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口で絵を描く、車椅子の画家 古小路浩典さん 後編

絵があってよかった、描き続けてきてよかった。

10代で頚椎を損傷、全身マヒとなり、車椅子で生活する古小路浩典(こしょうじ ひろのり)さん。当時の入院先で口と足で描く画家の存在を知り、挑戦。退院後に本格的に指導を受け、職業画家となりました。現在は勇気ある1人暮らしをしながら、絵を描き続けています。

 

 

■飼っていた猫をテーマに描いたことも

 

ロズリン:絵は、油絵ですか。

 

古小路:そうです。色鉛筆や水彩画にもチャレンジしてみたんですが、油絵の具のほうが粘着力が強く、パレットを立てた状態で混色して色をつくれるので、これがベストだと行き着きました。絵の具を重ねて、厚みを出していくのが面白いです。

 

ロズリン:絵のテーマは?

 

古小路:いろいろです。メルヘン画ではなくて、風景画であったり人物画であったり。これは(と指し示して)、前に飼っていた猫です。

看護師の娘さんが拾って、育てられないというので引き取りました。一緒に生活していると、いろんな姿が見られるので面白くて、たくさん描きました。

 

 

ロズリン:私も猫が好きで、合計で7匹飼っています。私は写真をよく撮るのですが、なかなかじっとしてくれません。

 

古小路:ですよね。自由気ままで、カメラを向けると隠れたりします。今だ、と思った瞬間に撮ると、本当に自然ないい表情なんですが。わざとポーズをとることもありますね。

 

ロズリン:今は、その猫は?

 

古小路:もう亡くなってしまいました。

 

ロズリン:別の猫は飼っていますか。

 

古小路:いえ。また猫と暮らしたい気持ちはありますが、同じような感じで飼えるかどうか。前は、猫好きの人が近くにいて、その人のところで預かってもらえることもあって大丈夫だったんですが。どこかで踏ん切りをつけて、飼ってみようかなとは思っています。

 

ロズリン:描いた絵は、個展や展示会に出すのですか。

 

古小路:協会主催の絵画展が定期的にあるのでそこに出すのと、商用のイラストを描いています。個展は、春と秋にやっています。

 

 

ロズリン:こういうテーマで描いてくれ、と頼まれることもあるのですか。

 

古小路:協会と打ち合わせをして、テーマを決めて描くこともあれば、割と自由に、たとえば今度、オリンピックがあるからそれに向けて、動物たちがスポーツをやっている絵などを描くこともあります。

 

■好きな画家はモディリアーニ

 

ロズリン:絵を描くうえでのインスピレーションはどこから得ているんですか。

 

古小路:海外が舞台の映画を観て、いい風景だなあと思うと、その一コマが頭に残って、下絵を描いているときにポッと浮かんできたりします。映画を観ることが好きだし、アイデアの元にもなってますね。

 

ロズリン:好きな画家はいますか? 

 

古小路:人物画を描く絵描きさんが好きなんです。たとえば、モディリアーニとか。不思議な絵描きさんですよね、同じ絵ばかり描いているのに、とても魅力的。

あとは、形がユニークだったり、構図が面白い絵にも惹かれます。風景画でも静物画でも、何か惹かれるバランスがある。

 

ロズリン:小さいころは漫画を描いていたと言っていましたが、今でも漫画を描くことはあるんですか?

 

古小路:漫画は描かないですけど、憧れてはいます。たとえばスヌーピーみたいに、単純な線でさらっと描いているようだけれども何か訴えかけるものがあるって、いいですよね。

 

 

■これからも絵を描き続けていきたい

 

ロズリン:これから表現したい世界は?

 

古小路:ストーリーがある絵を描きたいという思いがあります。できるだけ、絵本の一部として成り立つような絵を目指して描いています。

 

ロズリン:絵本を描くのが夢なんですね。

 

古小路:はい。挿絵を描いたことはあります。子育てをテーマにした絵本です。クマの親子を描きました。

 

 

ロズリン:親しみを感じる絵ですね。

 

古小路:いずれにしても、いい絵を描きたい、それが目標です。実は今年、協会の大会に参加するためにバルセロナに行く予定だったんですが、体調を崩して行けず、絵も3ヶ月くらい描けない状態でした。最近、やっともとの生活に戻れたんです。

休んでいる間に、やっぱり自分はずっと絵を描き続けたいなという思いが膨らみました。障がいを負ってしまったけれど、絵があってよかった、描いてきてよかった。初心に戻って、これからも頑張っていきたいと思います。

 

 

【感想】

17歳という若さで重度の障がいを負ってしまったにも関わらず、「絵を描く」という目標をもって意欲的に活動をされている古小路さん。

協会に飾られている古小路さんの絵からは、人一倍の優しさとあたたかさが伝わってきました。これからも是非、色々な絵を描き続けてほしいですね。

わたしも古小路さんの絵を楽しみにしています!

 

プロフィール

古小路浩典さん

1963年、宮崎県延岡市出身。9才の時に父親の仕事の関係で岡山県倉敷市に移る。高校生のときに器械体操のクラブ活動中に頭から落下し、頚椎を損傷、全身麻痺に。退院後から職業画家について指導を受け、絵描きとしての活動開始。「口と足で描く芸術家協会」のメンバーとして、収入を得ながら1人暮らしをしています。


口で絵を描く、車椅子の画家 古小路浩典さん 前編

絵があってよかった、描き続けてきてよかった。

10代で頚椎を損傷、全身マヒとなり、車椅子で生活する古小路浩典(こしょうじ ひろのり)さん。当時の入院先で口と足で描く画家の存在を知り、挑戦。退院後に本格的に指導を受け、職業画家となりました。現在は勇気ある1人暮らしをしながら、絵を描き続けています。

 

 

●リハビリで絵を描き始め、職業画家に

 

ロズリン : 10代という若いころに事故に遭われて、生活がガラッと変わったのでしょうね。

でも、こうして絵を描いて、今は1人暮らしをしている。ファイトがありますね。もともと絵を描くのが好きだったんですか。

 

古小路 : 子どものころは、家ではおもちゃより、広告の裏などに絵を描いて遊んでいました。絵というより漫画、落書きのようなものですが。それで、けがをして長期で入院したときに、ストレスもたまるし、車椅子にずっと座っていることも苦痛だったので、何かできることはないかと。首は動いたので、口で鉛筆をくわえて絵を描くことで、少しでも車椅子に長く乗れるようにしようと。はじめはリハビリの一環でした。

 

 

ロズリン : 本格的に描くようになったのは?

 

古小路 : 退院して、今後、障がいをもちながらどういうふうに生きていこうかと思ったときに、何か目標がほしかったんです。

病院ならプログラムがあり、リハビリをしながら生活できていたけれど、もとの生活に戻ると、自分で何か情熱を傾けるものを見つけなければいけない。そんなとき、知り合いの方に、同じような状態の人で口にペンをくわえて絵を描く人たちがいるということを教えてもらったんです。リハビリでは真似事でやっていたけれど、ちゃんとやってみようかなと思いました。

そういうことを周りに相談しているうちに、子どもに絵を教えているという洋画家と知り合って。その人がぼくに興味をもってくれて、絵を習うという環境ができました。

そのうち、こちらの「口と足で描く芸術家協会」のことを知り、奨学金制度があるということで応募してみました。絵を職業にできるかどうか自信はなかったけれど、とにかくやってみようと思ったんです。

 

 

ロズリン : 奨学金制度に受かって、本格的に勉強を始めたんですね。

 

古小路 : 週1回先生に来てもらって3時間くらい一緒に過ごすという生活を15年くらい続けました。

 

●ドイツで始まり、世界中に広まった「口と足で描く芸術家協会」

 

ロズリン : こちらの協会は、ずいぶん古くからある国際的な組織なんですよね。本部はどちらですか。

 

古小路 : ヨーロッパのリヒテンシュタインです。もともとはドイツで始まりました。障がいをもっていたドイツの画家さんが、公園で、歩いている人の似顔絵を口で描いて売っていたのが始まりです。

 

ロズリン : いつごろのことですか。

 

古小路 : 1956年です。描いていたら仲間が十何人集まってきたので、同じ境遇の人で助け合おうということで協会を立ち上げました。日本での設立はその5年後、1961年です。

 

ロズリン : 今は世界中に広まっているんですね。

 

 

古小路 : 74カ国にあります。

 

ロズリン : 素晴らしい組織ですね。どのくらいメンバーがいるんですか。

 

古小路 : 日本には22名、世界中では800名くらいです。80代の方から12、13歳の方まで、年齢は幅広いですよ。

 

●34歳で上京し、1人暮らしに挑戦

 

ロズリン : 今は1人暮らしをしていますね。

 

古小路 : 17歳で事故に遭い、1年8ヶ月入院した後、自宅に戻って以来ずっと家族と暮らしてきました。

当時はまだ両親も若く、お風呂に入れてくれたり、力仕事もしてもらっていました。でも、いずれそれも難しくなる。また、自分自身にも、大人になったら故郷を離れることが自然だというイメージから、いつか家族から離れて生活してみたいなという憧れがありました。

そのうち、絵を描く活動を通して知り合いが増え、「東京においでよ」と誘ってもらって。東京なら出版社も美術館もたくさんある。都会暮らしをしてみようかな、と思い始めたんです。

 

(古小路さんが描いた姪っ子さんの絵)

 

ロズリン : 体に不自由があるのに、勇気がありましたね。生活は大変でしょうね。

 

古小路 : 今は福祉の制度がしっかりしているので、ヘルパーさんを派遣してもらうことで生活できています。自分でいろいろと管理しながら、スケジュールを決めてやっています。1年、2年と経験を積んでいくうちに、だいぶ慣れてきました。

 

ロズリン : ヘルパーさんは、毎日来てくれるんですか。

 

古小路 : 交代制でほぼ24時間、誰かしらが来てくれます。公的な援助があるんです。ありがたいことですね。ヘルパーさんには絵の具を横に出してもらったり、いろいろな協力をしてもらっています。

 

ロズリン:生活のなかで、絵を描く時間は?

