウクライナ侵攻です。
平和な日常を奪われ、家を失い、家族と離れて暮らさなくてはならない方、祖国のために突然戦うことを
強いられた方々がいて毎日のニュース報道を見ていられません。そして今も戦争は続いています。
サンギは国連の団体や現地の取引先を通じて何とか支援をしようとしていますが、できる限りに
そんな多くの方々に、心を寄せつづけたいと思っています。
2023年には、全ての方に平和で、当たり前の幸せな日常が戻ることを願いたいです。
サンギにとっては、おかげさまで今年も良い1年を終えることができ、感謝の気持ちでいっぱいです。
新年もまた新たな商品をお届けしますのでご期待ください!
皆さんもお体を大切に、良い新年をお迎えくださいね。
Wishing you all a Happy New Year!
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皆さん、いかがお過ごしですか。
ロズリンの部屋では、様々な分野で輝いて活躍されている方にお話を伺うとても幸せな時間を過ごして、皆さんにブログをお届けしています。
先日も一般社団法人日本豆腐マイスター協会の広報室マネージャー、工藤詩織さんをお招きしてお話を伺いました。
子どもの頃から豆腐が大好きで、結局豆腐に関わるお仕事をすることになった、情熱溢れる素晴らしい女性です。
工藤さんのインタビューも是非ご覧くださいね!
さて、このほど工藤さんが出された書籍、「まいにち豆腐レシピ」(著者:工藤 詩織、料理:牛尾理恵/池田書店)をご希望の方にプレゼントしたいと思い入手しました!
実は私も豆腐は大好きです。冷奴や湯豆腐などシンプルにいただいても栄養価が高くとってもヘルシーな食材ですよね。
今回のインタビューでは、改めてその奥深さを知りました。
豆腐の歴史やつくり方、世界の豆腐料理、様々なレシピなど豆腐のことがよくわかる内容となっています。
豆腐愛が止まらない工藤さんの情熱が注がれた一冊です!
たくさんのレシピが掲載されているので、皆さんのお料理のレパートリーを増やしてくれるはず。
特に家にとじこもっているこのコロナ禍の中で!
ロズリンの部屋読者の方5名様にプレゼントしたいと思います♪
サンギから発売している「つきじおから茶」のティーバッグ(15包入)も一緒にプレゼントします!
おからを遠赤焙煎で仕上げ、香ばしくすっきりとした味わいです。
国産大豆100%使用。ノンカロリー、ノンカフェイン、大豆イソフラボン入りで、小さなお子さまからお年寄りまで、また妊娠中や授乳中の女性にも安心してお飲みいただけます。
ゆっくりおから茶を飲みながら、「まいにち豆腐レシピ」で“読書の秋” はいかがでしょう。
“食欲の秋”かも知れませんね (笑)。
■ご応募
締め切り:2022年10月26日(水)17時まで
書籍プレゼントは締切ました。
たくさんのご応募ありがとうございました。
■工藤さんインタビューはこちらから
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お豆腐の魅力を伝えていきたい
一般社団法人 日本豆腐マイスター協会
広報室/マネージャー 工藤 詩織 さん
日本豆腐マイスター協会の工藤詩織さんは、身近な伝統食「豆腐」の魅力と可能性を様々な視点から捉え直し広報担当として幅広い層に向けた情報発信を行っています。今回は、豆腐マイスターの活動で見えてきた、豆腐を取り巻く環境と未来の展望、そして豆腐の尽きない魅力と可能性について語っていただきます。
●江戸のベストセラーは豆腐料理のレシピ本
ロズリン : 豆腐はとても歴史の長い食材だと聞きますが。
工藤 : もともとは紀元前2世紀頃の中国発祥で、奈良時代の遣唐使が日本に製法を持ち帰ったとされています。長く精進料理として一部の人々の間で食されていましたが、江戸時代になって出版された豆腐料理のレシピ本『豆腐百珍』(1782年)が話題を呼び、一気に庶民に広まったそうです。
ロズリン : そんな頃から熱心に研究されていたとは!
工藤 : 当時は変幻自在な食材と謳われて、続編、続々編も出版されるほどの人気だったとか。
ロズリン : つまり、アレンジの自由度が高い食材だということを証明してみせたわけですね。
工藤 : ところで、豆腐は身近な食材でありながら、一般的なメニューとなると意外に少ないと思いませんか?
ロズリン : 言われてみれば、確かにそんな気がします。
工藤 : 冷や奴や湯豆腐だけでなく、イタリアン、フレンチ、薬膳など、プロの手で日々新しい豆腐レシピが開発されています。
また、硬さや食感、保存のための加工方法、形状などに、土地ごとの個性があふれる豆腐は、それぞれが立派な食文化を形成していると言っても過言ではありません。
原料の大豆だけでも種類は様々ですし、産地によって名称や味、香りなど実にバラエティ豊かです。豆腐の豊かな魅力に触れ、知識を深めると、当たり前に食べていたお豆腐料理がさらに美味しく感じられると思いますよ。
ロズリン : 今では常温で長期保存が可能な製品など、豆腐もずいぶん進化していますね。
工藤 : 日本はかつて、法律で豆腐を冷蔵品のみに限定していたため、長期保存可能な紙パック入りの「無菌充てん豆腐」は海外で先に普及しました。ところが、自然災害への備えが喫緊の課題になっている昨今、豆腐の規格基準や表示基準が改正され、国内で豆腐の常温流通・販売が可能となりました。良質なたんぱく質である豆腐は日常生活でも取り入れられつつ災害時の備蓄品としても有用で、いわゆる「ローリングストック」としての需要が期待されています。
ロズリン : それもまた、豆腐の隠れたポテンシャルの一端なのでしょうね。
●伝統文化もメディア戦略の時代
ロズリン : コロナ禍では、行動制限などでご苦労もありましたか?
工藤 : そうですね。でも遠くに行けない代わりに書く仕事が増えまして、2020年に書籍『まいにち豆腐レシピ』を上梓いたしました。
誰でも楽しく読めて、豆腐の知識と豆腐料理の基本が身につく2部構成になっています。
豆腐の歴史から、原料や種類の知識、メニュー紹介のほか、豆腐店での現場写真と併せた解説など、昔ながらの製法の紹介にも力を入れました。豆腐レシピのページは、料理研究家の牛尾理恵先生が担当されています。
書籍『まいにち豆腐レシピ』(池田書店、160頁・税込1,320円)
ロズリン : テレビなど、マスメディアでの広報活動も増えているそうですね。楽しいでしょう?
工藤 : いえいえ全然!人前で話すのは苦手なんです!!
豆腐マイスターとしてテレビやラジオ出演の機会は増えましたが、自分が出ているシーンを見るのが恥ずかしいです。でも企画や収録自体は楽しいですし、反響があると本当に嬉しいです。
ロズリン : 相手に伝わるというのは、ありがたいことですよね。
工藤 : 本当にそうですね。ラジオ番組をきっかけに豆腐に興味を持ちました、と聞けば、やりがいにつながります。
ロズリン : お仕事以外の、オフの時間はどんな風にお過ごしですか。
工藤 : 器が好きなので、最近は陶芸教室に通っています。これは祖母の影響が大きいですね。2年前に他界しましたが、とても多趣味な人で、90歳になってからもパソコンでYouTubeの動画を観て楽しんでいました。その祖母が遺した器の作品がたくさんあって、よし私が引き継いでいこう、と。
他には、知り合いの農家さんのところで農作業をするとか。スポーツジムより、私はこうして外で身体を動かすほうが合っているんですよね。
●新時代に漕ぎ出す、豆腐文化の伝道師
ロズリン : では、これからやってみたいこと、今後のご計画などを。
工藤 : 現在は協会の広報活動や座学講師を務めながらも、フリーランスとして執筆やイベント企画やコーディネート業などをしています。コロナ禍の影響を受け、外食業界の在り方はずいぶん変わったと思いますが、たとえば、「美味しいお豆腐を探している」という本物志向の飲食店さんは少なくありません。ですので、今後はそうしたこだわりのあるプロのニーズを満たす橋渡し役になれたら、とも考えています。
全国の豆腐製造者数は、2015年の約8,000軒が、2021年には約5,300軒に減少しています。
大きな理由としては、店主の高齢化、そして後継者がいないことなどです。長く家族経営で続けてきても、変化の大きい現代社会にあっては、若い世代が家業を継がないケースが増えても仕方のない面はあるでしょう。
ロズリン : 職業の選択肢が増えましたからね。
工藤 : また一方で、いわゆる町のお豆腐屋さんって、何となく入りにくいように感じる部分、ありません?
ロズリン : 確かにあの独特な雰囲気に、抵抗を感じる人もいそうです。
工藤 : 地域のお店がもっと気軽に足を運べる場所になるよう、コミュニケーションを通じて連携していけば、きっと何かが変わってくると思うんです。また、新しい時代には新しい形の豆腐屋さんがあってもいいし、親子代々に限定せず、女性でも外国人でも、熱意のある人が自由に参入できるしくみが作れないものか、とも感じています。
ロズリン : 最近ブームのクラフトビールのように、お豆腐の業界にも多様で自由な新風が吹いてほしいものですね。
工藤 : 実際に、豆腐づくりに関心のある若い人はたくさんいるので、ここでしか買えない豆腐や、たくさんの種類から選べるといった付加価値が生まれる素地も十分にある。新しい価値を育むために伝統のバトンを渡す、そのサポートをしていきたいです。
お豆腐と聞いて「懐かしい!」なんて言われるのは淋しいし、残念。まだまだ知られていない部分がたくさんあるユニークな食材なのに、過去のものにしておくのはとてももったいないことだと思います。探求するほどに新しい表情を見せてくれる、そんな豆腐の研究と情報発信をこれからも続けていくつもりです。
〔ロズリン インタビューを終えて〕
日本の豆腐文化は、思っていたよりずっと深く豊かなものであること、それにも増して深く大きな工藤さんの豆腐愛に、今日は胸を打たれっぱなしでした。伝統を守りつつ、新しく変化を遂げていくお豆腐料理に大きな可能性を感じます。今後が本当に楽しみです!インタビューを終えてなんだかお豆腐が食べたくなり、今日の夕食はお豆腐料理に決まりです。(笑)
【工藤 詩織(くどう しおり)さんプロフィール】
一般社団法人日本豆腐マイスター協会 広報室/マネージャー
町のお豆腐屋さんを残すため、食文化としての〈豆腐〉の研究およびイベントプロデュース等の情報発信活動を行う。豆腐マイスター認定座学講師も務める。
【一般社団法人日本豆腐マイスター協会】
「豆腐を通じて豊かな食を未来に継承すること」
豆腐という食材の伝統や文化を伝えるとともに、新たな価値や食べ方を創造し、豆腐を通じて食の価値を伝えるコミュニティ。このコミュニティを食の価値を伝えるインフラとして、国内、そして世界に広め人々が健康で豊かに暮らせる社会の実現を目指す。
]]>お豆腐の魅力を伝えていきたい
一般社団法人 日本豆腐マイスター協会
広報室/マネージャー 工藤 詩織 さん
日本の食卓の常連とも呼びたい、美味しいお豆腐。
冷や奴、湯豆腐、麻婆豆腐、みそ汁の具……おなじみの定番メニューはすぐ思いつくけれど、意外にレシピが少ない食材、そんな風に思っていませんか? 実はこのお豆腐、長い歴史と同じくらいに、計り知れない未知のポテンシャルを秘めた奇跡の食材だったのです!
日本豆腐マイスター協会の工藤詩織さんは、豆腐の魅力と可能性を様々な視点から捉え直し、広報担当として幅広い層に向けた情報発信を積極的に行っています。今回は、豆腐の世界に踏み出すきっかけと、豆腐マイスターの活動理念について伺いました。
●毎日の主食? が人生のソウルフードに
ロズリン : お豆腐の専門家、豆腐マイスターとしてご活躍の工藤さん。人生で最初の豆腐との出会いについて、まずはお聞かせいただけますか。
工藤 : 「お豆腐が好きだな」と自覚したのは、小学2年生の頃でしょうか…。実は私、お恥ずかしい話ですが、食べ物の好き嫌いがものすごく激しくて、白いご飯が苦手で。子どもがよく「にんじんダメ、ピーマン嫌い!」っていうのと同じですね。親はちょっと困っていたでしょうが。そこで、ご飯の代わりにお豆腐を食べることにしたんです。毎日のお弁当にも、ご飯の代わりに、おからをだし汁で煮た卯の花(うのはな)を詰めていました。
ロズリン : えっ、ご飯ではなく?
工藤 : はい、私のお弁当は基本、おからでした。
ロズリン : つまり、豆乳を絞ったあとのおからはOKだったということ?
工藤 : はい。小学生の頃、父が毎朝近所の豆腐店に出来たての豆乳やおからを買いに行ってくれて、その搾りたての美味しさを知ったことで、大豆ファンになったのかも知れません。ゆくゆくその方面に携わるとは思ってもみませんでしたが、偏食だったおかげで他の人より豆腐をたくさん食べて育ったのは確かですね。
●ワールドワイドな豆腐文化
ロズリン : では、今のようにお豆腐をキャリアにするまでの道は?
工藤 : 出身は群馬県の前橋市で、上京したのは18歳のときです。ずっと海外に憧れていたので、19歳から20歳にかけてアイルランドのダブリンに7ヵ月間、留学もしました。
ロズリン : ダブリンは私も行ったことがあります。とてもきれいな所ですよね。
工藤 : ええ、一日の中に四季の移ろいがあるとも言われるほど天気の変化が激しいですが、中心街から少し移動すれば大自然や海が広がる美しい国です。そして現地の皆さんはとてもフレンドリーで心温かかったです。
ロズリン : 異国の文化の違いに触れてみて、いかがでしたか?
工藤 : 異文化と接して、たくさん学べたことは素晴らしい体験だったと思います。
でも衝撃だったのは、現地で日本語を学ぶ人が多かったこと!ここで日本語を勉強する人が、こんなにたくさんいるなんて!と驚きました。
ロズリン : 現地に行ってみないと分からないことですよね。
工藤 : 帰国後は大学の日本語クラスでアシスタントをしながら、プライベートでも国籍や人種の様々な留学生と交流する中で、あるとき一緒にお豆腐を食べる機会があり、このときの経験がその後の方向を決めたと今は思います。
ロズリン : お豆腐をはじめ、豆乳などの大豆製品は海外でもポピュラーになりましたね。ただ、普及の背景は日本とはちょっと違うようですが。
工藤 : そうですね。食文化そのものの違いはもちろん、環境面や健康面への配慮のほうに重きが置かれるなど、事情や意識がだいぶ違います。でも留学当時の10年ほど前は何もなくて、日本からわざわざ乾燥おからパウダーを送ってもらったりしました。それほど、お豆腐が恋しかったんですよね。だから、将来海外に行ってもこんな風にお豆腐が食べられないのはイヤだなあ、とも悩んで。
ロズリン : もうすでに、お豆腐の世界から呼ばれていたんですね。
工藤 : 日本語教師を目指す傍らで、お豆腐を通じてもっとたくさんの人と交流したい思いが募って、そこから本格的に勉強を始めました。
海外活動 タイでのワークショップ(写真右から3番目が工藤さん)
●意外に高い、豆腐作りへの潜在ニーズ
ロズリン : 大変な熱意と行動力ですね。実際にはどんなことを?
工藤 : 長野県や山梨県の大豆農家を訪ね、農作業を体験したり、各地の市場や直売所へ出かけて地域限定の大豆を集めるなど、まずは基本の原料となる大豆について学びました。
大豆畑農作業
ロズリン : 豆腐作りが一から学べる学校、というのはあまり聞きませんものね。
工藤 : 学べる場があるといいんですが…。寿司もパンも専門学校があるのに、豆腐については残念ながらまだそこには至っていません。最近は海外にも豆腐を作る人がいたり、日本で修業したい人も増えているなどせっかくの追い風なんですが。
ロズリン : 豆腐を海外に広めるには、寿司のように“こうあるべき”という定義、規格が必要なようにも思います。
工藤 : その通りです。豆腐の定義については目下検討の最中ですが、大手食品メーカーと豆腐職人とではノウハウが異なり、土地ごとの個性もあるので、すり合わせが難しくて…。でも、豆腐文化を正しい形で広めていくには、避けては通れないポイントかもしれません。
●〈豆腐マイスター〉が担う次世代への使命
ロズリン : 豆腐マイスターとは、まだ耳慣れない印象の肩書ですが、どういった制度ですか。
工藤 : 日本豆腐マイスター協会は、豆腐という素晴らしい食文化を広く伝えて未来に継承していくこと、さらにその発信者となる食育の担い手の育成を目的とした団体です。当時大学院1年だった私は、資格取得後、代表とともに豆腐マイスターの普及と業界活性化活動に専念しようと退学を決めました。
ロズリン : 町からお豆腐屋さんが減っていく中で活動する意義とは?
工藤 : 職人が豆腐を作る姿を見る機会がなくなってしまうと、豆腐の作り方をよく知らない人が増えていくことになります。その危機感が、協会設立を後押しする力になったのだと思います。
一方で、長いこと価格が安く据え置かれ、豆腐を取り巻く環境は厳しさを増しているのが実状なので、豆腐の真の価値を理解する人材育成が急がれているというわけです。ボランティアでも、たとえば子どもたちに向けて「手作り豆腐教室」を開くなどの小さな一歩から、私たちの活動は始まりました。
ロズリン : 豆腐マイスターとして豆腐の魅力を伝えることを仕事にしているのは、工藤さんが初めてですか?
工藤 : 当時、資格認定講座を受け持っていたのは代表と私を含め数名の講師陣でした。全てが新しいチャレンジでした。マイスター資格認定制度が広がるにつれて、私も座学講師として北海道から沖縄まで巡るなど、活動範囲も拡大していって。香港で、現地在住の日本人の方を対象に講義したこともあります。
ちなみに講座では全国の料理講師の先生方とタッグを組み、料理レッスンをご担当いただいています。
ロズリン : まさに大活躍ですね。今、有資格者はどのくらいの人数に?
工藤 : 現在のところ、当協会の認定豆腐マイスターは約3,500名となっています。
子どもたちや親子向けの食育や豆腐メニューの料理教室、イベントの企画実施などで、伝統食としての豆腐の紹介にとどまらない、新しい価値創造に向けて努力中です。
後編へ続きます。
【工藤 詩織(くどう しおり)さんプロフィール】
一般社団法人日本豆腐マイスター協会 広報室/マネージャー
町のお豆腐屋さんを残すため、食文化としての〈豆腐〉の研究およびイベントプロデュース等の情報発信活動を行う。豆腐マイスター認定座学講師も務める。
【一般社団法人日本豆腐マイスター協会】
「豆腐を通じて豊かな食を未来に継承すること」
豆腐という食材の伝統や文化を伝えるとともに、新たな価値や食べ方を創造し、豆腐を通じて食の価値を伝えるコミュニティ。このコミュニティを食の価値を伝えるインフラとして、国内、そして世界に広め人々が健康で豊かに暮らせる社会の実現を目指す。
]]>好きなことを諦めずに続けてきたからこそ、わかったこと。
陶芸家 木村恭介さん
アマチュアの陶芸家として、長年創作活動を続けている木村恭介さん。このたび、ご自身2回目の展示会を銀座のギャラリー長谷川で行いました。実は木村さんは、医療・介護用ベッドのメーカーであるパラマウントベッドホールディングス(株)という上場企業の社長を長年務めてきて、現在は代表取締役会長として活動されています。超多忙な経営者でありながら、長年陶芸の世界にも夢中だったことや、陶芸の魅力についてさまざまなことを伺いました。
●長い待機時間を経て、窯をあけるときめきの瞬間。そこには予期せぬものが。
ロズリン : 今回の展示会は2度目で、最初は2年前でしたね。自らの作品を展示したいと思ったきっかけは?
