Interview

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銭湯ペンキ絵師 田中みずきさん 後編

 

現在日本に3人しかいない銭湯ペンキ絵師の田中みずきさん。銭湯の数が減るとともに、銭湯ペンキ絵師の数も激減。今や、70代・80代のベテラン絵師と、若手の田中さんのみが銭湯の壁のペンキ絵を描き続けている。なぜその仕事についたのか。銭湯のペンキ絵はどのように作るのか? 貴重なお話を伺いました。

 

(後編)

 

●銭湯のペンキ絵は銭湯の定休日一日で仕上げる。

 

ロズリン:銭湯の絵は何時間ぐらいで仕上げるんですか?

 

田中:銭湯がお休みの日で仕上げないといけないので、大体10時間ぐらいで終わるようにがんばっています。お休みの日で終わらないと、銭湯の一日の売り上げが減ってしまいますからね。

 

ロズリン:それは忙しいですね。銭湯の絵は富士山が多いですが、それは銭湯のご主人が希望されるのですか?

 

田中:そうですね、約9割の方が富士山を希望されます。だから、いろんな方角のものを描くようにしています。静岡県側から、山梨県側から。また朝日をあびた明るい富士山などバリエーションも考えます。ご主人が好きなことを組み合わせることも多いですね。故郷の風景とか趣味とか。

 

 

ロズリン:残りの1割はどんな感じですか?

 

田中 銭湯店主の故郷や地元の風景のほか、趣味が反映されることが多いです。ゴルフの好きな方はゴルフ場とか、ペットのわんちゃんとか。桜のようなお花をいれることもあります。本来、銭湯の絵は季節感を出さないものなんですが、基本的にはご希望に沿ったものを描きます。

 

ロズリン:お任せします!といわれて、好きなものを描くことはありますか?

 

田中:それはほぼないです。銭湯の絵は、自分の個性を出しても、自分の表現をする場ではないと思っていますので、お任せしますといわれても、ご主人にお話しを伺いますね。前にどんな絵があったのか、その銭湯は何をモチーフにしているのか、どんな場所なのか。そこに空間があるというのは、何かそこのコンセプトがあるはずなので、建築やその場の歴史などいろいろリサーチしてご提案します。

いずれにしても、ご主人に事前にイメージを見てもらうため、富士山の時も簡単な構図を事前にお見せするようにしてます。

 

ロズリン:それはいいですね。今はどうやってお仕事がきているのですか?

 

田中:私は電話番号をいれたブログを行っているので、そこで見て電話をくださったり、お仕事をした方からの紹介であったり。ありがたいことに、自分で営業をしたことがないんですよ。

 

ロズリン:それはすごい。絵はもともとある絵の上から塗るんですか?修復をすることもあるのですか?

 

田中:場所によって、絵の傷み具合は違いますが、基本的に修復はやらず、直接上から新しい絵を描きます。

 

ロズリン:行ってみたら、ものすごい素晴らしい絵があることもあるでしょうね。

 

田中:あります。そういう時は本当にもったいないですが、撮影して記録を残してから作業します。銭湯のペンキ絵の場合、湿気が多いし、書いてある場所の材質によっては、23年で傷むんです。だからしょうがないんですけどね。自分が描いた絵の上に書き直すのはさっさとやりたいけど、昔の良い絵や描かれた方がなくなっていたりすると、ペンキ絵の宿命とはいえ、本当に残念な気持ちです。

 

 

 

ロズリン:実際にどんな風に銭湯で描くのですか。たとえば洋服は?

 

田中:洋服はいつも作業用の長袖のTシャツとワークパンツです。まず足場を組んで、ペンキが付かないように下にはブルーシートをひき、マスキングテープで間を埋め、ペンキのにおいで酔わないように、窓は全開。そして事前に作っておいた構図にそって、今ある絵の上から描いていきます。

 

ロズリン:前の絵があると難しくないですか?

 

田中:いえ。富士山が多いですが、せっかく描き直すのならば違う絵にしたいので、同じ富士山でも、元の絵にあった位置から場所を変える際、前の絵があったほうがやりやすいです。

とにかくキャンバスが大きいので、近くで描いたら、ちょっと離れて全体を見て、の繰り返しです。一日描き続けるのには、ものすごく体力がいります。途中で血糖値が下がって足がつってきたりするので、飴をたべて血糖値をあげて描き上げます。

 

ロズリン:本当に体力がいりそうですね。ペンキを運ぶのも大変じゃないですか?

 

田中:現在は、夫が便利屋をやっていて現場に同行してくれるので、車で荷物を運んで、足場も組んでくれたりと、とても助かっています。

 

 

●旅館のお風呂、地域おこしなど、ペンキ絵のオファーは広がっている。

 

ロズリン:それはいいですね。今、どのぐらいのペースで描いているのですか?

 

田中: 月に45件ですね。最近は銭湯以外にペンキ絵を描く仕事のオファーをいただいています。

 

ロズリン:どんなところに描くのですか?

 

田中:東京オリンピックを見据えて、旅館のお風呂に描いたり、個人のお宅での注文などいろいろです。

 

ロズリン:やってみたいことはありますか?

 

田中:はい。実はお子さんたちと、その地域の銭湯の壁画を一緒に描きたいんです。自分の絵がある銭湯に入るのって、すごくいいんじゃないかと。

 

ロズリン:いい考えですね。楽しそう。

 

田中:過去には、子供たちと板の上に描いた絵を飾ったことはあります。銭湯を日常的に使う人は若い世代には減っていますが、広いお風呂に入る気持ちよさが好きで行く方や、ドラマで見て行ってみたいと思う方も増えているんですよ。また日本各地の銭湯で、地域おこしのために、その土地の風景や、昔壁に描いてあった絵をモチーフにしたりと、ペンキ絵があちこちで復活しているんです。銭湯に注目が集まり、行く方が増えれば銭湯文化も続いていくので、いろんな面で良さを伝えていきたいです。

 

ロズリン:田中さんのお仕事の責任も大きいですね(笑)

銭湯ペンキ絵師のやりがいはどんなところにありますか?

 

田中:描き終わって、ご主人が笑顔で、よくなった!と言ってくださったり、銭湯のお客様たちが、入浴しながら「この絵変わったのね」といいながら、その話でもりあがってくださったりするのを見ると、とてもうれしいです。銭湯の絵って、ご主人からお客様まで、銭湯という場所に関わる全てのかたのものなんだと実感しています。

 

 

 

ロズリン:今でも銭湯に行くことはあるんですか?

 

田中:ありますよ。本来銭湯はリラックスしにいくものですが、私の場合、自分の絵がある場所なら、みんなの反応をうかがってしまいますし、他の方の絵があるところだと、「なるほどこうなっているのか」と観察しているので、一人だけ険しい顔をしているかもしれません(笑)

 

ロズリン:それは大変ですね(笑)。これからも日本の銭湯文化を盛り上げて、銭湯ペンキ絵師も更に増えるように、がんばってくださいね。

 

田中:はい。日本特有のこの文化がこれからもずっと続くようがんばります。

 

 

【感想】

日本で3人しかいないという銭湯ペンキ絵師。そのなかで田中さんは最年少でありながらも、ご自身の銭湯ペンキ絵師としての役割をしっかりと認識し、文化の継承者であるという責任感をひしひしと感じました。私も留学生時代から銭湯にはなじみがあったので、通っていた場所に描かれていた絵を思い出しながらお話を聞いていましたが、ペンキ絵は銭湯に関わっている全ての人のものという一言にはとても共感しました!生活のワンシーンとして、いつまでも思い出の中に残るものですね。

これからも挑戦を続けられる田中さんの今後に期待しています!

