Interview

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Greenpeace Japan サム・アネスリーさん 後編

アイルランドから日本へ。社会貢献をしたいという思いがグリーンピースにつながった。

高校時代に日本へ留学。世界各国での様々な経験を経て、今、国際環境NGOグリーンピース・ジャパン事務局長をしているサム・アネスリーさんに話を聞きました。

 

 

◼ピースボートの経験がグリーンピースにつながった

 

ロズリン : 医学部の入学は難しいでしょ? 

 

サム : 難しいです。皇學館大学で職員として仕事をしながら勉強をして、試験を受け、合格しました。でも、最終的には放棄してしまったんです。入学までに半年空いたので、通訳のボランティアとして地球一周のピースボートに乗りました。ちょうどいい暇つぶしのつもりだったんですが、これは楽しい!しかも社会貢献になる!ということで、ハマってしまいまして。それで、医学部に入るのはやめました。

 

(マチュピチュにて)

 

ロズリン : まあ(笑)

 

サム : すごくもったいないんですけど(笑) 結局、ピースボートは4年間ぐらい乗りました。

 

ロズリン : 何カ国くらいに行ったんですか。

 

サム : 50カ国ぐらいです。非常に勉強になりました。もともと社会問題には興味があったんですが、自分の目で見ると、やはり違います。

ピースボートに乗る前も社会問題には関心があり、一般市民の私でもできることはないのかな、と思っていました。

ピースボートに乗って、それぞれの国の社会問題を見ることで、自分の立場が見えてきました。それで、船を降りてから更に4年間、ピースボートのスタッフとして働きました。

 

ロズリン : そうなんですね! それからどうしたのですか。

 

サム : そのスタッフとしての4年間はとても有意義な時間でしたが、市民レベルの活動だけでは物足りないと感じ始めました。

もう少し企業やビジネスの世界を理解しないと、うまくやっていけないと思ったんです。それで、金融関係の仕事に就きました。

とてもいい経験でした。その後、あしなが育成会という日本の有名なNGOに勤めました。そこにいるときに声をかけられて、いのちの電話の事務局長になり、それからグリーンピースに移りました。

 

(ⓒDermot Killoran / Greenpeace)

 

◼フォーカスしているのは気候変動

 

ロズリン : いろいろ経験してきたんですね! グリーンピースについては、くわしく知っていましたか?

 

サム : そんなにくわしくはなかったです。環境保護問題に取り組んでいるということ、そして、反捕鯨運動の活動しているというイメージが強かったです

 

 

ロズリン : 捕鯨については、なかなか難しい問題です。私も昔、オーストラリアの日本大使館に勤めていたことがあるんですが、

そこで私は、捕鯨の弁護をしなければならない立場でした。余談ですが、日本は昔、鯨をとっていましたけど、捕まえるのも大変だし、

命がけの仕事だったんですよね。だから、その毛にいたるまで全部使って、大事にしていたのです。

アメリカでは半分、スポーツ感覚だったんですね。今は全然違いますが。捕鯨する必要はありません。

グリーンピースでは今後、何にフォーカスして活動していくのですか。

 

サム : 主に気候変動です。先日、国連が報告書を出したのですが、今、地球の気候は非常に深刻な状態になってきています

気候変動を含め環境破壊は問題が大きすぎて、一人ひとりの力ではどうしようもないと感じることもあるかもしれません。

でも実際にはできることは山ほどあります。コンビニやスーパーでレジ袋を断ることから、署名に参加する、メールや投書などにより

政治家や企業に声を届ける、環境保護団体に寄付をすることまですべてが意味のある行動です。それを皆さんに知ってもらうことが、

これからの課題です。

 

 

ロズリン : なるほど。啓発活動ですね。

 

サム : とはいえ、私たちの活動は正しいから従いなさい、というような上から目線のメッセージはよくないと思っています。

とくに私のような白人の男性がそんなことを言っても、反発されるだけでしょう。日本にはもともと自然を大事にする心があるので、

そこを強調して、美しい日本を守りましょう、そのために改善していきましょうと伝えていきたいと思っています。

 

◼自然エネルギーへの転換を広めたい

 

ロズリン : 環境のためには、石炭を使う火力発電はやめたいところですよね。でも、原子力もやりたくないでしょう?

 

サム : そうなんですよね。大震災後、原発はいったん全部止まったんですけど、今は稼働しはじめている。

 

ロズリン : 発電といえば、うちの研究所が埼玉にあるのですが、そこにあったテニスコート、そして屋根全体を潰して太陽光発電にしています。小さな貢献ですけど。

 

 

サム : 自然エネルギーも今後、持続可能な形でもっともっと増やすべきですね。石炭やめましょう、原発やめましょう、だけでは困ります。

その代わりに、じゃあどうすればいいのかについても考えていかないといけません。具体的にできることを一つひとつ発信して、共有して、行動する人の輪を広げていくのがグリーンピースの役割だと考えています。

 

◼百名山突破が夢

 

ロズリン : 忙しい毎日かと思いますがプライベートもエンジョイできていますか?

 

サム : 山登りが好きで、時々行っています。百名山を突破するのが夢なんです。まだ20個くらいしか行けていませんが。

 

(鹿島槍にて)

 

ロズリン : 5分の1じゃないですか!素晴らしい。

 

サム : もともと自然が好きなんです。よく、なぜ日本に住んでいるのかと聞かれるのですが、理由があるとしたら、日本が美しい国だからです。アイルランドもきれいですけどね。

 

ロズリン : でも大都会はどうですか。

 

サム : 実は代々木公園の近くに住んでいます。23区内に住まなければいけないのであれば、せめて緑の多い場所にと思って。

とても暮らしやすいです。日本に暮らしてみて思うのですが、日本人は自分の国のことを謙遜しがちですよね。

でも、日本は美しいし、食事も美味しいし、素晴らしい国。もっと自信をもってほしいと思います。

 

ロズリン : 本当にそうですね。今日は興味深いお話をありがとうございました。

 

 

【感想】

些細なきっかけで日本に来て、今や国際環境NGOで国内外のエネルギーや自然環境のことまで考えているサムさん。

その経験からも日本に対する想いの強さを実感しました。私たちも環境のことを考えつつ生活しようと、改めて考えるいい機会になりました。

これからもサムさんの活動を応援しています!

 

【サム・アネスリーさんプロフィール】

1982年、イギリス・北アイルランド生まれ。

日本に興味を持ち17歳の時に、高等学校の交換留学で一年間滞在する。

その後、英国ケンブリッジ大学で日本語を専攻し、三重県皇學館大学にて神道学を学ぶ。

大学卒業後、南米やヨーロッパでの勤務経験を経て、2007年に日本へ戻る。

以来11年間、NGO「ピースボート」や親を亡くした子どもたちを支援している団体「あしなが育英会」など、日本のNGOで東日本大震災の被災地支援や原発問題などの環境問題、平和教育、そして文化交流などに携わる。

自殺予防に取り組むNPO法人「東京英語いのちの電話」の事務局長を経て、2018年12月より現職。

 


Greenpeace Japan サム・アネスリーさん 前編

アイルランドから日本へ。社会貢献をしたいという思いがグリーンピースにつながった。

高校時代に日本へ留学。世界各国での様々な経験を経て、今、国際環境NGOグリーンピース・ジャパン事務局長をしているサム・アネスリーさんに話を聞きました。

 

 

◼奨学金を得て、日本へ。どんどん興味が湧いてきた

 

ロズリン : 6年ほど前にも一度、グリーンピースの方にインタビューをしたことがあります。実はそれまでは、消極的な印象をもっていました。

ちょっと過敏なのかな、って。でも、大震災の後、すごくいろいろな活動をされたことを知って、ぜひお話を聞いてみたいと思ったんです。

日本全体が混乱しているなか、真っ先に海や魚の安全性などを検査していた。具体的で素晴らしいと思いました。

 

 

サム : ありがとうございます。

 

ロズリン : サムさんは、北アイルランドの出身なんですね。日本語が上手ですね。向こうで勉強したんですか。

 