木村 : 一番大きいのは、社長を退いたことですかね。さすがに社長の時に個人的な趣味の展示会はまずいかなと(笑)。
一昨年退いたので、いいかなと思ったわけです。こちらのギャラリーのオーナーの方とは父の代からつきあいが深く、別件で、うちの会社にいらした時に、僕の器が飾ってあるのを見て「これなに?誰かのコレクションしてるの?」と聞かれたので「僕のだよ」と言ったんです。そこから始まりました。
ロズリン : ギャラリーのオーナーである長谷川さんが、あったかみがあって、いやみがなくて、おもしろいと感じたと仰ってましたよ。ご自身の作品を人にあげるようになったり、手ごたえを感じ始めたのはいつですか?
木村 : 始めて10年から15年たった頃でしょうか。人に差し上げるようになりました。
失敗したのでいいからちょうだい、とか言われることがありますが、逆に失敗したものは、絶対にあげられません。差し上げた先で、「これ木村が作ったんだよ」と人に見せて、「なんだよこれ」と思われたら困りますから(笑)。
なので失敗したものは、うちにたくさんあるんですよ。その前に窯で割ってしまうのもありますけど。
10年前から毎年、花器に花を生けたものを撮影したカレンダーを会社で作っているんです。月ごとに違う花と花器で、全て僕の作品なんです。これがなかなか評判良くて、うちのお客様に多い看護師さんの間で特に人気があるようです。
ロズリン : 和装のカレンダーになっていて、本当に素敵ですね。
木村 : 僕の花器は、野花をさすことにすごく向いていると思います。
ロズリン : 初回も今回も、出展したものはほとんど売れていますね。私も後で、入口に飾られていた花器を買わせていただきたいです。手放したくないものはありませんか?
木村 : あるんですが、ギャラリーの方からはどんどん手放したほうがいいと言われています。そもそも焼き物は、同じものが作りたいと思って、まったく同じ材料、同じ形、同じ焼き時間と全てを同じ条件で作っても、2度と同じものは焼けないんです。
ロズリン : 火や土の自然の仕事の部分が加わるからですね。絵と違って、自分ではコントロールできない部分があるから、陶芸家の方は作品にどこか客観的な目線を持ち、謙虚だというお話を聞いたことがあります。
木村 : 僕の場合、週末に九十九里でちょこちょこ作って、40個ぐらいたまったら、夏休みや長期の連休などに窯に入れて焼くんですね。27時間ぐらい焼き、その後冷めるのに50時間ぐらいかかる。その時間を待ち、窯をあけるときはやはりドキドキの瞬間です。中に入ると、失敗してるものがあると思えばものすごくいいものもある。予期しないようなものが出てくることが、本当に楽しいです。
ロズリン : うちの主人の好きな言葉に、“失敗は成功のもと”というのがありますが、そういう感じですか?
木村 : そうですね。失敗したものを手元においておかないと、また同じ失敗をしてしまいますのでたくさん置いています。
ロズリン:そのほかに、たとえば失敗だと思ったら、それは次のステップに進むヒントだったりすることもあるのでは?仕事でもなんでも、作った本人は失敗だと思っていても、別の人がみたら、すばらしい、ということがありますよね。
木村 : そうですね。僕はこれがいいと思うと、ほかの人は「むしろこれがいいんじゃない?」と別のものを選ぶ。人によって見る目は全く変わりますね。
●仕事とは異次元の集中する時間を持てた
ロズリン : どんなものを焼こうというアイディアはいつも頭にあるんですか?
木村 : 常にこういうものを作りたいという形や色は頭にありながら作っていますが、その通りにはならない。それでもそういうものを作りたいと思って、常に挑戦しています。
アイデアはどこで出るかわからないので、いつもスケッチブックを持ち歩いています。新幹線の中で書き留めることもあるし、たとえばベトナム出張の時に、天井のシャンデリアの形がすごく面白いと思って、その形をスケッチしたり。植物園で樹木を観たりとか。僕は木の生え方に興味があるんですよ。あとジャワ更紗の花模様をスケッチしたり、エスニックなデザインも好きなんですよね。
ロズリン : 意欲的ですね。今回の展示会の案内のお葉書にもうつっていた、トルコブルーの色の入った「黒金彩流し青茶碗」も、すごくユニークでどっしりとしていて素敵です。
木村 : はい。この茶碗は土そのものの色に、トルコブルーの釉薬を使って、ふちに金泥を流しています。いくつか展示していますが、さっきの話のように、同じものを同じように作っても、やはり同じ形にはならず、微妙にみんな違います。
実は抹茶茶椀は、名人の方たちがたくさんすばらしいものを作っているので、僕たちみたいなアマチュアはあまり作らないんです。今回初めて憧れだった茶碗に、いろいろ挑戦してみたのですが、名人の方たちと同じやり方で作ってもしょうがないので、何かオリジナリティーがでる作品をと、ずっと考えていたんです。そうしたらおもしろいものができました。織部や備前、いろいろな技法も使っています。
ロズリン : 本当にユニークなものがたくさんありますね。自分の表現に挑戦するというのは、好き嫌いを超えて人に伝わると思います。このブルーがかった茶碗は、ギャラリーのオーナー長谷川さんが、木村さんのターニングポイントになるような作品だと仰っていました。この先にもっとはじけるものがでてくることを予感させるようだと。
木村 : それはうれしいですね。今回の展示も、ギャラリーにご縁がある、いろんな先生方も見に来られ、「すばらしいですね」とおっしゃってくださるので、「どこがでしょう?」と恐るおそる聞いてみたんですね。
すると、「自由奔放に楽しんで作っている気持ちが作品にでている」と。そういう見方もあるんだなぁと思いました。先生方のほうが制作がつらいのかな、とも(笑)。
ロズリン : 名人は、それまでのスタイルや期待されるものに縛られるのかもしれませんね。
木村さんがこれだけ夢中になって陶芸を続けてきた一番大きな理由はなんですか?
木村 : 陶芸に集中することによって、仕事とは全く異次元の時間を持てたことが大きいと思います。時々、九十九里まで車でいく時「なんでこんな遠くに工房を作っちゃったんだろう」とも思うこともありますが(笑)。やっぱり代えがたい時間を過ごしています。
ロズリン : 今後、どんな作品を作りたいですか?
木村 : いろいろアイディアは胸にあります。前回もそうでしたが、展示会で様々なことを言ってもらえたことが、ヒントになりますし。すごく刺激になっています。
ロズリン : 今日はとても元気をいただけるような素敵なお話をたくさん聞かせていただき、本当にありがとうございました。
展示会で購入した花器
[ロズリン インタビューを終えて]
ふと主人のデスクの上に置かれた、展示会のお知らせ。
見てみると、そこには美しい茶碗が写っています。あたたかみのある個性豊かなデザインに心惹かれ、ぜひ観に行きたい、可能なら作者の方にお話を聞きたい!と思ったのが木村さんとの出会いです。そうしたらなんと、陶芸家の傍ら、社長を長くお勤めされていたとは。
快くインタビューをお受けいただき、気さくにお話いただき感謝です。
多忙な会社経営者に打ち込む一方、休日には陶芸に夢中になられてきた。そのクリエイティブで濃密な時間が、会社の業績と大きな社会貢献を裏付けた秘密なのかもしれません。社長業を引退し、陶芸家として、今後さらにユニークな作品を創作する木村さんのご活躍が楽しみです。今回は展示会の後半に行きましたが、次回はもっとはやく行っていろいろな作品から選んで購入したいです。
【陶芸家 木村恭介さん プロフィール】
東京都出身。1979年、パラマウントベッド(株)入社。創業家の一員として経営に携わる。1987年常務取締役、1997年専務取締役に就任。会社経営の傍ら2001年より独学で陶芸を開始。千葉 九十九里に築窯。2009年〜2020年3月末まで代表取締役社長を務める。2020年4月より代表取締役会長。2020年、2022年にギャラリー長谷川にて個展を開催。
]]>好きなことを諦めずに続けてきたからこそ、わかったこと。
陶芸家 木村恭介さん
アマチュアの陶芸家として、長年創作活動を続けている木村恭介さん。このたび、ご自身2回目の展示会を銀座のギャラリー長谷川で行いました。実は木村さんは、医療・介護用ベッドのメーカーであるパラマウントベッドホールディングス(株)という上場企業の社長を長年務めてきて、現在は代表取締役会長として活動されています。超多忙な経営者でありながら、長年陶芸の世界にも夢中だったことや、陶芸の魅力についてさまざまなことを伺いました。
●陶芸家のもうひとつの顔は、
日本初の医療専門ベッドのメーカー、パラマウントベッドの経営者
ロズリン : このたびは、2回目の展示会、おめでとうございます。本当にすばらしい作品ばかりで、展示してある作品のほとんどが売約済みですね。
木村 : ありがとうございます。
ロズリン : 実は私のいとこがオーストラリアで画家をしているんですが、まだ生活が厳しかった頃、夫が応援の意味で、作品をまとめて数十点購入したことがありまして。
その作品を日本で展示しようという時、今回のギャラリー長谷川のオーナーに大変お世話になり、そのご縁から、展示会のお知らせをよくいただきます。木村さんの展示会のハガキを拝見したら、木村さんの本業を知らずに純粋に作品にひかれ、ぜひこの方にお話を聞いてみたいと思ったんです。
パラマウントベッドの会長だと分かったときに、そんな地位のある方に取材を申し込んでいいのか、正直迷いました。このたびはお受けいただき、本当にありがとうございます。
木村 : いやいや(笑)、こちらこそありがとうございます。
ロズリン : パラマウントベッドは、お名前はもちろん知っていましたが、今回サイトを拝見して、介護や医療ベッドを専門的に作り、医療や福祉に貢献するすばらしい企業だと初めてわかりました。創業者はお父さまですよね?
木村 : はい。今年で創業75周年となります。父は代々続いた酒屋の息子で、6代目でしたが、戦争で全部焼けてしまい、廃業したんです。サラリーマンになり、戦後の焼け野原を歩いていた時に、戦時中に軍に供出されたベッドが放置されているのを見たんですね。それを見ているうちに、見様見真似で作り始めたそうです。ちょうど母の実家が鉄工場だったので、そこで作り始めたんですね。
ロズリン : なかなか大胆ですね。でも医療用ベッドのニーズはまちがいなくあった。日本で医療用ベッドを初めて作った会社ですね?
木村 : 本格的には初めてです。
ロズリン : 息子さんからみて、お父さまはどんな方でしたか?
木村 : 仕事仕事仕事で、あまり遊んでもらった記憶がありません。(笑)
ロズリン : 木村さんが2代目ですね。小さい頃から、お父さんの会社に入ることは決まっていたのですか?
木村 : いや、うちは男ばかりの3兄弟で、2代目は兄で、僕は真ん中で3代目です。それで、最近僕も社長を退いて、兄の長男に譲り、会長となっています。
最初、商社に就職し、28歳でパラマウントベッドに入り、現在72歳ですが、ずっとこの仕事を続けてきました。
ロズリン : 家業を継ぐことについて、若い頃反抗心などなかったんですか?
木村 : なかったですね。自然に、自分の宿命だと受け入れていました。
ロズリン : 木村さんは、社長時代に医療用センサー付きベッドの開発にかかわって、大成功させたと伺っています。
木村 : はい。寝ている人のマットレス越しに伝わる呼吸や心拍、寝返りなどの頻度と強度から独自の「活動量」を算出します。ナースステーションなどに情報伝達し、患者さんの状態はもちろん、もしベッドから落ちたなどというときもすぐわかるんです。15年ほど開発研究を行い、4年前ぐらいからすごく売れるようになりました。常に介護者と、被介護者のQOLの向上に貢献できるようにがんばっています。
●自己流で続けてきた陶芸
多忙な社長業の傍ら、週末に九十九里の工房へ通い続けた
ロズリン : 経営者としてもクリエイティブで、すばらしい業績をあげながら、こんなにも素敵な陶芸の作品を作っておられて、そもそも陶芸を始めたきっかけや時期は?
木村 : もともと子供の頃から絵を描くのが好きでして。焼き物を始めたのは2001年からなので、約20年になりますね。それまではコレクターみたいに、お酒のとっくりやぐい呑みを集め、それで飲んでいたんですが、やはり自分で作ってみたくなりました。陶芸をやっていた大学の友人に頼み、1年ぐらい土を触らせてもらったり、ろくろも使わせてもらったりしたんですね。でも、彼のうちが遠くて、通うのが大変だったので、自分で窯を作って始めた方がいいかなと。
ロズリン : 会社の経営もお忙しい中、時間を作るのは大変ですものね。
木村 : はい。でも、焼き物は焼いている間、真黒な煙が出るので、自宅のある都内はだめだと、自社工場の近くである九十九里に工房を作ったんです。
それで週末やゴールデンウィークなどの長期休暇に、工場に行った帰りも含め、車で通うようになりました。
ロズリン : すごいですね。そのときからは自己流ですか?
木村 : はい、土から自分で産地に選びに行き、試行錯誤していきました。僕の作品の土は、信楽のものを使っています。陶芸の有名な産地の三重県のものですが、土の店があるので、自分で使いやすい土が見つかるまで何度も何度も通っては使ってみて、今では自分好みの2つの土に決め、電話一本で取り寄せられるようになりました。
ロズリン : そうなんですね。陶芸ではやはり土は大事なんでしょうね。
木村 : 命ですね。陶芸では、1が土、2が色、3が形といいまして、とにかく土が一番大事なんです。だから、いい土は名人が手放さないので、僕のようなアマチュアにはなかなかまわってこないんですよ。
ロズリン : そういうものなんですね。そこからどんな風に学んだんですか?
木村 : 仕事の合間にたくさん本を読み、信楽の協同組合に教わったり、いろんな先生の工房に見に行って教わったりして、習練してきました。
ロズリン : それで現在のような腕前になったのは、本当すばらしいですね。
長年社長としてものすごく多忙だったと思いますがその中で陶芸を続けてこられたのは、やはり、楽しいからですか?
木村 : そうですね。すごく集中できます。九十九里の工房で朝から始めて、お昼にしようかと思って時計を見ると、もう夕方になっていたりしますね。
ロズリン : 経営業務との心のバランスがよさそうですね。
木村 : そうです。社長時代は業績が良かったので、趣味に没頭する時間も持てましたが、もし業績が悪かったら、休みにやっているとはいえ、何を言われたか(笑)。
ロズリン : リラックスできる時間、そしてクリエイティブな時間が経営者としての活動にいい影響を与え、業績にも結び付いたんでしょうね。後半ではさらに作品作りや、心の変化について伺います!
後編へ続きます。
【陶芸家 木村恭介さん プロフィール】
東京都出身。1979年、パラマウントベッド(株)入社。創業家の一員として経営に携わる。1987年常務取締役、1997年専務取締役に就任。会社経営の傍ら2001年より独学で陶芸を開始。千葉 九十九里に築窯。2009年〜2020年3月末まで代表取締役社長を務める。2020年4月より代表取締役会長。2020年、2022年にギャラリー長谷川にて個展を開催。
]]>知られざる名曲の演奏で、新たな発見、素晴らしい出会いを提供し続けたい
チェロ奏者・指揮者 中田鉄平さん
サンギが長年スポンサーを行っているオーケストラ、東京シンフォニア。奏者の方をこれまで幾人もご紹介していますが、このたびは、チェロ奏者にして、指揮者としてコンサートでも出演する中田鉄平さんにお越しいただきました。どのようにして音楽の道に進み、音楽を深めてきたか。さまざまなことを伺いました。
●有名曲より、知らない名曲を演奏する!?東京シンフォニア
東京シンフォニアコンサートの様子
ロズリン : 東京シンフォニアに入ってみての印象はいかがでしたか?
中田 : そうですね。僕は友人の紹介で入ったのですが、設立者で指揮者のロバートさんの美しい音を追い求める個性が強いのと、彼を中心にした家族的なムードのオーケストラだと思いました。
ロズリン : ロバートはほかのオーケストラと違って、みんなに知られている曲ではなく、有名な作曲家の曲でも、ほとんど知られていない曲をよくコンサートで選びますよね。アカデミックな試みだと思いますが、それは演奏家にとっては、相当なチャレンジではありませんか?
中田 : こんな曲があったのか!というぐらい知らない曲のセレクトですね。ロバートさんは、有名な曲は他の場所でも聞けるので、東京シンフォニアではあまり知られていない名曲を選曲しています。将来のクラシックの楽しみを増やすというか、できるだけ多くの方、また子供たちにこんな素晴らしい曲もあるんだ、と新しい発見や知らない音楽に触れるきっかけになればいいのかなと思います。
コンサート練習風景 写真左:中田鉄平さん 写真右:ロバート・ライカ―氏
ロズリン : オーケストラの中で演奏するとき、どんなときに緊張しますか?
中田 : 基本すべて緊張しますが(笑)、やはりソロで演奏するときですね。ピアノの方と二人で合わせたときもすごく緊張しました。いろんなときがあるのですが、ずっと緊張して、雑念が多くても、弾き始めたら演奏に夢中になるときがあります。
ロズリン : 最高ですね。
中田 : 夢中になりながらも、どこか冷静になっていると、あとで演奏を聴いたときにいい演奏だと感じることができます。逆に熱く弾いたつもりだったのに、あとで録音を聴くと思った音色とは違っていたり。緊張感の中に冷静な部分は必要ですね。
ロズリン : そうなんですね。中田さんは2年前から指揮もされていると思いますが、勉強を始めたきっかけは何ですか。
中田 : 僕はオーケストラの活動のほかに、個人レッスンや小中学校の吹奏楽部やオーケストラの練習を見ているのですが、指揮を学んだら、もっと子供たちにポイントを押さえた指導ができるのではないか、そのためには実際に指揮をしてみたらいいのかもしれないと思っていました。
ロズリン : ロバートも若い世代の指揮者の育成に興味がありますよね。
中田 : はい。何年も前から育成しようとしていたようですが、ここ数年のコロナ禍で募集をかけても難しくて。一方僕は指揮に興味があったのですが、シンフォニアではチェロを弾いているので、両立させるのは難しいのではないかと、なかなか言い出せなかったんです。なので逆にコロナ禍で外部から人を集めるのが難しい時期だったのが、いいタイミングかもしれないと申し出ることができました。
ロズリン : やってみたらどうでした?
中田 : 小中学校の学生をいつも見ているのと違い、プロのオーケストラはなんとすごいのかと(笑)。また、プロの指揮者であっても、なかなかオーケストラの指揮を舞台でする機会は少ないので、自分がそのチャンスをいただけているのは本当に恵まれていると思いました。
●指揮者によって演奏の色が変わるおもしろさ
毎回コンサートにご来場いただく観客の皆様と共に。
ロズリン : どんなことを意識して指揮をしていますか?
中田 : 聞いてくれる人が、わかりやすく、音楽を受けとりやすいようにしています。明るいところは、思い切り明るく!といったようにですね。
たとえばロバートさんは、いろんな国の音楽の経験や勉強をつんで、しっかりと自分の中に決まりを持ったうえで、曲を理解して演奏者に伝えます。しかし僕はどうしても演奏者目線で指揮をふってしまいます。
もちろん、曲の時代背景やそのストーリーは勉強しますが、楽譜から感じるものが大きい。ロバートさんのように自由に振れるようになったらいいなと思いますね。
ロズリン : 同じオーケストラでも、指揮者が違うと音が全然変わります。指揮者はとても重要ですよね。
中田 : そうですね。東京シンフォニアでもロバートさんが指揮をするのと僕では、「音が違う」といわれます。ロバートさんが求める音は、とても美しくまろやかなもので、アドバイスも個性的なんです。演奏者として、それはすごく実感しています。
たとえば、ほかのオーケストラでは通常、チェロを弓元で跳ねるように弾くところを、ロバートさんは、弓先で跳ねないように弾くよう指導されたり。なかなか驚きでしたね。
ロズリン : おもしろいですね。中田さんにとって、オーケストラで演奏したり、指揮したりすることの魅力ってどういうところにありますか?