 

 

<田中みずきさん>

1983年大阪生まれの東京育ち。明治学院大学で美術史を専攻。在学中の2004年に銭湯ペンキ絵師の中島盛夫さんに弟子入りして修行を始め、2013年に独立。同年、便利屋を営む駒村佳和さんと結婚。現場では、駒村さんに足場を組んでもらうなど2人で協力して仕事をする。現在は銭湯をはじめ、個人宅、店舗や介護施設など全国各地のさまざまな場所でペンキ絵を制作。銭湯の魅力を伝える活動にも力を入れている。ブログ「銭湯ペンキ絵師見習い日記http://mizu111.blog40.fc2.com/blog-entry-649.htmlを逐次更新中。

 


銭湯ペンキ絵師 田中みずきさん 前編

 

現在日本に3人しかいない銭湯ペンキ絵師の田中みずきさん。銭湯の数が減るとともに、銭湯ペンキ絵師の数も激減。今や、70代・80代のベテラン絵師と、若手の田中さんのみが銭湯の壁のペンキ絵を描き続けている。なぜその仕事についたのか。銭湯のペンキ絵はどのように作るのか? 貴重なお話を伺いました。

 

 

●銭湯の壁のペンキ絵に魅せられて

 

ロズリン : 銭湯ペンキ絵師とは、とても珍しい職業ですね。

 

田中 : はい。現在、日本で専門的に銭湯の壁に絵を描いているのは私を含めて3人です。

 

ロズリン : そんなに少ないんですか。それは貴重な職業についていますね。

実は私、銭湯大好きなんです。だから、今日はお逢いできるのがすごくうれしくて。

 

田中 : こちらこそうれしいです。銭湯の壁のペンキ絵は、明治、大正の頃、絵の横に広告を入れることから始まったそうで、昔は歯みがき剤の広告はとても多かったと聞いています。だから、今日は私もご縁を感じています。

 

ロズリン : 確かにそうです。

私は若い頃、留学生として日本に来て、アパートで独り暮らしを始めた時、お風呂がなかったので、同じアパートの留学生が近くの先頭に連れて行ってくれたんです。最初は、銭湯の前でおじけづいて、入れなかったのですが、通りかかった地元のおばさんが「どうしたの?」と聞いてくれて。彼が「彼女初めて来たので、恥ずかしがってるみたいなんです」といったら、おばさんは「あら!私と一緒にどうぞ」といってくれたんですね。一度入ってみたら、すごく気に入って、それから大好きになったんですよ。夜遅くに行くと、商店街の奥様たちが仕事を終えて集まり、いろんな話をして、背中を流し合って。彼女たちの楽しい時間がこれから始まるという雰囲気が楽しくてね。私も一緒に話をしましたが、そういう銭湯の文化みたいなものがすごく好きです。

 

 

田中 : 銭湯だけで会える人というのもいるんですよね。名前も何も知らないけど、同じ時間に来るので「今日は寒いね」とか、軽い会話はする。そういう少し不思議な関係が生まれる場所でもありますね。

 

ロズリン : 外国の友人が日本に来た時は、温泉をお勧めしますが、時間のない時は、銭湯に連れていくんです。みんなやはり最初は戸惑って「私はいい」というんですが、入ると気持ちよくて、好きになっちゃうんですよね。田中さんは、小さい頃から銭湯に行っていたんですか?

 

田中 : いえ、実は幼い頃は行ったことがなくて。大学の時に、あることがきっかけで銭湯に興味を持って行ったのが最初です。

 

ロズリン : そうなんですか。そのきっかけとは?

 

田中 : 大学で美術史を専攻していて、何を卒論のテーマにしようかと考えた時、横尾忠則さんや福田美蘭さん、束芋さんといった好きなアーティストが、いずれも銭湯をモチーフにした作品を作っていたんです。

それで行ってみたら、はまってしまって。それまで私はインタラクティブアートという、現代美術が好きだったんですね。それは見る側からの働きかけがあることによって完成する作品です。初めて銭湯にいった時に、お風呂から湯気がもくもくと上がっていて、それが壁画の富士山に描かれている雲と重なって。大きな湯船につかり、ほかのお客さんと絵を眺めながら、ゆらゆら揺れるお湯に身を任せていると、なんだかその絵の中に、自分がはいっていくような不思議な感覚がありました。その感覚がおもしろくて、銭湯の壁画を見ることにはまったんです。都内の有名なペンキ絵がある昔ながらの銭湯を回り、カメラで記録もさせていただくようになりました。

 

ひだまりの泉 萩の湯(台東区)玄関前襖

 

●この文化をなくしたくなくて、師匠に頼み込んで弟子入りした

 

ロズリン : 銭湯の絵の撮影は、営業時間中は自分も裸だし、大変そうですね。

 

田中 : はい。何回か通って事情を話して営業前に撮影させていただくことが多かったです。閉店してしまう店は撮影を断られてしまうことも多かったのですが、粘り強く通って、なんとか資料に残すことができました。

 

ロズリン : それはよかった。美術館に残す絵と違って、銭湯の壁画は閉店すると、こわしてしまいますものね。 そもそも絵は子供の頃からお好きだったのですか?

 

田中 : はい。小さなころから大好きで、美術部にも入っていたし、美術館に行くのも大好きでした。美大に行こうとデッサン教室にも通ったのですが、結局美大には行かず、大学では美術史を学びました。

 

ロズリン : でも後悔してないでしょ? 絵は自分でも描けるけど、研究はなかなか一人ではできないですものね。

 

田中  はい。教授から、美術史として論ずるためにどんな視点や文献があるか、また調べ方などを教えていただき、とても貴重な経験をしたと思います。

 

ロズリン : 銭湯ペンキ絵師になることを決めたのは?

 

田中 : 銭湯のペンキ絵のおもしろさにはまってから、銭湯の数が減るとともに、絵師の数もとても減っていることがわかったんです。当時も3名しか日本にいなかったんですね。銭湯自体、1960年代には東京だけで2600軒以上あったのに、現在は700軒以下になるほど減ってしまっていて。それで、この文化をなくしたくない思いが募り、ベテラン絵師の中島盛夫さんに学生時代から弟子入りしたんです。

 

 

ロズリン : どのぐらいの期間弟子入りでしたんですか?

 

田中 : 約8年ですね。

 

ロズリン : 師匠は弟子がきて喜んだのでは?

 

田中 : いや、やっかいな奴がきたと迷惑だったんじゃないでしょうか最初は断られたんですが、何度もお願いにあがり、食べていけるかわからないから、就職もすることを条件にようやく受けていただきました。それで、一度企業に就職をして、土日だけ師匠について修行したのですが、体を壊しまして。そこで会社をやめ、バイトしながら修行しました。

 

ロズリン : どのように学んでいったのですか??

 

 

田中 : 師匠は見て技を盗め、というスタンスの方だったので、とにかく師匠を見て、動き方を覚えるところから始めました。大きな壁に描くには、どこから手をつければいいのか、さっぱりわかりませんので。時間配分は、師匠の動きを見て覚えようとしましたが、これが難しかった。いろんな現場を経験することで慣れるしかないんですね。最初のうちは、単色で塗れる空を描いていき、次に雲を描かせて頂きます。その後、遠くに見える松だけとかちっちゃい部分を描かせてもらい、それを師匠がまた直して下さるという感じで、試しに全部描かせてもらうようになったのはようやく7年目でしたね。

 

ロズリン : 大変ですね。そこで独立したわけですね。

 

 

引き続き、後編でお話お聞かせください!

 

 


クリエイティブディレクター エミ・シェマーさん 後編

アイデアパーソンとして仕事に生きる日々

 

 

ロズリン : 今は、具体的にはどんなお仕事を?