サム : 17歳のとき、日本へ留学をしました。アニメや漫画が好きで、というよくあるパターンではなく、ただ単に海外に行ってみたくて、

いろいろ調べたところ、日本への留学の奨学金制度を見つけたんです。日本のことはあまり知らなかったんですけど、じゃあ、行きましょう、と。

それで、岡山県に来ました。

 

 

来てみたら、日本に対する興味がどんどん湧いてきて。いったんヨーロッパに戻って、イギリスのケンブリッジ大学に入り、もともとは宗教学をやりたかったんですけど、

日本語専攻に変えました。大学時代にまた伊勢神宮の近くにある皇學館大學に1年間留学し、神道を学びました。非常にいいところでした。

 

ロズリン : いよいよ、宗教学の勉強ができたんですね。

 

 

◼コロンビア、ドイツを経て、再び日本へ

 

ロズリン : 大学を卒業してからは、どうしたんですか

 

サム : イギリスに戻って、1年間、南米のコロンビアに行きました。

最終的には日本に戻ってくるつもりだったんですが、いったん戻ったら出るのは難しいと思って、ちょっと旅行してみようと思いました。

 

ロズリン : コロンビアでは何をしていたんですか。

 

サム : 実は英語と日本語の先生をやっていました。

 

ロズリン : 人に教えることがいちばん、自分の勉強になると言いますよね。いいチャンスだったでしょう。

 

サム : そのとおりです。その後、ドイツで少し仕事をしてから、2007年に日本に戻ってきて、それからずっと日本にいます。

日本では、いろいろな仕事をしてきましたが、筋が通っていると思うのは、社会のためになるような仕事をしてきたという部分です。

 

 

ロズリン : はじめはどんな仕事を?

 

サム : 三重県の嘱託職員として、伊賀市にある文化国際館に勤めました。

 

ロズリン : 自分で三重県を選んだのですか?

 

サム : はい。皇學館大学で勉強していたので、三重県とは縁があって、また行きたいと思ったんです。

伊賀市では、国際交流員として働き、忍者に詳しくなりました。2年してから、皇學館大学に職員として戻りました。大学には3年くらい勤めましたね。

その後、本当はイギリスに戻って医学部に入ろうと思ったんです。医者になりたくて。

 

ロズリン : ええ、そうですか。その話をぜひ聞きたいです。

 

後編に続きます。

 

【サム・アネスリーさんプロフィール】

1982年、イギリス・北アイルランド生まれ。

日本に興味を持ち17歳の時に、高等学校の交換留学で一年間滞在する。

その後、英国ケンブリッジ大学で日本語を専攻し、三重県皇學館大学にて神道学を学ぶ。

大学卒業後、南米やヨーロッパでの勤務経験を経て、2007年に日本へ戻る。

以来11年間、NGO「ピースボート」や親を亡くした子どもたちを支援している団体「あしなが育英会」など、日本のNGOで東日本大震災の被災地支援や原発問題などの

環境問題、平和教育、そして文化交流などに携わる。自殺予防に取り組むNPO法人「東京英語いのちの電話」の事務局長を経て、2018年12月より現職。


9児の母であり、医師 クリスティーナ・ジーゲルさん 後編

今回出ていただくのは、アイルランド出身のクリスティーナ・ジーゲルさん。実は彼女のおなかにいるのは、9人目のお子さんです。生まれる直前にインタビューを受けてくださいました。多くのお子さんを育て異国に住む生活。毎日、どんな風に生活しているのか? またどんな子育てをしているのか、興味津々です。

 

 

●子供たちは公立の日本の小学校に通学させている

 

ロズリン : お子さんが8人もいると、ごはん時など大変でしょうね。

 

クリスティーナ : うちは基本的には、家族全員で食事をすることにしています。ごはん時にはルールが1つあります。それは食事の選択肢はないということ。出てきたものを食べてもらいます(笑)。そして子供たちにも、手伝ってもらうので、彼らにも仕事があるんですよ。夕食はお手伝いさんをお願いしているので、一緒に作ります。みんな和食が好きで納豆もぎょうざもよく食べますね。買い物は大変なのでオンラインで頼むことが多いです。

 

ロズリン : それはいいですね。ご主人も一緒に食事できるんですね。

 

 

クリスティーナ : 夕方は17時に帰宅しますので可能です。米国西海岸の企業と仕事をしているので、時差の関係で、逆に朝は早く起きて仕事してます。

 

ロズリン : 家族旅行もおおごとになりますね。

 

クリスティーナ : そうですね。全員でしたのは、今までで1度だけです。通常は主人か私のどちらかが家に残り、たとえば女子チームで旅行するなど分けて行動します。

 

ロズリン : 楽しそうですね。日本での生活はいかがですか?カリフォルニアのほうが自然が多く、子供を育てやすかったんでは?

 

クリスティーナ : 確かにカリフォルニアの家は、目の前に海があり、山にも囲まれ、本当に自然豊かでした。でも日本の都心の生活はとても便利で、子育てがしやすい。子供たちも楽しそうで、特にアメリカの生活がよかったとは言っていませんね。ヨーロッパもそうですが、日本は家族が中心なので、私にはとても暮らしやすいです。アメリカは個人主義が強く、個にあまりにもフォーカスしてくるので、子育てに難しさを感じていました。

 

 

ロズリン : 確かにそうかもしれませんね。今は日本で、学校はどうしてるんですか?

 

クリスティーナ : 15歳の長男は、アメリカのハイスクールの授業をインターネットで受けていますが、他の子たちは日本の公立の小学校や近所の保育園に通っています。

 

ロズリン : 日本語はできますか?

 

クリスティーナ : ヨーロッパでは2か国語話せるのが普通なので、現地の学校に入れれば、自然と日本語が身につくだろうという目論見です。

 

ロズリン : なるほど。事前に日本語の勉強をさせましたか?

 

クリスティーナ : ほとんどしてませんが、子供はなじむのが早いですね。

 

ロズリン : すごいですね。日本とアメリカではかなり違うんでは?

 

クリスティーナ : そうですね。アメリカは親が車で送り迎えが必須ですが、日本の学校は歩いて行ける。これは治安の問題でもありますが便利です。また給食があり、給食当番の制度があるのをすごく気に入っています。そして、アメリカはどんなに小さな子でもアイパッドなど電子機器を使って教育が行われていますが、日本は鉛筆で書くという基礎を大事にしているのがいいと思います。電子機器は急がなくても、その時がくればすぐにできますからね。そういうことより、自分で判断できる基礎を養うことが大事だと思っています。

 

 

●大切にしているのは、親の行動や姿勢を見せること

 

ロズリン : 子育てでなにか心がけていることはありますか?

 

クリスティーナ : 将来の大人を育てている意識が強いですね。もちろん、それぞれ性格が違うので、対応は違います。とてもおしゃべりが好きな子、静かにしているのが好きな子、部屋で読書をしている子と、みんな違いますが、自分に注目してほしい時期は必ずある。私も見ますが、うちの場合は、兄妹に話を聞いてもらったり、相談したり、慰めあったりしていますね。思い返すと、最初の子が一番大変でした。次からは兄妹と遊ぶようになり、子供が多ければ多いほど、楽だと今は感じています。3歳から6歳は子供が自分の力を試す時期なので、なるべく自由にさせるようにしていますね。

 

 

ロズリン : 1番大事にしていることは?

 

クリスティーナ : 言葉よりも、親として行動や姿勢を見せることでしょうか。それを見て子供がそのことを大事だと思うようになります。今、私はアメリカの大学の通信課程をとっており、ネットで勉強しているのですが、それを見て長男がスタンフォード大学のハイスクールに入学し、ネットで学ぶことを決めました。子供は常に親を見ているものです。

 

ロズリン : お子さんの世話で本当に忙しいでしょうに、大学の通信課程もとっているとは。素晴らしいですね。

 

クリスティーナ : 医師はやめましたが、医学に貢献したい気持ちはあります。特に公衆衛生に貢献したいので、研究しています。学ぶことは楽しいですよ。通信でも3か月ごとに大学にスクーリングにも出かけており、次は1月なので、生まれてくる赤ちゃんと行くことになるでしょう。

私には自分のための時間も日々必要なんです。それがないと母親としてもやっていけない。それをみんな理解してくれているので、「はい、ここからは私の時間」という区切りがあります。

 

ロズリン : それはすばらしいことです。クリスティーナさんがとても健康な秘訣を伺いたいんですが、何か気を遣っていることはありますか?