 

 

古小路 : 絵を描き始めたばかりのころは、2時間も描くと疲れてしまったんですけど、そのうちに肩や首に筋力がつき、5〜6時間ぶっ続けで描いて、休憩をはさみ、また寝る前に少し描くことができるようになりました。みんなが8時間働くのだったら、と自分もそれを目標にしています。

 

古小路さんの描く絵と、これからの目標について、後編で伺います。

 

 

プロフィール

古小路浩典さん

1963年、岡山県倉敷市出身。高校生のときに器械体操のクラブ活動中に頭から落下し、頚椎を損傷、全身麻痺に。

退院後から職業画家について指導を受け、絵描きとしての活動開始。「口と足で描く芸術家協会」のメンバーとして、収入を得ながら1人暮らしをしています。

 


特定非営利活動法人 国連UNHCR協会 島田祐子さん 後編

国連の難民支援機関であるUNHCR(ユーエヌエイチシーアール/国連難民高等弁務官事務所)の日本における公式支援窓口である国連UNHCR協会で、主に法人からの支援を募る業務を担当している島田祐子さん。日本人初の国連難民高等弁務官として活躍された緒方貞子さんの著書を読み、人道的な活動に共鳴してこの道を志しました。

 

 

●外資系企業からNPO法人へ

 

ロズリン : 島田さんご自身の話を伺いたいです。なぜこの仕事をしようと思いましたか?

 

島田 : 5年前までは民間の事業会社に勤務していました。大学卒業後、外資系の投資銀行に就職して、数度の転職も経験しましたが、金融やコンサルティング分野が中心でした。ものすごく忙しくて、夜中に仕事をしているときなど「私は誰のために仕事をしているんだろう」と思う瞬間がありました。

そんなときに学生時代に読んだ緒方貞子さんの本を再読する機会がありました。私は修士号を取得していないので国連機関に就職することは考えにくかったのですが、国内にNPOの形で支援拡大のための活動を行っている組織があることを知り、キャリアの集大成とするならこういうところがいいな、と考えたことがきっかけです。

 

 

ロズリン : 金融機関のなかではどのような仕事をしていましたか?

 

島田 : 最初の投資銀行では企業の資金調達と合併のアドバイザリー業務をしていて、その後、税務アドバイザリーの会社にお世話になりました。

 

ロズリン : 今は、具体的にどういう仕事をされていますか。

 

島田 : 私が所属するチームは、法人の支援者様の窓口として、事業協力・資金協力のご相談やご報告を担当しています。また別のチームでは、個人で支援をして下さる方向けのキャンペーンを行っています。お手紙やデジタル経由で支援をお呼びかけしたり、駅前、商業ビル、ショッピングモールなどで青いジャケットを着て、募金呼びかけを日々行っています。

 

ロズリン : 資料を見たら、映画祭など色々な活動が載っていますが・・・。

 

島田 : UNHCR難民映画祭のことですね。今年で13回目になります。若い方や映像に興味がある方々向けに難民をテーマにした映画を年に数本紹介することで、難民という人たちがいること、そこにストーリーや人生があることを知っていただくためのイベントです。

 

ロズリン : 金融関係の仕事とは、内容が全然違いますね。

 

島田 : はじめは全然違うんだろうなと思っていましたが、実は共通項がたくさんあります。寄付をお願いする仕事は緻密なマーケティングとともに、支援者様への丁寧な情報共有が求められるので、事業会社の仕事での経験が生きていると感じます。また、皆さまからのご支援をお預かりして難民支援活動に役立てるため、信頼性が何よりも重視されますし、財務的な仕事をするにあたっても、前職の経験は大いに役に立っています。

 

 

ロズリン : 非常にお忙しいようですね。

 

島田 : もしかしたら転職前より忙しいかもしれません。でもチームでやっているので頑張れます。何より目的がはっきりしているので、なぜこの仕事をしているのか疑問を持たずにいられることはありがたいです。日本の支援者の方々の気持ちを難民支援の現地に届けること、また逆に、現地の難民の方々の「ありがとう」という感謝の声や笑顔を支援者の方にお届けすること、そのように橋渡し的な役割をさせていただいていることに、とてもやりがいを感じています。

 

●ロヒンギャキャンプで知った難民たちのたくましさ

 

ロズリン : 現地に行く機会はあるのですか?

 

島田 : 今年の3月にバングラデシュのロヒンギャ難民の方が滞在する世界最大規模のキャンプを訪ねる機会がありました。現地に行ったのは今回が初めてで、本当に貴重な体験でした。

バングラデシュはインドの南側に位置する小さな国で、人口は1億6千万人です。そこに86万人を超えるロヒンギャ難民が住んでいるのです。ちなみにそのうち70万人近くは昨年8月の武力攻撃からの大規模な避難により、わずか3,4か月の間にミャンマーから移動してきた方々です。

 

ロズリン : バングラデシュがその人数を受け入れてくれたことは大きいですね。

 

島田 : そうですね。大きな判断だったと思います。

 

ロズリン : 人数が一気に増えると、土地やシェルターの確保が大変だと思います。どのように確保するのですか?

 

 

島田 : わずか数か月の間に、バングラデシュ政府の協力を得て、丘陵地帯の木を切り倒して開墾する必要がありました。そこに見渡すかぎりシェルターが立ち並んでいるのですが、竹にビニールシートを立てかけただけの掘っ立て小屋のようなものが多くみられました。ただ私たちが行った3月は、5月以降の雨季に頻発するモンスーンに備えて、もう少ししっかりしたシェルターへのアップグレード作業が急ピッチで進んでいました。また洪水対策として、橋を高所に架け替える作業や地滑り対策も行われていました。

 

ロズリン : 雨季という問題もあるのですね。

 

島田 : そうなんです。たとえばお手洗いの汚水槽は、土の中に穴を掘って染み込ませるだけのものも多く、モンスーンが襲ったらあふれて、飲み水を汚染する危険があります。もともと湿地帯なので蚊の被害も多いのですが、雨季には蚊を媒介した病気が流行るなど、より深刻な問題を生む可能性があるんです。

 

ロズリン : 衛生面でもさまざまな対策が必要ですね。飲み水の確保も大変でしょう?

 

島田 : 飲料水は、土壌汚染とは関係のない深いレベルまで井戸を掘れば手に入る場所もあれば、雨水を溜めるしかない場所もあります。雨水は浄水する設備が必要になりますが、建てる資金や時間が足りません。対策としては、汲んだ雨水に浄水用の薬剤をいれて飲める状態にして使います。

 

 

ロズリン : 厳しい状況ですね。

 

島田 : 彼らの生活の大変さは覚悟して行きました。実際、感傷的になってしまうような話もいくつも聞きました。ただ、思った以上に彼らはたくましく、キャンプに落ち着くことのできた今、家族や子どもたちの教育や未来について考える余裕が生まれてきているという印象があり、そこに希望を感じましたね。難民自身がシェルターの改築や道路の舗装などの作業に積極的に参加して、自分たちでキャンプを作り直すという作業をしていました。難民キャンプは日がな一日やることがなく、無為に過ごさざるを得ない人が多いのではないかという先入観を持っていたのですが、そんなことはなく、非常に活気のあるキャンプでした。

 

(ロヒンギャキャンプ内で自立支援の一環として難民女性が作っている石鹸)

 

 

●難民問題を多くの人たちに知らせたい

 

ロズリン : では、今後こんな活動をしたいというようなことはありますか?