 

エミ : 簡単に言えば、クリエイティブディレクターですね。たとえば、時計を作っている会社と組んで、新しいコンセプトの時計をプロデュースしたり。最近は、工務店と組んで、住宅の新しい売り方を考えています。例えば、車を買うときに試乗するでしょう? 同じように住宅もテストドライブしたらどうか? と。実際に住んでみて、設計に生かしていく「体験設計」のアイデアを形にしようとしています。

 

 

ロズリン : 面白いですね! 

 

エミ : なんでも「経験」って大事だと思っていて。アパガードもそう。自分が使ってみて「いい」と思ったからこそ、自信を持ってwebサイトで紹介できたんです。

 

ロズリン : 新しいアイデアはどんなときに湧いてきますか。

 

エミ : お風呂に入っているとき、歯をみがいているときなどに「あ!」という感じが多いですかね。

 

ロズリン : お仕事が好きなんですね。飽きてしまうことはない?

 

 

エミ : ないですね。クリエイティブの仕事は人ありき。同じ商品の紹介でも、10代向けとワーキングウーマン向けではアプローチの方法が全然違いますし、退屈に感じたことはありません。

 

ロズリン : たしかにクリエイティブワークは刺激的ですよね。では、ルーティンワークは苦手?

 

エミ : そうでもないですよ。けっこう早起きなので、朝起きたらヘルシーな朝ごはんを食べ、運動をして、会社に行って、と同じことの繰り返しでも「さあ、やりましょう!」と。

 

 

自然、温泉、わびさび。日本の文化が大好き!

 

 

ロズリン : 忙しそうですね。睡眠はしっかりとれていますか。

 

エミ : 必ず6〜7時間は寝るようにしています。でないと、こういったエネルギッシュな生活は無理。遊びの時間や友だちとの時間を削って、睡眠時間にあてています。

 

ロズリン : オフは何をしていますか。

 

エミ : おいしいものを食べに行ったり、買い物をしたり。あとは、自然が大好きなので、時間があれば水上温泉とか南房総、御宿などに行って、散歩したり海で泳いだりしています。自然の中だと落ち着くのは、カナダのルーツかな。たまに東京から出てリフレッシュしていますね。

 

ロズリン : 温泉は好きなんですか。

 

エミ : 大好き! 

 

ロズリン : 私も大好き。オーストラリアには温泉がないので、最初は人といっしょにお風呂に入るのには抵抗がありました。でも、慣れてしまえば全然!学生時代は銭湯に通っていましたし。オーストラリア人の友だちが遊びに来たときに連れて行ったら「恥ずかしくて入れない」なんて言っていたけれど。

 

 

エミ : 慣れていないとね。でも、私は大丈夫です。

 

ロズリン : 温泉のほかに、日本の文化で好きなものはありますか。

 

エミ : わびさびの文化が好きです。派手ではなく、着物の裏地にちらっと鮮やかな色味が見えるような、そういった美の扱い方がとてもいい。花も、どんとゴージャスに活けるのではなく、一輪をシンプルに魅せるとか。お料理にしても、見た目をとても大事にしている。アートもフードも人を喜ばせることを考えているなと感心しますね。

 

ロズリン : 今後、これまでにやったことのないことでやりたいことはありますか。本を書くのはどう?

 

エミ : 本、書けたら嬉しいですね。チャンスがあればやりたいです。女性のインスピレーションやモチベーションの本。実は母が作家だったんです。

 

ロズリン : それならばぜひチャレンジして欲しいです。

 

エミ : はい! 頑張ります。今は会社に所属していますが、いずれ完全に独立して、いろんなことに挑戦していきたい。35歳くらいまでに次のキャリアステージに行きたいですね。

 

ロズリン : 応援しています。

 

 

<感想>

とてもイキイキとご自身のキャリアについてお話くださったEMIさん。最初は苦労もされたようですが、ビジネスセンスとアイデアを発揮しながら日本で活躍される姿に、私もパワーをもらいました!

今後は独立し、クリエイティブディレクターの他に出版などにも挑戦してみたいとのこと。EMIさんのますますの活躍を応援しています!

 

 

 

【プロフィール】

Emi Schemmer

カナダ・トロント生まれ。父はドイツ人、母は日本人。カナダでグラフィックデザインやマーケティングの分野でフリーランスとして仕事をした後、23歳で渡日。東京で仕事を始める。現在、クリエイティブディレクター及びビジュアルスタイリストとして、ファッション業界を中心に活躍中。


クリエイティブデイレクター エミ・シェマーさん 前編

「日本文化の美の扱い方が大好き!」なクリエイティブディレクターが語る仕事と夢

 

 

カナダから単身日本へ! 現在、広告代理店に籍を置きながら、フリーランスとしても活躍するエミ・シェマーさん。自身のwebサイト上にアパガードの商品を紹介したことが縁で今回、対談が実現しました。

 

母のルーツを知るために、単身日本へ

 

ロズリン : webサイトでアパガードの商品を載せていただき、どうもありがとうございます!「うちの商品が紹介されている」と聞いてサイトを拝見したら、実に的確に説明くださり嬉しかったです。それで、ぜひお会いしたくて、今日はこちらに来ていただきました。

 

 

エミ : ありがとうございます。何か良いものを見つけたら必ず友達に知らせて、シェアしたいです。

 

ロズリン : エミさんは、日本人じゃなくて?生まれはどこですか?

 

エミ : カナダのトロントです。母は日本人でしたが、10年前、母事故で亡くなったのです。そのことで自分のルーツを知りたくなって、スーツケース2つだけを抱えて日本に来ました。私の父がカナダに住みながらドイツ人。

 

ロズリン : 日本語が上手ですね。

 

エミ : 日本語は、日本に来てから覚えました。でも、私は長女なので、小さいころ母は私に日本語で話しかけていたみたい。最初の言葉は日本語だったそうです。きっと頭の中には日本語が残っていたんでしょうね。

 

 

ロズリン : 日本には度々来ていたんですか。

 

エミ : はい。祖父が名古屋、親戚が岐阜の田舎に住んでいるので、そこを訪ねて、年に1〜2回は日本に来ていました。

 

ロズリン : ご両親は日本で知り合ったんですか。

 

エミ : いいえ、トロントで。そのとき、母はまだ25歳。一人でバックパッカーしながら、アメリカやカナダを回っていたんです。旅の途中で父と出会い、そこで恋に落ちた(笑い)。母が日本に帰ってからも、インターネットがない時代なのでエアメールでラブレターをやりとりし、お付き合いをして、半年後には父が日本に来て母の両親に挨拶。その後、父はしばらくの間スリランカで働くことになったので、スリランカで結婚しました。

 

 

ロズリン : まあ、ロマンチックですね。エミさんは、結婚は?

 

エミ : まだなんです。

 

ロズリン : じゃあ、これからの出会いが楽しみですね。

 

エミ : そうなんです。でも両親のストーリーがロマンチックすぎて、理想が高くなってしまって(笑い)。

 

 

日本で働き始めるも最初は「ドアがクローズ」

 

ロズリン : 日本に来てから、どんなふうにお仕事を始めたんですか。

 

エミ : 23歳で日本に来て、まず東京にウイークリーマンションを借りました。カナダでは、大学時代から始めたビジネスでフリーランスとして成功していたので、日本でも絶対にうまくいくと思ってた。

 

ロズリン : 大学時代から! どんなビジネスを?