 

クリスティーナ : どんなに忙しくても運動します。家族で利用できるジムに入っていて、そこに行きますね。その姿も子供は見ています。あと、6時に起きて21時に寝るサイクルです。よく寝ていますよ。

 

ロズリン : わぁ。健康的ですね。見習いたいです。今日はクリスティーナさんのエネルギーの秘密がわかったような気がします。ぜひ無事に赤ちゃんを産んでお写真を見せてくださいね。

 

クリスティーナ : ありがとうございます。

 

 

【感想】

実はこのインタビューの日の夕方、ご自宅で無事元気な女の子を出産されました!

 

 

キャリアのことから家庭のことまで語ってくれたクリスティーナさん。とてもエネルギッシュで、話しているこちらも元気になりました。子どもの中にも社会があることをしっかりと認識して、大人と同じように接する姿勢がとても印象的でした。

出産後もスクーリングするとのこと。いつまでも自分らしく輝いているクリスティーナさんを応援しています!

 


9児の母であり、医師 クリスティーナ・ジーゲルさん 前編

今回出ていただくのは、アイルランド出身のクリスティーナ・ジーゲルさん。実は彼女のおなかにいるのは、9人目のお子さんです。生まれる直前にインタビューを受けてくださいました。多くのお子さんを育て異国に住む生活。毎日、どんな風に生活しているのか? またどんな子育てをしているのか、興味津々です。

 

 

●おなかにいる9人目の赤ちゃんと共に

 

ロズリン : 今日は、臨月なのに来てくださって、本当にどうもありがとうございます。おなかの中にいるのは、9人目のお子さんですね。

 

クリスティーナ : はい。うちには15歳を筆頭に、6人の息子と2人の娘がいます。私はアイルランド生まれですが、主人がカリフォルニア出身の関係で、6人アメリカで出産し、2人がアイルランド。そして今回、43歳にして初めて日本での出産を迎えます。

 

お子さんたちのブーツ。かわいらしい!

 

ロズリン : そうなんですね。日本にいらしたのは、ご主人の仕事の関係ですか?

 

クリスティーナ : はい。ソフトウェア関係の事業をしています。結婚当初はカリフォルニアのサンタバーバラで仕事をしていました。起業し、日本には5年の予定できていますが、今は非常にビジネスがうまくいっており、家族はみんな日本が好きですし、もっといることになるかもしれません。

 

ロズリン : ご主人との出会いは?

 

 

クリスティーナ : 私はアイルランドで医学を学びましたが、アメリカで研修医をしていた頃に知りあいました。アイルランドは人口が400万人ぐらいの国なので、海外で働きたい人が多いんですね。私もアメリカで働きたくて、現地で試験を受けるために渡米したんです。

 

ロズリン : 当初からお二人はお子さんをたくさん欲しかったんですか?

 

クリスティーナ : はい。割と早い段階で、キャリアと子育てについて話をしましたね。私が医師になるということで、「僕は結婚したら、子供がたくさん欲しいと思っているけど、そうなるとあなたのキャリアが犠牲になる」と言われたんです。彼が1枚の紙を出して。それに2人が結婚した場合の、10年後、15年後までの計画をたてたんです。とにかく2人とも子供が多いほうがいいということで、結婚前に、5人出産の予定をたてました。

 

 

ロズリン : それはとてもユニークですね(笑)。医師の仕事のことはどう考えましたか?

 

クリスティーナ : キャリアよりも子供を優先することにしました。実際、内科医として勤務はしましたが、3人目の出産の後、仕事はやめ、育児に専念することにしたんです。

そして、計画に従い35歳までに5人出産の予定でしたが、もう1人できて、結局6人産みました。でもちょうどその後、周囲の友人たちが産み始めて。それを見ていたらかわいくて、もう1人!と産んだら、その子に年の近い子がいたほうがいい、と思いさらにもう1人産んで、合計8人に。そして今回は日本で生みたくなったという(笑)。主人も子供が大好きですし、みんな元気で、トラブルもなく、本当に私はラッキーだと思っています。

 

ロズリン : すばらしいですね。ご両親もうれしいでしょうね。

 

クリスティーナ : 普通、祖父母は孫が来るとうれしいと思いますが、うちの場合は1時間もすると、騒々しくて我慢できなくなるみたいですよ(笑)。

 

●過去8回、全て自宅出産を選んだ

 

ロズリン : クリスティーナさんは何回お産してもとても元気ですが、なにか秘訣はありますか?

 

クリスティーナ : もともと丈夫なことが大きいです。アイルランドでは、子だくさんな人はけっこういるので、その血統なのかもしれません(笑)。ただ、私はどの国で出産する時も、いわゆる「産婆さん」の手ですべて自宅出産しています。

 

 

ロズリン : そうなんですか。それはびっくりです。日本では今は産婆さんは「助産師」さんといいますが、アイルランドではそういう職業の方はなんと呼ばれていますか?

 

クリスティーナ : ミッドワイフです。

 

ロズリン : クリスティーナさん自身、医師なのに、どうして自宅出産を選ぶんですか?

 

クリスティーナ : 人間の歴史の中で、病院で産むようになったのはまだ最近のことで、長い間、女性は産婆さんの助けを借りて自宅出産していましたよね。今まで経験してきて、とても自然に出産ができて、気に入ってます。私の通う助産院では、自宅出産を望むと、出産まで毎回1時間ぐらい検診で見てくれます。これもすばらしいです。

 

ロズリン : でも自宅の出産の途中で、何かあったらと心配はない?

 

クリスティーナ : 少しでも問題があれば、すぐに提携の病院にいくので大丈夫ですよ。

アメリカでは自宅出産と病院での出産と完全に分かれていますが、病院では痛み止めの薬も使うし、帝王切開も増えています。みんな帝王切開を簡単に考えていますが、回復するまで長いし、術後もかなり痛いようです。自然分娩だと、産んでしまえばあとは痛くないし、体の負担も少ないですから。

 

ロズリン : でも、陣痛など痛いでしょう? 自宅で痛がると、お子さんたちが怯えません?

 

クリスティーナ : 確かに自宅出産だと痛み止めはないですが、骨折のような痛みとは違う種類で、我慢しやすいかもしれません。子供たちは寝ていますし、痛みというよりか圧力を感じ、波のような感覚で。東京マラソンを走ってるような感じともいえます(笑)。そういう状況で、事前に何度も検診してお話をして親しくなった方がつきそってくれるのでとてもリラックスして産めるんです。

 

ロズリン : なるほど。自然なお産をしてきたから、今の元気なクリスティーナさんがいるんですね。

 

後編に続きます。

 


口で絵を描く、車椅子の画家 古小路浩典さん 後編

絵があってよかった、描き続けてきてよかった。

10代で頚椎を損傷、全身マヒとなり、車椅子で生活する古小路浩典(こしょうじ ひろのり)さん。当時の入院先で口と足で描く画家の存在を知り、挑戦。退院後に本格的に指導を受け、職業画家となりました。現在は勇気ある1人暮らしをしながら、絵を描き続けています。

 

 

■飼っていた猫をテーマに描いたことも

 

ロズリン:絵は、油絵ですか。

 

古小路:そうです。色鉛筆や水彩画にもチャレンジしてみたんですが、油絵の具のほうが粘着力が強く、パレットを立てた状態で混色して色をつくれるので、これがベストだと行き着きました。絵の具を重ねて、厚みを出していくのが面白いです。

 

ロズリン:絵のテーマは?