 

島田 : 難民について、問題意識を共有してくださる企業経営者の方を1人でも増やしていくことです。私は法人を担当していて、企業経営者の方々とお話させていただく機会も多いのですが、日本の法人セクターからの支援はまだまだ伸びると思いますし、伸ばす努力をしていかないといけないと思っています。

 

ロズリン : どうしたら伸ばしていけるのでしょうか。

 

島田 : 難民問題をご存じない方々にお伝えしていくのはもちろんなのですが、難しいのは、知ってはいても足踏みされている方々に共感していただくことです。どんな方法がいいか日々考えています。たとえば、ミャンマーがメインのマーケットである企業さんなどでは、ロヒンギャ支援を行うことがマーケティング的にどうなのかと検討した結果、支援を躊躇されてしまうようなケースがあります。企業の事業戦略と合致する支援の形をご相談しつつも、政治的な背景とは切り離した人道支援の重要性、今、世界のすべてのセクターが力をあわせて支えなくては、難民をめぐる状況はもっと悪くなりうる、という危機感を共有することができればと思っています。

 

ロズリン : やりがいのあるお仕事ですね。少しでも多くの方に難民問題を知ってもらえるように、是非頑張っていただきたいです。今日はお話ありがとうございました。

 

 

【感想】

緒方貞子さんの著書にふれ、この道を志したという島田さん。日本に住んでいると、こういった本を読まない限り難民問題について考える機会が少なく、どうしても遠い世界のことのように思えてしまいます。ですが、こうしてお話を伺うと決して縁遠いことではなく、逆に日本に住んでいたり働いているからこそできる支援が沢山あります。

1人でも多くの人が不自由なく生活を送れるように、私もまずは正しい理解を深めるところから始めたいと思います。

島田さん、貴重なお時間をありがとうございました。

 

【国連UNHCR協会について】

国連UNHCR協会は、国連の難民支援機関であるUNHCR(ユーエヌエイチシーアール/国連難民高等弁務官事務所)の活動を支える日本の公式支援窓口です。UNHCRの活動資金は、各国政府からの任意の拠出金ならびに民間からの寄付金に支えられていますが、もっと広く民間からも支えていこうという機運が世界的に高まり、日本では2000年10月に、民間の公式支援窓口として、特定非営利活動法人 国連UNHCR協会が設立されました。

https://www.japanforunhcr.org

 


特定非営利活動法人 国連UNHCR協会 島田祐子さん 前編

国連の難民支援機関であるUNHCR(ユーエヌエイチシーアール/国連難民高等弁務官事務所)の日本における公式支援窓口である国連UNHCR協会で、主に法人からの支援を募る業務を担当している島田祐子さん。日本人初の国連難民高等弁務官として活躍された緒方貞子さんの著書を読み、人道的な活動に共鳴してこの道を志しました。

 

 

●民間からの支援を募るために立ち上げられた国連UNHCR協会

 

ロズリン : UNHCRとはどのような組織なのでしょうか?

 

島田 : 国連機関としてのUNHCRは、第二次世界大戦後の1950年に発足しました。元々は東ヨーロッパ系の難民の方々の帰還支援を行うため、3年間のみの暫定機関として設立されました。しかし、ハンガリー革命が起こり、アフリカ諸国の独立に伴う紛争が勃発し、中東が不安定化するなかで、国連総会決議で引き続き存続期間が延長され、2003年には、難民問題が解決するまで、恒久的に存続する機関とすることが決定されました。

 

 

ロズリン : 今、UNHCRは何か国で活動しているのですか?

 

島田 : 世界130か国で、1万1000人のスタッフが難民支援の現場で活動しています。

 

ロズリン : 島田さんが所属されている国連UNHCR協会は国連組織ではなく、独立した民間の組織なのですよね?

 

島田 : そうです。私が所属する国連UNHCR協会は認定NPO法人のかたちをとっています。UNHCRの活動を支えるため、日本の民間の人に向けて広報・募金活動を行うため、2000年に立ち上げられました。

UNHCRは長年にわたって国連加盟国からの拠出金、つまり各国政府からの支援に頼ってきたという歴史があって、日本も最大のドナー国のひとつです。日本の拠出金がUNHCRの活動を支えていることは間違いないのですが、難民問題の拡大に伴い、民間の力がもっと必要になってきた背景があります。

 

ロズリン : グラフを見せてもらいましたが、2000年以降の資金の伸びがすごいですね。

 

島田 : おもに企業、団体、個人の皆様からのご支援なのですが、いちばん割合が多いのは個人の皆様からのご支援です。 2017年末時点で32億円の大きなご支援を協会としてお預かりすることができ、そのうち8割が個人のご支援でした。月々募金をいただく「毎月倶楽部」のご支援が積みあがっています。

 

ロズリン : 1人あたりの平均募金額はいくらですか?

 

島田 : 平均約2千円のご支援を毎月数万人以上の方からお預かりしています。

日本の支援者の大きな特徴は、一度支援を始めると長年にわたって続けてくださることです。それは、支援者の皆様がUNHCRを支援する意義をしっかり考えたうえで始めてくださるからだと感じています。本当にありがたいことです。

 

 

ロズリン : 素晴らしいですね。支援をしてくださる方々の性別や年齢層にはどんな傾向がありますか?

 

島田 : 男性と女性はほぼ半々、年代は40代以降の方々が多い印象です。この頃はネット募金もあり、若い層からの関心も高まりつつあります。

 

●全世界に約7千万人もの支援対象者が

 

ロズリン : そもそも難民とはどのような人たちなのでしょう。何人くらいいるのでしょうか。

 

島田 : UNHCRの支援対象者は2017年末時点で全世界で7,144万人にのぼりました。そのうち住んでいた場所から避難を強いられた人は6850万人。2秒に1人が移動を強いられている状況です。

 

ロズリン : それほど大勢の方々がどうして難民となってしまったのでしょうか?

 

島田 : 政治的な迫害のほか、武力紛争や人権侵害などを逃れるために国境を越えて他国に庇護を求めた人々を難民と呼んでいます。その半数以上は18歳未満の子どもたちです。

そのほか国内避難民という方々もいます。とくにシリア問題で顕著になってきましたが、紛争などによって住み慣れた家を追われたが、国内にとどまっているかあるいは国境を越えずに避難生活を送っている方々です。

もうひとつのカテゴリーとして無国籍の方々もいます。国籍を持たないためにどの国からも保護が受けられない方々です。彼らの場合、無国籍であるのは自分の選択した結果ではありません。

 

 

●難民支援の3つのフェーズ

 

ロズリン : 難民を保護するということですが、具体的にどんなことをしていくのでしょうか?

 

島田 : まず難民支援には大きく分けて3つのフェーズがあります。

1つめは緊急支援です。UNHCRが非常に重要視しているのは、緊急事態においても人間としての尊厳を保護すること。具体的には、命を守り、衣食住を提供する支援です。

その支援を始めるために必要なのが、対象者の登録です。無国籍の方が難民となった場合でもUNHCRが登録することで、その方のアイデンティティーが生まれます。それから家族ベースでも登録を行い、各家族のニーズに基づいて必要な支援を行います。また、たとえば子ども8人をお母さん1人が育てている家族や、病人のいる家族を優先して支援するなど、優先順位を明確にすることもできます。

 

 

ロズリン : たしかに保護対象者を明らかにすることは大事ですね。

 

島田 : 2つめは中期的な支援です。難民キャンプや避難先で教育を受けられるようにしたり、自立のために仕事ができる仕組みをつくったり、テントではないところに住めるような住居の支援をしたりします。

3つめは、帰還もしくは定住のための支援です。これが支援のゴールになります。一番望ましいのは故郷へ帰還できることですが、残念ながらそれができない状況もあるので、その場合は避難先や第三国で定住できるよう支援を行います。2017年に故郷への帰還を果たした人は約500万人でした。

 

ロズリン : そうですか。それは素晴らしいですね。

 

それでは後編で、島田さんご自身のお話をお聞かせください。

 

【国連UNHCR協会について】

国連UNHCR協会は、国連の難民支援機関であるUNHCR(ユーエヌエイチシーアール/国連難民高等弁務官事務所)の活動を支える日本の公式支援窓口です。UNHCRの活動資金は、各国政府からの任意の拠出金ならびに民間からの寄付金に支えられていますが、もっと広く民間からも支えていこうという機運が世界的に高まり、日本では2000年10月に、民間の公式支援窓口として、特定非営利活動法人 国連UNHCR協会が設立されました。

https://www.japanforunhcr.org


ナレーター 高島由紀子さん 後編

現在、ナレーターとして様々な活動をしている高島さん。実はナレーターになるのは子供の頃からの夢だったそうです。彼女はどのように子供の頃からの夢をかなえたのか。そしてどんな風に今も努力を続けているのかを伺いました。

 

 

【後編】

●自分に足りない表現力をつけるため、芝居の勉強を始めた

 

ロズリン : ラジオアナウンサーの次にどんな仕事をされたの?