中田 : 大変なことの方が多いですが、終わった時の解放感かな。また弾いている時に、ほかの奏者との化学反応がものすごい響きになるときがあり、演奏しながら感動的に音が調和している、と思う時は、本当に気持ちいいです。
ロズリン : そういう時は脳内にエンドルフィンが出ていそうですね。
中田 : そうですね。
ロズリン : 中田さんは個人レッスンもされていますが、コロナ禍で近年はいかがでしたか?
中田 : 僕は趣味でチェロを弾きたい大人の生徒さんが多いのですが、地方の方もいらっしゃるので、コロナ禍はリモートのレッスンがかえってよかったと言ってくれる方もいます。リモートだと雑音を拾ってしまうなどデメリットもありますが、対面で弾くより、オンラインだとリラックスして弾けるという方もいらしたり、移動しなくてもすんだりと。またコロナ禍で家にいることが増え、昔から習ってみたいと思っていた方がレッスンを始めることが増えているみたいですね。
ロズリン : そうなんですね。コロナ禍も悪いことばかりじゃないですね。中田さんは今後どんな音楽活動をやってみたいですか?
中田 : 一番小さなオーケストラの形である弦楽四重奏、あるいは小さな編成のアンサンブルをやりたいです。個人的にすごく達成感があるんですよ。たとえばベートーヴェンやモーツァルト、ハイドンは四重奏の曲をたくさん残しているので、全曲やってみたい。また
バッハも有名なチェロのための組曲を作っているので、それもぜひやってみたいです。
ロズリン : やってみたことがたくさんあって、音楽の世界は深いですね。
中田 : ただ、実は未だに音楽で「食べていく」という感覚がないんです(笑)。なかなかお金と音楽は結び付かなくて。
ロズリン : それでも、とにかく好きなことを続けてきて、なんとかこれまで生きてこられた、というのはとても大事なことのように思います。今後も中田さんの演奏も指揮も楽しみにしています。
【ロズリンの感想】
演奏者だけにとどまらず、音楽の講師として、また指揮者としても活躍される中田さん。
音楽に対して真剣に向き合い、熱い情熱と深い愛情を感じました。感性豊かな中田さんだからこそ、素敵な演奏につながっているのではないでしょうか。東京シンフォニアのファンとして、素晴らしい音楽がより多くの方に届くよう願っています。今後の中田さんのご活躍をフォローしていきたいです!
【チェロ奏者・指揮者 中田鉄平さん プロフィール】
秋田県出身。東京都在住。東京芸術大学音楽学部別科を卒業。
2000年〜2011年まで東京ヴィヴァルディ合奏団に所属。所属中は2枚のCDレコーディングにも参加。2007年〜東京シンフォニアに所属、主に首席奏者を務め、またソリストとしてもヴィヴァルディ、ハイドン、チャイコフスキー、プロコフィエフ、ブラームス等の協奏曲で共演している。クラシック以外では“小さなオーケストラ“Baladin(バラダン)のチェロ奏者として国内外のアーティストのサポート演奏もしている。また、妻と共に主宰するアヴァンツァーレ・ストリングオーケストラの首席奏者も担う。
山野ミュージックサロン大手町校、赤坂校の講師。小中高生のオーケストラ部やアマチュアオーケストラのトレーナーもしている。
URL:https://www.ekiten.jp/shop_54296060
【東京シンフォニア】
マエストロ・ロバート・ライカーが2006年に設立したメンバー19名からなる弦楽室内オーケストラ。グループ・ダイナミックスの科学から、オーケストラが小人数でも豊かなサウンドを生み出す解決法を見出し、「グレート・リトル・オーケストラ」と評価されてきました。年間コンサートを通じて、聴く人に元気を与え、心を豊かにして、社会的にも貢献しています。個々のプレイヤーの向上はオーケストラ全体の発展となっています。
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サンギが2014年に記念日登録した日で、「健康的で美しい歯の大切さを改めて考えていただく機会」としての一連の活動は、2015年のスタートから今年で8年目となります。
このブログでも、歯が命の日を記念して製作したフレーバ―ポップコーンと、歯みがき剤のセットをプレゼントしました。
今回も本当にたくさんの方にご応募いただいて、おそらく今日までには当選者の方のお手元に届いていると思います!
よろしければご自身のSNSでも、この記念日についてコメントいただけたら嬉しいです。
先日7月28日に、表彰イベントを開催した「サンギ歯が命アワード2022」ですが、メディアでの報道をご覧いただけましたか?
今年は様々な分野でご活躍されている、国際文化人のデヴィ・スカルノさんに授与されました。
健康的で美しい歯を持ち、年を重ねてもなお美しく輝いてるデヴィ夫人は、受賞が相応しいとても素敵な方でした。
直接お会いすることができて、嬉しかったです。
8月1日に77才となる自分自身もたくさん見ならうことがあると感じさせる、とてもすばらしい方です。
読売新聞、毎日新聞の8月1日付朝刊でこの受賞を報告する紙面をご覧いただけます。
歯が命の日特設サイトにも掲載されていますので、まだ読んでいないという方は、是非こちらからご覧ください。
あいにくふたたび、新型コロナウイルス感染が拡大傾向にあります。
ワクチンのおかげで以前より重症化のリスクは低いようですが、やはりマスクを着用して手洗いうがいという基本をしっかり守りながら、今年の夏も過ごしたいですね。
また一つ年を重ねて、今後もフルに活躍できるように新たな1年を元気に過ごしたいと思います!
これからも皆さんに少しでもヒントとなるような方をインタビューでご紹介し、いろいろと情報も発信させていただきますので、よろしくお願いします。
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知られざる名曲の演奏で、新たな発見、素晴らしい出会いを提供し続けたい
チェロ奏者・指揮者 中田鉄平さん
サンギが長年スポンサーを行っているオーケストラ、東京シンフォニア。奏者の方をこれまで幾人もご紹介していますが、このたびは、チェロ奏者にして、指揮者としてコンサートでも出演する中田鉄平さんにお越しいただきました。どのようにして音楽の道に進み、音楽を深めてきたか。さまざまなことを伺いました。
●楽器好きな少年がチェロに目覚めるまで
ロズリン : 今日は久しぶりに中田さんとお話できるのを楽しみにしていました。
サンギが東京シンフォニアにスポンサーをしてからもう10年以上になりますが、中田さんは参加してどのくらいになりますか?
中田 : そうですね。僕は友人の紹介で参加させていただいて、12〜13年になります。
ロズリン:中田さんの場合、興味深いのはチェロ奏者でありながら、ときどきコンサートでオーケストラの創設者ロバート・ライカ―に代わって指揮者をされているところです。今日はいろいろ聞きたいです。まず、初めて音楽に興味を覚えたのはいつですか?
中田 : 僕は最初にバイオリンを習ったのですが、それが小学校2年のときです。両親が二人とも劇団に入っていたんです。地方だったのですが、その仲間のお子さんたちがバイオリンやピアノ、三味線などさまざまな音楽の習い事をしていたんですね。そこで母が僕にバイオリンをやらせたかったことから習うようになったんです。実は僕はいやいやでした(笑)。
ロズリン : そうだったんですか(笑)。
中田 : でも音楽は好きで、中学では吹奏楽部に入ってトロンボーンを吹いたり、高校ではギターでロックを弾いたりと、バイオリンを一生懸命やり始めたのは高校2年生になったころでした。高校3年生の時、初めてバイオリンの先生のところでチェロに触り、教えてもらうようになったんです。
ロズリン : バイオリンとチェロはずいぶん違いますが。
中田 : 構え方は反対ですね。楽器を肩にあてる方向が逆だし、指の持ち方も違う。当初はぎこちなかったです。でも、僕はバイオリンの高い音より、チェロの低い音のほうが好きでした。しっくりきたというか、豊かな音ですよね。チェロって。
ロズリン : そうですね、そこから練習に本気になったんですか?
中田 : はい。楽しくなりました。それでチェロに変えてから音大を受けたいと思うようになり、実家のあった秋田県には、専門的な先生がいなかったので、東京の先生を紹介していただいたんです。すると、最初に先生に「君は音楽家になり、将来、結婚して、家族を養っていく覚悟はあるのか?」といきなり聞かれたんです。
ロズリン : それはすごいですね(笑)。
中田 : 田舎から出てきた高校生で、まだ音楽の世界のこともよくわからなかったのですが、とりあえず「あります!」と言っちゃいました。
ロズリン : そうなんですね(笑)
●音大を経て、本格的に音楽の世界へ
コンサート練習風景
中田 : その先生は、芸術大学出身だったので、半年ほどレッスンを受けた頃、「できたら1年浪人して芸大を受けたほうがいい」と言ってくれたんです。でも、僕は早く上京して進学したかったので、私立の音大を受けてまず2年間通い、それから芸大のレッスンだけ受けられる課に入学し、2年通学しました。合計で4年です。
ロズリン : 国内留学のようなものですね。大学で学ぶことで、自分にどんな影響や変化がありましたか?
中田 : 音大に行くと、周囲の学生が子供の頃から音楽家になりたいと思ってきた人が多く、いろんな影響を受けましたね。授業ではマンツーマンから、アンサンブルのレッスン。オーケストラの授業もあり、自分のやったことのないことが初めてできて、本当に楽しかったです。難しいですけどね。
ロズリン : 大学で出会いがあって、好きになった作曲家などいますか?
中田 : 大学ではほとんどの人がアンサンブルやオーケストラの初心者なので、そのレッスンはいわゆる古典派、ベートーヴェン、モーツァルト、ハイドンなどの曲を使うことが多いんです。そういう作曲家の音楽を演奏しながら、勉強していました。ただどの先生に師事するかで表現の仕方はかなり変わってきますね。
ロズリン : 指揮の勉強も大学でしましたか?
中田 : いいえ。当時は学んでいません。
ロズリン : 社会に出るときに、企業に就職しようという気持ちはまったくなかったですか?
中田 : なかったです。音大の環境にいると、周囲の影響で自然と音楽の道を続ける気持ちになっていました。金銭的には厳しいですけどね。卒業してからはしばらく先生や友人の紹介で、オーケストラのエキストラの形でお仕事を受けたりしていました。
ロズリン : 私自身、東京シンフォニアにかかわって知ったのですが、メンバーはコンサートの前はほんの直前に召集されて、2・3回の練習で本番とかが普通なんですね。おどろきました。
東京シンフォニアコンサートの様子
中田 : 前日に一回あわせて、翌日コンサートというときもあります。在籍しているメンバー以外も出るし、たとえ在籍している団員であっても、常に一緒にいるわけじゃないですし、別の仕事も持っていますしね。
ロズリン : オーケストラだけじゃ生活が難しいですものね。中田さんはレギュラーとして、オーケストラに参加したのは、東京シンフォニアが初めてですか?
中田 : いえ、東京ヴィヴァルディ合奏団という、日本で50年以上続いているオーケストラに入っていました。大学を卒業後、25歳ぐらいから10年ほどお世話になりました。
そういえば、オーケストラのオーディションを受けるようになった頃、楽器を変えました。学生時代から、1800年代に作られたチェロを使っていたのですが、オーケストラで演奏するようになってちょっと弱いなと感じて、今使っている1960年代のものに変えたんです。
ロズリン : 楽器を変えるのってさびしくないですか?私は車を変えた時、長年乗っていた車でさえ、別れるときに涙してしまいました。
中田 : 僕の場合は、今も持っているんですよ。(笑)前に使っていた楽器を売ろうとしたんですが、その値段を聞いたらあまりいい数字ではなかったので、愛着もあったので手放さないことにしました。
ロズリン : それは寂しくなくていいですね。東京シンフォニアに入ってからどんな人や音楽との出会いがあったのかも気になります。
東京シンフォニアコンサートの様子
後編に続きます。
【チェロ奏者・指揮者 中田鉄平さん プロフィール】
秋田県出身。東京都在住。東京芸術大学音楽学部別科を卒業。
2000年〜2011年まで東京ヴィヴァルディ合奏団に所属。所属中は2枚のCDレコーディングにも参加。2007年〜東京シンフォニアに所属、主に首席奏者を務め、またソリストとしてもヴィヴァルディ、ハイドン、チャイコフスキー、プロコフィエフ、ブラームス等の協奏曲で共演している。クラシック以外では“小さなオーケストラ“Baladin(バラダン)のチェロ奏者として国内外のアーティストのサポート演奏もしている。また、妻と共に主宰するアヴァンツァーレ・ストリングオーケストラの首席奏者も担う。
山野ミュージックサロン大手町校、赤坂校の講師。小中高生のオーケストラ部やアマチュアオーケストラのトレーナーもしている。
URL:https://www.ekiten.jp/shop_54296060
【東京シンフォニア】
マエストロ・ロバート・ライカーが2006年に設立したメンバー19名からなる弦楽室内オーケストラ。グループ・ダイナミックスの科学から、オーケストラが小人数でも豊かなサウンドを生み出す解決法を見出し、「グレート・リトル・オーケストラ」と評価されてきました。年間コンサートを通じて、聴く人に元気を与え、心を豊かにして、社会的にも貢献しています。個々のプレイヤーの向上はオーケストラ全体の発展となっています。
]]>と思うような酷暑が続いています。皆さんお変わりないですか。
いよいよ7月を迎えて、昨年のオリンピック開催からもう1年!本当に早いものですね。
コロナはまだまだ油断できませんが、制限のない夏になりそうです。
夏休みの計画をしている方も多いのでは?素敵なお休みを無事に過ごせるといいですね。
今年も間もなく、8月1日「歯が命の日」がきます。
サンギが2015年からスタートした記念日で、健康的で美しい歯の大切さを改めて考えていただく機会として、様々な企画をしています。
皆さんにもこのブログでお伝えしたと思います。
今年は日本経済新聞主催の「丸の内キャリア塾スペシャルセミナー」がオンライン配信で決定しました!
コロナ前には実際に会場で開催していましたが、ここ2年は紙上対談という形でオーラルケアの大切さを伝えていました。
実際のイベントは叶わなかったものの、オンラインという形で開催することで、これまで来場が難しかった遠方の方もご覧いただけることが嬉しいです。
どなたでも視聴可能ですので是非こちらからご覧ください!
■視聴URL
2022年7月6日(水) オンライン配信で開催されました。
2022年7月7日(木)からアーカイブでご視聴いただけます。
ご視聴はこちらから→ https://channel.nikkei.co.jp/hagainochi2022/ (外部サイト)
そして今年も健康的で美しい歯を持ち、ご自身の活動においても輝いて活躍されている方を表彰する「歯が命アワード2022」を実施します。
今年の受賞者は誰でしょう?!歯が命の日特設サイトでの報告をご期待ください。
■歯が命の日特設サイトは hagainochi.com
8月1日には、日本経済新聞、読売新聞、毎日新聞などで記事や広告が紙面掲載されますので、ぜひご覧ください。
さて、冒頭の写真は何だろう?疑問に思われましたよね。
そうです、恒例のオリジナルのお菓子を製作しました!
去年は塩サイダー味の「歯が命キャンディー」だったこと、覚えていらっしゃる方もおられますね。
今年はフレーバーポップコーンとなっています。
私は普段ポップコーンを食べる機会があまりないのですが、味の付いたポップコーンは人気だそうです。
今回は歯が命の日ロゴのカラーをイメージして、「ブルーベリー味(青)」、「ココナッツ味(白)」、「キャラメル味(ゴールド)」の3種を詰め合わせた、オリジナルフレーバーのカラフルなポップコーンです。
この記念品を今年も、ブログプレゼントとして差し上げます!
アパガードプレミオエクストラミント100g、アパガードクリスタル歯ブラシと、3点セットとして、10名様にプレゼントさせてください(笑)。
この暑い夏を、爽やかに過ごしていいただきたいんです!
■フレーバーポップコーン&アパガード歯みがきセット10名様プレゼント
応募締切:2022年7月28日(木)午後17時
こちらのご応募は締め切らせていただきました。
当選の発表は賞品の発送をもって代えさせていただきます。
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今年のゴールデンウイークは久々に制限のないお休みになりましたね。
旅行や帰省した方も多かったと思います。皆さんも楽しめましたか?
GWからだいぶ経ってこの話題?と思われた方、すみません。久々のお土産プレゼントなんです!
約2年半ぶりとなりましたが、念願のオーストラリアへ、私も帰省してきました!
予約していた便が突然キャンセル!飛ばないことになり、また帰れないのかと諦めかけたとき奇跡的に別の航空会社の便に空席を発見し、ギリギリで航空券を確保できたんです。
そしてオーストラリア人でも、コロナの関係で入国準備と手続きは大変。出発前からドキドキでした(笑)。
2年も離れていると、メルボルンもいつも泊まる別荘地の街もだいぶ変わっていて驚きました。
いつも訪れていたレストランが廃業となったり、知らないお店がオープンしていたり。
家の前にも彫刻のような大木(写真)があって大好きだったのですが、いない間に嵐で枝が落とされ、様変わりしていたのは本当に寂しかったです。
でも嬉しいことに、弟家族をはじめ、久しぶりに会う親戚や友人は皆元気で、安心できました。
やはり画面越しの会話だけでは寂しいもの。お食事をしながら心ゆくまで語り合いました。
コロナだけは心配でしたが、幸いに3週間経っても帰国するのに欠かせないPCR陰性の証明書がもらえたのです。
オーストラリアのコロナの状況はあまりよくないですが、「どうせいつかなるだろう」と皆覚悟しているようです。
一部のお年寄りや持病のある方しかマスクをしないので、不安でしたが、ある友達の結婚50周年のパーティーなど、色んな集まりに参加しても、何とか無事に済みました。
おそらく日本もこれから徐々にウィズコロナで生活していく体制に変わっていくでしょう。
ゴルフだけは心配なく、ほぼ毎日やってきました(笑)。
オーストラリアの自然の中で、私もすっかりリフレッシュできました!いつものように鳥がたくさいいて、カンガルーも見えて、可愛い動物たちがやってきましたよ。
今回は、珍しいハリネズミも!慌てて写真を撮りました。
さてお待たせしました、お土産プレゼントです!
皆さんにいつも喜んでいただけるので、久しぶりの企画は私も嬉しいです。
街で見かけて素敵だなと思って、会長にはこんなに重いのにするの?と少し反対されましたが(笑)、
私が気に入ったものを選びました。
まず一つ目は、表面は木製?ボードのプレイスマット。お食事の時に食器の下に敷いて使います。
裏面はコルク素材で滑りにくいもので、お揃いのコースターも!各4枚で1セットです。
これはSally Browneというメルボルン在住のデザイナーが描いた美しい花々と、オーストラリアの鳥を描いた2種類のデザインです。
?プレイスマット&コースター 花柄(4枚セット) 2名様
?プレイスマット&コースター 鳥柄(4枚セット) 2名様
そしてこちらも木製のカッティングボードです。
持ち手の部分にデザインがほどこされていて、チーズやハムなどを盛ってそのままテーブルで使うのもいいですね!
こちらは1名様に。
?カッティングボード 1名様
いずれもお食事の時間を楽しむためのアイテムです!
コロナ禍でご家族や友人と過ごす時間の大切さに改めて気づいた方も多かったと思います。
そんな大切な時間を、私も少しお手伝いできたら嬉しいです!
応募フォームでは、?〜?のいずれかを選択してくださいね。
合計で5名様のプレゼントとなります。
【プレゼント賞品】
?プレイスマット&コースター 花柄(4枚セット)
?プレイスマット&コースター 鳥柄(4枚セット)
?カッティングボード
■応募
締め切らせていただきました。たくさんのご応募ありがとうございました!
締 切 : 2022年6月23日(木)まで
※応募者多数の場合は、抽選とさせていただきます。
※当選の発表は商品の発送をもって代えさせていただきます。
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1000年先まで残る作品がつくりたい!