 

古小路:いろいろです。メルヘン画ではなくて、風景画であったり人物画であったり。これは(と指し示して)、前に飼っていた猫です。

看護師の娘さんが拾って、育てられないというので引き取りました。一緒に生活していると、いろんな姿が見られるので面白くて、たくさん描きました。

 

 

ロズリン:私も猫が好きで、合計で7匹飼っています。私は写真をよく撮るのですが、なかなかじっとしてくれません。

 

古小路:ですよね。自由気ままで、カメラを向けると隠れたりします。今だ、と思った瞬間に撮ると、本当に自然ないい表情なんですが。わざとポーズをとることもありますね。

 

ロズリン:今は、その猫は?

 

古小路:もう亡くなってしまいました。

 

ロズリン:別の猫は飼っていますか。

 

古小路:いえ。また猫と暮らしたい気持ちはありますが、同じような感じで飼えるかどうか。前は、猫好きの人が近くにいて、その人のところで預かってもらえることもあって大丈夫だったんですが。どこかで踏ん切りをつけて、飼ってみようかなとは思っています。

 

ロズリン:描いた絵は、個展や展示会に出すのですか。

 

古小路:協会主催の絵画展が定期的にあるのでそこに出すのと、商用のイラストを描いています。個展は、春と秋にやっています。

 

 

ロズリン:こういうテーマで描いてくれ、と頼まれることもあるのですか。

 

古小路:協会と打ち合わせをして、テーマを決めて描くこともあれば、割と自由に、たとえば今度、オリンピックがあるからそれに向けて、動物たちがスポーツをやっている絵などを描くこともあります。

 

■好きな画家はモディリアーニ

 

ロズリン:絵を描くうえでのインスピレーションはどこから得ているんですか。

 

古小路:海外が舞台の映画を観て、いい風景だなあと思うと、その一コマが頭に残って、下絵を描いているときにポッと浮かんできたりします。映画を観ることが好きだし、アイデアの元にもなってますね。

 

ロズリン:好きな画家はいますか? 

 

古小路:人物画を描く絵描きさんが好きなんです。たとえば、モディリアーニとか。不思議な絵描きさんですよね、同じ絵ばかり描いているのに、とても魅力的。

あとは、形がユニークだったり、構図が面白い絵にも惹かれます。風景画でも静物画でも、何か惹かれるバランスがある。

 

ロズリン:小さいころは漫画を描いていたと言っていましたが、今でも漫画を描くことはあるんですか?

 

古小路:漫画は描かないですけど、憧れてはいます。たとえばスヌーピーみたいに、単純な線でさらっと描いているようだけれども何か訴えかけるものがあるって、いいですよね。

 

 

■これからも絵を描き続けていきたい

 

ロズリン:これから表現したい世界は?

 

古小路:ストーリーがある絵を描きたいという思いがあります。できるだけ、絵本の一部として成り立つような絵を目指して描いています。

 

ロズリン:絵本を描くのが夢なんですね。

 

古小路:はい。挿絵を描いたことはあります。子育てをテーマにした絵本です。クマの親子を描きました。

 

 

ロズリン:親しみを感じる絵ですね。

 

古小路:いずれにしても、いい絵を描きたい、それが目標です。実は今年、協会の大会に参加するためにバルセロナに行く予定だったんですが、体調を崩して行けず、絵も3ヶ月くらい描けない状態でした。最近、やっともとの生活に戻れたんです。

休んでいる間に、やっぱり自分はずっと絵を描き続けたいなという思いが膨らみました。障がいを負ってしまったけれど、絵があってよかった、描いてきてよかった。初心に戻って、これからも頑張っていきたいと思います。

 

 

【感想】

17歳という若さで重度の障がいを負ってしまったにも関わらず、「絵を描く」という目標をもって意欲的に活動をされている古小路さん。

協会に飾られている古小路さんの絵からは、人一倍の優しさとあたたかさが伝わってきました。これからも是非、色々な絵を描き続けてほしいですね。

わたしも古小路さんの絵を楽しみにしています!

 

プロフィール

古小路浩典さん

1963年、宮崎県延岡市出身。9才の時に父親の仕事の関係で岡山県倉敷市に移る。高校生のときに器械体操のクラブ活動中に頭から落下し、頚椎を損傷、全身麻痺に。退院後から職業画家について指導を受け、絵描きとしての活動開始。「口と足で描く芸術家協会」のメンバーとして、収入を得ながら1人暮らしをしています。


口で絵を描く、車椅子の画家 古小路浩典さん 前編

絵があってよかった、描き続けてきてよかった。

10代で頚椎を損傷、全身マヒとなり、車椅子で生活する古小路浩典(こしょうじ ひろのり)さん。当時の入院先で口と足で描く画家の存在を知り、挑戦。退院後に本格的に指導を受け、職業画家となりました。現在は勇気ある1人暮らしをしながら、絵を描き続けています。

 

 

●リハビリで絵を描き始め、職業画家に

 

ロズリン : 10代という若いころに事故に遭われて、生活がガラッと変わったのでしょうね。

でも、こうして絵を描いて、今は1人暮らしをしている。ファイトがありますね。もともと絵を描くのが好きだったんですか。

 

古小路 : 子どものころは、家ではおもちゃより、広告の裏などに絵を描いて遊んでいました。絵というより漫画、落書きのようなものですが。それで、けがをして長期で入院したときに、ストレスもたまるし、車椅子にずっと座っていることも苦痛だったので、何かできることはないかと。首は動いたので、口で鉛筆をくわえて絵を描くことで、少しでも車椅子に長く乗れるようにしようと。はじめはリハビリの一環でした。

 

 

ロズリン : 本格的に描くようになったのは?

 

古小路 : 退院して、今後、障がいをもちながらどういうふうに生きていこうかと思ったときに、何か目標がほしかったんです。

病院ならプログラムがあり、リハビリをしながら生活できていたけれど、もとの生活に戻ると、自分で何か情熱を傾けるものを見つけなければいけない。そんなとき、知り合いの方に、同じような状態の人で口にペンをくわえて絵を描く人たちがいるということを教えてもらったんです。リハビリでは真似事でやっていたけれど、ちゃんとやってみようかなと思いました。

そういうことを周りに相談しているうちに、子どもに絵を教えているという洋画家と知り合って。その人がぼくに興味をもってくれて、絵を習うという環境ができました。

そのうち、こちらの「口と足で描く芸術家協会」のことを知り、奨学金制度があるということで応募してみました。絵を職業にできるかどうか自信はなかったけれど、とにかくやってみようと思ったんです。

 

 

ロズリン : 奨学金制度に受かって、本格的に勉強を始めたんですね。

 

古小路 : 週1回先生に来てもらって3時間くらい一緒に過ごすという生活を15年くらい続けました。

 

●ドイツで始まり、世界中に広まった「口と足で描く芸術家協会」

 

ロズリン : こちらの協会は、ずいぶん古くからある国際的な組織なんですよね。本部はどちらですか。

 

古小路 : ヨーロッパのリヒテンシュタインです。もともとはドイツで始まりました。障がいをもっていたドイツの画家さんが、公園で、歩いている人の似顔絵を口で描いて売っていたのが始まりです。

 

ロズリン : いつごろのことですか。

 

古小路 : 1956年です。描いていたら仲間が十何人集まってきたので、同じ境遇の人で助け合おうということで協会を立ち上げました。日本での設立はその5年後、1961年です。

 

ロズリン : 今は世界中に広まっているんですね。

 

 

古小路 : 74カ国にあります。

 

ロズリン : 素晴らしい組織ですね。どのくらいメンバーがいるんですか。

 

古小路 : 日本には22名、世界中では800名くらいです。80代の方から12、13歳の方まで、年齢は幅広いですよ。

 

●34歳で上京し、1人暮らしに挑戦

 

ロズリン : 今は1人暮らしをしていますね。

 