 

高島 : 東京に戻ったのは体調を崩したこともあり、当初はのんびりと活動を始めました。

その後大手の事務所に所属したのですが、これまでのアナウンサーとしての経験を活かして、私は企業向けのナレーションやCMを受けることが多かったですね。

そこで数年お仕事をした後、仕事の幅を広げたいと思い、現在所属している事務所へと移りました。そこでは通常のナレーションの仕事のほか、ドラマに少し出たり、ニュースキャスター役で映画にちょっと出たり。それまでとは違う種類の仕事へ広がりがでたんです。

 

 

ロズリン : ラジオと違って、顔も出すお仕事になった。

 

高島 : そうですね。カメラに向かって話すのが慣れないうちは難しかったです。家でビデオカメラを買って、家で練習しました。画面に文字が出るプロンプターも、最初は慣れなくて。流れていく文字を追うのがけっこう難しかったです。やはり自分には何か足りないものがあるということが、いろんな仕事をすることでさらに自覚できました。

オーディションに受からなかったり、監督のいうとおりできなかったり。人が求めるものをなかなか表現できなかったので、仕事とは離れたところで表現力をつけようと思い、芝居の勉強も始めたんです。

 

ロズリン : あらすごい。劇団にはいったんですか?

 

高島 : 知り合いに小劇場に出ている方たちがいたので、ボランティアで勉強させていただいたんです。

アナウンスやナレーションは体を動かしませんから、最初はセリフは言えても舞台で棒立ちで、「何だそれは!」と監督に怒鳴れてしまったり。どうしたらいいのか、本当にわかりませんでした。できないのが悔しかった。

 

ロズリン : 難しいですよね。でもだんだん慣れたのでは?

 

高島 : はい。3〜4年続けていくうちに、慣れました。

それまではナレーションで、感情を込める表現など恥ずかしい気持ちがあったんですが、舞台で演技の勉強をして、むしろ楽しくなってきたんです。

 

ロズリン : それはよかったですね。今も続けているのですか?

 

高島 : いえ、今はやってないのですが、実は約10年前から、舞台の関係者からご紹介いただいた狂言の先生のお稽古に通っています。

日本の伝統文化を勉強してみたいと始めたんですが、そのおもしろさにはまり、今はすっかり趣味にもなっています。

 

 

ロズリン : すばらしいですね。私も狂言は大好きです。今までも、年に何回かは見に行っていますよ。

私、時代劇の言葉はわからないんですが、狂言は何とかわかるんです。

 

高島 : そうなんですか。すごい!

 

ロズリン : 声の出し方はまったくちがいますが、いい勉強になりそうですね。その舞台に立つことはあるんですか?

 

高島 : 趣味の域ですが、発表会で年に1回立っています。休日はお稽古三昧です(笑)。

 

●走ることが好き。フルマラソンに挑戦したことも

 

ロズリン : ほかに体を動かすことは?

 

高島 : はい。走るのが好きです。もともと高校時代陸上部で、昔から走ることが好きでした。

フルマラソンにも、もう10年以上前になりますが、仕事としてオーストラリアのゴールドコーストマラソンに挑戦させていただいたんです。

 

ロズリン : 仕事というと?

 

高島 : 観光案内の映像で、初めてフルマラソンに挑戦する人の姿を撮りたいということで。フルマラソン経験者と2人で挑戦しました。

それまでフルはしり込みしてた部分がありますが、せっかくの機会なので、やってみようかと。毎日30分ぐらいですが走って練習しました。

 

 

ロズリン : フルは大変ですよね。走れましたか?

 

高島 : それが、天気がよくて、とても走りやすかったんです。暑くも寒くもなく、ちょうどよくて。景色がきれいでサーファーズパラダイスのところをずっと走っていたのですが、ゴールドコーストは本当に海がきれいですね。

 

ロズリン : 最高です。空気もおいしいし。

 

高島 : そうですね。住宅地では、住民の方たちがバーベキューをやりながら、応援してくださって、すごく心強かった。

 

ロズリン : やはりマラソンを走った私の友人が言ってましたが、20キロをすぎる頃から、疲れてもうやめようもうやめようと思っていると、沿道の方が「がんばれ」と声援送ってくれると、なんとか最後まで走れるそうです。

 

高島 : ゴールが見えてくるとほっとしますよね。私も最後のあと5キロというところはきつかったのですが、やはり声援で元気をいただきました。道も平坦で、ゴールドコーストマラソンは初心者の方にはおすすめです。その映像はかなり長い間流れてたみたいです(笑)

 

 

ロズリン : それは見たかったですね。他の場所で走ったことは?

 

高島 : おととし、ホノルルマラソンを走ったのですが、すごくアットホームな大会で、やはり、地元の方々の応援に励まされて走りきれました。

日中は気温が高いので朝5時にスタートするのですが、だんだん気温が上がってくるのと、後半にあるダイアモンドヘッドの上りがきついんです。最後の最後に坂があるのでね。

 

ロズリン : そんなきつい思いをしても走るのはなぜですか?

 

高島 : 「自分との対話」みたいなところがあって、何を考えているわけじゃないけど、何となく頭の中が整理されていく感じでしょうか。

フルマラソンは確かに30キロを過ぎた地点からきついけど、歓声が後押ししてくれ、徐々に景色がビビッドに見えてくる。

そういうことを魅力に感じます。

 

ロズリン : 走ってみないとわからない経験でしょうね。

ご自分の夢だったナレーターに関してはどうですか。やってみて、どんなことを感じましたか?

 

高島 : 1つの作品が完成するのがおもしろいし、ナレーションで、物作りに関われるのが楽しいです。

 

ロズリン : ナレーションの仕事に興味のある人に向けて何かメッセージがありますか?

 

高島 : あきらめないことですね。そして続けること。私自身、それだけをやってきたと思います。その都度、これが必要だからと勉強しながら仕事をする繰り返し。

やりたいという気持ちを持って、ぜひあきらめずに続けていただきたいと思います。

 

ロズリン : ご自身は、今後どのように仕事をしていきたいですか?

 

高島:いろいろな分野のナレーションをしたいのと、これは最終目標ですが、人の心を動かせるような朗読会みたいなことができたらと思っています。

 

ロズリン : 高島さんならきっと実現できますよ。 応援しています。今日は本当にありがとうございました。

 

 

【感想】

とてもエネルギッシュな高島さん。ナレーターになりたいという子供の頃からの夢を実現させただけでなく、そこから広げて色々なことに挑戦し続けている姿には刺激をもらいました。何事もあきらめずに続けると必ず形になることを、体現されていますね。

これからも夢に挑戦し続ける高島さんを応援しています!

 

【高島由紀子さんプロフィール】

東京都出身。2000年、ラジオ福島にてアナウンサー職で入社。中継やナレーション、インタビュー、一人喋りなど、幅広く活動する。2004年に俳協への転籍をきっかけに、舞台にも出演。2008年よりアクロスエンタテイメント所属し、現在に至る。趣味は、着付け・トレイルランニング・狂言。


ナレーター 高島由紀子さん 前編

現在、ナレーターとして様々な活動をしている高島さん。実はナレーターになるのは子供の頃からの夢だったそうです。彼女はどのように子供の頃からの夢をかなえたのか。そしてどんな風に今も努力を続けているのかを伺いました。

 

 

【前編】

●子供の頃、ドキュメンタリー番組が好きだったのがきっかけ

 

ロズリン : その節は、アパガードプレミオが殿堂入りになった記念動画のナレーションをしていただき、ありがとうございます。と

ても自然な感じでやっていただき、よかったです。

 

高島 : 気に入っていただき、ありがとうございます。

 

ロズリン : お仕事の肩書の名称は「ナレーター」でいいですか? アナウンサーとか、いろんなお仕事をされているようなので。

 

高島 : はい。アナウンサー出身なのですが、現在は司会、ナレーター、番組アシスタントなど様々な仕事をやらせていただいています。でも、私が子供の頃から一番なりたかったのがナレーターなので、自己紹介の時は、そういわせていただいています。

 

ロズリン : そうなんですね。子どもの頃からなりたかったというのは、どんなきっかけですか?

 

 

高島 : 小学校の頃、NHKスペシャルなどドキュメンタリーを見るのが好きだったんです。あぁいう番組ってナレーションが入りますよね。番組を感動的に盛り上げる。それに感動して、自分もこういう仕事につきたいと思いました。当時は、ナレーターという仕事があるという具体的なことはわかっていませんでしたが。

 

ロズリン : 親御さんや親戚にそういう関係の方はいたんですか?

 

高島 : いいえ。だからなり方とか全然わからなくて。中学校の先生に相談したら、一番近いのはアナウンサーじゃない?といわれ、では、その道にいってみるかと、その時決めました。

 

ロズリン  道というと、具体的な方法があるんですか?

 

高島 : まず女子アナは採用の時、四大卒が条件なので、とりあえず大学には行こうと。

大学2年生の時には、情報収集と受験対策のためにアナウンサー養成の専門学校にも入りました。

 

ロズリン : 専門学校はあるんですね。その学生数は何人くらいですか?