妖怪書家 逢香さん
母親が書道家で、幼いころから書道に親しんできた逢香さん。大学時代に「妖怪」に出会い、妖怪書家の道へ。仕事が広がった経緯、いま現在の活動、これからやってみたいことについてお話を聞きました。
●制作はおもに自宅のアトリエで
ロズリン : ふだんの生活は、どんな感じですか。アーティストというと、生活が不規則なイメージがありますが…
逢香 : 私、イメージで夜が好きな夜型タイプだと思われがちなんですけど(笑)そんなことはなくて、夜はきちんと寝ています。
ロズリン : お仕事はどこで?
逢香 : 制作はおもに自宅のアトリエです。チームを組んでやる仕事もあり、外に出ることも多いです。
ロズリン : 最近は、パソコンで絵を描く人もいるんですよね。
私のいとこが絵描きで、油絵なんですが、その下書きをよくiPadで描いています。ちょっとびっくりしました。
逢香 : 高校教諭として勤めた後、テレビ局で美術スタッフを経験したこともあり、パソコンが使えるようになって、自分のアナログな要素をグラフィックデザインにも生かすことができるようになったのはよかったな、と思っています。
ロズリン : お忙しそうですね。
逢香 : 最近ではチームを組み、仕事を分担して行っています。
今までより制作時間が増えて大変助かっていますし、有難いです。自分の作品を良いと思ってもらえて、一緒に仕事をしてくださるのでとっても嬉しいです。
奈良にて個展開催
●墨は1000年先までもつ筆記用具
ロズリン : 書道や墨絵を教える活動はされていますか?
逢香 : 時々、母の書道教室で、手伝ったりします。
そして頼まれて、小学校や幼稚園でワークショップを開いたこともあります。
ロズリン : どんなワークショップなんですか。
逢香 : 墨をするワークショップです。最近は書道といっても墨汁を使うばかりで墨をする機会がないので、子どもたちに墨のよさを知ってもらいたいなと思って。
墨って、1000年もつ筆記用具なんですよ。私の住んでいる奈良って古いものがたくさん残っていて、土を掘ったら木棺とか出てくるような場所なんですよ。そこに書いてある文字が、いまだに読めるってすごいな、と。
最近は、自分の作品をいかに残すかということを考えています。お寺など、残してもらえる環境が整っているところに奉納するとか…。1000年先の人が自分の作品を見てくれたらうれしいな。
●海外にも活動の幅を広げていきたい
ロズリン : 墨絵や書道以外に、どんな趣味があるんですか。
逢香 : そうですね。映画も見るし、音楽も聴きます。
とくにジャンルは限定せず、幅広く楽しんでいる感じです。
ロズリン : 逢香さんはまだ若いから、これからどんどん活動の幅が広がっていきそうですね。
これからやりたいこと、新しくトライしたいことはありますか。
逢香 : 私は書道家なので、書を生かした作品に力を入れていきたいですね。あとは、作品を残すということにこだわりがあるので、時代を描いた風刺画とか。たとえば、いま、コロナでいろいろ大変ですけど、未来の人が見て「あの時代はこうだったんだな」と思えるような作品をつくってみたいです。
そして海外の人にも驚いてもらえるような作品もつくりたいですね。日本の漢字や妖怪って、とても魅力的に映るみたいなんですよね。
ロズリン : 人気が出ると思いますよ!
いまはコロナで海外に行くのはむずかしいですけど、落ち着いたらぜひ、あちらで個展を開いてください。
絶対に成功します!
逢香 : はい。がんばります。
ロズリン : 今日はすてきなお話をどうもありがとうございました。
【感想】
書道の文化や伝統を大切にしながらも、現代に沿ったモダンな作品を生み出す逢香さん。
学びと努力を惜しまず、書道で表現することに関して、磨き抜かれた感性の持ち主だと感じました。日本の書道や妖怪は、海外でも非常に興味深いものなので、益々人気が出そうですね。素晴らしい作品をぜひ世界に広げていただきたいです。逢香さんらしい作品をこれからも楽しみにしています。
【妖怪書家・逢香さん プロフィール】
大阪府出身。奈良県在住。6歳より書道を始め、奈良教育大学教育学部(伝統文化教育専攻・書道教育専修)卒業。2017年、レベルファイブ原作ゲーム・アニメ『妖怪ウォッチ』シリーズ「黒い妖怪ウォッチ」のキャラクターおよびタイトルデザインを担当したことをきっかけに、妖怪書家として活動を始める。
逢香公式HP https://www.xxxouka.com
]]>お花見ができる、いつも楽しみにする時期ですが、花粉症の方には厳しいシーズンとなっています。
その上、新型コロナもまだ落ち着きませんし。どうしてもひき続きマスク生活が長引いてしまいそうです。
そんなマスク生活が続いても、爽やかな息で過ごせるおすすめのアイテムがあります。
この春パッケージをリニューアルした「アパガードプレミオエクストラミント」を紹介したいです!
アパガードシリーズで一番人気のアパガードプレミオに、ミント感がお好きな方むけの「エクストラミント」バージョンがあるのをご存知でしたか?皆さんのアンケートの中から「もうちょっとミントのフレーバーがはっきりしたものを作らないか」という声はこの製品開発の最初のきっかけでした。
実はこれまで私自身はアパガードプレミオの“ライトミント”が好みでした。
ほのかな甘みを感じさせる香料をフレーバーに加えたこだわりの香味が特長で、相当人気があるんです。
でも今回パッケージをリニューアルした「エクストラミント」を改めて使ってみたら、その爽快感が今の在宅勤務の多い私には合っていて、とっても気に入りました。
マスクにリモートワークという毎日の中で、エクストラミントの爽快感が気持ちまでリフレッシュしてくれるんです。
“エクストラ”だからと、とても辛いイメージを持たれる方もいるかもしれませんが、そこまでの強さはありません。
いかがですか?2つの香味を比べてみたいと思いませんか?
ぜひ皆さんにもこの違いを体験いただきたいので、ここでプレゼントしたいと考えました!
アパガードプレミオと新エクストラミントの各50gサイズをセットにして、10名 の方にプレゼントさせてください。
■ロズリンの部屋プレゼント
2022年3月30日(水)まで
たくさんのご応募ありがとうございました!
ご当選者の発表は商品の発送をもって代えさせていただきます。
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1000年先まで残る作品がつくりたい!
妖怪書家 逢香さん
母親が書道家で、幼いころから書道に親しんできた逢香さん。大学時代に「妖怪」に出会い、妖怪書家の道へ。仕事が広がった経緯、いま現在の活動、これからやってみたいことについてお話を聞きました。
●人間の裏の部分を表している「妖怪」
ロズリン : 妖怪書家とは、おもしろい肩書きですね。妖怪とは、どんな存在なんでしょう。
逢香さんが妖怪に興味を持ったきっかけはなんですか。
逢香 : 昔から目に見えないものが存在しているような気がしていて。妖怪は人間の裏の部分を表していると思うんです。社会ののけ者にされながらも、なんか茶目っ気も持ち合わせていて、その存在を認められている。そこがとても興味深くて、惹かれるものがあります。
ロズリン : 前から気になる存在だったんですね。妖怪とは、どこで出会ったんですか。
逢香 : 大学の授業です。私、大学で書道を専攻していたんです。
2年生のとき、ある授業で変体仮名が書かれている書物を読んでいて、その挿絵として描かれていた妖怪に魅せられて。キャラクター的にもデザイン的にもすごいと思って、そこからどんどんのめり込んでいきました。
ロズリン : 妖怪にもいろんな種類がありますね。幽霊とはどこが違うんでしょう。かわいいのが妖怪で、ちょっと怖いのが幽霊?
逢香 : どうなんでしょうね。妖怪に厳密な定義はなくて、なんでもOKなのが妖怪のよさ。
見た目は怖かったり不気味だったりするのもいるんですけど、何となくユーモアがあって生きづらい場所で、なんか楽しそうにしている。中身を知ると、愛着がわいてくるんですよ。
ロズリン : 私、この間、たまたまフランケンシュタインの本を原書で読んだんです。
フランケンシュタインのつくった怪物というと、ただ怖いイメージだったんですけど、 実は孤独でかわいそうな生き物のお話なんですね。妖怪もそういう存在なのかな。
逢香 : 私も読んだことがあります。妖怪にも孤独でかわいそうというイメージもありますが、その中に、それでも生き抜こうという底抜けの前向きな姿があり、人間を励ます力があると思っています。
実相寺 天狗絵制作
●書道家の道へ
ロズリン : 妖怪との出会いから、墨で妖怪を描くようになったんですね。
逢香 : そうなんです。大学生のころから描き始めていたら、作品がどんどんとたまってきて。
個展を開いてみない?とお誘いを受けたことを機に、いろいろなご縁がつながっていったという感じです。
ロズリン : 墨絵そのものは、すごく歴史が古いでしょう。私も墨絵が好きで、カエルの絵の掛け軸があるんですよ。学生時代のあだ名が「カエル」だったので。(笑)親近感を覚えて買ったのですが、友人によると、かなり価値のあるものみたいですね。
ただ、猫を飼っているので、飾れないのですが。逢香さんの作品も見ましたが、超モダンですね。
逢香 : ありがとうございます。私自身は、墨絵とか書道とかが伝統文化として紹介されることにちょっと違和感があるんです。
古くからあるものだけれど、けっして過去のものではないと思うんですよね。
ロズリン : 文化を受け継ぎつつ、新しい作風に挑戦されているんですね。書道そのものはいつから始めたんですか?
逢香 : 母が書道家だったので、気づいたら筆を持っていました。家の中に筆も墨もたくさんあって、興味をもつ環境だったんです。書道として習い始めたのは6歳からですね。
ロズリン : そうすると、小さい頃から書道家になりたいと思っていたの?
逢香 : 書道家になりたいとは思っていませんでした。
家が書道教室をしていて、書道が生活に溶け込んでいたので大学は書道科を選択し書道漬けの学生生活。その後、大阪府の公立高校の書道教諭として勤務した後に、やっぱり書家として書きたいと思うようになっていきました。
橿原神宮にて令和揮毫
●妖怪ウォッチのキャラクターデザインから仕事が広がって
ロズリン : 最初のお仕事はどんなものだったのですか?
逢香 : 爆発的に大ヒットした妖怪ウォッチというアニメがあるんです。 レベルファイブという会社が、妖怪ウォッチをもとにした、ちょっとダークな大人向けのアニメを手がけるということで、墨絵タッチの私の妖怪の絵が目に止まり、声をかけてくださいました。
キャラクターデザインとタイトルデザインを担当させていただいたんです。
当時の私は、仕事になるとは思わずに描いていたので、このお話をいただいたときにはとても驚きました。ありがたいご縁でした。
ロズリン : それがきっかっけで、次々とお仕事が広がっていったんですね。
逢香 : はい。メディアに紹介していただくなどして、いろいろなところから声がかかるようになりました。
ロズリン : どんなところから、どんなお仕事がきましたか。
逢香 : 書道のロゴデザインや、寺社仏閣への作品の奉納、筆で描くキャラクターデザインなど有難いことに幅広いご依頼があります。鬼で有名な世界遺産の元興寺さんから、絵馬の絵を描く機会をいただいたことは本当にうれしかったです。
先日はなんと、警察から飲酒撲滅のポスターのデザインを頼まれたんですよ。
「警察が妖怪?斬新だな!」と思ったんですけど、よく考えたら、警察と妖怪って親和性があるんですよね。
妖怪って昔から、崖があって危険な場所などに子どもが近づかないために「ここは妖怪が出る」みたいな使われ方をしてきたと思うんです。それって、警察が求める要素のひとつなのかなって。
ロズリン : 本当に幅広くご活躍されていますね。
逢香 : おかげさまで、多方面の分野で仕事ができています。最近は、テレビのお仕事も頂くことがあります。NHK奈良で「逢香の華やぐ大和」というコーナーを持たせていただくなど、妖怪書家をきっかけに様々なお仕事にも広がってきました。
TV撮影風景
後編に続きます。
【妖怪書家・逢香さん プロフィール】
大阪府出身。奈良県在住。6歳より書道を始め、奈良教育大学教育学部(伝統文化教育専攻・書道教育専修)卒業。2017年、レベルファイブ原作ゲーム・アニメ『妖怪ウォッチ』シリーズ「黒い妖怪ウォッチ」のキャラクターおよびタイトルデザインを担当したことをきっかけに、妖怪書家として活動を始める。
逢香公式HP https://www.xxxouka.com
【今後の予定】
● 2022年2月17日(木)
奈良SDGs新しい学び旅シンポジウム
「奈良墨の歴史と多彩な書の文化を未来へつなぐ」アーティストトーク出演
公式HP https://nara-manabitabi.com/symposyum2022/
● 2022年2月22日(火)よる6時40分頃
NHK奈良「逢香の華やぐ大和」出演
● 2022年3月1日(火)よる7時
NHK BSP「吉田類のにっぽん百低山」出演
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2022年、新たな1年がスタートしました!
皆さんは年末年始いかがお過ごしでしたか?
今年こそ、穏やかに過ごせる平和な毎日が戻ってくることを強く願っています。
さて、今年は干支の三番目、寅年です。(猫が何匹もいる我が家にとっては嬉しいです)
寅年というと、動物の虎のイメージからも強さ、たくましさを想像しますよね。
寅年生まれの方の特長として、正義感が強く勇敢、チャレンジ精神も強く情熱的な性格を持っていると言われています。
干支でその人の性格を読み解くのは、とてもユニークな習慣ですよね。
東洋人の知恵のひとつかも知れません。
実はサンギの創立は1974年。何と寅の年に誕生したのです。
そうするとサンギも今年、年男?となってしまいます(笑)
寅年生まれの特長にならい、サンギは今年も引き続きチャレンジ精神を持ち、
情熱的に全社員一丸となって、皆さんを応援する商品をお届けします!
2022年も引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
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2021年、オリンピックイヤーだった今年もいよいよ幕を閉じますね。
さまざまな制約のある中での東京オリンピック開催でしたが、日本は数多くのメダルを得てたくさんの感動をわけてもらいました。
日本ではコロナの威力はおさまりましたが、また新しいオミクロンの出現により感染が心配されています。
実はこの年末、およそ2年ぶりとなるオーストラリア帰国を計画していたんです。
飛行機のチケットをやっと抑えられた矢先にオミクロンが報じられ、フライトもキャンセルとなってしまいました。
非常に残念で少し落ち込みましたが、皆さんの中にも、大切な家族との再会を諦めざるを得ない方が多かったのではと思います。
もう少し我慢の時、がんばりましょう。
今年も皆さまのおかげで、サンギは素晴らしい1年となりました。
アパガードからは新たに、香料や発泡剤などに刺激を受けやすい敏感口(びんかんくち)の方におすすめの「アパガードソフト」を発売し、これまでの歯みがきにはない、サンギらしい新コンセプトを提案することができて、嬉しかったです。
なお、とても好調な出だしとなっています。
またスキンケアブランドHAP+R(ハップアール)からも、よりリッチな使い心地で天然の潤いを守りながら美しい素肌を目指すリッチクレンジングクリームを発売しました。
このブログ読者限定で、2022年1月11日(火)までプレゼントを実施中です。
ぜひお試しいただけたらと思います。
こちらのブログをご確認ください。
来年もまた新たな商品お届けしたいと思っています!
良い年末年始をお過ごしください。
Wishing you all a Happy New Year!
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今年もロズリンの部屋から「輝く笑顔」をお届けできてうれしく思っています。
インタビューに応じてくださった方々、そしてこのブログを読んでくださった皆さま、ありがとうございました。
今年最後のうれしいお知らせがあります。
サンギのスキンケアブランド・ ハップアールに4品目となる「リッチクレンジングクリーム」が仲間入りしました。
毛穴汚れも乾燥も気になる肌のために、成分を吟味し、250回以上の試作を重ね、約2年の開発期間を経て誕生した自信作です。
植物性のスクワランを従来品以上にたっぷりと配合した、濃密なクリームが肌にぴたっと密着。
摩擦を抑えつつ、汚れを包み込むようにオフします。
もちろん、私たちサンギのコア成分である「アパタイト」をスキンケア用に開発した「アパリン」※も配合。
酸化した皮脂や余分な皮脂、古い角質の毛穴汚れの原因を狙って落とす一方で、うるおいに必要な皮脂は残します。
※ヒドロキシアパタイト:洗浄補助成分
洗い上がりは、毛穴汚れがクリアになると同時に、しっとりやわらかな素肌を感じていただけますよ。
乾燥しやすい今の時期にぴったりの、この「リッチクレンジングクリーム」の120gを抽選で10名様にプレゼントします。
外れた方からさらに抽選で1,000名の方に、「リッチクレンジングクリーム」と「フェイスウォッシュ」のサンプルセット(各1回分)をプレゼントします。
メイクだけでなく毛穴の汚れもキレイにしたいけれど、肌のうるおいも大切にしたい方、ぜひご応募くださいね!
■こちらから応募ください
締 切 : 2022年1月11日(火)
たくさんのご応募ありがとうございました!
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日本はお祭り好きもあるのか、ハロウィンのイベントもすっかり定着しました。
毎年、渋谷のスクランブル交差点が大変な混雑になっている様子が印象的ですね。
ちなみに私の生まれ育ったオーストラリでさえ、そんな祭りは以前全くありませんでした。
今はどうか分りませんが、自分の小さい頃仮装してそんなイベントに参加した記憶は一度もありません。
ハロウィンはそもそも古代ケルトが発祥で、暦のかわる10月31日に収穫や豊穣を祝うとともに、悪魔払いをする祝祭の日だったそう。
オーストラリアは季節が逆ということもあるんでしょうか。ハロウィンはアメリカで、イベントとして普及したようですが、南半球のオーストラリアでも、今では多少みられているかも知れません。
さすがにコロナ禍で、いつものように仮装で大騒ぎはできない状況ですね。
「Trick or Treat!」 お菓子をくれなきゃいたずらするぞ! という、子ども達が楽しむこのイベントもコロナの影響でできないのは寂しい気もします。
とても代わりにはなりませんが、歯に悪いもの(お菓子)よりも、歯に良いもの(アパキッズの歯みがき剤)を贈り物としてはいかがでしょうか。
気分だけでもお届けします!
ハロウィンの楽しい雰囲気が伝わりますように、アパガードのお子さま向けの歯みがき剤をおすすめします。
全部で3種類がありますが、乳歯の生え始めからお使いいただける、ジェルタイプもあれば、永久歯への生え変わり期からおすすめのペーストタイプ (少し泡立つもの) もあります。
真ん中のピンクチューブのジェルはストロベリー風味ですが、その両脇のものはラムネとグレープ風味の2種類になります!
ラムネ風味は他にはないフレーバーで、ちょっとめずらしく人気です。
チューブの可愛いワンちゃんは、実は盲導犬のキャラクターシンボルです。
お子さんの目が見えない人のことを認識してもらう機会にもなりえます。
サンギはアパキッズの売り上げの一部を、盲導犬総合支援センターを通じて、補助犬育成や障害者の社会参加の支援活動に役立てていただいています。
盲導犬のキャラクター採用の2010年以来、約120万本以上販売しています。
お子さまの大切な歯をむし歯から守る、アパガードアパキッズ。
3つのフレーバーで、毎日の歯みがきを楽しくしていただけたら嬉しいです!
Happy Halloween !