 

エミ : グラフィックデザインやマーケティングです。

 

ロズリン : へえ、すごい。

 

エミ : カナダではクライアントもついていたし、経験もたくさんあったのに、日本ではそれが通用しなかった。名前もコネも何もないから、営業に回っても毎回、毎回、ドアがクローズ。

 

 

ロズリン : 大変でしたね。

 

エミ : そのうちに友だちの紹介で、ファッション関係の会社に入り、そこで何年か勤め、すごくいい経験になりました。おかげでハイファッションの世界にツテができて、その後の仕事につながりました。

 

ロズリン : しばらく勤めてから独立したんですね。

 

エミ : そうです。自分でクライアントと契約を結んで仕事を始めましたが、また別のファッションブランドの会社にスカウトされて、そこにもしばらく勤めました。勤めている間にもフリーランスで仕事をしたりと、わりと自由な働き方をさせてもらっていたので、いろいろなチャレンジをしながら今に至っている感じです。

 

後編へ続きます。

 

【プロフィール】

Emi Schemmer

カナダ・トロント生まれ。父はドイツ人、母は日本人。カナダでグラフィックデザインやマーケティングの分野でフリーランスとして仕事をした後、23歳で渡日。東京で仕事を始める。現在、クリエイティブディレクター及びビジュアルスタイリストとして、ファッション業界を中心に活躍中。

 

【アパガードをご紹介いただきました!】

https://savvytokyo.com/hamigaki-art-beautiful-smile/


歯科衛生士 片山章子さん 後編

 

大切な歯を守る予防歯科の存在を、もっと多くの方に知ってもらいたい!

片山章子さんは、フリーランスの歯科衛生士。臨床の現場に立ちながら、「予防歯科の普及」をテーマに研修や講演活動に力を注いでいます。そんな片山さんに予防歯科の必要性や歯科衛生士という仕事について語っていただきました。

 

(後編)

目指すのは、削る治療が圧倒的に少なくてすむ歯科医院

 

ロズリン:いまお勤めのクリニックでは、ある程度は「予防歯科」のシステムができていたんですか。

 

片山:わたしが入社した当初は医院が開設して間もない時期で、予防歯科のコンセプトは明確でしたが、その手段については模索の段階でした。そのころは、「痛い」「詰めものがはずれた」という理由で来院なさる患者さんばかりで、そこが解決したら通院は終わりという昔ながらのお考えです。そこで、まずは、予防歯科を知ってもらうことからはじめたのですが、「痛くもないのに、なぜ通わなくちゃいけないのか?」という疑問の声がほとんどでした。

 

ロズリン:それは大変でしたね。最初のアプローチはどのように?


 

片山:患者さんとのやり取りのなかで多くの経験を重ね、初回に何を語るかが重要だと気づきました。患者さんが自らケアをしたくなるような、心に響く情報提供です。

そこで、患者さんがはじめにいらしたときに、よく話すのが「削らない治療」についてです。むし歯は穴があく前の初期の状態なら削らなくてすむことを知ってもらい、そのための有効な手段がケアであることをプレゼンします。

穴が開くまでの長い年月とプロセスを含む「本当のむし歯」の実態を知らない方がほとんどのようで、このプレゼンに皆さま驚かれます。

いまだ、初診の方や初めて出会う方と話すたびに、初期のむし歯はケアで回復できることを知らずに、どうにもできないものだと諦めている方が多いことを痛感します。予防先進国と比べて、むし歯の正しい情報を知る機会が少ない日本の課題ですね。

 

ロズリン:なるほど。むし歯の正しい情報とは?

 

片山:初期のむし歯を回復するためのケアは、医院におまかせするプロケアだけではなく、患者さん自身が行なう日々のセルフケアが要となります。私たちと患者さんとの協働作業がうまくできなければ予防は成立しません。そこで次に、「一緒に取り組んでいきませんか? 私たちは全力で支援します」とお話します。

正直、全員が同意されるわけではないですね。痛みを取りのぞいたり、壊れた詰めものをつくり治す治療と違って、予防は効果をすぐに実感することが難しいので、お金と時間をかけることはハードルが高いようです。でも、長く医院に通ってくださるうちに、いつか必ず気づきのときが来るかな、と。

 

 

ロズリン:気づいていただくために、工夫をしていることはありますか。

 

片山:ビジュアルでお見せすることを意識しています。例えば、お口の中の状態を撮影した写真をよく使いますね。むし歯や歯周病というお口の疾患は、大抵はご本人が見えない、もしくは見えにくいところで起こります。その見えない世界を見えるようにして、分かりやすくご説明することが、私たちのお役目だと思うのです。写真をじっと眺めていただくと、歯肉の色の違いなどに患者さんが自らお気づきになることが多いのですが、「あれ?なにか違う」という気づきから、「これは、一体なにが起こっているのか?」という疑問に変わるときが、ご説明のチャンスなんです。写真などを通して、まずご自身の口腔内をよく知っていただくことが、予防歯科の第一歩ですね。

 

ロズリン:なるほど。歯に対する意識は年々高まってきていますから、予防歯科の認知も進んでいきそうですね。

 

片山:そうですね。最近は患者さんを通じての紹介で、初めから予防歯科を目的に来てくださる方が多くなってきました。先日いらした方は「これからは、自分の歯を大切にしたいと思っています。頑張って通うのでお願いします」と言ってくださいましたが、とてもうれしかったですね。

銀座という場所柄、地域や家族ぐるみでの関わりは難しく、違う展開になるかと思いきや、自分が受けてよかった健診やケアは大切な人にも受けてもらいたいと思ってくださるようで、うちの医院は家族で通われる方も多いのですよ。

 

 

ロズリン:そうなると、歯科医師より歯科衛生士の出番が増えてくる?

 

片山:いいえ。ケアの専門家が歯科衛生士であることを考えればそうでしょうが、ケアを行うためには歯科医師の確定診断が重要ですし、あらゆるリスクから患者さんの歯を守るためには治療とケアの連携 つまりチーム歯科医療が軸となりますから、双方とも出番は変わりませんね(笑)。

目指すは、削る治療が圧倒的に少なくてすむ歯科医院なんです。

 

技術と思いを未来へ引き継ぐことがミッション

 

ロズリン:ところで、片山さんはさすがきれいな歯ですね。

 

片山:ありがとうございます。唾液検査でむし歯のリスクを測りましたが、リスクは低く、むし歯にはなりにくいようです。それを思うと、若いころ、学校検診で初期のむし歯と言われてすぐに削ってしまったのが残念ですね。ケアで回復する見込みがある場合は、極力削らないほうがいいんです。というのも、削ると人工物で穴を埋めますが、その隙間から二次感染するリスクが高まってしまうので。

 

 

ロズリン:一番むし歯リスクが高いのは、歯科治療を受けている人だと聞いたことがあります。皮肉ですね。

いまは世界中で、できるだけ削らない方向になっているとか。

片山さんはスピーカーとして、いろんなところでそういったお話をされているんでしょう? 素晴らしいお話でしょうね、ぜひ聞いてみたいです。

どのようなきっかけで講演のお仕事を始められたのですか。

 

片山:勤務先の理事長がデンタルショーのブースに立って話をする機会をくださったのがきっかけです。それから10年以上、講師活動を続けています。初めは新しい経験に面白さを感じつつ、こなすことに精一杯で、講師としてのミッションが定まっていなかったことを思い出しますね。

いまは、次世代の歯科衛生士を育てるというミッションを胸に、講師活動に力を注いでいます。患者さんの大切な歯を守るためには、患者さんの生涯を通してメンテナンスで支え続けることが重要ですが、現在46歳の私がそれを最後まで行うことはできません。ですから、早い段階から、技術と思いを未来へ引き継ぐことが大切だと強く思うのです。若い歯科衛生士たちの成長を応援することが、予防歯科の継承になると考え、この仕事にやりがいを感じています。

 

ロズリン:この仕事は、片山さんにとって天職なんですね。今日は興味深いお話をどうもありがとうございました。

 

 

<感想>

臨床の現場に立ちながら、予防歯科の普及活動や後進の育成に取り組まれている片山さん。現在の医院では予防歯科のシステムを一から築き上げ、「歯の大切さ」を伝える活動をされています。私たちサンギも、「健康的で美しい歯の大切さ」を伝えている企業として、共感できる部分がとても多かったです。予防歯科の意識の高まりとともに、ますますご活躍される片山さんの今後が楽しみです!