 

高島 : 1クラス30人ぐらいで、それが何クラスかあります。9割が女性で、いろんな学校から集まっているので、楽しかったです。とはいっても競争相手ですけど。

 

ロズリン : こうしてお話していても、高島さんの日本語はとてもきれいですが。学校では発声練習から行ったのですか?

 

高島 : どちらかというと、アナウンサーになるための受験対応がメインで、発声は多少やりましたが、しっかりとした訓練はしませんでしたね。ロズリンさんの日本語こそすばらしいです。英語が母国語の方は、日本語の発音がきれいだと聞いたことがありますが。

 

 

ロズリン : 実は私自身、オーストラリアにいた子供時代、オーストラリア訛りにうちの母はコンプレックスがあったんです。隣にスピーチの先生がたまたま住んでいたので、母が通わせてくれ、きちんとイギリス的な発音をできるようになったんです。もしかしたらそのことで、私は色々な言語を習得できたのかもしれません。

 

高島 : すばらしいですね。

 

ロズリン : 学校からは、何人アナウンサーになれたんですか?

 

高島 : 私をいれて2人です。もう1人の方は日本テレビへ就職しました。

 

ロズリン : やはり厳しい世界ですね。

 

高島 : 主要なキー局を落ちたところで、就職活動をやめる方もいますからね。私はキー局に落ちてもあきらめず、とにかくどこでもいいからアナウンサーになりたいと思っていたので、地方のテレビ局やラジオ局を受け、全国行脚の旅に(笑)。その途上でラジオ福島に受かったので、そこで受験を終えました。

 

●ラジオ局でアナウンス以外、さまざまな仕事を経験

 

ロズリン : ラジオ福島というと、移転することになったんですね。

 

高島 : はい。東京から福島に行きました。地方のラジオ局は、いつも少ししか新人をとらないのですが、この年は5人採用があり、同期はみな社宅にすみ、心強かったです。

知り合いが誰もいない土地でしたが、同期がいることが助かりました。地方局は常に人出不足で、アナウンサーで採用されても、しゃべる仕事だけでなく、ディレクターの仕事から現場、編集作業と放送に関わることはみんな自分でやるので、最初は大変でした。

 

ロズリン : でもそのほうがおもしろかったでしょう。

 

高島 : はい。いろいろなことをさせていただきました。

ニュース番組からマラソンの中継まで。長く番組を担当していたので、地元の名物おばあちゃん、農家や工場勤めの方など、福島のラジオ局でアナウンサーをしていなければ会えなかった様々な方にお会いすることができ、貴重な体験でした。

 

 

ロズリン : ラジオのアナウンサーは、姿が見えないですね。テレビのアナウンサーとは特に違うところはどういうところですか?

 

高島 : テレビ局のアナウンサーは顔を認知されているので、例えば外で飲んでいるときでもみんな気を遣っていますが、私はその点、気楽でした(笑)。

仕事での違いはいろいろありますが、まず圧倒的に違うのは、ラジオは「画」を見せられないこと。そこにあるものを伝える時に、聴取者の方がイメージできるような表現で、自分で説明しないといけないところです。花を伝えるにも、菊だとみなさん知っていても、それがもし葡萄の花であればどんな花だか、説明しないと想像できませんから、一生懸命形を伝えます。そんなところが難しいし、やりがいのあるところでした。

 

ロズリン : そのいろんなお仕事をする中、思い出深いものはなんでしたか?

 

高島 : 福島には、日本一長い桜並木があるんですが、それにちなんだ「桜文大賞」という中高生向けの作文のコンテストがあるんです。その作品を朗読する機会をいただいたのが、とても楽しかったし、私自身の望む仕事に近かったので、やりがいがありました。局のディレクターが、私の希望を知って、番組中の私のコーナーでやらせてくれたんです。

 

 

ロズリン : ストーリー性のある文章は表現がむずかしいでしょうね。

 

高島 : はい。その時、ディレクターさんのオーダーになかなか対応できなくて。思い入れのある文章をきちんと表現できていないんじゃないか、もっとできるんじゃないかと。自分には圧倒的に表現力が足りないとこの時に自覚したんです。とても楽しいお仕事だったから余計にそう感じました。でも、作文を書いた方に朗読のテープをお送りし、とても喜んでいただいたのは良い思い出です。

 

ロズリン : ラジオ福島にはいつまでいらしたの?

 

高島 : 4年間いました。かなり体力的にもきつかったので、無理がでまして。東京に戻ってきました。

 

ロズリン : それから現在までの活動について後半で教えてくださいね。

 

 

【高島由紀子さんプロフィール】

東京都出身。2000年、ラジオ福島にてアナウンサー職で入社。中継やナレーション、インタビュー、一人喋りなど、幅広く活動する。2004年に俳協への転籍をきっかけに、舞台にも出演。2008年よりアクロスエンタテイメント所属し、現在に至る。趣味は、着付け・トレイルランニング・狂言。

 

 


ヴァイオリニスト 宮陽江さん 後編

 

スイス・ジュネーブを拠点に、国際的に活動するバイオリニスト、宮陽江さん。
子供の頃からバイオリン一筋。思春期の頃も今も、気が付くとクラシックの作曲家のことで頭がいっぱいになっているという筋金いりの音楽家。彼女のバイオリン人生と、音楽への思いを伺った。

 

【後編】

●総合芸術を目指し、衣装も公演のテーマにあわせて作る


ロズリン : 芸術家の方は、その作品だけではなく、作品を創りあげていくその姿全体がすでに芸術だと思っているんです。たとえば100歳をとうに超える美術家の篠田桃紅さん、彼女が墨をすり、大きな紙の上で描く。彼女の立ち居振る舞いのすべてが芸術で、素晴らしい。ですから、さきほど宮崎さんが公演は演奏だけではなく、総合芸術を目指しているとお聞きして、非常に共感しました。演奏する女性は衣装も非常に大切ですよね。


宮 : そうなんです。実は私の衣装は以前、ロズリンさんのこのブログにも登場されている、ウェディングドレスデザイナーの花嶋千賀さんが担当してくれているんです。
彼女と出会ったのは10年以上前になります。当時の私は、自分の演奏や公演ごとのテーマに必要な衣装を探し、いろんなお店や人にコンタクトをとって探したのですが、ぴんとくるものがなくて。ある日、美容院で雑誌を見ていた時に、彼女の作品を見て、「あ、この方だ」と。すぐに彼女のアトリエに電話をさせていただき、飛び込みで突撃したんです(笑)。
それ以来のおつきあいで、公演のたびにテーマからご相談し、作っていただいています。


ロズリン : 彼女の衣装は本当に素敵ですね。宮さんのコンサートに伺った時の衣装も、とても印象に残っています。音楽もドレスもとてもドラマティックだった。


宮 : ありがとうございます。よく生地からこだわって、織元までいって作っていただくんですが、ロズリンさんが来てくださった時の衣装もそう。結んでいた5色のリボンは絽の着物の生地で、五泉駒絽という絹を、そのために織っていただいたんです。透け感や太さなど細かいところまで非常にこだわりました。


ロズリン : それほどこだわって作っていたのですか。本当にすごいですね。
総合芸術という意味では、衣装のほか、やってみたいことはありますか?


宮 : はい。いずれバレリーナの方と舞台で共演したいと思っています。


ロズリン : おもしろそう。ぜひ見てみたいです。


●今年はバロックのコンサートにチャレンジする予定

 


ロズリン : 話はかわりますが、舞台の上で大失敗したことや、ネズミが舞台を走ったみたいな、ハプニングが起きたことはありますか?


宮 : ネズミには会ったことはないですが(笑)、本番の前に通しで練習する「ゲネプロ」で、2回弦が切れてしまったことがあります。1回切れることはたまにあるので、サブのバイオリンを持って行っていますが、この時は一度バイオリンを変えたら、また切れてしまって。ちゃんとメンテナンスもしていたし、時期も悪くなかったんですが驚きましたね。本番ではなく助かりました。


ロズリン : それが本番だとどうするんですか?


宮 : オーケストラとの共演の場合は、コンサートマスターの方からバイオリンをお借りして弾き続けることになりますね。


ロズリン : それは大変(笑)。弦は自分ではるんですか?


宮 : はい。予備で少し使い込んだものを持ち歩いていて、それをはりますね。


ロズリン : そうなんですね。私がステージを見ていて危ないと思うのが、楽譜。まとまって何ページかめくってしまったりしないのかしらとか(笑)。そういえば、この間知ったんですが、今度、演奏中の楽譜も、タブレット端末でできるようになるそうですね。合理的ですが、電波の状態とかフリーズしたりしないんですかね。

 

 

宮 : 足で操作するようですけどね。どうなんでしょう。楽譜といえば、一度ハプニングありました。基本的に暗譜しているのですが、楽譜は万が一の時のためにおいているんですね。ある無伴奏の大変な難曲で、メロディーが途切れない⾧い曲を弾く際、5枚ぐらいつなげた⾧い楽譜を作って、それを公演の際にスタッフが譜面台に置いてくれたのですが、演奏開始後に何か変だなと思ったら、上下が逆さだったんです。「あ、もうこれは見てはいけない」と。(笑)

そのまま暗譜で弾き切りましたが、あの時は弾きながらとてもびっくりしました。


ロズリン : それは恐ろしいです・・・ちなみに、宮さんは作曲もされますか?