古小路 : 17歳で事故に遭い、1年8ヶ月入院した後、自宅に戻って以来ずっと家族と暮らしてきました。

当時はまだ両親も若く、お風呂に入れてくれたり、力仕事もしてもらっていました。でも、いずれそれも難しくなる。また、自分自身にも、大人になったら故郷を離れることが自然だというイメージから、いつか家族から離れて生活してみたいなという憧れがありました。

そのうち、絵を描く活動を通して知り合いが増え、「東京においでよ」と誘ってもらって。東京なら出版社も美術館もたくさんある。都会暮らしをしてみようかな、と思い始めたんです。

 

(古小路さんが描いた姪っ子さんの絵)

 

ロズリン : 体に不自由があるのに、勇気がありましたね。生活は大変でしょうね。

 

古小路 : 今は福祉の制度がしっかりしているので、ヘルパーさんを派遣してもらうことで生活できています。自分でいろいろと管理しながら、スケジュールを決めてやっています。1年、2年と経験を積んでいくうちに、だいぶ慣れてきました。

 

ロズリン : ヘルパーさんは、毎日来てくれるんですか。

 

古小路 : 交代制でほぼ24時間、誰かしらが来てくれます。公的な援助があるんです。ありがたいことですね。ヘルパーさんには絵の具を横に出してもらったり、いろいろな協力をしてもらっています。

 

ロズリン:生活のなかで、絵を描く時間は?

 

 

古小路 : 絵を描き始めたばかりのころは、2時間も描くと疲れてしまったんですけど、そのうちに肩や首に筋力がつき、5〜6時間ぶっ続けで描いて、休憩をはさみ、また寝る前に少し描くことができるようになりました。みんなが8時間働くのだったら、と自分もそれを目標にしています。

 

古小路さんの描く絵と、これからの目標について、後編で伺います。

 

 

プロフィール

古小路浩典さん

1963年、岡山県倉敷市出身。高校生のときに器械体操のクラブ活動中に頭から落下し、頚椎を損傷、全身麻痺に。

退院後から職業画家について指導を受け、絵描きとしての活動開始。「口と足で描く芸術家協会」のメンバーとして、収入を得ながら1人暮らしをしています。

 


特定非営利活動法人 国連UNHCR協会 島田祐子さん 後編

国連の難民支援機関であるUNHCR(ユーエヌエイチシーアール/国連難民高等弁務官事務所)の日本における公式支援窓口である国連UNHCR協会で、主に法人からの支援を募る業務を担当している島田祐子さん。日本人初の国連難民高等弁務官として活躍された緒方貞子さんの著書を読み、人道的な活動に共鳴してこの道を志しました。

 

 

●外資系企業からNPO法人へ

 

ロズリン : 島田さんご自身の話を伺いたいです。なぜこの仕事をしようと思いましたか?

 

島田 : 5年前までは民間の事業会社に勤務していました。大学卒業後、外資系の投資銀行に就職して、数度の転職も経験しましたが、金融やコンサルティング分野が中心でした。ものすごく忙しくて、夜中に仕事をしているときなど「私は誰のために仕事をしているんだろう」と思う瞬間がありました。

そんなときに学生時代に読んだ緒方貞子さんの本を再読する機会がありました。私は修士号を取得していないので国連機関に就職することは考えにくかったのですが、国内にNPOの形で支援拡大のための活動を行っている組織があることを知り、キャリアの集大成とするならこういうところがいいな、と考えたことがきっかけです。

 

 

ロズリン : 金融機関のなかではどのような仕事をしていましたか?

 

島田 : 最初の投資銀行では企業の資金調達と合併のアドバイザリー業務をしていて、その後、税務アドバイザリーの会社にお世話になりました。

 

ロズリン : 今は、具体的にどういう仕事をされていますか。

 

島田 : 私が所属するチームは、法人の支援者様の窓口として、事業協力・資金協力のご相談やご報告を担当しています。また別のチームでは、個人で支援をして下さる方向けのキャンペーンを行っています。お手紙やデジタル経由で支援をお呼びかけしたり、駅前、商業ビル、ショッピングモールなどで青いジャケットを着て、募金呼びかけを日々行っています。

 

ロズリン : 資料を見たら、映画祭など色々な活動が載っていますが・・・。

 

島田 : UNHCR難民映画祭のことですね。今年で13回目になります。若い方や映像に興味がある方々向けに難民をテーマにした映画を年に数本紹介することで、難民という人たちがいること、そこにストーリーや人生があることを知っていただくためのイベントです。

 

ロズリン : 金融関係の仕事とは、内容が全然違いますね。

 

島田 : はじめは全然違うんだろうなと思っていましたが、実は共通項がたくさんあります。寄付をお願いする仕事は緻密なマーケティングとともに、支援者様への丁寧な情報共有が求められるので、事業会社の仕事での経験が生きていると感じます。また、皆さまからのご支援をお預かりして難民支援活動に役立てるため、信頼性が何よりも重視されますし、財務的な仕事をするにあたっても、前職の経験は大いに役に立っています。

 

 

ロズリン : 非常にお忙しいようですね。

 

島田 : もしかしたら転職前より忙しいかもしれません。でもチームでやっているので頑張れます。何より目的がはっきりしているので、なぜこの仕事をしているのか疑問を持たずにいられることはありがたいです。日本の支援者の方々の気持ちを難民支援の現地に届けること、また逆に、現地の難民の方々の「ありがとう」という感謝の声や笑顔を支援者の方にお届けすること、そのように橋渡し的な役割をさせていただいていることに、とてもやりがいを感じています。

 

●ロヒンギャキャンプで知った難民たちのたくましさ

 

ロズリン : 現地に行く機会はあるのですか?

 

島田 : 今年の3月にバングラデシュのロヒンギャ難民の方が滞在する世界最大規模のキャンプを訪ねる機会がありました。現地に行ったのは今回が初めてで、本当に貴重な体験でした。

バングラデシュはインドの南側に位置する小さな国で、人口は1億6千万人です。そこに86万人を超えるロヒンギャ難民が住んでいるのです。ちなみにそのうち70万人近くは昨年8月の武力攻撃からの大規模な避難により、わずか3,4か月の間にミャンマーから移動してきた方々です。

 

ロズリン : バングラデシュがその人数を受け入れてくれたことは大きいですね。

 

島田 : そうですね。大きな判断だったと思います。

 

ロズリン : 人数が一気に増えると、土地やシェルターの確保が大変だと思います。どのように確保するのですか?

 

 

島田 : わずか数か月の間に、バングラデシュ政府の協力を得て、丘陵地帯の木を切り倒して開墾する必要がありました。そこに見渡すかぎりシェルターが立ち並んでいるのですが、竹にビニールシートを立てかけただけの掘っ立て小屋のようなものが多くみられました。ただ私たちが行った3月は、5月以降の雨季に頻発するモンスーンに備えて、もう少ししっかりしたシェルターへのアップグレード作業が急ピッチで進んでいました。また洪水対策として、橋を高所に架け替える作業や地滑り対策も行われていました。

 

ロズリン : 雨季という問題もあるのですね。

 

島田 : そうなんです。たとえばお手洗いの汚水槽は、土の中に穴を掘って染み込ませるだけのものも多く、モンスーンが襲ったらあふれて、飲み水を汚染する危険があります。もともと湿地帯なので蚊の被害も多いのですが、雨季には蚊を媒介した病気が流行るなど、より深刻な問題を生む可能性があるんです。

 

ロズリン : 衛生面でもさまざまな対策が必要ですね。飲み水の確保も大変でしょう?