 

 

片山章子さん

「大切な歯を守る」信念のもと、医療法人社団純厚会 銀座デンタルケアークリニックを中心に様々な歯科医院で予防歯科を実践するフリーランスの歯科衛生士。痛みがでる前に歯科医院へ通う「お口の定期健診」があたり前の習慣になることを願い、女性誌取材や講演会出演で「むし歯も歯周病も適切なケアで予防できること」を発信する。また、予防ケアのスペシャリストである次世代の歯科衛生士を育てるために、専門誌執筆や全国各地へ赴く研修活動にも力を注ぐ。

片山章子HP URLdh-katayama.jp


歯科衛生士 片山章子さん 前編

 

大切な歯を守る予防歯科の存在を、もっと多くの方に知ってほしい。

目指すは、削る治療が圧倒的に少なくてすむ歯科医院!

 

片山章子さんは、フリーランスの歯科衛生士。臨床の現場に立ちながら、「予防歯科の普及」をテーマに研修や講演活動に力を注いでいます。そんな片山さんに予防歯科の必要性や歯科衛生士という仕事について語っていただきました。

 

(前編)

 

ひょんな流れで歯科衛生士に

 

ロズリン : 肩書きが「フリーランス歯科衛生士」とのことですが、具体的にはどのような働き方をしていますか?

 

片山 : 歯科衛生士として、週3回は歯科医院に勤めていますが、主な業務は、皆さまの大切な歯をむし歯や歯周病などの疾患から守るためのメインテナンスです。皆さまには、歯科健診と保健指導という言葉の方がイメージなさりやすいかもしれませんね。

一方で、講師として、次世代の歯科衛生士を育てるために、全国各地へ赴き講演や研修活動を行なっています。

 

ロズリン : 歯科衛生士になったきっかけは?もともと歯に興味があったんですか?あるいは歯科医院に縁があったとか?

 

片山 : いいえ、実は興味もご縁もありませんでした。

高校時代に進路を決めるころ、将来について初めて腰を据えて考えましたが、絵を描くことが好きだったので、その道に進めないかと思いました。それで、美術の先生に相談したら、もっと早くから行動していないと、美大を目指すのは無理だと言われたんです。そう言われてすぐに諦めましたが、諦めるということは本気じゃなかったんですね。

 

 

さあ、どうしようかというときに、目的の持てないままで進む大学の道よりも、手に職をつけて働く方が堅実だと思い、専門学校に行くことを考えました。そのキッカケのひとつは、おそらく母の影響です。母は、私が幼少の頃は専業主婦でしたが、外の世界で働くことに強い願望があり、子供たちが成長した頃には自営業を営んでおりました。その頃は、女性が仕事をするための環境が今ほどは整っていない時代だったと記憶しています。そのようななかで、働く母の姿を近くで見ており、それが心に残っていたんでしょうね。

 

 

どのような専門職に就こうか考えていたころに、歯科衛生士の養成校があることを知りました。地元は福井県なんですが、県内に学校ができて間もない頃でした。このときに歯科衛生士という職種があることを初めて知り、好奇心がわいたのを覚えています。人の健康に直接関わりお役に立てる仕事がしたいと、漠然と考えたのですが、実は、看護師という選択肢もあったんです。でも、夜勤が怖くって(笑)。私、かなりの怖がりで、テレビで怖い番組を見ただけで、シャワーも浴びられなくなっちゃうんです。その点、歯科衛生士なら、夜勤がない。それも、歯科衛生士養成校入校を決めた理由ですね。

 

ロズリン : そんなユニークなきっかけで、こんな素晴らしい歯科衛生士が生まれたなんて! 運命ですね。神様に導かれたんですね。 

 

片山 : ですが、学生の頃は、そもそも歯科衛生士という仕事がどのようなものかも分かっておらず、目指すものがボンヤリとしていて、学校ではかなりの落ちこぼれでした。先生にご迷惑ご心配かけてばかりでしたが、本当によく面倒みてくださったな…と。今はもう感謝の思いばかりですね。

 

歯周病患者を任され、プロとして目覚めた

 

ロズリン : いまのお仕事のやり方に行き着くまでの流れは?

 

片山 : 専門学校を卒業し、地元の歯科医院に6年ほど勤めました。そこでの主な仕事は歯科医師の治療アシスタントで、歯科衛生士個人として患者さんを任される場面はありませんでした。これも時代でしょうが、このころは今のように歯科衛生士の専門業務をおこなえる歯科医院は少なかったと思います。

また、携帯電話やPCも普及していない時代ですし、東京とくらべて情報を得る手段や機会がすくないこの頃は、自身の仕事に疑問をもたず、そんなものだと思っていたのでしょうね。歯科衛生士としてのミッションもありませんでしたし。

 

ロズリン : では、その時点ではまだ、仕事が面白い! と思っていたわけではなかったんですね。

 

片山 : そうですね。でも、汗水垂らして一生懸命働き対価をいただくという、そんなあたり前のことですが、社会人としての大事な基本を学べたと思います。

 

ロズリン : では、仕事が面白くなったきっかけは?

 

 

片山 : 結婚を機に上京し、今までとは全く違う環境に身を置き、歯科医師のアシスタント以外の歯科衛生業務をはじめて任されたことです。上京した後に勤めた歯科医院で、歯周病の患者さんの治療に携わりましたが、それまでは治療のついでに行う、いわゆるクリーニングしか経験がなかったので、どうしてよいか分からずに自分の無力さを思い知りました。経験も知識も、専門家としてのスキルがあまりにも足りてないことに気づかされたんです。いまの自分では患者さんに貢献できないと痛感しました。それで、その足りないものを補うための勉強をしなければと思ったんです。

 

ロズリン : どのように勉強したんですか?

 

片山 : 歯科衛生士が集い学ぶスタディグループに所属したり、様々なセミナーに参加したり。その時は、とにかくできるだけ多くの情報と知識を得て技術を身につけたいという気持ちが強く、学ぶテーマを絞らずに機会を見つけてはすぐに出かけていました。セミナー開催などが乏しい今までの環境と違い、あちこちで見聞きする情報は、すべてが新鮮で衝撃的でした。同時に、自分の実力の無さをますます感じさせられました。でも、それがよかった。自身と向き合うことで、歯科衛生士の資格に恥じぬよう貢献するプロ意識がようやく芽生えたのだと思います。

 

ロズリン : ターニングポイントになったのは?

 

片山 : 学びをすすめていくうち、予防歯科に取り組みたいという思いがわいてきました。同じ頃に、スタディグループの定例会があり、たまたまそばに座ったメンバーのひとりにその思いを話したところ、その方は予防歯科に力を入れるため開設したばかりの医院の主任だったのです。しかも、ちょうど常勤の歯科衛生士を探していたタイミングでした。ラッキーなことに、お声をかけていただき、理事長との面接に伺い雇っていただけることになったのです。本当に素晴らしいご縁に恵まれました。

 

 

痛くなる前に歯科医院へ来てもらう難しさ

 

ロズリン : 「予防歯科」とは、具体的にどのようなものですか。

 

片山 : 「予防歯科」は、あらゆるリスクや疾患から歯を守り、お口の健康を管理することです。例えば、むし歯という疾患ですが、穴があいてから削る治療ではなく、穴があく前に予防することが大切です。むし歯も歯周病も、悪化するまでに段階があり、軽度なら適切なケアで予防できるんです。

そのためには、一人ひとり違う疾患のリスクを把握して、その個人のリスクに応じたケアプログラムを立てて実践することが必要なんですね。それが、メインテナンスです。歯を守る予防は、このメインテナンスが土台となります。大切なことは、若いときからメインテナンスを始めて、定期的に受け続けること。私たちは、大切な歯をひと削りもしたくない思いから、全員に生涯メインテナンスを受けてもらいたいと願っています。