宮 : はい。朝目覚めたときに聞こえてくる音をかきとめ、作曲しています。CD も出させていただいてるんですよ。


ロズリン : 聞いてみたいですね。教えることにも興味はありますか?


宮 : 大好きです。実はスイスで教育過程をとったので、ディプロマを持っているんですよ。でもツアーで移動していることが多いので、責任を持って生徒さんを見ることは今はまだできないので、いずれやらせていただきいと思ています。


ロズリン : バイオリンのほかに趣味はありますか?


宮 : すべてのことが音楽に結びつくというか、バイオリンが趣味と実益をかねているというか、音楽に浴することに常に飢えているので弾かないと干からびちゃうんです。


ロズリン : 練習は多い時はどのぐらいされますか?


宮 : 時間がとれる時は16時間とか。弾いていない時も、その時に取り組んでいる作曲家のことで頭がいっぱいです。思春期の頃も、ベートーヴェンの曲を弾いている時は、彼の耳が聞こえなくなったことで頭がいっぱいになったりしてましたね。なんというか、クラシックのおじさまたちのことが、昔も今も常に頭にある感じです(笑)。ワインを飲んでいても、彼らはどんなワインを飲んでいただろうなどと気になって仕方ないです。

 


ロズリン : 本当にバイオリンとクラシックがお好きなのね。


宮 : はい。あとは比較文化、という観点でも興味があります。私は今は日本人ですが、ヴァイオリンという楽器も元をたどると東洋の楽器から進化したもの。その意味では、異文化に見えつつも本質は同源なのではという考え方から、今後も音楽を通して、そこに流れるエネルギーと文化の本質を追求していきたいと思っています。


ロズリン : それはいいですね。今後はどんなことにチャレンジしたいですか?


宮 : 今年はバロックに取り組むコンサートを7月と12月に東京で行います。


ロズリン : バロックは大好きです。ある意味、バロックは完成された世界ですね。


宮 : はい。その通りだと思います。現代はバロックを演奏する人が増えていますが、一人ひとりがどういうバロックを弾くのか問いかけられている大変な時代だと思っています。一般にいうピリオド楽器は、モダン楽器との構造の違いから奏法も自ずと変わってきます。弦についてだけでも、今の弦はガットの表面にスチールが巻いてありますが、バロックのものはガットがむき出しですので、音が自然な生の音というか、牧歌的な親しみやすい音色になります。弓の形も違うし、ボディの構造も強度も仕様も違う。バロックを演奏する時にバロックバイオリンを使うかどうかは人によりますが、私は今どうしようかと考え中で、来ていただいてのお楽しみということになりそうです。


ロズリン : ぜひ伺いたいです。楽しみですね。

最後に一つ、質問します。私は猫が好きなんですが、宮さんは動物は飼ったりしてますか?


宮 : 家を空けることが多いので難しいですね。でも近所の親類が動物がとても好きで、おうちに犬や猫が必ずいる状況なので、私もそこにいくとかわいがっていますよ。


ロズリン : 今度ジュネーブに行くことがあったらぜひお邪魔したいです(笑)


宮 : ぜひ! お待ちしてます。

 

 

 

〜宮陽江さんコンサート情報〜

URL:http://www.yoe.jp/topics.html

 

■宮陽江 山口裕子  ヴァイオリンとハープ 響きあう弦〜名小品集〜 

 

[ 札幌公演] 2 0 1 8 年7 月6 日( 金)1 8 :3 0 開場/ 19 : 00 開演
六花亭札幌本店10 F きたこぶしホール


[ 旭川公演] 2 0 1 8 年7 月8 日( 日)1 4 :3 0 開場/ 15 : 00 開演
旭川 島田音楽堂

 

[帯広公演] 2018 年7 月10 日(火)18:00 開場/18:30 開演
とかちプラザ・レインボーホール

 

■宮陽江 バロックへの誘い〜調和と創意の試み〜 vol.1

[東京公演] 2018年7月24日(火)18:30開場/19:00開演
東京オペラシティ B1F リサイタルホール

 


【宮陽江さんプロフィール】
ニューヨーク州イタカ市生まれ、幼少期をパリにて過ごし、3歳よりヴァイオリンを始め
る。桐朋学園高等学校音楽科を経て、桐朋学園大学音楽学部演奏学科卒業。その間、堀正
文、山口裕之、江戸純子各氏に師事。同大学を卒業と同時に全額奨学金を得て米国タング
ルウッド音楽祭(小澤征爾監修)に参加。後、ジュネーヴ高等音楽院に留学、名匠ジャン=
ピエール・ヴァレーズ氏に師事。在学中、室内楽をガボール・タカーチ、モダン・バロッ
ク両楽器をハンス=ハインツ・シュネーベルガー氏の下で学ぶ。1997 年、同音楽院をプル
ミエ・プリ(一等賞)にて卒業。
これまでにスイス、フランス、スペイン、オーストリアなど、ヨーロッパ各地での演奏会、
国際音楽祭に多数出演、また、ソリストとして、札幌交響楽団、読売日本交響楽団、北東
ドイツ管弦楽団、スロヴァキアフィルハーモニー管弦楽団、デュッセルドルフ管弦楽団な
どと共演を果たす。現在は国内外問わず幅広く音楽活動を展開。音楽文化の普及・発展に
精力的に取り組んでいる。

【感想】
音楽をはじめとした芸術は、その作品自体が完成品というよりも、演奏するアーティスト
の生き様や表現している姿、そういったもの全てが作用しあう「総合芸術」になって初め
て完成するもの、という宮さんの価値観にとても共感しました。お酒を飲んでいるとき
でも作曲家や音楽のことを考えてしまう…という宮さん。日常生活のそういった小さな
こと全てが大きな舞台で表現され、素晴らしい演奏につながっているのだと思います。
7 月・12 月のバロックコンサートはわたしも是非伺いたいです。今後の宮さんのご活躍
を楽しみにしています!


ヴァイオリニスト 宮陽江さん 前編

 

スイス・ジュネーブを拠点に、国際的に活動するバイオリニスト、宮陽江さん。
子供の頃からバイオリン一筋。思春期の頃も今も、気が付くとクラシックの作曲家のことで頭がいっぱいになっているという筋金いりの音楽家。彼女のバイオリン人生と、音楽への思いを伺った。

 

【前編】
●無意識にバイオリンを弾くジェスチャーをした幼少期


ロズリン : お久しぶりです。前に伺った、サントリーホールでのコンサート、演奏だけでなく、衣装も含めてドラマティックなチャイコフスキーで素晴らしかったです。

 

宮 : ありがとうございます。演奏はもちろんですが、私は衣装も含め、総合芸術としてその公演ごとにテーマを設定し、作り上げていきたいと心がけているので、そこを感じていただけてうれしいです。

 

ロズリン : それは素敵ですね。今日はぜひいろいろなことを聞かせてください。
宮さんは今、スイスのジュネーブに住んでいらっしゃるそうですが、子供の時から海外生活が多かったんですか?

 

宮 : はい。父の仕事の関係で、生まれたのはアメリカ・ニューヨーク州で、一度日本に帰り、パリに6歳までいました。その後は大学卒業まで日本です。

 

ロズリン : バイオリンはいつ始められたの?音楽はご家族の方もやっていたんですか?

 

宮 : はい、母がアマチュアでピアノを弾いていて、祖母はお琴の名手でした。
バイオリンを始めたのは3歳の頃。当時、母は私にバレエや絵画教室などいろいろなものを習わせてくれていたんですね。そんな中、私がティッシュの箱を首にはさんでバイオリンを弾くようなジェスチャーをしたそうで。

「この子、もしかしてバイオリンをやりたいんじゃないかしら」と気付いた母が習わせてくれたんです。それ以来、どの写真をみても、私はバイオリンケースを持っています。

最初から本当に大好きで、なんというか、この楽器を持つのは初めてではないというか、まるで前世で弾いていたかのような、最初からなじんだ感覚だったことを覚えています。

 

 

ロズリン : それはすごいですね。演奏家になろうと思ったのはいつ頃ですか?

 

宮 : ずっと大好きで弾いていたので、自然な流れでしたが、桐朋女子高等学校音楽科に進学したことは大きいかもしれません、周囲もコンクールに出たり、海外に音楽留学する方が多かったです。

 

ロズリン : 桐朋女子高等学校・同大学を卒業した後は海外に出られた?

