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元パイプオルガン奏者 小林丸人さん 前編

パリでパイプオルガン奏者の経歴を持つ小林丸人さん。バッハからメシアンまで幅広いレパートリーを持ち、フランス国内で演奏活動を行っていたオルガニストであるにも関わらず、数年前に日本に戻り、演奏活動を休止しています。

偶然のパイプオルガンとの出会いから、山あり谷ありの人生を語っていただきました。

 

 

●由緒ある教会のパイプオルガンを弾かせてほしいと申し出た

 

ロズリン : 昨年は、サンギ創立45周年にあたり、弊社がスポンサーをしている弦楽器だけの室内オーケストラ 「東京シンフォニア」 が主催する “モーツァルトマラソン” へ特別協賛をしました。

ピアノ協奏曲全 21 曲を8日かけて演奏し尽くすこのコンサートに、小林さんも来ていましたね。

 

小林 : はい。その時に、私の以前出したパイプオルガンのCDをお渡したら、お忙しいなか聞いてくださって、本当にうれしかったです。

 

ロズリン : 小林さんのCDを聞いて、本当に驚きました。あまりにもすばらしくて。それで次にお会いした時に聞いたら、さらにびっくり。今は東京のピアノもオルガンもない部屋で、いっさい弾いてないというから。

 

小林 : 実は6年前にパリから帰国し、昨年から60代になって初めて、本格的にサラリーマンとして仕事をしているんです。なかなか精神的にも肉体的にも余裕がなくて。5年弾いてないでしょうか。

 

ロズリン : そのお話もびっくりです。そもそも、パリでパイプオルガンの演奏者になったいきさつは?

 

小林 : それは本当に偶然の出来事だったんです。

僕は学生時代、医学部をめざしたのですが、まじめな性格じゃなくて、遊んでしまって3浪したんですね。それで医学部はあきらめ、中央大学の法学部に進学しました。当時ベトナム難民のことが日本で問題になっていたことで、将来国連に務めるには、国際法の勉強が必要だと思ったんです。でもやっぱり法学部が合わなくてね。4年の時に、フランス革命が専門の教授から「小林くん、パリに行ってきたら?」と、エクス・マルセイユ第径膤悗鮠匆陲気譴泙靴拭

 

 

ロズリン : フランス語はできたんですか?

 

小林 : 第2外国語でやってました。それでパリにアパートを借りました。僕は不真面目なので田舎町に住めなくて(笑)。パリに戻ってソルボンヌ大学に在籍しながら、自由に遊んでたんですよ。当時のパリは本当に楽しく、いろんな人が集まってきていて、たくさんの出会いがありました。

 

ロズリン : パイプオルガンとの出会いは?

 

小林 : パリのサントゥスタッシュ教会です。ここは、モーツァルトのお母さんの葬儀や、リストの新曲の発表会などが行われた、とても由緒ある教会なんですが、世界有数のパイプオルガンがあります。パイプの数が約7千本以上もある大きなものです。以前からちょっとやっていたので、思い出にこれを弾きたいと思い、そこにいた奏者の方に思い切って弾かせてもらえないか聞いてみたんです。するとなんと後日、1時間弾く時間をとってくれるというんですよ。

 

Saint-Eustache教会の大オルガン

Saint-Eustache教会の大オルガン

 

ロズリン : それはすごい!

 

小林 : 約1か月後に時間をとってくれたのですが、せっかくだからと、教会用電子オルガンを弾ける場所で猛練習して、準備しました。弾いてみたら、その響きと音にそれは感動しましてね。見も知らない日本人に、時間を融通してくれたその方を、お礼としてお寿司屋さんに招待したんです。彼女も演奏を聞いてくれたんですが、「オルガンを続けなさい」と。その場で彼女が親しくしているSaint-Eustache教会のオルガニストでスコラ・カントラム音楽院教授‥ジャンポール アンベール氏に「いい人がいるので、登録してください」と電話してくれたんです。

 

ロズリン : よほど演奏を気に入ったんですね、すごい。

 

小林 : ありがたいことに(笑)。それでとりあえず、日本に帰って中央大学を卒業だけして、またパリに戻り、そのスコラ・カントラム音楽院の高等科に入学しました。オルガン科の教授であるジャンポール アンベール氏は、ジャン-ギユ―という世界的なオルガ二ストを紹介してくれたのですが、彼は僕が弾かせてもらった教会の主任オルガニストであり、ラッキーなことに彼の弟子にしてもらったんです。これは本当にめったにないことで、彼と知り合わなかったら、演奏者としての自分はなかったと思いますね。

 

 

 

●パリの音楽院へ留学

 

ロズリン : 親御さんはパリの音大に行くことに反対しなかった?

 

小林 : 父は僕のやりたいことを応援してくれたので、何もいいませんでした。ただ、学費がね。ただでさえ3浪して大学に行って、その後のパリでの音大だったから、大学院はもうお金がないと。それで困って、パリ在住の友人に相談したら、彼の知り合いの詩人が美智子さまのデザイナーをしていた植田いつ子さんと、ペリエの副社長を紹介してくれて、お二人から月に5万円ずつ大学院を卒業するまで援助していただけることになりました。

 

ロズリン : それもすごいですね。お金を出してもらう代わりに、何か協力されたんですか?

 

小林 : 少しだけ。植田さんには、ヨーロッパの王室の最新の写真などにコメントをつけて時々送りました。その情報を美智子さまの装いに生かしていたようです。

ペリエのほうは、年に2回ぐらい。日本からのお客様とフランス人スタッフの会議の通訳や、工場に案内して説明する仕事をしてました。そのご好意でなんとか大学院を卒業できました。

 

ロズリン : 卒業後は演奏者になったんですか?

 

小林 : 時々コンサートなどをしていましたが、父からはパリのホームレスといわれるほど貧乏でしたよ。大学院時代から、友人と屋根裏部屋をシェアしていたんですが、当初は二人で7万円。テーブルも椅子も道でひろったもの。なかなか素敵でしたが、6階まで運ぶのが本当に大変でした。ピアノも部屋において。でも、どんどん家賃があがって、友人はのちに帰国したので一人で11万円ぐらいかかるようになってしまい、本当にきつかった。それでもいろんな友人と遊んでました。若いってすごいですよね。怖さを知らないので。

 

 

ロズリン : それは大変でしたね、その他には写真家の活動もされていたとか?

フジコ・ヘミングさんの写真集にも関わったそうですね。

 

小林 : 知り合いの出版社の編集者に頼まれて、パリでフジコさんを時々撮影していました。でも音楽活動より、多少生活の足しになるくらいだったので、今はやっていないんですよ。

 

ロズリン : 拝見してると本当にすばらしい写真です。多才ですね。

 

 

後編に続きます。

 



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日本で人生の半分以上を暮らし、動物(特にネコ)と自然、最近はゴルフも愛する、心優しきオーストラリア人。
ワインなら何杯でも?いける口です♪

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