 

 

ロズリン : なるほど。多くの人は歯が痛くなって初めて病院に行くと思うんですが、いまのお話を聞いていると、「予防歯科」とは「痛くなる前に病院へ」というものなんですね。

 

片山 : そうなんです。でも、それがなかなか難しいんです。

 

インタビューは後編へと続きます。お楽しみに。

 

 

<片山章子さんプロフィール>

「大切な歯を守る」信念のもと、医療法人社団純厚会 銀座デンタルケアークリニックを中心に様々な歯科医院で予防歯科を実践するフリーランスの歯科衛生士。痛みがでる前に歯科医院へ通う「お口の定期健診」があたり前の習慣になることを願い、女性誌取材や講演会出演で「むし歯も歯周病も適切なケアで予防できること」を発信する。また、予防ケアのスペシャリストである次世代の歯科衛生士を育てるために、専門誌執筆や全国各地へ赴く研修活動にも力を注ぐ。

URL:http://dh-katayama.jp


ケネス・トラファントさん 後編

 

ビデオアーティストを目指して、日本で活動しているケネス・トラファントさん。

アメリカ南部・ニューオーリンズから来日して約10年。生い立ちや母国での活動、日本での夢についてうかがいました。

 

ビデオアーティストとしての夢

 

ロズリン:日本に来た当初は旅行が目的だったんですよね。

 

ケネス:はい。最初は拠点を名古屋にして、日本中を旅しました。

 

ロズリン:その頃、生活費はどのように稼いでいたのですか?

 

ケネス:英語教師です。今も続けています。

ただ日本に来て1年、また1年と滞在がのびていき、東京に住んでみようと思った時から、これはもう単発の仕事ではなく、日本で落ち着いて仕事をしようと思いました。いろいろ考えて、自分が目指したいものはビデオアーティストだとわかりましたし。

 

ロズリンなるほど。それで今の仕事も始めたんですね。

 

 

ケネス:はい。でも当初はなかなか難しかったです。アメリカと違って、人脈もないので、どうしていいかわからなくて。

とはいえ、僕は人と話すのがとても好きなので、いろんな方と交流して、少しずつ仕事が増えてきました。今はミュージシャンの方のムービーが多いです。

ジャズバンドやロックバンド、R&Bなど。なかなか予算が少ないので、仕事としては難しい状況ですが、楽しんでやっています。

 

 

ロズリン:東京シンフォニアのお仕事はどのように探したのですか。

 

ケネス:実は、僕はフリーメイソンに入っているのですが、そのご縁で紹介されました。

 

ロズリン:まぁ。そうなんですか。実は私の父もメンバーなんですが、子供の頃は女性や子供には秘密で話してはいけないことだったのに、最近はとてもオープンで驚いているんですよ。

 

 

ケネス:そうみたいですね。東京シンフォニアのお仕事はとても楽しいのですが、実は僕は指揮者や演奏者のインタビューや観客の感想などもいれたドキュメンタリーを作ってみたいと密かに思っています。

 

ロズリン:それはおもしろそうですね。ぜひ提案してみてください。他にこんな作品を作りたいという希望はあるのですか?

 

ケネス:様々な人にフリースタイルでインタビューをして、自分のYou Tubeで流したいんです。でもただ流すのではお金にならないので、広告主を探さないといけないでしょうね。ゆくゆくはそれをビジネスにしたいと思っているのですが。

 

ロズリン:それもおもしろそうですね。

 

ケネス:でもどこの企業がスポンサーになってくれるか、わからなかったんです。実はいつも突拍子もないことを考え付くので、周囲からビジネスとして現実的ではないと言われてしまって。仕方なくといったらなんですが(笑)、ビジネスとは何かを学びたくて、日本でグロービスのビジネススクールに通い、MBAをとったんです。

 

 

アメリカより日本のほうが自由に動ける

 

ロズリン:有名な学校ですね。授業もきつかったんじゃないですか?

 

ケネス:普通は2年ですが、僕が行ったのは1年コースだったので、週4日1日6時間の授業はけっこうきつかった。でもとてもいい学校でした。ケーススタディから学ぶので、現実的でした。

 

ロズリン:ビデオアーティストになることと、学校で学んだことは結びつきますか?

 

 

ケネス:ビデオアーティストは、夢をかなえるための手段かもしれません。理想は新しい社会を創出するリーダーを育成することなんです。だからそういう可能性のある方をインタビューして、世界中に紹介したい。その方法を、今後探っていこうと思っています。

 

実は学校で知り合った友人で、とても情熱的な人がいます。何かをやりたい人と、そういう人を求めている同士をあわせてチャンスを作りたい。彼は東京にいろいろコネクションをもっているので、一緒にがんばろうと力を合わせているところです。そのためのサイトも準備中なんです。

 

ロズリン:うまくいくといいですね。でもビジネスは日本よりアメリカに戻ったほうが、やりやすいのではないですか?

 

ケネス:逆です。ニューオーリンズは何かやろうと思った時に、なかなかことがうまく進まない土地で、フラストレーションが多いところです。

僕にとっては、日本のほうがビジネスを立ち上げやすく感じます。でも、日本に自由さを感じるのは、外国人だからかもしれません。

 

 

ロズリン:そういうところもあるかもしれませんね。私は組織の中で働いていますが、フリーでやるのはなかなか覚悟のいることです。

他にやりたいことはありますか?

 

ケネス:英語を3か所で教えているのですが、これがとてもやりがいがあるので、今後も続けていきたいです。1つは幼稚園。小さなところですが、とても自由に教えさせてくれます。2つ目は予備校で、これはレベルも高くやりがいがあります。もう1つが文化服装学院です。ここでの授業はけっこう人気があるんですよ。

 

あとこれも夢ですが、自分が撮影するドキュメンタリーや、脚本を書いたドラマに自ら出たいんです。なので役者もやってみようと、いろいろオーディションも受けています。このインタビューを見て、誰か僕を使ってくれないかな(笑)

 

ロズリン:いいご縁があるといいですね。

 

 

ケネス:最後に今動き始めたフィルムとビデオのプロジェクトについて、少し宣伝させてください。ライブイベントを撮影して僕のYou Tubeのアカウント(プロフィール欄参照)で公開中です。

いつもは音楽ライブ中心ですが、近々ファッションショーも撮影する予定です。あと、実は2つの自主映画のショートムービーも撮影しています。

 

ロズリン:うわぁ、素晴らしいですね。

 

ケネス:ゴール(目標)は、日本で、これらの仕事をより成長させることです。もちろん、自分で立ち上げた映像とブログのプロジェクトも進めていきますよ。

 

 

ロズリン:夢に向かって充実した毎日で、ものすごく忙しいと思いますが、お休みの日は何をしてるんですか?

 

ケネス:今は日曜日だけが休みです。基本は妻と一緒に過ごします。彼女が好きな鎌倉や美術館へ行ったり、おいしいものを食べたり。

1人の時は、映画を見たり本を読んだり。あと散策が好きなので、住んでいる高円寺のあたりをよく歩いています。

 

高円寺のお祭りにて、お友達と。

 

 

ロズリン:高円寺は外国の方にとても人気があるんですね。

 

ケネス:そうです。商店街がおもしろい。その前は阿佐ヶ谷に住んでいましたが、あのあたりは阿波踊りなどお祭りも盛んで、地域の人とも交流できるし、最高です。居酒屋も大好きですよ。

 

ロズリン:とても日本にとけこんでいますね。ぜひ夢を叶えてください。

 

ケネス:ありがとうございます!