 

宮 : はい。幼少期をヨーロッパで過ごしたので、また戻りたい気持ちが強かったんです。

相談していた先生がパリ在住だったので「こちらにいらっしゃい」といわれた時はてっきりパリだと思ったら、なんとその先生はスイス・ジュネーブの高等音楽院で教えてらしたんです。でもそんな偶然でしたが、スイスにはとてもご縁を感じています。
当時、私はエルネスト・アンセルメというスイスの指揮者が大好きだったので、「スイスだ。アンセルメの国!」とうれしかったですし、その後、ジュネーブの室内管弦楽団に所属したのですが、スイスのフランス語圏、スイスレマン一帯にはまだアンセルメのカラーが残っていた気がします。なんというか、自然豊かな環境の中で生まれた音楽。たとえばレマン湖の透明感やきらめく光など、そういうところから育まれた音楽はとても美しいんですね。

 

ロズリン : ジュネーブはきれいな街ですね。ヨーロッパの各国にとても行きやすいという利点もありますし。

ソリストになってから、活動もしやすいのでは?

 

宮 : はい。ヨーロッパの国々を訪れることが多いので、確かに便利です。永世中立国だからかはわかりませんが、いろいろな国とバランスがよくて、自分の音楽を作る環境としては、とても居心地がいいんです。


●一夜の公演の音楽づくりはシェフがディナーを作ることに似ている。

 

 

ロズリン : 宮さんは舞台であがったりしますか?

 

宮 : ほとんどあがらないです。思春期の頃に、教えていただいたことを考えすぎて迷ってしまった経験はありますが。今は舞台の上は別世界。立った途端に別次元に入る感じです。クラシック音楽という文化の深さは、人類の歴史そのものだと思っていますので、ある意味、それを奏でることは人間である1つの証明だと私は思ってます。

 

ロズリン : バイオリンという楽器自体も貴重品だと思いますが、音楽自体貴重ですね。
造られてから何世紀もの歴史がある。同じ曲を何回も弾き、その日によってやはり表情が違ってくるものですか?

 

宮 : 公演だと、お客様が違うと返ってくるエネルギーが毎回違いますね。

 

ロズリン : それはたとえばどんな感じですか?

 

宮 : こうでなくてはいけない、ということはないんですが、たとえばスロヴァキアでコンサートを行った時のこと。ほかの西欧の国より比較的、同じ髪や肌の色など、人種的に同じ方たちが集まっていたんですね。スロヴァキアの民族的に共有してきた歴史があるのか、なんとなく、そこにいるだけでまとまっている感があり、そこに音楽のインパクトを加えることで、似たような空気感というか、エナジーみたいなものが伝わってくる感じですね。言葉でいうのは難しいですが。

 

ロズリン : なるほど。演奏は指揮者によっても変わってくるでしょうね。

 

宮 : そうですね。一期一会です。共同作業というか。日本語はおもしろくて、「共演」の「共」は、「競」や「響」でもあり、いろんな字がありますが、「狂演」にだけはならないようにしようと思っています(笑)。
指揮者と演奏者の関係は、たとえるとしたら一つのディナー。こういう新鮮な素材が入ったから、これをどう料理し、お酒は何を組み合わせようとか、シェフがいろいろ献立を考えてできた料理が、その日の音楽。その時の素材をどう活かして最高のものに仕上げるか作ることが醍醐味だと思います。

 

 

ロズリン : うちの会社は東京シンフォニアという弦楽器だけの室内オーケストラのスポンサーをしていて、公演前の合同練習を見学したことがあるのですが、いつも驚くことに、みんなであわせる練習は2日ぐらいしかしないんですね。プロとはいえ、すごいと思います。

 

宮 : かえって緊張感があっていいかもしれないです。練習時間がたっぷりあっても、だれてしまうことがありますからね。

 

ロズリン : なるほど。そういうものなんですね。

 

後編に続きます。

 

 

 

〜宮陽江さんコンサート情報〜

URL:http://www.yoe.jp/topics.html

 

■宮陽江 山口裕子  ヴァイオリンとハープ 響きあう弦〜名小品集〜 

 

[ 札幌公演] 2 0 1 8 年7 月6 日( 金)1 8 :3 0 開場/ 19 : 00 開演
六花亭札幌本店10 F きたこぶしホール


[ 旭川公演] 2 0 1 8 年7 月8 日( 日)1 4 :3 0 開場/ 15 : 00 開演
旭川 島田音楽堂

 

[帯広公演] 2018 年7 月10 日(火)18:00 開場/18:30 開演
とかちプラザ・レインボーホール

 

■宮陽江 バロックへの誘い〜調和と創意の試み〜 vol.1

[東京公演] 2018年7月24日(火)18:30開場/19:00開演
東京オペラシティ B1F リサイタルホール

 

 


NVUS Japan CEO Maneesh Kalraさん 前編

 

ヨガとは人と自然との「融合」。本当のヨガをたくさんの人に広めたい

1994年にカナダから来日。外資系金融会社のビジネスマンとして六本木ヒルズで働き、転勤で香港にも勤務。その後、思うところありインドでヨガを学び、今は東京・六本木のスタジオでヨガを教えているマニーシュさん。そもそもヨガとは何かというところからお話ししていただきました。

 

●自分より大きな存在と自分とのつながりに気づくことがヨガ

ロズリン:ヨガは大昔、オーストラリアで母とやっていたことがあります。地域の主婦の集まりに参加していたんです。体を動かしたりするのは楽しかったですね。でも、実はヨガのことはよくわからない。ヨガって、いったい何なのでしょうか?

 

マニーシュ:ヨガはインドから来たもので、サンスクリット語で「融合する」という意味の言葉です。何と何との融合かというと、本当の自分――つまり魂のようなものと、自分より大きな存在。自分より大きな存在というのは、神さまを信じているなら神さま、あるいは自然とか宇宙とか、そういったもの。自分がそこにつながっているということに気づくことがヨガなんです。つながることが目的ではないんです、気づくことが目的なんです。ここが大事。

 

 

ロズリン:すでにつながっているからですね。

 

マニーシュ:そうです。でも、人間は自然から離れたことで、自分がそういう存在だということを忘れてしまっています。

ちなみに、インドの「ナマステ」という言葉は、英語では「ハロー」、日本語では「こんにちは」などと訳されるけれど、直訳すると「私の中にある光はあなたの中の光と同じものです」という意味。すべてのものはつながっているという考え方は、インド古来のものなんです。

 

ロズリン:深いですね。

 

●心と体を落ち着かせるためにポーズや呼吸法がある

マニーシュ:ヨガというと、柔軟性に富んだアクロバティックなポーズや呼吸法、瞑想などのイメージがあるようですが、それらは実は道具に過ぎなくて、本当の目的は「融合」なんです。自分より大きな存在とつながっていることを感じながら、ありのままでそこにいる。そのための修行というか練習が、ヨガのポーズや呼吸法なんです。でも、最近のヨガはダイエットとか美脚とかに目的がずれてしまっている。それがとても残念ですね。

 

ロズリン:ありのままでそこにいる、とはどういうことですか。

 

マニーシュ:ただじっとしているだけでもよいのですが、人間は何もしないで体や心を落ち着けていることができないのです。体はそわそわし始めるし、心にはすぐに雑念が湧いてくる。とくに現代人にとっては難しいですね。少し前の時代だったら、ぼーっと夕日を見ていることもあったと思うのですが、いまはそんな時間があったら、すぐに携帯をいじってしまうでしょう? そこで、ヨガのポーズを利用するんです。ポーズを取ることに集中すると、心から雑念が取り払われる。

 

 

ロズリン:その状態が、ありのままということですね。

 

マニーシュ:そうです。そのうえで呼吸法を利用して、気や生命力を高めます。そうすれば本来、自分が自然に持っている力をもっと伸ばしていくことができます。

 

ロズリン:マントラも使いますか? 

 

マニーシュ:流派にもよりますが、しばしば使いますね。マントラは、日本でいうお経のようなもの。音には、人の心を落ち着かせる力があるのです。

 

ロズリン:ということは、どんな音楽でもいいの?

 

マニーシュ:コンサバティブな人は「本場のマントラでないと」と言うかもしれませんが、個人的には、その人に合っている音楽ならいいと思いますね。実際、ジャズでもどんな音楽でも、聞いていると時間を忘れてしまうということがあるじゃないですか。それはヨガの状態と同じなんですよ。

 

ロズリン:たしかにそうですね!実はヨガは生活ととても密着していたんですね。

 

それでは後編では、ヨガとの出会いや現在のレッスンについてお聞かせください!

