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銭湯ペンキ絵師 田中みずきさん 前編

 

現在日本に3人しかいない銭湯ペンキ絵師の田中みずきさん。銭湯の数が減るとともに、銭湯ペンキ絵師の数も激減。今や、70代・80代のベテラン絵師と、若手の田中さんのみが銭湯の壁のペンキ絵を描き続けている。なぜその仕事についたのか。銭湯のペンキ絵はどのように作るのか? 貴重なお話を伺いました。

 

 

●銭湯の壁のペンキ絵に魅せられて

 

ロズリン : 銭湯ペンキ絵師とは、とても珍しい職業ですね。

 

田中 : はい。現在、日本で専門的に銭湯の壁に絵を描いているのは私を含めて3人です。

 

ロズリン : そんなに少ないんですか。それは貴重な職業についていますね。

実は私、銭湯大好きなんです。だから、今日はお逢いできるのがすごくうれしくて。

 

田中 : こちらこそうれしいです。銭湯の壁のペンキ絵は、明治、大正の頃、絵の横に広告を入れることから始まったそうで、昔は歯みがき剤の広告はとても多かったと聞いています。だから、今日は私もご縁を感じています。

 

ロズリン : 確かにそうです。

私は若い頃、留学生として日本に来て、アパートで独り暮らしを始めた時、お風呂がなかったので、同じアパートの留学生が近くの先頭に連れて行ってくれたんです。最初は、銭湯の前でおじけづいて、入れなかったのですが、通りかかった地元のおばさんが「どうしたの?」と聞いてくれて。彼が「彼女初めて来たので、恥ずかしがってるみたいなんです」といったら、おばさんは「あら!私と一緒にどうぞ」といってくれたんですね。一度入ってみたら、すごく気に入って、それから大好きになったんですよ。夜遅くに行くと、商店街の奥様たちが仕事を終えて集まり、いろんな話をして、背中を流し合って。彼女たちの楽しい時間がこれから始まるという雰囲気が楽しくてね。私も一緒に話をしましたが、そういう銭湯の文化みたいなものがすごく好きです。

 

 

田中 : 銭湯だけで会える人というのもいるんですよね。名前も何も知らないけど、同じ時間に来るので「今日は寒いね」とか、軽い会話はする。そういう少し不思議な関係が生まれる場所でもありますね。

 

ロズリン : 外国の友人が日本に来た時は、温泉をお勧めしますが、時間のない時は、銭湯に連れていくんです。みんなやはり最初は戸惑って「私はいい」というんですが、入ると気持ちよくて、好きになっちゃうんですよね。田中さんは、小さい頃から銭湯に行っていたんですか?

 

田中 : いえ、実は幼い頃は行ったことがなくて。大学の時に、あることがきっかけで銭湯に興味を持って行ったのが最初です。

 

ロズリン : そうなんですか。そのきっかけとは?

 

田中 : 大学で美術史を専攻していて、何を卒論のテーマにしようかと考えた時、横尾忠則さんや福田美蘭さん、束芋さんといった好きなアーティストが、いずれも銭湯をモチーフにした作品を作っていたんです。

それで行ってみたら、はまってしまって。それまで私はインタラクティブアートという、現代美術が好きだったんですね。それは見る側からの働きかけがあることによって完成する作品です。初めて銭湯にいった時に、お風呂から湯気がもくもくと上がっていて、それが壁画の富士山に描かれている雲と重なって。大きな湯船につかり、ほかのお客さんと絵を眺めながら、ゆらゆら揺れるお湯に身を任せていると、なんだかその絵の中に、自分がはいっていくような不思議な感覚がありました。その感覚がおもしろくて、銭湯の壁画を見ることにはまったんです。都内の有名なペンキ絵がある昔ながらの銭湯を回り、カメラで記録もさせていただくようになりました。

 

ひだまりの泉 萩の湯(台東区)玄関前襖

 

●この文化をなくしたくなくて、師匠に頼み込んで弟子入りした

 

ロズリン : 銭湯の絵の撮影は、営業時間中は自分も裸だし、大変そうですね。

 

田中 : はい。何回か通って事情を話して営業前に撮影させていただくことが多かったです。閉店してしまう店は撮影を断られてしまうことも多かったのですが、粘り強く通って、なんとか資料に残すことができました。

 

ロズリン : それはよかった。美術館に残す絵と違って、銭湯の壁画は閉店すると、こわしてしまいますものね。 そもそも絵は子供の頃からお好きだったのですか?

 

田中 : はい。小さなころから大好きで、美術部にも入っていたし、美術館に行くのも大好きでした。美大に行こうとデッサン教室にも通ったのですが、結局美大には行かず、大学では美術史を学びました。

 

ロズリン : でも後悔してないでしょ? 絵は自分でも描けるけど、研究はなかなか一人ではできないですものね。

 

田中  はい。教授から、美術史として論ずるためにどんな視点や文献があるか、また調べ方などを教えていただき、とても貴重な経験をしたと思います。

 

ロズリン : 銭湯ペンキ絵師になることを決めたのは?

 

田中 : 銭湯のペンキ絵のおもしろさにはまってから、銭湯の数が減るとともに、絵師の数もとても減っていることがわかったんです。当時も3名しか日本にいなかったんですね。銭湯自体、1960年代には東京だけで2600軒以上あったのに、現在は700軒以下になるほど減ってしまっていて。それで、この文化をなくしたくない思いが募り、ベテラン絵師の中島盛夫さんに学生時代から弟子入りしたんです。

 

 

ロズリン : どのぐらいの期間弟子入りでしたんですか?

 

田中 : 約8年ですね。

 

ロズリン : 師匠は弟子がきて喜んだのでは?

 

田中 : いや、やっかいな奴がきたと迷惑だったんじゃないでしょうか最初は断られたんですが、何度もお願いにあがり、食べていけるかわからないから、就職もすることを条件にようやく受けていただきました。それで、一度企業に就職をして、土日だけ師匠について修行したのですが、体を壊しまして。そこで会社をやめ、バイトしながら修行しました。

 

ロズリン : どのように学んでいったのですか??

 

 

田中 : 師匠は見て技を盗め、というスタンスの方だったので、とにかく師匠を見て、動き方を覚えるところから始めました。大きな壁に描くには、どこから手をつければいいのか、さっぱりわかりませんので。時間配分は、師匠の動きを見て覚えようとしましたが、これが難しかった。いろんな現場を経験することで慣れるしかないんですね。最初のうちは、単色で塗れる空を描いていき、次に雲を描かせて頂きます。その後、遠くに見える松だけとかちっちゃい部分を描かせてもらい、それを師匠がまた直して下さるという感じで、試しに全部描かせてもらうようになったのはようやく7年目でしたね。

 

ロズリン : 大変ですね。そこで独立したわけですね。

 

 

引き続き、後編でお話お聞かせください!

 

 



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日本で人生の半分以上を暮らし、動物(特にネコ)と自然、最近はゴルフも愛する、心優しきオーストラリア人。
ワインなら何杯でも?いける口です♪

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