 

島田 : 飲料水は、土壌汚染とは関係のない深いレベルまで井戸を掘れば手に入る場所もあれば、雨水を溜めるしかない場所もあります。雨水は浄水する設備が必要になりますが、建てる資金や時間が足りません。対策としては、汲んだ雨水に浄水用の薬剤をいれて飲める状態にして使います。

 

 

ロズリン : 厳しい状況ですね。

 

島田 : 彼らの生活の大変さは覚悟して行きました。実際、感傷的になってしまうような話もいくつも聞きました。ただ、思った以上に彼らはたくましく、キャンプに落ち着くことのできた今、家族や子どもたちの教育や未来について考える余裕が生まれてきているという印象があり、そこに希望を感じましたね。難民自身がシェルターの改築や道路の舗装などの作業に積極的に参加して、自分たちでキャンプを作り直すという作業をしていました。難民キャンプは日がな一日やることがなく、無為に過ごさざるを得ない人が多いのではないかという先入観を持っていたのですが、そんなことはなく、非常に活気のあるキャンプでした。

 

(ロヒンギャキャンプ内で自立支援の一環として難民女性が作っている石鹸)

 

 

●難民問題を多くの人たちに知らせたい

 

ロズリン : では、今後こんな活動をしたいというようなことはありますか?

 

島田 : 難民について、問題意識を共有してくださる企業経営者の方を1人でも増やしていくことです。私は法人を担当していて、企業経営者の方々とお話させていただく機会も多いのですが、日本の法人セクターからの支援はまだまだ伸びると思いますし、伸ばす努力をしていかないといけないと思っています。

 

ロズリン : どうしたら伸ばしていけるのでしょうか。

 

島田 : 難民問題をご存じない方々にお伝えしていくのはもちろんなのですが、難しいのは、知ってはいても足踏みされている方々に共感していただくことです。どんな方法がいいか日々考えています。たとえば、ミャンマーがメインのマーケットである企業さんなどでは、ロヒンギャ支援を行うことがマーケティング的にどうなのかと検討した結果、支援を躊躇されてしまうようなケースがあります。企業の事業戦略と合致する支援の形をご相談しつつも、政治的な背景とは切り離した人道支援の重要性、今、世界のすべてのセクターが力をあわせて支えなくては、難民をめぐる状況はもっと悪くなりうる、という危機感を共有することができればと思っています。

 

ロズリン : やりがいのあるお仕事ですね。少しでも多くの方に難民問題を知ってもらえるように、是非頑張っていただきたいです。今日はお話ありがとうございました。

 

 

【感想】

緒方貞子さんの著書にふれ、この道を志したという島田さん。日本に住んでいると、こういった本を読まない限り難民問題について考える機会が少なく、どうしても遠い世界のことのように思えてしまいます。ですが、こうしてお話を伺うと決して縁遠いことではなく、逆に日本に住んでいたり働いているからこそできる支援が沢山あります。

1人でも多くの人が不自由なく生活を送れるように、私もまずは正しい理解を深めるところから始めたいと思います。

島田さん、貴重なお時間をありがとうございました。

 

【国連UNHCR協会について】

国連UNHCR協会は、国連の難民支援機関であるUNHCR(ユーエヌエイチシーアール/国連難民高等弁務官事務所)の活動を支える日本の公式支援窓口です。UNHCRの活動資金は、各国政府からの任意の拠出金ならびに民間からの寄付金に支えられていますが、もっと広く民間からも支えていこうという機運が世界的に高まり、日本では2000年10月に、民間の公式支援窓口として、特定非営利活動法人 国連UNHCR協会が設立されました。

https://www.japanforunhcr.org

 


特定非営利活動法人 国連UNHCR協会 島田祐子さん 前編

国連の難民支援機関であるUNHCR(ユーエヌエイチシーアール/国連難民高等弁務官事務所)の日本における公式支援窓口である国連UNHCR協会で、主に法人からの支援を募る業務を担当している島田祐子さん。日本人初の国連難民高等弁務官として活躍された緒方貞子さんの著書を読み、人道的な活動に共鳴してこの道を志しました。

 

 

●民間からの支援を募るために立ち上げられた国連UNHCR協会

 

ロズリン : UNHCRとはどのような組織なのでしょうか?

 

島田 : 国連機関としてのUNHCRは、第二次世界大戦後の1950年に発足しました。元々は東ヨーロッパ系の難民の方々の帰還支援を行うため、3年間のみの暫定機関として設立されました。しかし、ハンガリー革命が起こり、アフリカ諸国の独立に伴う紛争が勃発し、中東が不安定化するなかで、国連総会決議で引き続き存続期間が延長され、2003年には、難民問題が解決するまで、恒久的に存続する機関とすることが決定されました。

 

 

ロズリン : 今、UNHCRは何か国で活動しているのですか?

 

島田 : 世界130か国で、1万1000人のスタッフが難民支援の現場で活動しています。

 

ロズリン : 島田さんが所属されている国連UNHCR協会は国連組織ではなく、独立した民間の組織なのですよね?

 

島田 : そうです。私が所属する国連UNHCR協会は認定NPO法人のかたちをとっています。UNHCRの活動を支えるため、日本の民間の人に向けて広報・募金活動を行うため、2000年に立ち上げられました。

UNHCRは長年にわたって国連加盟国からの拠出金、つまり各国政府からの支援に頼ってきたという歴史があって、日本も最大のドナー国のひとつです。日本の拠出金がUNHCRの活動を支えていることは間違いないのですが、難民問題の拡大に伴い、民間の力がもっと必要になってきた背景があります。

 

ロズリン : グラフを見せてもらいましたが、2000年以降の資金の伸びがすごいですね。

 

島田 : おもに企業、団体、個人の皆様からのご支援なのですが、いちばん割合が多いのは個人の皆様からのご支援です。 2017年末時点で32億円の大きなご支援を協会としてお預かりすることができ、そのうち8割が個人のご支援でした。月々募金をいただく「毎月倶楽部」のご支援が積みあがっています。

 

ロズリン : 1人あたりの平均募金額はいくらですか?

 

島田 : 平均約2千円のご支援を毎月数万人以上の方からお預かりしています。

日本の支援者の大きな特徴は、一度支援を始めると長年にわたって続けてくださることです。それは、支援者の皆様がUNHCRを支援する意義をしっかり考えたうえで始めてくださるからだと感じています。本当にありがたいことです。

 

 

ロズリン : 素晴らしいですね。支援をしてくださる方々の性別や年齢層にはどんな傾向がありますか?

 

島田 : 男性と女性はほぼ半々、年代は40代以降の方々が多い印象です。この頃はネット募金もあり、若い層からの関心も高まりつつあります。

 

●全世界に約7千万人もの支援対象者が

 

ロズリン : そもそも難民とはどのような人たちなのでしょう。何人くらいいるのでしょうか。

 

島田 : UNHCRの支援対象者は2017年末時点で全世界で7,144万人にのぼりました。そのうち住んでいた場所から避難を強いられた人は6850万人。2秒に1人が移動を強いられている状況です。

 

ロズリン : それほど大勢の方々がどうして難民となってしまったのでしょうか?

 

島田 : 政治的な迫害のほか、武力紛争や人権侵害などを逃れるために国境を越えて他国に庇護を求めた人々を難民と呼んでいます。その半数以上は18歳未満の子どもたちです。

そのほか国内避難民という方々もいます。とくにシリア問題で顕著になってきましたが、紛争などによって住み慣れた家を追われたが、国内にとどまっているかあるいは国境を越えずに避難生活を送っている方々です。

もうひとつのカテゴリーとして無国籍の方々もいます。国籍を持たないためにどの国からも保護が受けられない方々です。彼らの場合、無国籍であるのは自分の選択した結果ではありません。

 

 

●難民支援の3つのフェーズ

 

ロズリン : 難民を保護するということですが、具体的にどんなことをしていくのでしょうか?