 

 

【Profile】マニーシュ・カルラ

カナダの大学にて薬理学を学んだ後、経営学を学びMBAを取得。大学院卒業後は、金融機関に勤務し、アジアや東京でVice Presidentを務める。その後、中小企業を中心に、新規事業の開拓や海外展開、マーケティング、経営計画や危機管理等、多岐にわたる分野におけるコンサルタントとし約20年経験を積む。現在は化粧品や環境テクノロジー、物流、健康等の企業に対して、経営計画や海外マーケット進出のアドバイスをする傍ら、インドの就学児童を増やすことを目的としたチャリティー・Yoga Gives Backの活動をアンバサダーとして支援する。


銭湯ペンキ絵師 田中みずきさん 後編

 

現在日本に3人しかいない銭湯ペンキ絵師の田中みずきさん。銭湯の数が減るとともに、銭湯ペンキ絵師の数も激減。今や、70代・80代のベテラン絵師と、若手の田中さんのみが銭湯の壁のペンキ絵を描き続けている。なぜその仕事についたのか。銭湯のペンキ絵はどのように作るのか? 貴重なお話を伺いました。

 

(後編)

 

●銭湯のペンキ絵は銭湯の定休日一日で仕上げる。

 

ロズリン:銭湯の絵は何時間ぐらいで仕上げるんですか?

 

田中:銭湯がお休みの日で仕上げないといけないので、大体10時間ぐらいで終わるようにがんばっています。お休みの日で終わらないと、銭湯の一日の売り上げが減ってしまいますからね。

 

ロズリン:それは忙しいですね。銭湯の絵は富士山が多いですが、それは銭湯のご主人が希望されるのですか?

 

田中:そうですね、約9割の方が富士山を希望されます。だから、いろんな方角のものを描くようにしています。静岡県側から、山梨県側から。また朝日をあびた明るい富士山などバリエーションも考えます。ご主人が好きなことを組み合わせることも多いですね。故郷の風景とか趣味とか。

 

 

ロズリン:残りの1割はどんな感じですか?

 

田中: 銭湯店主の故郷や地元の風景のほか、趣味が反映されることが多いです。ゴルフの好きな方はゴルフ場とか、ペットのわんちゃんとか。桜のようなお花をいれることもあります。本来、銭湯の絵は季節感を出さないものなんですが、基本的にはご希望に沿ったものを描きます。

 

ロズリン:お任せします!といわれて、好きなものを描くことはありますか?

 

田中:それはほぼないです。銭湯の絵は、自分の個性を出しても、自分の表現をする場ではないと思っていますので、お任せしますといわれても、ご主人にお話しを伺いますね。前にどんな絵があったのか、その銭湯は何をモチーフにしているのか、どんな場所なのか。そこに空間があるというのは、何かそこのコンセプトがあるはずなので、建築やその場の歴史などいろいろリサーチしてご提案します。

いずれにしても、ご主人に事前にイメージを見てもらうため、富士山の時も簡単な構図を事前にお見せするようにしてます。

 

ロズリン:それはいいですね。今はどうやってお仕事がきているのですか?

 

田中:私は電話番号をいれたブログを行っているので、そこで見て電話をくださったり、お仕事をした方からの紹介であったり。ありがたいことに、自分で営業をしたことがないんですよ。

 

ロズリン:それはすごい。絵はもともとある絵の上から塗るんですか?修復をすることもあるのですか?

 

田中:場所によって、絵の傷み具合は違いますが、基本的に修復はやらず、直接上から新しい絵を描きます。

 

ロズリン:行ってみたら、ものすごい素晴らしい絵があることもあるでしょうね。

 

田中:あります。そういう時は本当にもったいないですが、撮影して記録を残してから作業します。銭湯のペンキ絵の場合、湿気が多いし、書いてある場所の材質によっては、2,3年で傷むんです。だからしょうがないんですけどね。自分が描いた絵の上に書き直すのはさっさとやりたいけど、昔の良い絵や描かれた方がなくなっていたりすると、ペンキ絵の宿命とはいえ、本当に残念な気持ちです。

 

 

 

ロズリン:実際にどんな風に銭湯で描くのですか。たとえば洋服は?

 

田中:洋服はいつも作業用の長袖のTシャツとワークパンツです。まず足場を組んで、ペンキが付かないように下にはブルーシートをひき、マスキングテープで間を埋め、ペンキのにおいで酔わないように、窓は全開。そして事前に作っておいた構図にそって、今ある絵の上から描いていきます。

 

ロズリン:前の絵があると難しくないですか?

 

田中:いえ。富士山が多いですが、せっかく描き直すのならば違う絵にしたいので、同じ富士山でも、元の絵にあった位置から場所を変える際、前の絵があったほうがやりやすいです。

とにかくキャンバスが大きいので、近くで描いたら、ちょっと離れて全体を見て、の繰り返しです。一日描き続けるのには、ものすごく体力がいります。途中で血糖値が下がって足がつってきたりするので、飴をたべて血糖値をあげて描き上げます。

 

ロズリン:本当に体力がいりそうですね。ペンキを運ぶのも大変じゃないですか?

 

田中:現在は、夫が便利屋をやっていて現場に同行してくれるので、車で荷物を運んで、足場も組んでくれたりと、とても助かっています。

 

 

●旅館のお風呂、地域おこしなど、ペンキ絵のオファーは広がっている。

 

ロズリン:それはいいですね。今、どのぐらいのペースで描いているのですか?

 

田中: 月に4,5件ですね。最近は銭湯以外にペンキ絵を描く仕事のオファーをいただいています。

 

ロズリン:どんなところに描くのですか?

 

田中:東京オリンピックを見据えて、旅館のお風呂に描いたり、個人のお宅での注文などいろいろです。

 

ロズリン:やってみたいことはありますか?

 

田中:はい。実はお子さんたちと、その地域の銭湯の壁画を一緒に描きたいんです。自分の絵がある銭湯に入るのって、すごくいいんじゃないかと。

 

ロズリン:いい考えですね。楽しそう。

 

田中:過去には、子供たちと板の上に描いた絵を飾ったことはあります。銭湯を日常的に使う人は若い世代には減っていますが、広いお風呂に入る気持ちよさが好きで行く方や、ドラマで見て行ってみたいと思う方も増えているんですよ。また日本各地の銭湯で、地域おこしのために、その土地の風景や、昔壁に描いてあった絵をモチーフにしたりと、ペンキ絵があちこちで復活しているんです。銭湯に注目が集まり、行く方が増えれば銭湯文化も続いていくので、いろんな面で良さを伝えていきたいです。

 

ロズリン:田中さんのお仕事の責任も大きいですね(笑)

銭湯ペンキ絵師のやりがいはどんなところにありますか?

 

田中:描き終わって、ご主人が笑顔で、よくなった!と言ってくださったり、銭湯のお客様たちが、入浴しながら「この絵変わったのね」といいながら、その話でもりあがってくださったりするのを見ると、とてもうれしいです。銭湯の絵って、ご主人からお客様まで、銭湯という場所に関わる全てのかたのものなんだと実感しています。

 

 

 

ロズリン:今でも銭湯に行くことはあるんですか?

 

田中:ありますよ。本来銭湯はリラックスしにいくものですが、私の場合、自分の絵がある場所なら、みんなの反応をうかがってしまいますし、他の方の絵があるところだと、「なるほどこうなっているのか」と観察しているので、一人だけ険しい顔をしているかもしれません(笑)

 

ロズリン:それは大変ですね(笑)。これからも日本の銭湯文化を盛り上げて、銭湯ペンキ絵師も更に増えるように、がんばってくださいね。

 

田中:はい。日本特有のこの文化がこれからもずっと続くようがんばります。

 

 

【感想】

日本で3人しかいないという銭湯ペンキ絵師。そのなかで田中さんは最年少でありながらも、ご自身の銭湯ペンキ絵師としての役割をしっかりと認識し、文化の継承者であるという責任感をひしひしと感じました。私も留学生時代から銭湯にはなじみがあったので、通っていた場所に描かれていた絵を思い出しながらお話を聞いていましたが、ペンキ絵は銭湯に関わっている全ての人のものという一言にはとても共感しました!生活のワンシーンとして、いつまでも思い出の中に残るものですね。

これからも挑戦を続けられる田中さんの今後に期待しています!

 

 

<田中みずきさん>

1983年大阪生まれの東京育ち。明治学院大学で美術史を専攻。在学中の2004年に銭湯ペンキ絵師の中島盛夫さんに弟子入りして修行を始め、2013年に独立。同年、便利屋を営む駒村佳和さんと結婚。現場では、駒村さんに足場を組んでもらうなど2人で協力して仕事をする。現在は銭湯をはじめ、個人宅、店舗や介護施設など全国各地のさまざまな場所でペンキ絵を制作。銭湯の魅力を伝える活動にも力を入れている。ブログ「銭湯ペンキ絵師見習い日記」http://mizu111.blog40.fc2.com/blog-entry-649.htmlを逐次更新中。

 



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日本で人生の半分以上を暮らし、動物(特にネコ)と自然、最近はゴルフも愛する、心優しきオーストラリア人。
ワインなら何杯でも?いける口です♪

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