 

 

<感想>

短いインタビューの中で多くの夢を語ってくださったケネス。

バイタリティーに溢れ、聞いているこちらもワクワクしました。

困難な状況であっても、楽しんで取り組もうという姿勢はとても大切です。

日頃つい忘れてしまいがちですが、今回のインタビューで改めて実感しました。

日本でぜひ夢を叶えてほしいですね。彼の今後の活躍に期待しています!

 

 

<ケネスさんプロフィール>

アメリカ南部・ニューオーリンズで育つ。

ロヨラ大学ニューオーリンズ校芸術学部にて映画学を専攻。

卒業後は地元のテレビ局に勤務し、トークショーや短編ドキュメントなど様々なジャンルの制作に携わる。

来日後の2014年にグロービス経営大学院にてMBAを取得。

以降、東京で活動の幅を広げている。

 

■ケネスさんの作品はこちらから 

URLhttps://www.youtube.com/user/bycommittee

      https://vimeo.com/6644689   

 

 

 


ケネス・トラファントさん 前編

 

ビデオアーティストを目指して、日本で活動しているケネス・トラファントさん。

アメリカ南部・ニューオーリンズから来日して約10年。生い立ちや母国での活動、日本での夢についてうかがいました。

 

音楽が盛んな街、アメリカ・ニューオーリンズでの少年時代

 

ロズリン:今日はインタビューに応じてくださり、ありがとうございます。ケネスとお会いするのは2回目なんですよね。

最初にお見かけしたのは、サンギが協賛している室内オーケストラ「東京シンフォニア」の演奏会。

ケネスが写真を撮影しているところをお見かけして、私も写真を撮っていただきましたが、とてもチャーミングな方だったので、ぜひお話を聞いてみたかったんです。

 

ケネス:ありがとうございます。光栄です。あの時は写真とPR動画を依頼されて撮影していました。

 

ロズリン:そうなんですね。ケネスはカメラマンなのですか?

 

ケネス:ビデオアーティストを目指しています。普段は英語教師の仕事もしながら、ムービーや写真撮影の仕事もしてるんです。アメリカにいた時は、地元のテレビ局に勤めていました。

 

ロズリン:私、ニューオーリンズは1度だけ歯科学会で、行ったことがあります。とても良かったです。ジャズの街ですよね。

 

ケネス:ジャズだけじゃなくて、音楽そのものがとても盛んです。僕の家族もみんな音楽好きでした。

子供の頃、週末に母とレコードショップに行くのが習慣で、買ってきたCDを一緒に聞いたことはすばらしい思い出です。ジャズはもちろん、R&Bやロックなど色々な音楽を楽しみました。教会の聖歌隊にも入ってたんです。

 

ロズリン:そうなんですか。楽器は何か演奏されてましたか?

 

 

ケネス:はい。スクールバンドに入っていて、最初は打楽器で、次にクラリネットやサクソフォンも演奏するようになりました。

アメリカ南部は、学校のマーチングバンドが盛んなんです。教師をしていた母の学校のバンドをよく見に行っていましたが、そのメンバーになった時はとてもうれしかったですね。

ニューオーリンズでは、楽隊のメンバーになることは尊敬されるんです。

 

ロズリン:そういった音楽好きの少年が、どのようにテレビ局でムービーをとるようになったんですか?

 

ケネス:もともとは絵を描いたり、アニメを見るのが好きでした。母は数学の教師で、昔は建築家になりたかったらしく、絵を描くのが好きだった僕を建築家にしようとしたんです。

僕自身もそういう気持ちもあったのですが何せ数学が苦手だったので、あきらめました。そして大学に入った時に、役者になりたいと思い、演劇をやってみたらすごくおもしろくて。

当時のガールフレンドにも、「ぜひやるべき」と言われていたのですが、だんだん物足りなくなってきて、

もっとクリエイティブなことがやりたくなったんです。

そこでムービーに興味が移り地元のテレビ局で仕事することになりました。

作ったビデオがアワードを受賞したこともあったんですよ。

 

 

日本の歴史や文化に魅かれて

 

ロズリン:それは素晴らしい。どんな内容だったんですか?

 

ケネス:2つあります。ひとつは「ダック・カービン」を制作する人を取材したものです。

 

ロズリン:ダックというと、鴨?

 

ケネス:はい。僕が育った地方では、鴨の猟をする時に犬を連れて、鉄砲を持った猟師は地面に鴨の彫刻をおくんです。

それで飛んでいる鴨を油断させ、彼らが地上におりてきたところを撃つという仕組みで、その彫刻職人の動画を撮影したんです。

 

ロズリン:そんなやり方があるんですね。でも、鴨にはかわいそうな話ですね。もう1つは?

 

ケネス:伝統的なカーニバル、マルディグラを取材したものです。

 

ロズリン:カトリックのカーニバルですね?

 

ケネス:はい。ニューオーリンズのマルディグラは、リオのカーニバルと並び称されるほどの大きな祭りなんです。派手なパレードやいろいろな催し物がありまして。このカーニバルが終わると、40日間の節制の期間に入るので、この日はいろんなごちそうを食べるんです。

そのための大きな「キングケーキ」を作るのですが、そのケーキ職人を取材しました。

実はその年は、大きなハリケーンの災害の後でいつもより地味だったし、人口も減ってしまっていたんです。

だからムービーは復興のドキュメントでもあったんです。

 

 

ロズリン:それはとても興味深い題材ですね。そんな素晴らしいお仕事をしていて、なぜ日本に住むようになったんですか?

 

ケネス:妻が大の日本好きで、僕の友人のお母さんが日本人で横浜に住んでいたこともあって、行ってみたいということになったんです。

最初は1年ぐらいかけて回ろうと、拠点を名古屋にしたんですが、とても1年じゃたりなくて(笑)。

2年になり3年になり、どうせなら東京に住んでみたいと思って来てみたら、東京に7年も住んでしまった。

 

ロズリン:トータルすると10年(笑)。日本のどこがそんなに好きになったのですか?

 

ケネス:歴史から音楽、芸術や食べ物までなんでも好きです。そして、人々がお互いに助け合いながら、

物事をなしとげる文化がとても素晴らしいと思います。

 

ロズリン:私も日本が大好きで40年以上住んでいるので、よくわかります。

それでは、来日後のことを後編で教えてください。

 

 

<ケネスさんプロフィール>

アメリカ南部・ニューオーリンズで育つ。

ロヨラ大学ニューオーリンズ校芸術学部にて映画学を専攻。

卒業後は地元のテレビ局に勤務し、トークショーや短編ドキュメントなど様々なジャンルの制作に携わる。

来日後の2014年にグロービス経営大学院にてMBAを取得。

以降、東京で活動の幅を広げている。

ケネスさんの作品は下記から。 

<URL>https://www.youtube.com/user/bycommittee

       https://vimeo.com/6644689   

 

 


RICCI EVERYDAY COO 仲本千津さん 後編

 

アフリカン・プリントの布地に魅せられたRICCI EVERYDAYのCOO仲本千津さん。
ウガンダの女性の雇用を創出するために現地でブランドを立ち上げ、独特なプリントを使用したバッグやトラベルアイテムなどを販売しています。現在は日本の大手百貨店のポップアップストアや自社オンラインストアなどを中心に展開。

後編では、事業を立ち上げる際のエピソードや今後の夢について語っていただきました。

 

 

日本で営業を担当する母との2人3脚

 

ロズリン:ウガンダのプリント生地とテーラーリング文化に目をつけて、どこからビジネスにつなげる行動をおこしましたか?