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この秋から新発売です。
秋というと、朝晩は涼しくなり、虫の声がにぎやかに感じられる季節。
金木犀の香りもするし、曼珠沙華があちこち突然咲くし、私の大好きな時期なのです。
でも早いもので、あと数カ月で今年も終わりなんですね!これから年末にかけて、さらに忙しくなる方も多いのではないでしょうか。(私もその一人です)
季節の変わり目で、一年の疲れもたまるこの時期、カラダの不調を感じる方が多いのではと思います。
カラダがだるくなったり、お肌が荒れたり、お口に口内炎ができることもあると聞いています。
サンギは以前からお口の健康をサポートする商品を作っていますが、この度、歯みがき剤の発泡剤や香料の成分に刺激を受けやすい “敏感口(びんかんくち)”の方向きの特にやさしい使用感の美白歯みがき剤を開発しました。
発泡剤を配合せず、香料の使用をおさえたソフトな清涼感の低刺激設計の「アパガードソフト」を発売しました!
※敏感口は疾患ではありません。
医薬部外品・薬用歯みがき、販売名:サンギMG
このような商品のニーズを以前から把握し、この頃行った調査の結果確認できました。
(2021年自社アンケート調査 人数2,173人)
「お肌が荒れて敏感に感じるように、ご自身のお口の中が荒れて敏感に感じるようなことはありますか」との質問に対して、以下のグラフの通り、「よくある」(12%)と 「時々ある」(57%) を合わせて、約7割の方がお口も敏感になると回答しました。
お口が敏感になると回答した方1,484人に、
「ではどんな時に敏感になりますか?」と質問をすると、以下のように疲れやストレス、睡眠不足、季節の変わり目などに感じると回答しました。(複数回答)
そして「敏感肌用のスキンケアがあるように、歯みがき剤にも敏感対応商品があるといいと思いますか」という質問に対しては、「そう思う」(45%)と「ややそう思う」(31%)を合わせて約8割の方が、歯みがき剤にも敏感対応の商品を求める声が多いことがわかりました。
アパガードソフトは、泡立ちはないのですが、みずみずしいプルンとしたテクスチャーのジェルが、歯にまといつくような感覚でブラッシングできます。
もともとアパガードシリーズはソフトなミントなのですが、さらにやさしい口あたりのソフトミントにしあげました!
歯みがきの全く新しい感覚になりますので、ぜひ皆様にお試しいただきたいです。
そのためにアパガードソフトのトライアルサイズ(20g)も発売しますが、このブログを読んだ10名様にプレゼントをしたいと思います!
実は今アパガードサイトでもモニター募集として毎月100名様の応募を募っていますが、
こちらはロズリンの部屋をいつも読んでいただいている方の限定枠です(笑)。
ここ最近続けてプレゼント企画を実施できて嬉しいです!
日頃から「敏感口」かも?と感じている方はぜひお試しくださいね。
■アパガードソフト トライアルサイズ(20g)
10名様プレゼント 応募は締め切りました!
たくさんのご応募ありがとうございました。
応募締切:2021年10月20日(水) 正午
※ご応募多数の場合は、抽選させていただきます。
ご当選者の発表は商品の発送をもって代えさせていただきます。
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たくさんの温かい言葉に、本当に元気づけられました!ありがとうございました。
日本の夏はやはりジメジメしますね。
汗をかくと、顔も体もゴシゴシ洗ってしまいたくなりがちですが、暑い時期もやさしく、うるおいを守りながら洗うことが健康的な素肌への第一歩なんです。
必要な皮脂まで奪わず洗う、ということを心がけてからは、私も大きな肌悩みもなく過ごせています。
私たちサンギは、「HAP+R(ハップアール)」というスキンケアブランドも手掛けています。
以前このブログでもお試し品をプレゼントさせていただきました。
スキンケア用アパタイト「アパリン」(ヒドロキシアパタイト:洗浄補助成分)という成分を配合した洗顔アイテムを3商品、展開しています。
この「アパリン」が不要な皮脂や古い角質を選んで吸着する一方、肌のうるおいに欠かせない皮脂「スクアレン」と「コレステロール」は残して洗い上げてくれます。
■詳しくは、ハップアールのブランドサイトをチェックしてくださいね
近々、新製品の情報もお届けできる予定ですので、どうぞお楽しみに!
さて、今回もまたご紹介したハップアールブランドから、プレゼント企画をお届けします!
ブランドの中で、夏の素肌に私が特におすすめしたい『フェイスソープ』をプレゼントします。
「アパリン」を配合したこの石けんは、さっぱりしつつもうるおい感のある、心地よい洗い上がりなんですよ。
汗でべたつく背中やデコルテを洗うのにもおすすめです。
美容成分をたっぷり配合するために、枠練り製法で作り上げています。
この製法は、石けんの職人が一つ一つ、手作業で仕上げているんです。
■ハップアール フェイスソープ 詳しくはこちらをご覧ください。
https://www.hap-r.com/products/facesoap/
『フェイスソープ』と、簡単に濃密な泡を作ることができる泡立てネット、そしてメイクをやさしくオフする『クレンジングクリーム』のミニチューブをセットにして、10名様にプレゼントします!
■ハップアール『フェイスソープ』
10名様プレゼント 応募は締め切りました!
たくさんのご応募ありがとうございました。
応募締切:2021年9月10日(金)正午
※ご応募者多数の場合は、抽選とさせていただきます。
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バレーボール選手から世界で活躍するモデルに挑戦!
元バレーボール選手・モデル 高橋美帆さん
181センチと高身長で、美しく見映えのする高橋美帆さん。
元バレーボール選手で、モデルや通訳として活躍されています。モデル業に本腰を入れるため、この夏、単身渡米予定。華やかな未来が待ち受けていそうな高橋さんにお話を伺いました。
●世界を飛び回って仕事がしたい
ロズリン : 次の人生に進んだきっかけは?
高橋 : 山形から埼玉の実家に帰ってきて、家でゆっくりしていたときに、たまたまテレビでフライトアテンダントが世界を飛び回るシーンが流れてきたんです。それがその時の私にはすごく響いて。
階段を駆け下り、父に「私、フライトアテンダントになりたい!専門学校に行くわ!」と。それが第一歩。
ロズリン : よかったですね。
高橋 : 都内にある専門学校に、早速申し込みました。
はじめはフライトアテンダント科に入ったのですが、その後、国際観光科に変えました。学ぶうちに、私はフライトアテンダントになるより、英語というツールを使ってもっと広い世界を見たいのだとわかってきたからです。
ロズリン : 留学とかは考えなかったですか。
高橋 : 行きたかったのですが、在学中はチャンスがなくて。
専門学校だったので2年生になったらすぐに就職活動が始まり、衣類や小物などを販売し、ライフスタイルを提案するセレクトショップを展開している会社に内定をいただきました。
留学への思いを伝えて秋入社を許可してもらえたので、卒業してから半年間、ハワイ大学に留学しました。
ロズリン : ハワイ、いいですね。
高橋 : 実はオーストラリアとハワイ、どちらにしようかなと悩んだんです。バレーボールをやっていたとき、ハワイから女性コーチが来ていて、「何かあったら連絡して」と言ってくれていたのを思い出しました。さっそく連絡してみたら、「ハワイにおいでよ」って。
それですぐにハワイ行きを決めました。
ロズリン : 私はオーストラリア出身ですが、オーストラリアはなまりが強いですね。ハワイでよかったんじゃないですか(笑)。
高橋 : あはは!ハワイも少しなまりはありますが、とても居心地がよくて、日本に帰りたくなかったです。
私は身長が181センチあり、日本ではそれがすごく目立つので、コンプレックスを感じていた時期があります。
しかしハワイではいろんな人種、いろんな体型の人がいるので、特別視されず、ありのままでいられる空気感がたまらなく自分にはぴったりでした。
●再びバレーボールと向き合えるように
ロズリン : ハワイから日本に戻ってきて、就職してからはどうでした?
高橋 : もともと一つのことにまっすぐに向かうタイプなので、仕事は一生懸命していました。
でも、休憩時間1時間です、残業あります、とか、常に管理されている感じに馴染めなかったですね。
なかなか社会に適合できないな・・・と思いながら1年間、過ごしました。
ロズリン : 次のステップに進んだのは?
高橋 : モヤモヤしていたのが友だちにも伝わっていたみたいで、母校のバレーボールのコーチの話と、家庭教師のようにマンツーマンでバレーボールを教える講師の話をもってきてくれたんです。
バレーボールの指導歴はなかったので不安でしたが、講師の研修もあるというので、やってみよう、と。
実はそれまで2〜3年間、バレーボールを失ったことの大きさを感じて苦しくて、テレビなどで試合をみることもできなかったんです。
でも、少しずつバレーボールの仕事をさせてもらえることで、バレーボールと向き合えるようになりました。
●ミスコンに出場し、世界が広がる
ロズリン : ミスコンにも出場されたんですよね。
高橋 : 友だちがウォーキングのコーチをやっていて、「美帆ちゃん、背が高いし、英語も話せるし、人前で話すのも得意そう。
何かのきっかけになるかもしれないからやってみない?」と声をかけてくれたんです。ぐんと世界が広がりました。
ロズリン : ミスユニバースの組織に、歯科関係で協力したことがあります。厳しいトレーニングがあるんですよね。
高橋 : そうなんです。ビューティキャンプは、本当に大変です。
でも、ウォーキング・所作・メイクやコミュニケーションなどトータルで学ぶことができました。企業に所属していれば、いろいろな面で守ってもらえる。フリーになってからは、人間力を判断される。一生役に立つ経験ができてよかったです。
●ミスコンからモデル、そして通訳に
ロズリン : そこからモデルになったんですね。
高橋 : モデル業をスタートするにあたり、はじめは事務所に所属したのですが、私が目指したい方向性と変わっていくことを感じ、フリーになりました。将来的には、海外でモデル活動に挑戦したいと思っていたので。
ロズリン : 通訳にも挑戦されていますね。
高橋 : はい。海外挑戦の為には資金が必要。そのために当時モデル業をセカンドにおいて、一般企業の管理職のお仕事に就きました。
渡米準備をしていく中で、会社へ退職願を出した途端に、コロナが広がり始めて、行けなくなってしまった。
その時は本当にどうしよう・・・と思いました。
そんなとき、以前Vリーグ解説のお仕事をさせていただくなかでお世話になった方から急に連絡があり「いま、どうしていますか」と。
「渡米の予定がなくなってしまってポッカリと時間が空いている」と答えたら、今強化部にいるVリーグチームの選手通訳を探しているとのお話でした。
ロズリン : 楽しいでしょう。
高橋 : とても楽しいです。通訳って、人と人をつなげるお仕事なんですね。
バレーボールをもう一度大好きになれたのは、通訳のお仕事のおかげですね。
ロズリン : 誰でもできる通訳ではないですからね。
高橋 : たまたま前の方が突然、体調を崩されたとのことで、「できるだけ早く来てほしい」と。大好きな英語と大好きなバレーボールにかかわることができて、人が自分を必要としてくれているということがうれしかったです。
ロズリン : 私も学生時代、スポーツ通訳を知り合いの先輩に頼まれてしていたことがあるんです。
空手なんですが、おもしろいですよね。ただそのまま訳して伝えるのではなく、文化の違いを考えて、内容を調整して伝えないといけないですね。
誤解が生じないように人と人をつなげるクッション役。
高橋 : そうなんです。わかっていただけてうれしい!
ロズリン : 冗談をどう伝えるかが、一番むずかしいですよね。
高橋 : 笑わせることができたときは、「やった!」って感じですよね。
●アメリカでモデル業に挑戦したい
ロズリン : 渡米の計画は、どうなっていますか。
高橋 : 順調に進んでいます。この夏に挑戦予定です。
ロズリン : それは楽しみですね!
高橋 : 出発、到着までまだ不安はあるし、現地の所属事務所も決まっていない。
どうなるかわからないけど、その分、心ワクワクします。
ロズリン : 何度も新しい道にチャレンジされている高橋さんなので、きっと大丈夫です。
高橋 : まだ未婚なので、家庭をもつとか子どもを産むとか、人生のプランを考えたときに、正直この先どうしようという思いはあります。
自分がいままで培ってきたキャリアや強みを生かしながら、女性としての楽しみもある人生を送りたいです。
ロズリン : 自然にそうなって行きますよ。
高橋 : 健康で笑顔でいたら、きっと大丈夫かなと思っています。がんばります!!
ロズリン : すてきなお話をありがとうございました。
【感想】
バレーボール選手に通訳、モデル…様々なキャリアを積んできた高橋さん。下積み時代やけがなど、困難を乗り越え、今の目標に向かって前向きに行動していく姿勢に胸を打たれました。
スポーツ選手時代に培ってきた経験を活かし、ご自身の可能性にどんどん挑戦していく姿がとても素晴らしいです。
高橋さんは無事ニューヨークに到着し、ファッションショーが3件決まり、ジュエリー撮影、ライフスタイル撮影などこなされていると、嬉しい連絡がありました!
これからの益々のご活躍を楽しみにしています。
【高橋美帆さん プロフィール】
埼玉県出身。中学時代からバレーボールを始め、2007年、パイオニアレッドウィングスに入団。2012年、日本外国語専門学校に入学。卒業後、ハワイ大学へ短期留学。帰国後は、セレクトショップを展開する企業に入社。2015年、バレーボールコーチに転身。2016年、Miss Hope Japanにて準グランプリを受賞後、モデル活動を始める。2018年、Miss Model of the World 日本代表として世界大会に出場。2020年(2020-21シーズン)地元のV1チームである埼玉上尾メディックスの通訳に就任。
]]>JUGEMテーマ:興味深い話題・出来事など
皆さん、先日はテレビを見ましたでしょうか。(あとでその話をします)
最初に、ちょっと質問をさせてください。
大きく口を広げて、自信を持って笑えていますか?
年を重ねても、いつまでも美味しくお食事をしたくありませんか?
結局、誰にとっても「歯が命」ですね!
8月1日は、健康的で美しい歯の大切さを改めて考えていただく日です。
ちなみに、歯が命キャンディーとアパガードクリスタルプレミアムセットプレゼントへの本当にたくさんのご応募、ありがとうございました!
その結果抽選となりましたので、ご当選者の方へはこれから発送させていただきます。
では、健康的で美しい歯を持ち、ご自身の活動においても輝いて活躍されている方を表彰する 「歯が命アワード2021」 に移ります。
今年は、元AKB48で現在は女優として活躍されている、前田敦子さんに贈られました!
読売新聞、毎日新聞の紙面をはじめ、TVやWEBのニュースでも幅広く報道されたので、ご覧になった方もいるのでは?
実際にお目にかかると、前田さんはとても魅力的な笑顔で、周りにも笑顔が伝わっていくような素敵な女性でしたよ。
ぜひこちらの特設サイトから当日の様子を確認してみてください!
そのリンクはwww.hagainochi.comです。
もう一つとても嬉しかったのは、二年前の歯が命アワードの受賞者であった水谷隼選手が、今回のオリンピックで卓球の金メダルを取得しました。
本当におめでとうございます!
同じ歯が命の特設サイトでも、プレゼントキャンペーンをまだ実施中です!
サンギ独自のむし歯予防成分「薬用ハイドロキシアパタイト」を配合した歯みがき剤が対象となっていますので、ぜひご応募ください。
応募締切は、2021年8月24日まで!
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引き続き、皆さまの安全をお祈りしております。
コロナ禍の在宅勤務から、久しぶりの投稿です。
皆さんいかがお過ごしでしょうか。
いよいよ今月オリンピック開催を迎えますね。
私事ですが、先日1回目のワクチン接種をしてきました!
これからという皆さんも、まだまだ多いと思いますが、できるだけ多くの方のワクチン接種が進みオリンピックが安全に開催されることを願っています。
今日7月7日は彦星と織姫が1年に1回逢うことができる七夕でもあります。
あいにくの梅雨空で、星を見ることができないのは残念ですが。
日本では願い事を書いた色とりどりの短冊が飾られた笹飾りを、この季節よく見かけます。
出身地オーストラリアでは、七夕の伝説やこの様な風習はありませんが、今年は私も新型コロナウイルスの終息を願いたいです。
サンギでは、8月1日を「歯が命」の日として記念日登録し、健康的で美しい歯の大切さを改めて考えていただく機会として、毎年様々なイベントを実施しています。
健康的で美しい歯を持ち、ご自身の活動においても輝いて活躍されている方を表彰する「歯が命アワード2021」は例年通り実施します。
今年の受賞者は誰なのか?!歯が命の日特設サイトで報告しますのでご覧ください。
■歯が命の日特設サイトはこちら
今年もコロナ禍で大きなイベントの実施はできませんが、日本経済新聞、読売新聞、毎日新聞などでは8月1日に広告や記事が紙面掲載されますので、これも是非ご覧ください!
最近は旅行や海外出張できなくて、お土産プレゼントの実施もできていません。
ですから今年はこのブログでも、歯が命の日を記念したプレゼントをしたいと思います!
賞品は今回の記念日のために作ったオリジナルデザインの「歯が命キャンディー」。
塩サイダー味で夏の塩分補給に。
アパガードの「クリスタルプレミアムセット」と一緒に10名様にプレゼントします!
このプレミアムセットには、アパガードプレミオ20gサイズ、アパガードクリスタル歯ブラシ、
取り外せる大粒のクリスタルチャーム付レザー調ポーチが入っています!
■歯が命キャンディー&クリスタルプレミアムセット
\10名様プレゼントのご応募はこちら!/
こちらの応募は終了となりました。たくさんのご応募ありがとうございました。 当選の発表は、発送を持ってかえさせていただきます。
応募締切:2021年7月29日(木)17時
※ご応募者多数の場合は、抽選させていただきます。
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バレーボール選手から世界で活躍するモデルに挑戦!
元バレーボール選手・モデル 高橋美帆さん
181センチと高身長で、美しく見映えのする高橋美帆さん。
元バレーボール選手で、モデルや通訳として活躍されています。モデル業に本腰を入れるため、この夏、単身渡米予定。華やかな未来が待ち受けていそうな高橋さんにお話を伺いました。
●バレーボールがキャリアの始まり
ロズリン : バレーボール選手に、コーチに、モデルに、通訳。素晴らしいキャリアをお持ちですね。お会いできて嬉しいです。
高橋 : ありがとうございます。バレーボールが私のキャリアの始まりなんです。
ロズリン : バレーボールを始めたきっかけは?
高橋 : もともと運動神経のいい子どもだったんです。小学生くらいまでは、特定のスポーツをしていたわけではなく、自由奔放に動き回っていただけでした。中学生になって部活に入るとき、吹奏楽部かバレーボール部で迷いました。4歳からエレクトーンを習っていたので音楽も大好きでした。
しかし、母がママさんバレーをやっていたり、姉がバレーボール部に所属していたことから、バレーボール部の入部を決めました。
ロズリン : 部活は楽しかったですか。
高橋 : そうですね。弱いチームで、練習時間も少なく、とてものんびりしていました。その後、プロになるような走りだしではなかったです。
ロズリン : 高校もバレーボール部に?
高橋 : はい。中学では、女子のバレーボールは弱かったのですが、男子は強くて全国1位。
隣のコートですごく厳しい練習をしていて、かっこいいなと思っていました。
そんな日々の中である日男子の監督から「長身選手合宿というのがあるんだけど、高橋さん、身長高いから行ってみない?」と声をかけていただいて。その合宿に参加したことをきっかけに高校の監督から声をかけていただいて、推薦で高校へ入学しました。
●高校で開けたプロの道
ロズリン : 高校での練習はどうでしたか。
高橋 : 朝練もあり、夜も遅くまで練習があって今までの生活とは一変しました。
ロズリン : 勉強する暇、ないですね。(笑)
高橋 : ところが、文武両道を目指す学校だったので、テスト前には会議室みたいなところに放り込まれて、「さあ、勉強しなさい」と。
ロズリン : いま、通訳で使っている英語の勉強はそのときからですか。
高橋 : はい。数学とか物理は苦手だったのですが、英語は好きだったので、特別頑張っていました。
授業中も積極的に手をあげて、先生と会話を楽しむようにしていました。
ロズリン : 高校時代にプロへの道が開けたんですね。
高橋 : はい、でも、もともとバレーボールが上手いというより、身長が高いから磨けば光るかもしれないということで監督もとってくれたのだと思います。まわりは上手な人ばかりなので、はじめは精神的的にも身体的にもしんどかったです。
練習を重ねるなかで、だんだん技術がついてきて、まわりからの評価も上がってきました。全国大会の選抜チームにも選んでいただき、Vリーグからも目をつけてもらえるようになりました。
その後、全国高校選抜チームの一員として出場した世界ジュニア女子バレーボール選手権では銅メダルを獲得。
メダルを持って帰ってきたことでオファーがドッと来て、高校卒業後、V・プレミアリーグの東北パイオニアレッドウィングスに入団しました。
ロズリン : 迷わずプロに行ったんですか?
