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元パイプオルガン奏者 小林丸人さん 後編

パリでパイプオルガン奏者の経歴を持つ小林丸人さん。バッハからメシアンまで幅広いレパートリーを持ち、フランス国内で演奏活動を行っていたオルガニストであるにも関わらず、数年前に日本に戻り、演奏活動を休止しています。

偶然のパイプオルガンとの出会いから、山あり谷ありの人生を語っていただきました。

 

 

●パイプオルガンは一人オーケストラの演奏もできる

 

ロズリン : パイプオルガンのどんなところに魅せられましたか?

 

小林 : やっぱり音ですね。あれを聞いてしまうと、今までの音楽体験がふっとんじゃう。家のちっちゃなオルガンで練習して、パイプオルガンで音を出すと驚くほど、すごい音が出る。

ただ、弾いてると頭がおかしくなるんですよ(笑)。鍵盤を弾いてから、遠くのパイプから音が出るのは0,3秒後。自分が弾いてる音と聞こえる音が違うので、演奏中は集中しています。

 

ロズリン : パイプオルガンはいろんな音がでますよね。

 

小林 : そうですね。パイプに風を送って、空気を振動させて音を出す仕組みなので、どの音を鳴らすかは、鍵盤とストップレバーで決めます。トランペットの音が出したければ、そのストッレパーを引っ張る。フルートの音、オーボエの音など一つの鍵盤で出せる音はたくさんあります。今はコンピュータを内臓しているものが多いですが、アナログだと、音を選び、ストッパーを引っ張るというのが本当に手間がかかる。昔は、助手がパイプオルガンの横でストップを引っ張ったり押したりしていたんですよ。いろんな音を一度に出すこともできるから、パイプオルガンはある意味、一人でオーケストラの演奏ができて、壮大なんです。

 

 

ロズリン : ものすごく複雑なんですね。

 

小林 : 大きなパイプオルガンになればなるほど難しいので、コンサートなどで、単調な演奏をする方も多いんです。そもそもオルガン奏者は、芸術性より、教会のミサで、どれだけ多くの曲を初見で弾けるかなどに意識が向いてしまう人も多い。そんな中、僕の師匠のジャン・ギユーは、大きなパイプオルガンの音色を立体構造で使う、妥協のない演奏で本当に素晴らしい方なんです。

 

ロズリン : 小林さんの演奏も、師匠から大きな影響を受けたんですね。CDに収録されている楽曲はどれも素晴らしく、感動しましたよ。これはいくつの時に出したのですか?

 

小林 : 1枚目は43歳の時です。バッハのオルガン曲やブラームスのピアノ曲をオルガン用に編曲して弾いたもので、自分としては心の鍵のような存在であるバッハの「パッサカリアとフーガ」を入れられて、本当にうれしかったです。パッサカリアとは中世の舞曲なんですが、バッハはプレリュードやトッカ―タとのフーガは何十曲も作っているのに、なぜかパッサカリアは1曲だけ。いくらでも作れたはずなのに。それがとても神秘的で、この曲が好きという方に出会うと、初めて会っても、生まれる前から知っていたような気になる。そんな存在の曲です。

 

 

ロズリン : なるほどね。日本での評判はいかがでしたか?

 

小林 : 保守的な日本ではなかなか受け入れられないと思っていましたが、日本の最高峰の評論家達が絶賛してくれまして。とりわけ「小林丸人は、疑いなく、知・情・技の三拍子揃った逸材である。」と濱田滋氏に論評していただき、本当にうれしかったです。その後、日本のホールでコンサートのお誘いがありましたが、ほとんど断ってしまいました。

 

ロズリン : どうして断ったんですか?

 

小林 : パイプオルガンは会場のものを使うので、事前に音を作り出す設定をしないといけないんですが、私の場合はかなり複雑で。1曲30時間は必要なので5曲やるなら150時間。それにスムーズに音を出せるよう、練習もしないといけませんし。でもリハ―サルでそんなに長時間使えないし、普通は1日2,3時間でも10万円ぐらいかかる。だから実質無理なんです。例外的に、リリアホールがぜひにと、100時間パイプオルガンを貸してくれたので、一度だけコンサートを行いました。

 

ロズリン : そういうことなんですね。でも、どうして音楽活動をやめてしまったの?

 

小林 : パリで主任演奏者になるには、政治的な行動も必要でした。そういうところが僕には合わず、疲れてしまって。

 

ロズリン : 演奏以外の理由から音楽活動を離れることは、辛かったでしょう。その後、日本に帰国した理由はあったんですか?

 

小林 : 80年代に初めてパリに行った時は、本当に優雅で素敵で。カフェに行っても、いろいろな活動をしている人がいて活気がありました。

当時、アルジェリアの移民の方たちはフランス人になれて感謝していたんですが、その子供たちが差別を受け、いくら努力していい成績をとっても、能力が劣るフランス人が採用される。それで反乱を起こし、街の雰囲気にも疲れてしまって6年前に帰国しました。

 

 

 

●パイプオルガンを弾けるように環境を整えたい

 

ロズリン : 日本に帰国されてからは、ご実家に帰ったんですか?