 

島田 : まず難民支援には大きく分けて3つのフェーズがあります。

1つめは緊急支援です。UNHCRが非常に重要視しているのは、緊急事態においても人間としての尊厳を保護すること。具体的には、命を守り、衣食住を提供する支援です。

その支援を始めるために必要なのが、対象者の登録です。無国籍の方が難民となった場合でもUNHCRが登録することで、その方のアイデンティティーが生まれます。それから家族ベースでも登録を行い、各家族のニーズに基づいて必要な支援を行います。また、たとえば子ども8人をお母さん1人が育てている家族や、病人のいる家族を優先して支援するなど、優先順位を明確にすることもできます。

 

 

ロズリン : たしかに保護対象者を明らかにすることは大事ですね。

 

島田 : 2つめは中期的な支援です。難民キャンプや避難先で教育を受けられるようにしたり、自立のために仕事ができる仕組みをつくったり、テントではないところに住めるような住居の支援をしたりします。

3つめは、帰還もしくは定住のための支援です。これが支援のゴールになります。一番望ましいのは故郷へ帰還できることですが、残念ながらそれができない状況もあるので、その場合は避難先や第三国で定住できるよう支援を行います。2017年に故郷への帰還を果たした人は約500万人でした。

 

ロズリン : そうですか。それは素晴らしいですね。

 

それでは後編で、島田さんご自身のお話をお聞かせください。

 

【国連UNHCR協会について】

国連UNHCR協会は、国連の難民支援機関であるUNHCR(ユーエヌエイチシーアール/国連難民高等弁務官事務所)の活動を支える日本の公式支援窓口です。UNHCRの活動資金は、各国政府からの任意の拠出金ならびに民間からの寄付金に支えられていますが、もっと広く民間からも支えていこうという機運が世界的に高まり、日本では2000年10月に、民間の公式支援窓口として、特定非営利活動法人 国連UNHCR協会が設立されました。

https://www.japanforunhcr.org


ナレーター 高島由紀子さん 後編

現在、ナレーターとして様々な活動をしている高島さん。実はナレーターになるのは子供の頃からの夢だったそうです。彼女はどのように子供の頃からの夢をかなえたのか。そしてどんな風に今も努力を続けているのかを伺いました。

 

 

【後編】

●自分に足りない表現力をつけるため、芝居の勉強を始めた

 

ロズリン : ラジオアナウンサーの次にどんな仕事をされたの?

 

高島 : 東京に戻ったのは体調を崩したこともあり、当初はのんびりと活動を始めました。

その後大手の事務所に所属したのですが、これまでのアナウンサーとしての経験を活かして、私は企業向けのナレーションやCMを受けることが多かったですね。

そこで数年お仕事をした後、仕事の幅を広げたいと思い、現在所属している事務所へと移りました。そこでは通常のナレーションの仕事のほか、ドラマに少し出たり、ニュースキャスター役で映画にちょっと出たり。それまでとは違う種類の仕事へ広がりがでたんです。

 

 

ロズリン : ラジオと違って、顔も出すお仕事になった。

 

高島 : そうですね。カメラに向かって話すのが慣れないうちは難しかったです。家でビデオカメラを買って、家で練習しました。画面に文字が出るプロンプターも、最初は慣れなくて。流れていく文字を追うのがけっこう難しかったです。やはり自分には何か足りないものがあるということが、いろんな仕事をすることでさらに自覚できました。

オーディションに受からなかったり、監督のいうとおりできなかったり。人が求めるものをなかなか表現できなかったので、仕事とは離れたところで表現力をつけようと思い、芝居の勉強も始めたんです。

 

ロズリン : あらすごい。劇団にはいったんですか?

 

高島 : 知り合いに小劇場に出ている方たちがいたので、ボランティアで勉強させていただいたんです。

アナウンスやナレーションは体を動かしませんから、最初はセリフは言えても舞台で棒立ちで、「何だそれは!」と監督に怒鳴れてしまったり。どうしたらいいのか、本当にわかりませんでした。できないのが悔しかった。

 

ロズリン : 難しいですよね。でもだんだん慣れたのでは?

 

高島 : はい。3〜4年続けていくうちに、慣れました。

それまではナレーションで、感情を込める表現など恥ずかしい気持ちがあったんですが、舞台で演技の勉強をして、むしろ楽しくなってきたんです。

 

ロズリン : それはよかったですね。今も続けているのですか?

 

高島 : いえ、今はやってないのですが、実は約10年前から、舞台の関係者からご紹介いただいた狂言の先生のお稽古に通っています。

日本の伝統文化を勉強してみたいと始めたんですが、そのおもしろさにはまり、今はすっかり趣味にもなっています。

 

 

ロズリン : すばらしいですね。私も狂言は大好きです。今までも、年に何回かは見に行っていますよ。

私、時代劇の言葉はわからないんですが、狂言は何とかわかるんです。

 

高島 : そうなんですか。すごい!

 

ロズリン : 声の出し方はまったくちがいますが、いい勉強になりそうですね。その舞台に立つことはあるんですか?

 

高島 : 趣味の域ですが、発表会で年に1回立っています。休日はお稽古三昧です(笑)。

 

●走ることが好き。フルマラソンに挑戦したことも

 

ロズリン : ほかに体を動かすことは?

 

高島 : はい。走るのが好きです。もともと高校時代陸上部で、昔から走ることが好きでした。

フルマラソンにも、もう10年以上前になりますが、仕事としてオーストラリアのゴールドコーストマラソンに挑戦させていただいたんです。

 

ロズリン : 仕事というと?

 

高島 : 観光案内の映像で、初めてフルマラソンに挑戦する人の姿を撮りたいということで。フルマラソン経験者と2人で挑戦しました。

それまでフルはしり込みしてた部分がありますが、せっかくの機会なので、やってみようかと。毎日30分ぐらいですが走って練習しました。

 

 

ロズリン : フルは大変ですよね。走れましたか?

 

高島 : それが、天気がよくて、とても走りやすかったんです。暑くも寒くもなく、ちょうどよくて。景色がきれいでサーファーズパラダイスのところをずっと走っていたのですが、ゴールドコーストは本当に海がきれいですね。

 

ロズリン : 最高です。空気もおいしいし。

 

高島 : そうですね。住宅地では、住民の方たちがバーベキューをやりながら、応援してくださって、すごく心強かった。

 

ロズリン : やはりマラソンを走った私の友人が言ってましたが、20キロをすぎる頃から、疲れてもうやめようもうやめようと思っていると、沿道の方が「がんばれ」と声援送ってくれると、なんとか最後まで走れるそうです。

 

高島 : ゴールが見えてくるとほっとしますよね。私も最後のあと5キロというところはきつかったのですが、やはり声援で元気をいただきました。道も平坦で、ゴールドコーストマラソンは初心者の方にはおすすめです。その映像はかなり長い間流れてたみたいです(笑)

 

 

ロズリン : それは見たかったですね。他の場所で走ったことは?

 

高島 : おととし、ホノルルマラソンを走ったのですが、すごくアットホームな大会で、やはり、地元の方々の応援に励まされて走りきれました。

日中は気温が高いので朝5時にスタートするのですが、だんだん気温が上がってくるのと、後半にあるダイアモンドヘッドの上りがきついんです。最後の最後に坂があるのでね。

 

ロズリン : そんなきつい思いをしても走るのはなぜですか?

 

高島 : 「自分との対話」みたいなところがあって、何を考えているわけじゃないけど、何となく頭の中が整理されていく感じでしょうか。

フルマラソンは確かに30キロを過ぎた地点からきついけど、歓声が後押ししてくれ、徐々に景色がビビッドに見えてくる。

そういうことを魅力に感じます。

 

ロズリン : 走ってみないとわからない経験でしょうね。

ご自分の夢だったナレーターに関してはどうですか。やってみて、どんなことを感じましたか?

 

高島 : 1つの作品が完成するのがおもしろいし、ナレーションで、物作りに関われるのが楽しいです。

 

ロズリン : ナレーションの仕事に興味のある人に向けて何かメッセージがありますか?

 

高島 : あきらめないことですね。そして続けること。私自身、それだけをやってきたと思います。その都度、これが必要だからと勉強しながら仕事をする繰り返し。

やりたいという気持ちを持って、ぜひあきらめずに続けていただきたいと思います。

 

ロズリン : ご自身は、今後どのように仕事をしていきたいですか?