高橋 : いえ、正直、かなり悩みました。自分の中で3つ希望の選択肢があって、「プロにいく」「大学に行く」「英語の専門学校に行く」。大学については、先生に「バレーボールの推薦も活用できる」とアドバイスをいただいていました。
考えた末、プロという誰もがもらえるわけではないチャンスをいまは活かしたい、と。英語や大学は、後からでも挑戦できると思いました。
●プロチームでは下積みも経験
ロズリン : プロになってからは、どうでしたか。
高橋 : そうですね。チームによっては、オフィスワークをしながら練習をするというところもあります。
私が所属したチームは、バレーボールに専念してよいというところでしたので、朝から夕方までずっとバレーボールに集中することができました。
ロズリン : 体が丈夫じゃないとできませんね。
高橋 : 若さと自分への期待があったから乗り切れたのかなと思います。
最近はよくバレーボールの世界に復帰したいかと聞かれるのですが、うーん(笑)。現役選手と触れ合っていると、体力の違いを感じます。
人間的な活力では負けていないけど、自身の現役時代のパフォーマンスを求めてしまうと思うので、やるとなるとかなりのエネルギーと覚悟が必要だと思っています。
ロズリン : 運動は続けていますか。
高橋 : バレーボールはやっていませんが、フィットネスジムで筋トレしたり、ヨガをしたりしています。
ロズリン : プロの試合では、結構海外に行くチャンスもありましたか。
高橋 : 高校のときに、中国で親善試合をしたのが初めての海外でしたが、公式試合としては、タイが最初かな。
タイ、大好きなんですよ。親日国家だし、バレーボールがすごく人気なんですね。
黄色い声援がすごいので、プレーしていてとてもうれしい気持ちになります。
ロズリン : 豊かな時間でしたね。プロチームには、何年くらい在籍していましたか。
高橋 : 4年間ですね。プロチームに入れば、Vリーグの試合に出られる、ファンの方からサインを求められたりもする、という華やかなイメージがあったのに対して、実際は地道で、自分と向き合いながらの練習の日々。
練習自体は高校時代よりも効率的でしたが、なかなか試合に出られなかったり、けがもしたりで、モヤモヤした下積み時代が続きました。
ロズリン : 確かにイメージとは違いますね。
●バレーボールにワクワクしなくなってしまった
高橋 : 3年目にようやくスターティングメンバー※になれたんですが、コートに立てたら立てたで、プロの厳しさを味わいました。結局、腰のけがが原因で、ドクターストップ。引退となりました。
※試合開始時から出場する定員内選手のこと。
ロズリン : けがというネガティブな理由もあったかもしれないけれど、実はもっと広い世界で活躍したいという思いもあったんじゃないですか。
高橋 : さすがの洞察力・・・! もちろん、腰のことは大きかったです。
アスリートとしてその先の状況が真っ暗になってしまったので。
でも、それだけではなく、もともと英語が好きだったし、世界を向きたいという潜在的なものが影響していたと思います。バレーボールを続けていれば安全安心だったかもしれないけれど、そこにワクワクする気持ちが薄れていることも感じていました。
ロズリン : 物足りなくなってしまったんですね。けがはもうすっかり治りましたか。
高橋 : まだ付き合っています。リハビリも続けています。まあ、アスリートの勲章ですかね。
ロズリン : バレーボールをやめたとき、次に何をするか考えていましたか。
高橋 : まったく考えていなかったです。(笑)
なんだかバーンアウトしてしまった感じで、ずっとバレーボールだけだったので、社会に適応できるのか、すごく怖かったんです。
後編に続きます。
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私の写真であなたの毎日に一歩踏み出す勇気とエナジーを伝えたい
写真家 北野美奈さん
北野美奈さんは、広告代理店である株式会社ホッターザンジュライ(HTJ)に所属する写真家。同社の広告写真を手がけるほか、個展を開いたり、ワークショップで母子をテーマに写真を撮るなど幅広く活躍しています。
実は幼少期より発達障害(ADHD)を抱えて生きづらさを感じながらも、写真という手段で意欲的に自身を表現している美奈さんに、お話しを伺いました。
●子どもとお母さんの関係を撮りたい
ロズリン : ファッションも撮っているんですね。ファッションの写真というと制約があって、写真家としてはおもしろくないのかなと思いましたが、ホームページを拝見すると、ずいぶん自由に撮っているんですね。
北野 : そうですね。
ロズリン : これ、とてもすてきです!
北野 : 富士フィルムのイベント「母と子のポートレート」& 写真展での作品ですね。コロナ禍で不安が高まっているなかで、写真を通して世の中を元気にしようということでやらせていただきました。
子どもとお母さんの関係は 色々なことがあっても強い絆で繋がっているとイベントの現場でも感じます。
時に断絶している関係の時もあるかもしれませんが、その時の親子の形を撮影できることがとても嬉しいです。
イベント会場にくる子ども達は、最初、気乗りがしない子もたまにいますが、いざお母さんがヘアメイクで綺麗になっていき、一眼レフのカメラでパシャパシャ撮影したり実際モデルになる体験をしたり、最後はみんな笑顔で帰って行きます。親子で、鏡なしでアートメイクをして。
ペイントもしたんですけど、不思議なのは、互いを見ていないのに同じようなペインティングしていたりする。
ロズリン : ペインティングをするというのは、美奈さんのアイデアですか。
北野 : そうです。その方が個性が出ると思って。いろんな親子のペインティングを見ると、それぞれ違いがあって、おもしろいです。
●きれいなものでなくても撮ってみたい
ロズリン : こちらは?
北野 : オンライン・フォトシューティングというもので、モデルさんをオンラインで撮影するというスタイルでやってみました。彼女らの自宅のコロナ禍の生活をリアルに撮影したものです。スマホを使って仕事で使うカメラほど綺麗な画質を確保できない分、撮影のアイデア、演出やアングルにこだわりました。カナダやニューヨーク、オンラインの向こう側にいるモデルといかにコミュニケーションを緻密に撮るか。とても難しい挑戦ですが、新しいことに挑戦することはとても楽しいですね。
ロズリン : ヌードなのに、すごく上品。信頼関係がないと撮れない写真ですね。美奈さんは写真集を作ったことはありますか。
北野 : まだです。ぜひ作りたいと思っています。
ロズリン : こちらはお母さんの写真ですか。
北野 : はい、そうです。実は2週間前に母は亡くなったのです。まだ57歳。一昨年に癌が見つかって、あっという間でした。1年間、コロナでの隔離生活も重なって、母との生活の中で感じたつながりというものをどう表現したらいいのかなと考えながら撮りました。(取材は2021年1月下旬)
母と一緒に写真を撮るなかで、先ほどの「母と子のポートレート」の話のように、私自身も母との関係が浮き彫りになったり、修復したりということがありました。そんなことから最近は、必ずしもきれいなものでなくても撮ってみようかなと思っていて…。
ロズリン : 必ずしもきれいではないもの、ってたとえば?
北野 : 断絶した親子の関係とか。私と母との関係も、最初からきれいなものだったわけではないので。あとは女性の部分とか。血だったりとか。
ロズリン : きれいかどうか、見方によりますね。いずれにしろ写真は、いろいろな解釈ができるのがおもしろいところですね。
北野 : おっしゃるとおりです。「1枚の写真は1000語にも匹敵する」という言葉がありますが、本当にそうだな、と思います。
●ロズリンさんの着物姿を撮影したい
ロズリン : これからどんなことをやってみたいか、考えていることはありますか。
北野 : 母と子のつながりを写し撮る"ワンダーコネクション“は、ぜひ続けていきたいです。あとは、京都の着物の絵柄のプリンティングのプロセスを撮影したものがあって、京都でその個展を開く予定があります。あんなきれいな着物、どうやって作られているんだろうという好奇心から生まれた企画です。
ロズリン : 次々と忙しそうですね。
北野 : みんなで作っていくのが、すごく楽しいですね。被写体という相手がある事の素晴らしさ。感謝の気持ちでいっぱいです。
ロズリン : 写真以外で、やってみたいことはありますか?
北野 : やってみたいのは合気道。着物も簡単に着付けができるならやりたいなと思っています。
ロズリン : へぇ、おもしろい!私も若いころ、合気道をやっていましたし、お着物の着付けもしていますよ。似ているところがあるのかもしれないですね。
北野 : すごい! 私のやりたいことをばっちりなさっている。ぜひ、着物を着ていらっしゃるところを撮影させていただきたいです。
黄色のバックグラウンドで、紫の着物を着て撮ったらすてきかも。
ロズリン : うれしいですね。美奈さんの写真、もっとたくさん見たいので、個展があったらお知らせくださいね。
今日はすてきなお話をありがとうございました。
【感想】
今回、写真撮影に自分の最も深い表現方法を見つけた北野さんの写真をたくさん拝見して、どの写真にもそれぞれ心や気持ちがこめられているようなエネルギーを感じました。北野さんご自身の経験はもちろんですが、研ぎ澄まされた感性や素晴らしいセンスが、写真にも表れているようですね。私も写真や絵、アートが大好きなので、大変興味深いお話でした。
今後彼女の写真をフォローして、これからのご活躍も楽しみにしております。本日はありがとうございました。
【北野美奈さん プロフィール】
写真家。長野県伊那市出身。アートの街ニューヨーク、日本の四季を享受する故郷長野と東京が拠点。文教大学卒業、広報学科で広告メディアを専攻。New York Film AcademyおよびInternational Center of Photographyで写真を専攻。SGDsを推進する企業クライアントの撮影や夢を追う女性のポートレート「輝くチカラ」、「母と子のポートレート」などの企画展を中心に活動中。2021年6月18日(金)〜24日(木)原宿・富士フィルムワンダーフォトショップにて撮影イベント&展示会を開催。 HTJ(株式会社ホッターザンジュライ)所属。
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私の写真であなたの毎日に一歩踏み出す勇気とエナジーを伝えたい
写真家 北野美奈さん
北野美奈さんは、広告代理店である株式会社ホッターザンジュライ(HTJ)に所属する写真家。同社の広告写真を手がけるほか、個展を開いたり、ワークショップで母子をテーマに写真を撮るなど幅広く活躍しています。
実は幼少期より発達障害(ADHD) を抱えて生きづらさを感じながらも、写真という手段で意欲的に自身を表現している美奈さんに、お話しを伺いました。
●勤め先の社長が写真を「撮ってみろ」と
ロズリン : 北野さんのホームページを拝見しました。すてきなお写真ばかりですね。いつから撮り始めたのですか。
北野 : それまで写真にとくに触れることははなかったのですが、現在の会社に入社してから社長に「撮ってみろ」と言われたのがきっかけです。
ロズリン : 才能を見出されたのですね。
北野 : 私は発達障害(ADHD)で、学生時代から集団生活に困難を感じていました。企画力や瞬発的な行動力はあるけれど、自分の中にあるパワーを活かす手段がなくて、トラブルが多い。それで社長が、言葉でうまく伝えられないのだったらと、写真を撮ることを勧めてくれました。
仕事の中で撮る機会もたくさんいただけました。私が撮った写真を喜んでくれる人がいるとわかって、嬉しかったですね。写真を通じて誰かに対して"一歩を踏み出す勇気"や"輝くチカラ"つまり自分を輝かせるエナジーを提供できると感じました。
ロズリン : 最初はどんな写真を撮りましたか?
北野 : 会社で扱っていたのは最初はお酒やピザですね。どうしたらおいしそうに見えるか工夫しながら撮っていました。あとは犬。私は長野県出身なのですが、故郷の風景や光がとても好きで。一日の中でも朝と昼と夕方では、光の感じが全然変わってくるんですよね。
丸一日かけて、飼っていた大好きな愛犬を撮ったりしていました。そのうちに写真を撮ることが大好きになりました。それで、専門本を読んだり海外のYouTubeを見たりして独学しました。
●アメリカの写真学校に入学
ロズリン : 全部独学ですか。写真学校か何かには入っていないのですか。
北野 : 社長のおかげで1ヶ月で10ヶ国を回るお仕事をいただいたことがあります。その最後がニューヨークだったんですが、着いたのがたまたま「マンハッタンヘンジ」と呼ばれる、ビルの間に沈む美しい夕陽が見られる日で。
その日はゲイ&レズビアンパレードもやっていて、日本では見たことのない光景に圧倒されてしまいました。それで直感的に、ここで正式に写真を勉強してみたいな、と思ったんです。
ロズリン : すごい決断ですね! 英語は得意だったんですか?そして社長は?
北野 : 社長はぜひどうぞと言ってくれたんです。でも英語は全然できなかったです。学校にはひとりも日系の人がいなくて、最初は心細かったですね。
ロズリン : 語学を身に着けるにはそのほうがいいですよね。また写真だと言葉がなくても伝わりますよね。
北野 : そうなんですが、でも打ちのめされました。写真の歴史の授業や、ステートメントを書くなど、語学力が大事な場面もたくさんあって。なかなか大変でした。
●ポートレートをメインに撮影
ロズリン : 私も写真が大好きで、若いころ、写真学校に入ったことがあるんですよ。暗室に入って、現像までやっていました。
自分でテーマを決めて撮るという授業があって、私は猫にしたんですが、ある人がマンホールを撮っていたんです。よく見るとマンホールって、地域によって全然デザインが違うんですね。見事な写真でしたね。
あと覚えているのは、植物のリベンジ。植物って、切っても新しい枝が次々と出てくるし、コンクリートの隙間からもたくましく芽を出す。それぞれテーマに個性があって、おもしろいなあと思いました。北野さんは、どんなテーマで撮っているんですか。
北野 : いまは「輝く女性」のポートレートがメインです。年齢にかかわらず、意思を持って強く生きている女性ですね。あともう一つは、母と子どものコネクション。母と子どもは普遍的につながっていて、人間のリレーションシップでは究極だと思うので、そこを撮りたいという気持ちがあります。
後編に続きます。
【北野美奈さん プロフィール】
写真家。長野県伊那市出身。アートの街ニューヨーク、日本の四季を享受する故郷長野と東京が拠点。文教大学卒業、広報学科で広告メディアを専攻。New York Film AcademyおよびInternational Center of Photographyで写真を専攻。SGDsを推進する企業クライアントの撮影や夢を追う女性のポートレート「輝くチカラ」、「母と子のポートレート」などの企画展を中心に活動中。2021年6月18日(金)〜24日(木)原宿・富士フィルムワンダーフォトショップにて撮影イベント&展示会を開催。 HTJ(株式会社ホッターザンジュライ)所属。
(一財)ちよだニャンとなる会代表理事 香取章子さん
飼い主のいない猫の保護、不妊去勢手術、譲渡などの活動を行う、一般財団法人 ちよだニャンとなる会 代表理事の香取章子さん。
ロズリンの長い知己である彼女は、作家としても、ジャーナリストとしても、猫や被災動物などをテーマにした執筆を行っています。猫の保護活動、動物福祉への思い、ご自身がこれまでどんな風に生きてきたか。様々なことを語ってくださいました。
● 震災で何もかもが一瞬で壊れるのを見て、心を大事に、好きなことをしようと思った
ロズリン : もともと子どもの頃から動物は好きだったのですか?
香取 : 動物全般に大好きでした。親が犬も猫も飼っていたのですが、昔の日本では、犬は外で犬小屋が一般的。都心のビルに住んでいて、犬は屋上で飼われていました。
大きな犬小屋を与えられていていましたが、照り返しもきつかったろうし、何よりさびしかっただろうと。犬のきもちや習性、行動を理解していないで飼っていたわけで、今考えると本当にかわいそうでした。
家業は貴金属宝飾品の卸商でした。両親が亡くなり、創業99年で幕をおろしてしまったんですけど。
七五三の7歳当時の写真 英国留学、女子寮の仲間と
ロズリン : そうだったんですか。
香取 : はい。父は先見の明のある人で、戦後は香取時計店として、舶来の時計を仕入れて売り、時計が一般にいきわたったら、これからは宝石の時代だと「香取宝飾時計店」として扱う商品を変えていった。宣伝広報にも熱心で、当時のモーニングショーに「宝石研究家」としてレギュラー出演していたこともあります。草笛光子さんや高峰三枝子さんなど有名女優さんと宝石について対談するコーナーでした。
同時に小冊子を発行していて、世界に宝石を訪ねる紀行文を書いていました。大英博物館、ルーブル美術館、トルコのトプカプ宮殿など各国・各地の宝石の歴史や文化についてでした。そんな父の影響もあり、私は「作家になりたい」と考えるようになったんです。
また、家族が海外によく出かけ、一緒にアフリカ、アイスランド、南米など世界中を巡りました。ホームステイもオランダやスウェーデンなどのヨーロッパ各国だけでなく、インドにも滞在しました。楽しかったですね。
ロズリン : 国際的なご家庭だったんですね。
香取 : うちでも各国からの交換留学生のホームステイを受け入れてましたね。大学は日本ですが、卒業後、イギリスの大学に1年留学しました。ヨークシャーの伝統的な女子寮に入り、ハリーポッターのような雰囲気の場所でね。
200人ほどの学生の中、留学生は8人だけ、日本人を受け入れるのは初めてで一人。とても楽しい寮生活を送りました。
ロズリン : それはすばらしいですね。
香取 : 帰国し、24歳で就職。作家志望だったこともあり、出版社を受けたのですが、当時はオイルショックの影響で、出版社のほとんどが採用を見合わせていて、女性誌を中心とする出版社に就職できたのは、今考えると大変な幸運でした。
編集者として月刊誌の編集部で5年働いた頃、突然、会社が希望退職者を募ったんですね。3人に1人やめてもらわないと倒産すると。
どうしたものかと思っていたら、新聞に「家庭画報」の編集者の中途採用の募集を見つけ、作文と面接の試験を受けて、応募300人に対して採用3人の中に潜り込みました。これも奇跡の幸運でしたね。
編集局では、同誌の別冊の茶道や料理のムック本などの編集を担当しました。こちらに3年在職して、退職後、ニューヨークに滞在したり、南米を周ったりした後、元同僚4人と企画・編集プロダクションの会社を立ち上げたのです。
当時はバブルだったので、民営化直後の通信会社など大手企業の仕事を受け、それなりの収益が上がっていました。フリーランスの編集者・ライターとしても雑誌に関わっていたのですが、前述したように、阪神・淡路大震災が私のターニングポイントとなりました。
ロズリン : 現地にすぐに入られたんですか?