 

小林 : はい。実家が仙台で。そうしたらしばらくして父が脳梗塞で倒れてしまい、半身不随になり妹と二人の介護の日々で5年が過ぎました。

 

ロズリン : それは淋しい話ですね。

 

小林 : 初めての経験で結構大変でした。それから父の状態が安定したので1年前から東京に出てきて、何かできることを、と考え、フランスの輸入化粧品の会社で仕事をはじめました。何もかも一人でやっているので、平日は夜中まで働き、土日は死んだように寝てしまって。60代になって初めて普通の仕事をしているので、まだ慣れません(笑)。

 

ロズリン : お仕事をされているなかでも、なんとか時間を作って、オルガンを弾けないんですか?というより、弾きたくないんですか?日本にはバブルの時期に、パイプオルガンがずいぶんいろんな場所に設置されています。

 

小林 : 日本では、まずパイプオルガンを弾ける場所を探さないといけないのと、まだ自分の環境が整ってないというか。今より時間がとれる仕事に変えようかなど、いろいろ考えているんですが、難しいですね。音楽を教える仕事も探すのですが、クラシックは少ないみたいで。

 

ロズリン : 演奏だけじゃなくて、いろいろなことにこだわりが強いのですね。

 

小林 : そうですね。マニアックすぎて生きていけないタイプです(笑)。

 

ロズリン : 今は昔に比べて仕事も探しやすくなりましたし、クラシックの芸術家に限らず、多くの働く人たちはどこかで妥協して生活しています。私が行っている教会にもパイプオルガンがありますが、楽器に触りたい気持ちはもうないんですか?

 

ベルギーのchant d’oiseaux教会のオルガン(パリ・Saint-Eustache教会の主任オルガニスト Jean Guillouが音色設計に関わったオルガン)

ベルギーのchant d’oiseaux教会のオルガン

パリ・Saint-Eustache教会の主任オルガニストJean Guillouが音色設計に関わったオルガン

 

小林 : パイプオルガンのある教会があっても、専任の演奏家がいるのではないかとつい遠慮してしまって。それに、自分が気持ちよく演奏できる状態を作ってからじゃないといけない、と思ってしまうんですね。

 

ロズリン : でも、もう5年も弾いていないとか。自分の持っている才能をいかさないと、人間はフラストレーションがたまってしまいますし、本当にもったいない。

 

小林 : そうですね。帰国前にベルギーで、アルバム用の録音をしてきたんです。向こうのスタッフがのんびりしていて、まだ形になっていないんですが。最初にアルバムを作った時から15年経ち、客観的に聞いてみると、演奏はここまで変わるのかと時の流れを実感しました。若い時はエネルギーが強いですが、時を経たことで、美しさに変化している。それを皆さんに聞いてもらうのが、今一番の楽しみです。

 

ロズリン : 早くCDになるといいですね。ぜひ聞きたいです。これからの目標や、やりたいことはありますか?

 

小林 : まずは弾ける場所を探して、演奏を聞いてもらうこと。死ぬまでにバッハの曲で録音し残した曲などを収録したいと思ってます。後は、写真の個展を開きたいですね。

 

ロズリン : うちの教会でしたら紹介できますので、気が向いたらいってくださいね。

ぜひ、パリの教会で、最初にパイプオルガンを弾かせてくださいといった時の自分を思い出してください。今日はありがとうございました。

 

 

【感想】

学生時代に小さな勇気を出してパイプオルガンを演奏したきっかけから、長年パリで音楽活動だけでなく写真家としても幅広く活躍をされた小林さん。私も東京で教会に通っているくらい、神聖で美しい教会は心を清らかにしてくれます。

人生も色々な経験を重ねることで、輝きをいつまでも持ち続けたいですね。小林さんの思いの詰まった次のCDが聴ける日を楽しみにしています。

 

 

【小林丸人さんプロフィール】

1958年、宮城県生まれのオルガン奏者。中央大学法学部卒業後パリに渡り、スコラ・カントラム音楽院オルガン科を卒業する。ジャン・ギユー、ジャン=ポール・アンベールに師事。バッハからメシアンまで幅広いレパートリーを持ち、フランス国内で演奏活動を行っていた。1991年のパリでのコンサートは、新聞紙上で絶賛。1992年、ユーファム国際オルガン・コンクールで2位受賞した。また、その才能は写真芸術でも開花。2002年に出版された小説写真集『巴里製皮膚菓子』(文・山田詠美)の写真を担当した。2007年書肆 林檎屋からフジコヘミング肖像写真集”FUZJKO”を出版。フジコ・ヘミングのCD『トロイメライ』にも彼の写真が使われている。ALM RECORDSからCD”ORGUE”(オルガン)と”Chaconne”(ピアノ)をリリース。



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日本で人生の半分以上を暮らし、動物(特にネコ)と自然、最近はゴルフも愛する、心優しきオーストラリア人。
ワインなら何杯でも?いける口です♪

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