 

高島:いろいろな分野のナレーションをしたいのと、これは最終目標ですが、人の心を動かせるような朗読会みたいなことができたらと思っています。

 

ロズリン : 高島さんならきっと実現できますよ。 応援しています。今日は本当にありがとうございました。

 

 

【感想】

とてもエネルギッシュな高島さん。ナレーターになりたいという子供の頃からの夢を実現させただけでなく、そこから広げて色々なことに挑戦し続けている姿には刺激をもらいました。何事もあきらめずに続けると必ず形になることを、体現されていますね。

これからも夢に挑戦し続ける高島さんを応援しています!

 

【高島由紀子さんプロフィール】

東京都出身。2000年、ラジオ福島にてアナウンサー職で入社。中継やナレーション、インタビュー、一人喋りなど、幅広く活動する。2004年に俳協への転籍をきっかけに、舞台にも出演。2008年よりアクロスエンタテイメント所属し、現在に至る。趣味は、着付け・トレイルランニング・狂言。


ナレーター 高島由紀子さん 前編

現在、ナレーターとして様々な活動をしている高島さん。実はナレーターになるのは子供の頃からの夢だったそうです。彼女はどのように子供の頃からの夢をかなえたのか。そしてどんな風に今も努力を続けているのかを伺いました。

 

 

【前編】

●子供の頃、ドキュメンタリー番組が好きだったのがきっかけ

 

ロズリン : その節は、アパガードプレミオが殿堂入りになった記念動画のナレーションをしていただき、ありがとうございます。と

ても自然な感じでやっていただき、よかったです。

 

高島 : 気に入っていただき、ありがとうございます。

 

ロズリン : お仕事の肩書の名称は「ナレーター」でいいですか? アナウンサーとか、いろんなお仕事をされているようなので。

 

高島 : はい。アナウンサー出身なのですが、現在は司会、ナレーター、番組アシスタントなど様々な仕事をやらせていただいています。でも、私が子供の頃から一番なりたかったのがナレーターなので、自己紹介の時は、そういわせていただいています。

 

ロズリン : そうなんですね。子どもの頃からなりたかったというのは、どんなきっかけですか?

 

 

高島 : 小学校の頃、NHKスペシャルなどドキュメンタリーを見るのが好きだったんです。あぁいう番組ってナレーションが入りますよね。番組を感動的に盛り上げる。それに感動して、自分もこういう仕事につきたいと思いました。当時は、ナレーターという仕事があるという具体的なことはわかっていませんでしたが。

 

ロズリン : 親御さんや親戚にそういう関係の方はいたんですか?

 

高島 : いいえ。だからなり方とか全然わからなくて。中学校の先生に相談したら、一番近いのはアナウンサーじゃない?といわれ、では、その道にいってみるかと、その時決めました。

 

ロズリン  道というと、具体的な方法があるんですか?

 

高島 : まず女子アナは採用の時、四大卒が条件なので、とりあえず大学には行こうと。

大学2年生の時には、情報収集と受験対策のためにアナウンサー養成の専門学校にも入りました。

 

ロズリン : 専門学校はあるんですね。その学生数は何人くらいですか?

 

高島 : 1クラス30人ぐらいで、それが何クラスかあります。9割が女性で、いろんな学校から集まっているので、楽しかったです。とはいっても競争相手ですけど。

 

ロズリン : こうしてお話していても、高島さんの日本語はとてもきれいですが。学校では発声練習から行ったのですか?

 

高島 : どちらかというと、アナウンサーになるための受験対応がメインで、発声は多少やりましたが、しっかりとした訓練はしませんでしたね。ロズリンさんの日本語こそすばらしいです。英語が母国語の方は、日本語の発音がきれいだと聞いたことがありますが。

 

 

ロズリン : 実は私自身、オーストラリアにいた子供時代、オーストラリア訛りにうちの母はコンプレックスがあったんです。隣にスピーチの先生がたまたま住んでいたので、母が通わせてくれ、きちんとイギリス的な発音をできるようになったんです。もしかしたらそのことで、私は色々な言語を習得できたのかもしれません。

 

高島 : すばらしいですね。

 

ロズリン : 学校からは、何人アナウンサーになれたんですか?

 

高島 : 私をいれて2人です。もう1人の方は日本テレビへ就職しました。

 

ロズリン : やはり厳しい世界ですね。

 

高島 : 主要なキー局を落ちたところで、就職活動をやめる方もいますからね。私はキー局に落ちてもあきらめず、とにかくどこでもいいからアナウンサーになりたいと思っていたので、地方のテレビ局やラジオ局を受け、全国行脚の旅に(笑)。その途上でラジオ福島に受かったので、そこで受験を終えました。

 

●ラジオ局でアナウンス以外、さまざまな仕事を経験

 

ロズリン : ラジオ福島というと、移転することになったんですね。

 

高島 : はい。東京から福島に行きました。地方のラジオ局は、いつも少ししか新人をとらないのですが、この年は5人採用があり、同期はみな社宅にすみ、心強かったです。

知り合いが誰もいない土地でしたが、同期がいることが助かりました。地方局は常に人出不足で、アナウンサーで採用されても、しゃべる仕事だけでなく、ディレクターの仕事から現場、編集作業と放送に関わることはみんな自分でやるので、最初は大変でした。

 

ロズリン : でもそのほうがおもしろかったでしょう。

 

高島 : はい。いろいろなことをさせていただきました。

ニュース番組からマラソンの中継まで。長く番組を担当していたので、地元の名物おばあちゃん、農家や工場勤めの方など、福島のラジオ局でアナウンサーをしていなければ会えなかった様々な方にお会いすることができ、貴重な体験でした。

 

 

ロズリン : ラジオのアナウンサーは、姿が見えないですね。テレビのアナウンサーとは特に違うところはどういうところですか?

 

高島 : テレビ局のアナウンサーは顔を認知されているので、例えば外で飲んでいるときでもみんな気を遣っていますが、私はその点、気楽でした(笑)。

仕事での違いはいろいろありますが、まず圧倒的に違うのは、ラジオは「画」を見せられないこと。そこにあるものを伝える時に、聴取者の方がイメージできるような表現で、自分で説明しないといけないところです。花を伝えるにも、菊だとみなさん知っていても、それがもし葡萄の花であればどんな花だか、説明しないと想像できませんから、一生懸命形を伝えます。そんなところが難しいし、やりがいのあるところでした。

 

ロズリン : そのいろんなお仕事をする中、思い出深いものはなんでしたか?

 

高島 : 福島には、日本一長い桜並木があるんですが、それにちなんだ「桜文大賞」という中高生向けの作文のコンテストがあるんです。その作品を朗読する機会をいただいたのが、とても楽しかったし、私自身の望む仕事に近かったので、やりがいがありました。局のディレクターが、私の希望を知って、番組中の私のコーナーでやらせてくれたんです。

 

 

ロズリン : ストーリー性のある文章は表現がむずかしいでしょうね。

 

高島 : はい。その時、ディレクターさんのオーダーになかなか対応できなくて。思い入れのある文章をきちんと表現できていないんじゃないか、もっとできるんじゃないかと。自分には圧倒的に表現力が足りないとこの時に自覚したんです。とても楽しいお仕事だったから余計にそう感じました。でも、作文を書いた方に朗読のテープをお送りし、とても喜んでいただいたのは良い思い出です。

 

ロズリン : ラジオ福島にはいつまでいらしたの?

 

高島 : 4年間いました。かなり体力的にもきつかったので、無理がでまして。東京に戻ってきました。

 

ロズリン : それから現在までの活動について後半で教えてくださいね。

 

 

【高島由紀子さんプロフィール】

東京都出身。2000年、ラジオ福島にてアナウンサー職で入社。中継やナレーション、インタビュー、一人喋りなど、幅広く活動する。2004年に俳協への転籍をきっかけに、舞台にも出演。2008年よりアクロスエンタテイメント所属し、現在に至る。趣味は、着付け・トレイルランニング・狂言。

 

 



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日本で人生の半分以上を暮らし、動物(特にネコ)と自然、最近はゴルフも愛する、心優しきオーストラリア人。
ワインなら何杯でも?いける口です♪

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