香取 : はい。地震の報道で衝撃を受け、涙がとまらなくて。
何かしたいと思った時に、人間と一緒に暮らしてきた動物はどうなったんだろうと心配になり、現地に入ることにしたんです。関西の動物愛護団体の方と落ちあい、リュックにペットフードをぎゅうぎゅうにつめ、がれきの街を歩いて回りました。おしゃれなイメージの神戸が、ビルが倒壊し、めちゃくちゃになっていることに本当に衝撃を受けたんです。この時、いくらブランド品など物を持っていても、こんな風に一瞬でなくなってしまう。
当時いわれていた「モノじゃなくてココロだよ」の意味を実感し、それまで関わってきたグルメやファッション、インテリアのテーマはもうやりたくないと思いました。
ロズリン : そのお気持ち、よくわかります。
香取 : 私の被災動物の報告が朝日新聞に掲載され、それを見てくれた新潮社が発行する月刊誌「SINRA」の編集長からお声がけいただいて、常勤フリーの編集者・ライターとして仕事をすることになりました。
その頃、ロズリンさんの最初の取材をさせていただいたんです。
ロズリン : そうだったんですね。
香取 : 「SINRA」で働いて3年半たった時のことです。深夜心筋梗塞で倒れ、緊急搬送されて、心臓カテーテル手術を受け、生還。
あわや突然死するところだったのですが、この経験で、人はいつ死ぬかわからない、これからは自分のやりたいことをやろうと思い、ボランティア活動にどんどん力が入っていったんです。
ロズリン : お体、大変でしたね。元気になってよかった。私は東日本大震災の時、犬を何匹か引き取ろうと、すぐに連絡したら50歳以上だと、子供が同居しているなどの条件を満たさないと引き取れないと断られ、驚愕しました。
香取 : 動物を譲渡する時、相手の年齢だけで除外するのは残念に思います。若くても病気や死亡、住宅や経済の事情で飼育を放棄する人はいますし、子どもがいても、親がかわいがっていた犬や猫を引き受けるかどうか安心できません。
相手がどれくらい動物を大事にしてくれる人か、経済力や住環境はどうかなどを見きわめることが肝心です。日本では遺言を書かない人が多いですが、ペットのためにこそ遺言を書くことを私はおすすめしています。
千代田区役所で行政と連携して猫の譲渡会開催
● 身近な小さな命を尊重する社会に!
ロズリン : お金といえばいくら好きなことでも、お忙しいのに無報酬だときついでしょう。
香取 : 出版社勤務時代から会社経営時代まで働き詰めに働いて、時間をつくって海外へ行く以外ではお金を使うヒマもありませんでした。両親の持ちビルでずっと同居だったこともあり、老後のための貯蓄ができました。それを取り崩しながらの活動です。だから、あまり長生きしてしまうと、老後の蓄えが足りなくなるかも。
今は、経済性と利便性を考えて、副代表の女性とルームシェアして、計8頭の猫と暮らしています。猫たちの医療費がいちばんの支出というくらいで、節約に励んでいるといえますね。
区に寄せられる猫についての相談のすべてに対応して、猫の保護・譲渡を行っているのですから、ほんとうは経費、特に高額になる医療費にもっと助成してほしいのですが、それはなかなか難しい。日本でももっと寄付文化が普及してくれると、私の老後の心配も解消されるのですが(笑)
ちよだ猫まつり2020開催前のボランティアと職員 チャリティで猫ちゃんのオリジナルコーヒーも♪
ロズリン : なるほど。それで寄付が増えて、より多くの動物を救えるといいですね。
その目標とは別に、将来の目標などはありますか?
香取 : そうですね。日本はせっかくここまで文化的な国家になったのだから、精神的な文化をもっと深めては…と思っているんですね。
そういう意味では、動物福祉はとても遅れていると思います。身近にいる犬や猫を尊重できないのは、地球の仲間を尊重できないということ。
コミュニケーション能力がこんなに高い犬や猫をこんな状態において、いいのでしょうか?ということを、あと10年かけて問いかけていきたい。小さな命を尊重することは、いじめや暴力をなくすことともつながっている気がします。
ロズリン : 心のつながりを見直すということですね。
香取 : はい。何より、命あるものが同じ空間にいたら、生きようと思う気持ちになる。生まれてきた命を大事にしたいですね。
【感想】
保護猫について、これまでの活動や未来のことまで語ってくださり非常に勉強になりました。私自身も動物が好きで獣医師免許を持っていたり、今も猫を5匹飼っています。
香取さんのように、懸命に動物の保護に取り組んでいただいている皆さんのおかげで、人と動物が共存する社会に少しずつ前進しているように思いました。久しぶりにお話することができあっという間の楽しい時間でした。本日はありがとうございました。
【香取章子さん プロフィール】
阪神・淡路大震災の直後、被災地に入り、被災動物について取材。
記事が朝日新聞に掲載されたのをきっかけに、地球の森羅万象をテーマとするグラフィックな月刊誌『SINRA』(新潮社)の猫・犬特集等の企画・編集・執筆を5年余り担当した。
以後、いわゆるペット(猫・犬)をテーマに取材することとなり、特に被災動物、ペットロス、動物愛護・動物福祉、飼い主のいない猫等、人とペットをめぐる社会的な問題に詳しい。
主な活動は、出版・新聞・通信の記事の執筆・寄稿、書籍・ムック等の執筆・出版、セミナー・シンポジウム等の講演。2018年より(一財)ちよだニャンとなる会代表理事就任。
]]>皆さんお元気でお過ごしですか?
新型コロナウイルスのワクチン接種もいっこうに進まず、最近になってまた感染者が増加し、不安な状況が続いています。
でもそんな中で、嬉しいニュースがありましたね!
アメリカで行われた男子ゴルフの海外メジャー大会である「マスターズ・トーナメント」で男子プロゴルファーの松山英樹選手が優勝しました!
日本人男子選手が海外メジャー大会で優勝するのは、なんと初めてという快挙だったそう。
最後の方をTVで見て、松山選手の粘りと素晴らしいプレーに私も元気をもらいました。
毎年GWにはオーストラリアに帰り、毎日ゴルフをして過ごしていた日々が懐かしいですが、今年もまだ難しそう。
コロナが落ち着いたら、またゴルフを楽しみながらリフレッシュしたいです!
数年前のオーストラリアでのゴルフの様子
日本と違って安いですし、ほとんどすいていて、いつも歩いて回ります。
コースでカンガルーに出会えるのもオーストラリアならでは。
今年はオリンピックイヤーですが、水泳でも元気が出るニュースありましたね。
白血病から復活された池江璃花子選手。
病に打ち勝ち、そして復帰後の厳しい練習に耐え、見事100メートルバタフライで3年ぶり4度目の優勝、オリンピック代表を獲得しました!
見守ったみなさんに、勇気と力を与えてくれるのじゃないでしょうか。
このような状況下でのオリンピック開催は、様々な制約が設けられた異例のものとなるでしょうが、開催が決まったからには、選手の方々をTVの前で全力で応援したいですね。
さて小さなご報告ですが、先日「夕刊フジ」の取材をうけ、4月19日発行の紙面に記事掲載されました。
「芸能人は歯が命」CMの裏側、アパガードに対する思い、サンギと私自身のこれまでの歩みなど語ったものが掲載されています。
WEBサイトでも転載されているそうですので、よろしければご覧くださいね。
■こちらからご覧ください (夕刊フジ公式サイトzakzak)
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(一財)ちよだニャンとなる会代表理事 香取章子さん
飼い主のいない猫の保護、不妊去勢手術、譲渡などの活動を行う、一般財団法人 ちよだニャンとなる会 代表理事の香取章子さん。
ロズリンの長い知己である彼女は、作家としても、ジャーナリストとしても、猫や被災動物などをテーマにした執筆を行っています。猫の保護活動、動物福祉への思い、ご自身がこれまでどんな風に生きてきたか。様々なことを語ってくださいました。
● 約20年、猫の保護活動に取り組む
ロズリン : お会いするのはずいぶんお久しぶりですね。
香取 : お互い体型が少し丸くなりましたね(笑)。
ロズリンさんと初めてお会いしたのは、25年ぐらい前ですから、大変長い付き合いです。
出会いは、阪神淡路大震災の後の時期。動物を救いたいからと獣医師の資格をとった外国のすごい方が、「芸能人は歯が命」のCMをしている会社にいると聞き、雑誌で取材させていただいたんですよね。
私は震災の時に被災動物の取材をしたことから、自分のテーマを動物福祉に舵を切った頃でした。
その後、19年前にも、私のペットロスがテーマのインタビュー集、「猫への詫び状」の取材でお世話になり、最後の章を飾っていただき、ありがとうございました。
ロズリン : 最初に飼った猫が亡くなったときはつらかったです。香取さんの著書に取り上げていただいたことは、私もうれしかったです。
主人と車にのっている時に、道にたわしが落ちている、と思ったら瀕死の子猫でした。
あわてて病院に連れていったら、奇跡的に助かってよかったのですが、1年数か月で亡くなり、あの時は本当に悲しかった。3か月たっても泣けてね。
だからその猫のエピソードが残ったのはありがたいです。香取さんは、現在、一般財団法人ちよだニャンとなる会の代表理事をされているんですね。
香取 : はい。千代田区の行政と一緒に、飼い主のいない猫の保護、不妊手術、譲渡活動などを行っています。
もう20年ほどになりますね。当時、千代田区には今の10倍「飼い主のいない猫」がいて、より都市化が進み、猫が生きるには環境が難しくなっていきました。また公衆衛生の側面から苦情が出たりといろいろな事情から千代田区は「まず繁殖をおさえよう」と、飼い主のいない猫の不妊去勢手術の助成事業を始めることになったわけです。
活動が始まった頃、共感した私は、職業柄、ポスターやパンフレットを作りますとボランティアを申し出たのが、この活動に入った直接のきっかけです。最初の10年は手術の連続でしたが、近年は保護して譲渡することが主な活動になっています。この20年で千代田区の飼い主のいない猫の数は10分の一にまで減りました。
ロズリン : 以前は、殺処分までしていましたね。
香取 : 千代田区では2011年から殺処分ゼロになってます。東京都でも小池知事が殺処分ゼロを一昨年実現しました。
とにかくオリンピック・パラリンピックを開催する国の首都の市街地に病気やけがの猫がさまよっているような状況では先進国として恥ずかしいのでは?という意見もあり、より保護活動が進んでいます。
捕獲器で母猫と子猫、計6頭を保護中
● 都心の環境で野良猫が生きるのは難しい
ロズリン : でも、いわゆる「地域猫」のように、外でエサをもらって猫が生きることも悪くないですよね?よく近所の方たち外猫の面倒を見てくれる方もいますよね。
香取 : もちろん悪いことではありません。でも環境によりますよね。
路地が多いようなところとか、都内でも猫がもぐりこめる場所があればいいのですが、現在の都心、特に都心では大規模再開発が進み、猫の居場所がいよいよ狭められています。
お台場も海風の吹きさらしで、猫が次々と凍死してしまっていたり。
たとえば下町、あるいは繁華街の飲食店のあたりで食べ物を与えられている猫は少なくありません。食べ物を与えるのはやさしさからだとは思いますが、その猫がいざ病気やけがを負うと「引き取ってもらえないか」と、我々に連絡がくる。
たとえば扁平上皮癌で顔がぐちゃぐちゃになった猫。それまでは相談者がずっと食べ物を与えていたはずなのに、見たくない状態になると「誰かが何とかしてくれないか」というのは、「やさしい無責任」というものではないでしょうか。ひと昔前は、飼い主のいない猫に手術を行い、地域で猫を見守るという方法が普及していましたが、今は高齢、病気、けがの猫についての相談が増え、外で暮らす猫の過酷な状況をわかっているので、私自身は「地域猫万歳」とはいいにくいところがありますね。
ロズリン : なるほど。環境に左右される部分は大きいですね。
香取さんが、その保護活動を行っている日は、どんな1日なのですか。
香取 : そうですね。この間の月曜日の朝7時半、千代田区の保健所から「遺棄されたのか、目がぐちゃぐちゃの猫が東京駅・新丸ビルのガラスにぶつかってよろよろしていたのを保護しているのでひきとってくれと、丸の内警察から依頼がきた」と相談の電話がありました。
9時頃に保健所の車が私をピックアップ。そして警察で猫を引き取り、そのまま協力動物病院のひとつ、赤坂動物病院に連れて行きました。
ロズリン : 有名な病院ですね。
香取 : はい。高度先進医療の病院で、ベストと思われる医療を行っていただいていますが、千代田区の助成事業ということで、医療費についてはそれなりにご配慮くださっています。
最近は、社会貢献への意識の高い動物病院が増えて、助かっていますね。
ロズリン : それは立派ですね。そういうSOSの依頼が多いですか。
香取 : 本当に多い。ある時は市ヶ谷駅に、顔に粘着シートのようなものがついてべたべたになっている猫がいると保健所に相談が寄せられたり。保護しに行くことは次々あります。
ロズリン : 助けるのはいいけど。里親探しが大変じゃないですか?
香取 : 近年では、インターネットのマッチングサイトや譲渡会が普及してきて、子猫にかぎらずおとなの猫を迎えてくださる方が増えています。12歳のシニア猫とか、3本肢や片目など、ハンディキャップのある子にも家族が見つかるようになりました。
ロズリン : それはいいですね。でも猫の保護活動ばかりで、今は書く仕事もできるのですか?
香取 : 猫の保護活動は無報酬・持ち出しのボランティア活動です。
それが一年365日休みなしで、最近では原稿枚数が多い書き下ろしの仕事などはできていません。
ひと昔前は、女性誌の編集者だったので、ファッションもグルメもそれなりに関心はありましたが、今は衣食にお金をかけなくなりました。コロナ禍もあって、今はボランティア団体のチャリティTシャツで過ごすことがほとんどです。オンラインでの会議では上着だけ替えたり。猫も人も幸せな社会をめざす活動がライフワークというか、やりがいを実感していますね。
譲渡型保護猫カフェ「ちよだニャンとなるカフェ」
ロズリン : すごい愛情ですね。こういう活動や動物福祉、猫のことをテーマに執筆するようになったそもそもの経緯といいますか、どんな風に子供の頃から生きてこられたのか、ぜひ教えてください。
後編へ続きます。
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東京医科歯科大学歯学部准教授 田畑純(まこと)さん
東京医科歯科大学歯学部准教授の田畑純先生は歯のかたちづくりの謎を解くための研究をしておられ、本も書いておられます。
サンギでも歯の主成分である「ハイドロキシアパタイト」を研究しており、オーラルケア製品の開発・製造・販売に注力しているので、「歯」という共通のテーマがあります。そこで、今回はZOOMにて、色々なお話を聞かせていただきました。
●動物の歯と人間の歯の違いは?
ロズリン : ところで、人間の歯や骨はハイドロキシアパタイトというリン酸カルシウムの一種からできていますが、動物の歯はどうなんでしょう。
田畑 : 基本的にすべての動物の歯や骨も、エナメル質も象牙質もハイドロキシアパタイトでできています。
魚も哺乳類も、すべてそうです。そこに人間との違いはありませんね。ただ、形や機能はそれぞれ違います。
ロズリン : 象の牙も?
田畑 : 牙は歯の変形したものなので、歯と同じ構造をしています。それに対して角は骨です。
ロズリン : 人間の歯と同じ成分ということは、動物たちもむし歯になることがあるんですか。
田畑 : 動物園やペットとして飼われている動物にはむし歯があります。歯周病が出てくる場合もあります。
でも、野生の動物では私は見たことがありません。うちの大学の標本室に300体くらいの動物の標本があるんですが、みんな歯がきれいに揃っていて、むし歯は1つもありません。反対に人の場合は、むし歯が1本もなくてきれいなままの人はなかなかいないですよ。
ロズリン : 人間の食生活がいけないのでしょうか。
田畑 : そうですね。特に甘い物を食べているとむし歯になりやすいですね。
●歯の起源を知るために鱗(うろこ)の研究を
ロズリン : 最近は『鱗の博物誌』という本も出版されたんですね。
田畑 : 歯の進化を研究しているのですが、その一環として鱗の研究もしています。鱗と歯の起原は同じと考えられているからですが、鱗はそれだけでもかなり面白い。
あまりにも面白いので、鱗だけに絞ってまとめたのがこの本です。この本は共著なのですが、いいメンバーが揃ったこと、たくさんの方から協力を得られたこともあって、いい本になったと思います。表紙にはシーラカンスの鱗写真を使っています。
田畑純ほか 「鱗の博物誌」 グラフィック社 2020/10/8発行
魚類、爬虫類、鳥類に加え、センザンコウやアルマジロなどの哺乳類にもスポットを当て、ふんだんに写真を使った世界でも類を見ない鱗の大図鑑。
ロズリン : 鱗の成分は何ですか?
田畑 : 魚類の鱗は骨の一種なので、これもハイドロキシアパタイトです。魚鱗って透明で、柔らかいイメージがあるんですが、成分は骨と同じです。
キンギョのウロコ。右はアリザリンレッド染色したもので、骨成分が鮮紅色に染まっている。
ロズリン : 鱗にはどんな役割があるんですか。
田畑 : 鎧のかわりですね。太古の昔、他の動物に食べられないようにどんどん分厚くしていったんです。
でも、そうすると体が重くなって逃げられなくなって、結局、丸ごと食べられてしまうようになる。それで、今度はどんどん薄くして、身軽になって、今の鱗の形状になったという経緯があります。
ロズリン : 面白いですね!今は他にどんな研究をされていますか。
田畑 : 大きく3つあって、歯胚 (しはい) 培養を用いた発生機構の研究、エナメル芽細胞の分化と特殊性の研究、魚類の歯や鱗を使った歯の進化の研究です。
それから、今は、教科書や本を書くことにもけっこうな時間を使っています。研究の基盤となる知識を後世に引き継ぐためにも重要な仕事と考えています。今、書いているのは口腔解剖学の教科書で、2021年の6月頃に出版予定です。
マウスの培養歯胚。培養下で歯ができていく。
ラット切歯のエナメル芽細胞。エナメル質を形成する細胞。
シーラカンスのウロコ。表面に多数の小歯が見られる。
ロズリン : そもそも先生が歯に興味をもたれたのはなぜですか。
田畑 : もともと理学部の生物学科出身なんです。大学院では、カエルの発生、特に卵の細胞質について研究していたんですよ。
博士号をとった後、就職先を探していたときに、培養と免疫染色ができる人を歯学部の先生が探しておられて、歯の発生研究を始めようとしていたんです。
自分の実験技術がちょうど生かせると思ったし、歯の研究が面白そうだなと思ったので、思い切って歯科学の分野に移ったんです。
ロズリン : 先生の研究室では、歯の再生の研究もされていますか。
田畑 : 僕はやってないんですよ。
どうやって歯ができるのかという根本的なところがわかっていないので、歯の再生の研究を始める勇気が湧かないんです。
ロズリン : 歯の芽は、胎児のときにすでにあるんですよね。
不思議なのは、切歯とか臼歯とか全部、それぞれの形で、きちんとした並び方でできてくるということ。動物の体ってすごいなと、いつも思います。
田畑 : 本当に素晴らしいですよ。切歯、犬歯、臼歯と、ゆるやかに形が変わってくる。
それは、背骨がそれぞれの位置によって少しずつ形が違うのと似ているんですが、背骨の場合、遺伝子の並びで制御されているとわかっているんですけど、歯の場合はまだ謎なんです。
ヒトの永久歯列。少しずつかたちを変えているのが読み取れる。
ロズリン : 歯の発生の命令系統が解明できたらすごいですね。
田畑 : そうですね。間違いなく大変な発見になります。歯がどうしてできるのか、どうしてそういうかたちをしているのか、についてはわかっていないことがまだまだたくさんあって、その謎を解くことにわくわくします。どういう風にしたら解けるかを考えたり、ヒントを見つけるだけでも大変なんですけどね(笑)。
●宇宙実験にもかかわって
ロズリン : 先生は、宇宙実験にもかかわられたそうですね。
田畑 : そうなんです。今、ちょうど野口聡一さんが宇宙に行かれていますが、彼が2009年から2010年にかけて宇宙ステーションに長期滞在したとき、僕らの実験をやってもらいました。
Fish Scalesの公式デカール(デザインは田畑)。
田畑 : 「宇宙空間における骨代謝制御:キンギョの培養ウロコを骨のモデルとした解析」というもので、Fish Scalesというプロジェクトでした。ざっくりと説明すると、キンギョから抜いたウロコを無菌にして、専用培養液と一緒に専用培養器に入れて、宇宙へあげ、"きぼう"船内実験室内の細胞培養ユニットで培養し、微小重力下で起こる骨形成異常の細胞形態と遺伝子発現の変化、新規薬物による効果の有無を調べました。
実験のときには、宇宙からハイビジョン映像がリアルタイムで送られてきていて、それをJAXAのつくば管制室から見ていたんですが、野口さんが着ている服の繊維がはっきり見えるくらい鮮明な画像で、実験の様子がよくわかった。本当に感激しましたね。
それから、フロリダのNASAケネディ宇宙センターまで行って、スペースシャトルで戻ってきた試料を受け取りました。NASAのいろいろな施設を見ることができ、シャトルの着陸もすぐ近くで見ることができました。
実験試料を積んだスペースシャトル(STS132 アトランティス号)の帰還。すぐ近くで見ることができた。
ロズリン : 面白そうですね。またやりたいですか。
田畑 : いやあ、とっても面白かったんですが、忙しくて死ぬかと思いました。しばらくはもういいです(笑)。
でも、たくさんの人と一緒に仕事ができて、楽しかったですね。宇宙が好きな人ばかりで、いい雰囲気でした。
●コロナ禍で授業を工夫
ロズリン : 今、コロナの影響はどうですか。
田畑 : そうですね。2020年は全部ZOOMで講義をしたんですが、なかなか実習ができなくて困りました。
僕は組織学が担当なんですが、いつ実習ができるかわからないな、と思って、バーチャルスライドを導入しました。
これは、対面実習つまり顕微鏡実習の時間数を減らすなどの工夫にも有効でした。
通常、組織学の実習は、組織切片を用意して、学生がそれを顕微鏡で見て、スケッチするというのがオーソドックスなスタイル。
ところが、今の学生さんって、カメラでもスマホでもオートフォーカスが普通なので、ピント合わせの経験がない。
だから、顕微鏡のピント合わせがすごく苦手なんですよ。
コロナ感染対策をして実施した顕微鏡実習(2020年9月)
その点、バーチャルスライドだとGoogle Earth のような操作で組織像を観察できるので、操作が簡単で、ピント合わせもいらない。
つまり、導入にはすごく適していたんです。で、バーチャルスライドで組織像がどう見えたらいいのかよくわかるようになってから、顕微鏡実習を始めたのですが、操作の習得がいつもよりもずっとスムーズにいきました。スケッチの出来も例年よりもすばらしいものが多かった。
ですから、バーチャルスライドの導入は、思っていた以上に収穫がありました。
今、うちの教室が管理・維持している実習用切片のバーチャル化を進めているのですが、今後はバーチャルとリアル(顕微鏡)の併用で実習をする予定です。いいとこどりをしようというわけです。
●趣味は写真と音楽
ロズリン : 先生はお仕事以外にもいろいろな分野にご興味がありそうですね。
田畑 : 僕は、写真撮影とカメラ収集、それからコンピュータ・プログラミングが趣味です。
それで、「休八写真館」と「休八ソフトウェア」というHPでカメラや自作ソフトを紹介しています。
音楽ではムソルグスキーが好きで、「”展覧会の絵”の展覧会」というHPでムソルグスキーのCDやレコードをたくさん紹介しています。
それから、「クラシックCD異稿・編曲のよろこび」という本では、田畑休八の名でムソルグスキーの項を執筆しました。
近藤健児ほか「クラシックCD 異稿・編曲のよろこび」 青弓社 2007/9/25 発行
9人の作曲家の異稿と編曲を丁寧に紹介する共著ならではの競演。
ロズリン : 趣味の幅が広いんですね。ご自分で楽器は演奏されますか?
田畑 : 好きなんですけど、自分ではあまりやらないですね。本当に上手な人の演奏を聴くと、やる気が起こらない(笑)。
聴けば聴くほど耳が肥えてしまって。研究もそうですが、演奏はセンスがないとダメですね。
ロズリン : 忙しい毎日の中でも、時間を作っていろいろと活動されているのは素晴らしいです。またお話を聞かせてください。
今日は興味深いお話をありがとうございました!
【感想】
ご自身の研究にとどまらず、知識を学生さんや読者に伝えたり、趣味も幅広くお持ちの田畑先生。
動物の歯の構造を含む色々なことについて伺うことができ、非常に勉強になり、あっという間の時間でした。
まだ話足りないくらいです(笑)。歯の世界は奥が深いですね。貴重なお話を伺って楽しかったです。
【田畑純さんプロフィール】
1961年東京生まれ。九州大学理学部生物学科卒業後、広島大学総合科学部で学位取得。
その後、大阪大学歯学部助手、ヘルシンキ大学生物工学研究所文部省在外研究員、鹿児島大学歯学部助教授を経て、2007年より東京医科歯科大学歯学部准教授。
教室HP: http://www.tmd.ac.jp/dent/oan2/index.htm
個人HP: http://kyu-hachi.sakura.ne.jp
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東京医科歯科大学歯学部准教授 田畑純(まこと)さん
東京医科歯科大学歯学部准教授の田畑純先生は歯のかたちづくりの謎を解くための研究をしておられ、本も書いておられます。
サンギでも歯の主成分である「ハイドロキシアパタイト」を研究しており、オーラルケア製品の開発・製造・販売に注力しているので、「歯」という共通のテーマがあります。そこで、今回はZOOMにて、色々なお話を聞かせていただきました。
● 十二支の動物たちの歯を比較
ロズリン : 先生は非常に面白い本を書いておられますね。
この『新・十二歯考 十二支でめぐる歯の比較解剖学』をとても興味深く読みました。この本を書くきっかけはなんだったのでしょうか?
田畑 純 「新・十二歯考:十二支でめぐる歯の比較解剖学」 医歯薬出版 2020/6/12発行
歯の多様性や発生の仕組みを十二支の動物たちを使って豊富な写真と模式図で解説する。
田畑 : 1993年に『十二歯考:歯が語る十二支の動物誌』という本が出ていて、すごく面白いんですけれど、この本をお書きになった大泰司紀之(おおたいしのりゆき)先生は獣医学の立場で書いておられる。
それで、僕は僕なりにもっと歯科学の立場から書いてみたいと思ったのがきっかけです。
そこで、まず、大泰司先生から、「十二歯考」というタイトル借用の了解をいただき、それから、『歯界展望』という雑誌に「新・十二歯考:十二支でめぐる歯のかたちづくり」というタイトルで連載をさせてもらったんです。
十二支なので12回で終わらせるつもりだったんですが、最後、比較のために人間も入れたいと思って全部で13回。この連載を本にまとめる時に、補遺を加えて動物の進化や分類、歯の基礎知識についても書きました。幸い、うちの大学の標本室には、必要な動物の骨標本や組織標本がほとんど揃っていたんです。
● ネズミ、牛、蛇、それぞれ特徴が
ロズリン : 十二支にはいろいろな動物が揃っていますが、それぞれの動物の特徴について、簡単に教えていただけますか。
田畑 : まず最初がネズミなんですが、ネズミって小さいからわかりにくいんですけど、実はかなり口のまわりの筋肉(=咀嚼筋)が発達していて噛む力が強いんです。だから、歯も丈夫でそれがしっかりと顎に付いている。
切歯は口の真ん中に左右上下1本ずつ、そして奥歯は左右上下3本ずつ。歯はこれだけしかないのですが、噛む力がここに集約されますので、非常に硬いものが噛めるんです。彼らは堅い木の実を食べるのが元々の食性なので、口が大きく開くようになっているし、そういう堅いものを食べやすい形の歯を持っています。
ラットの頭蓋骨。太い咬筋が付いているので、頬骨弓が大きく張り出し、下顎角が大きくなっている。
ロズリン : 牛はどうですか。
田畑 : 牛は草食動物で、特殊なんですよ。
前歯は、下顎だけに小さく一列に揃っていて、上顎には全くないんです。つまり、ほとんど前歯がない。
ロズリン : でも、馬も草食動物ですが、前歯がありますね。
田畑 : その通りです。草食動物の中で上顎前歯がないのは、牛や羊、キリンなどの反芻動物。同じ草食動物でも馬やうさぎにはちゃんと上下に前歯があります。前歯の有る無しは草をどうやって喰むか、その違いを反映しています。
面白いのは草食動物の多くは、臼歯が非常に大きくて、表面が摩耗することを前提にできていることです。標本の写真を見るとわかるんですが、完全に断面になっていて、芯の部分が露出しちゃっています。
切り株のような状態で機能するように作られた歯なんです。牛も馬もキリンも、うさぎでさえそうです。
ウシの頭蓋骨。前歯は下のみで、上にはない。
ロズリン : へえ。面白いですね。
田畑 : これは馬の臼歯です。切り株状態なのがよくわかるでしょう?
ここ、白っぽく見えるのがエナメル質。硬いから、歯が削られても尖って残っている。
内側の黄色っぽいのが象牙質。さらにその内側の黒っぽいのが二次象牙質といって、補充されて新しく作られる象牙質。草の汁がついて黒っぽくなっています。
ウマの下顎第1小臼歯。摩耗して歯の横断面が見えている。
ロズリン : 人間の歯だったら、これだけ象牙質が露出してしまうと大変ですよね。
知覚過敏の状態で、しみて痛みが酷いはず。
田畑 : そうですね。でも、草食動物の歯は、内側から二次象牙質が常に作られていくのと、下からどんどん歯が伸びてくるので、大丈夫なんです。逆に、柔らかいものだけ食べていて削られないと、歯が伸び過ぎて困ることもあります。
ロズリン : そういえば、乗馬をやっていたとき、時々、馬の歯を研いでやらないといけなかったです。
田畑 : そうなんですね。
ロズリン : ほかに、面白そうな動物といえば…蛇はどうですか。
ニシキヘビの頭蓋骨。上顎も下顎も複数の骨から構成されているのがわかる。
田畑 : 蛇の歯は、上に2列、下に1列の歯があって、かみ合わないしくみ。というのも、蛇は基本、噛まずに獲物を飲み込むので、歯は咀嚼のためのものではなく、物をつかむためのものなんです。
後方に傾いているので、いったん歯でつかんだら獲物が逃げられないようになっているのも大きな特徴ですね。蛇は丸呑みのための工夫があったり、毒腺や毒牙の発達があって、そういう点でも面白い動物です。
●辰は象で代用、鳥はくちばしで説明
ロズリン : そういえば、十二支には辰がありますね。辰は架空の動物ですが…。
アジアゾウの頭蓋骨(下顎含まず)。上にある突起(鼻骨)から長い鼻が伸びる。
ゾウの頭蓋骨は、見方を変えると辰のように見える。牙が角になる。
田畑 : 辰の項では、代わりに象をとりあげました。中国には龍骨という生薬があるんですが、これは地面から出てきた大型の哺乳動物の骨の化石なんですね。多くは象の骨の化石なんですが、それをすりつぶして漢方薬にしているんです。
なぜ象の骨が龍骨と呼ばれているかというと、形のよい状態で出てくると、こんなふうに牙を角に見立てると、後頭部が顔になり、まさに龍の骨のように見えるんですね。昔の人はこれを見て、本当に龍がいたんだと考えたんでしょう。
実際、江戸時代(文化元年/1804年)に龍骨が今の滋賀県大津市北部の南庄村というところで見つかっていて、絵師の描いた絵と詳しい文書が残っています。それなどを見ても、象の化石骨を竜骨だと人々が信じたことがわかります。なお、骨も残っていて、トウヨウゾウ Stegodon orientalis だということがわかっています。
上田耕夫画・皆川淇園賛 「龍骨図」 (大津歴史博物館寄託 個人蔵)
さて、幸いにも、うちの教室には象の頭蓋骨標本が3つもありました。こんなの持っている歯学部の教室はそうありません(笑)。
しかも、象の歯は究極の歯。象牙質もよく発達しているし、臼歯もスゴイ。みんなに紹介したくなるような歯なんです。
ロズリン : 鳥はどうなんでしょうか。鳥には歯がありませんよね。
田畑 : そうなんです。鳥には歯がないので、くちばしや咀嚼の仕組みについて書きました。
ニワトリの場合、くちばしが物を噛んだり引き裂いたりなど歯の役割をしているので面白いんです。
ただ、さすがに歯のない動物なので、教室には標本がなくて、ニワトリの頭を買ってきて急遽、頭蓋骨標本や組織切片を作りました。
ロズリン : 鳥はもとから歯がなかったのですか。進化の過程でなくしたのでしょうか。
田畑 : なくしたと言われていますね。鳥の祖先は恐竜なのですが、恐竜の一部に羽を持っている仲間がいて、頭が重いと空を飛べない。
それで、歯や口のまわりの筋肉をなくして頭を軽くした、と。いろいろ調べていくと本当に面白いです。
ニワトリの頭蓋骨。頭蓋中央の大きな空所は眼窩。下顎の構成はヘビと似ている。
後編に続きます。
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一都三県の緊急事態宣言が延長されました。
心配な状況が続いて飲食店などとても困っている業界もあり、一日も早く終息に向かうように協力していきたいですね。
今も厳しい中で尽力いただいている医療従事者の方々に特に感謝します。
もうすぐ桜咲く季節を迎えますが、昨年と同じで今年もお花見の宴会はぐっと我慢です。
いろいろと制限される中、皆さんもご自宅で過ごす時間が多くなっているのは変わりませんよね。
その中でサンギからこの春発売される「アパガードクリスタル歯ブラシ」を紹介させてください!
毎日の歯みがき時間を気持ちだけでも華やいでいただきたい!と、パッケージに華やかなお花をデザインしてリニューアルしました。
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春は新生活が始まる季節でもありますね。
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応募締切:2021年5月13日
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あいにくコロナ禍は、ワクチンが開発されたとしても、当分続きそうですね。そして在宅勤務も続きます。
今回は、私の在宅勤務の様子などをお送りします!
■1日は、朝の散歩から
一日家に閉じこもってPCの前ですと、運動不足にもなるし、神経にもかかりますね。
ですから、毎朝早く家の近くの自然がまだ残っているところで散歩します。
一時間くらいかかりますが、花や野菜畑を見たり、野良猫に餌をやったり、犬の散歩の人とあいさつしたりして、その日の元気を自分に付けています。朝風呂と軽いお食事後、その日のZoom会議などが始まります。
■出社のときは、自動車で
サンギの殆どの社員と同様に、出社を週一、二回に控えて、研究員と同様に自動車通勤のみにしています。
道路の状況によって到着時間は変わりますが、電車の中からできなかった大都会の見物を高速道路から楽しんでいます。
埼玉の研究所に行くときにナビに任せて、混雑状況によって色々な道を案内してくれます。
書類などの荷物を運ぶときには便利だし、まるで海外のような車生活の気分になります。
■うちの仕事部屋公開!
ここが実際の「社長室」です。以前から夜や土日ここで仕事していましたが、今のオンライン会議も全てここから参加しています。
昔からの本、祖母が書いてくれた絵、窓からの緑、私の好なものがいっぱいあります。
ただPCは、以前、猫のいたずらでおしっこをかけられてから、仕事を終えるとしまうことができるノートパソコンにしています。(笑)
在宅勤務の良いところは、長年できなかった資料の整理を次々と進められることです。
これまでなにか資料が必要なときに、どこにしまったんだろうと探すことが多くて。
だいぶすっきりして、取り出しやすくなり、気持ちがいいですね。
会社の資料を整理したところ、懐かしいものがたくさん出てきたんですよ。
安室奈美恵さん、東幹久さん、島谷ひとみさん…など多くの著名人の方にサンギの商品をPRしてもらっていたときの資料ですね。
2024年には、サンギ創立50周年になるので今から歴史の資料を色々整理しておこうと思って。
ただオンライン会議が多くて、次のミーティングに影響しないよう、皆を待たせないようにと、時間内ピッタリで終える必要があるので、相当ストレスを感じます。
そういえば、一度オンラインミーティングの夢を見て、「わあ、時間オーバーした。PCをセッティングして直ぐに出なきゃ…!」と焦って、目が覚めたら夢でした。(笑)
実際に寝坊して、慌ててサッと着替えて、PCをつけて間に合った!ということもありました。
皆さんもそんな経験はありませんか?
■愛猫との暮らし
今まで留守、外食、夜遅い時間に帰宅という生活パターンでしたが、今のように長く家にいると猫たちは大喜びです。
うちには5匹の愛猫(殆ど子猫のときに拾った野良)がいます。
? おばあちゃん猫のツブちゃん
人間でいうと100歳くらいに相当する20歳。
キッチンカウンターの段ボールを自分の家にして、カラスのような鳴き声で時々騒いでいます。
(猫の認知症だそうです)
? お腹がぽっこりのデブ猫のピンちゃん
食いしん坊なので、こちらの食事のときに玄関に閉じ込めます。でも大人しい性格です。
? 外が好きで、常に専用ドアから出入りしているマル君
成猫としてうちにやってきて、住み着いてしまった猫です。
よく餌をおねだりされますが、一匹煮干しをあげると静かになります。(笑)
?&? 兄弟のココちゃん(マルにいつもべったり)と鼻先が真っ白のハナジロウ君
飼い主の在宅勤務の結果、餌の時間が規則正しくなり、ナマリなどのスナックももらえるし、大満足です。
■庭の自然に癒される
以前は土日も仕事をしていたり、ゴルフをしたり予定が入ったりしていて庭を楽しむ時間がほとんどありませんでしたが、テレワークになり庭の自然や緑に癒される時間が増えました。在宅になってからは、自然や季節の楽しみを感じますね。
初夏(蚊が出る前)の時期にここでお昼を食べることも。ちょっとした休憩になりました。
植物は特別植えていませんが、ツツジが咲き、クチナシが咲き、彼岸花(まんじゅしゃげ)が突然出たり、小さな発見が嬉しいですね。
■絵と昔の写真が好き
日本では、仏壇に先祖の写真を飾りますが、西洋では意外と壁に飾りますね。
私のオーストラリアの家族と夫佐久間周治(サンギ会長)の家族の写真を並べて階段のところに飾っています。そして(親戚と友人に画家が多いので)、お気に入りの絵画も飾っています。
■家事の楽しみ
家での時間を楽しむようになったので、夫と二人で料理や家事をよくするようになりました。
食べることも、飲むことも好きなので毎日ゆっくりワインなどで晩酌をしています。
お食事は、交代で作っています。主人は昔から料理上手で、今までも毎朝味噌汁を作ったり、お魚を焼いたり、和食を用意していました。
但し夕方になると、お食事の準備をしても、平日はメールが集中して入ってきて、いつもバタバタしてしまいます。
私は料理を作るのが好きですが、コヴィッド以前、平日遅くまで仕事をして、土日も外出が多く、効率を考えるとなかなか難しくて。
だからこれまでほとんど外食の生活でした。最初は慣れずに、料理を作りすぎてしまうこともありました。(笑)
うちの社員もそうですが、在宅になって、家族と一緒に過ごす時間が増えて、かえって良かったですね。
私たちも、今までなかなか連絡していなかった海外の友人や親戚とオンラインで飲む機会を開いたり、楽しいお付き合いをしています。
ただ寂しいのは、会社の歓迎会や忘年会など、実際に集まって食事ができないこと。
オンラインもいいですが、落ち着いたらやっぱり皆で食事に行きたいですね。
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皆さん、年末年始はいかがお過ごしでしたか?
2021年いよいよ新たな年が明けましたね。
今年は干支の二番目、丑年です。
この丑という漢字は、植物の芽がまだ土の中で伸びきらない様子を表し、丑年は結果を求める時期ではなく、その土台を地道に作り上げていく時期だと言われているそうです。
「牛の歩み」ともいいますが、焦らず、何事もこつこつ努力することが大切なんでしょうね。
まだまだ心痛むニュースも多いですが、おおらかに構え、前向きな気持ちで新年をスタートしましょう!
この春、アパガードからも “気持ち華やぐ” 新商品をお届けする予定です!
またこのブログで紹介させてくださいね。
お楽しみに!
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