 

仲  本:当初は洋服を作ることも視野にいれましたが、日本人にはこの原色の大柄なプリントは派手すぎるかもしれないと思いました。

そこでファッションのワンポイントとしてなら取り入れやすいだろうと、バッグを作ることにしたのです。そして実際にバッグを作ってもらうスタッフを確保しようと、現地駐在の方や青年海外協力隊の方に上手なテーラーさんがいないか聞いて回りました。せっかくだから優秀な人を採用したいと思って。事業を興すなら現地の女性の雇用創出に貢献したいと考えていましたが、雇ってみたら3人とも皆シングルマザーで驚きました。

一人はミシンが上手と評判だった女性。もう一人は青年海外協力隊が提供する職業訓練で皮革の縫製を習得した女性、そしてもう一人はテーラーの能力はゼロでしたが、やる気があって、ビジネスセンスのある4人の子供を育てている女性でした。

 

 

ロズリン:ビジネスセンスというと?

 

仲  本:彼女は友人の知り合いでした。夫と離婚した後、何も仕事がなかったので、まず道端でB級グルメのような食べ物を売り、お金をためたんです。そのお金で土地を借りて、キャッサバといった芋などを作り自給自足の生活を始めました。さらに今度は豚を育て、業者に売り始めたんです。豚を一頭売ると、子供の1学期分の学費ぐらいのお金になるそうで、しかも豚は一度に9匹ぐらい生むほど繁殖能力が高い。そこで彼女は豚を育てては売って授業料を払い、また育てては売ってを繰り返し、お金を生み出していました。教育を全く受けていなかった彼女ですが、ここまでうまく回してこれたのは、彼女にビジネスセンスが元来あったからだろうと思ったんです。

 

ロズリン:たくましい人ですね。当初はその3人と仲本さんで始めたんですね。

 

仲  本:はい。私がデザインしたバッグのサンプルを作ることから始めました。作っては直し、また作っては直し、何十個サンプルを作ったか分かりません。納得のいく形のものを模索しながら、とにかく製作する日々が続きました。

一方で、日本で販売してくれる人を探そうと思い、母に「今度こういうビジネスをしたい」という話をして状況を伝えたんです。すると、彼女が日本での販売を引き受けてくれるというんですよ。それまで、アフリカン・プリントで洋服を作ってはLINEで写真を送るなどして、現地のプリントの素晴らしさを伝えてはいたんですが、簡単に引き受けてくれたのにはびっくりしました。母は専業主婦でビジネス経験ゼロだったのですが、4人の子供を育てる中で、PTAの活動などを通じて地元のネットワークを築いたりと、コミュニケーション能力は高い人だなと日頃から感じていました。でもまさか、地元の伊勢丹で総合案内の受付の方にいきなり「このバッグを売りたいのでバイヤーを紹介してください」と営業をかけるとは思いませんでしたが。その受付の方がいい方でバイヤーに繋げてくださり、幸運にも初めてのポップアップストアの開設が決まりました。

 

 

ロズリン:それは行動力があって頼もしいですね。

 

仲  本:はい。でも当初はお店側もそんなに期待してなかったようです。納品数は20個ぐらいでと言われていたんですが、事前に作成したプレスリリースに目をとめた地元のテレビ局が番組内で紹介してくれたことで、初日にあっという間に完売してしまいました。大急ぎで在庫をかき集めるなど、大騒ぎになりました。

 

ロズリン:すごいスタートですね。そこから徐々に取り扱いも増えて、今は数十か所でポップアップストアを開設し、ネット販売もされていますね。異国で起業することはとても勇気が必要だったと思いますが、お金も大変でしょう?

 

仲  本:私はアフリカで自分の力を試してみたかったんです。収入面はなかなか大変ですが、いろいろな経験をさせてもらっている勉強代とも思っています。

 

ロズリン:これまで特に苦労したことは何ですか?

 

仲  本:たとえばウガンダではよく停電があるので、それで生産計画が狂い納品に間に合わないかもしれないという危機に何度か直面しました。また業者によるストライキで材料が手に入らないとか、日本のように予定通りに物事が運ばないことが多々あります。

 

ロズリン:現地の女性を雇って、大変だったことは? ウガンダの働き方などもあるでしょうから、そのあたりはどうですか?

 

仲  本:小さな苦労はありますが、基本的にはそんなに大変と思うことはありません。それに彼女たちは、これまでずっと自分たちのやり方で働いてきたので、いきなり私がそれを変えようとしても難しいと思うんです。例えば、何も連絡せずに遅刻をする人が現れた場合、二度と絶対に遅刻しないでと言ってもそれは難しいわけで。こちらはインフラが弱く雨が降ればすぐに大渋滞になりますし、そういう環境で生活している以上、遅刻をゼロにするというのは不可能に近いです。とはいえ見過ごすわけにはいかないので、例えば事前に連絡することを徹底したり、遅れてきた分、残って仕事をしてもらったりなどして調整しています。でも彼女たちは本当によくやってくれていて、私は心から尊敬しています。ブランドをスタートした当初は私も経済状況が苦しく、バッグ1つにつきいくらという出来高払いでしか彼女たちを雇えず、彼女たちも生活をしていくのは大変だったと思います。でもその時期を共に乗り越えてくれたことに非常に感謝しており、今はきちんと毎月決まった額をお支払いし、彼女たちの生活を支えていこうと考えています。

 

 

ロズリン:バッグを見てもとてもお仕事が丁寧ですよね。ただ、いやな質問になりますが、このビジネスは他の方にすぐに真似されないでしょうか?

 

仲  本:簡単にまねできると思います(笑)。使っている布地はマーケットで誰でも買えますし、バッグのデザイン自体はシンプルですし。でも、たとえ中国などで同じものを大量生産したとしても、私たちのバッグには、ものづくりのSTORYが付加価値となってついてきます。〇〇という人が丁寧に作ったという生産背景があり、ストーリーでは負けない自信があります。そのうち「これはスーザンが作りました」というタグのようなものを作り、より生産者の顔の見えるものづくりを実践していきたいと思っています。

 

アフリカで暮らし、完成された土地だと印象が変わった

 

ロズリン:アフリカで暮らしてビジネスをやってみて、アフリカへの思いは変わりましたか?

 

仲  本:そうですね。アフリカ大陸に来るまでは貧困や紛争というイメージが強かったのですが、それはほんの一部であり、実は美しい景色やエネルギッシュな人々がいる魅力に溢れた場所であるとわかりました。そして昔は自分が貧困のある現状を変えたいという青臭い理想がありましたが、今はほかの国の人たちがいろいろ手を加えなくても、彼らには彼らなりの幸せに生きていくやり方があるのだと思うようになりました。変わるべきは先進国側。いつまでも援助という一辺倒ではなく、より対等に共に成長していく方法があるのではないかと考えています。私の会社でいえば、彼女たちがいなければ、いくら私が仕事をとっても製品は生み出されないですし、逆に私が仕事をとってこなければ彼女たちにはお金は入らない。今は共依存かつ対等な関係になっており、それは私にとって理想的な形と言えます。

 

ロズリン:これからビジネスをどんな風にしていきたいですか?もっと大きな工房を作って、もっといろんな国に販路を広げるとか?

 

 

仲  本:そういうやり方もありますが、それだと今のように一人一人と会話をしながら、きちんと接することができなくなると思うんです。生活や家族のことをざっくばらんに話せて、しかも人間として楽しくつきあえるような、そういう関係性はいつまでも保っていきたいなと。それができるのは、雇用人数が30人ぐらいまでかなと思っています。これまで働く機会を得られず、社会的に疎外されてきた人たち、中でも宝の原石のような才能を持った女性たちを、今後も積極的に雇用していきたいと思っています。それから北部に生産拠点を持ちたいと思っているんです。

 

ロズリン:それはなぜですか? 

 

仲  本:ウガンダ北部は、2006年まで内戦状態にありました。その際、誘拐されて強制的に兵士にさせられた子供たちがたくさんいるんです。彼らは薬や暴力で大人たちに支配され、もとのコミュニティーに戻れないように、親を殺すことを強いられるなど、長い人で10年以上、過酷な環境に置かれ本当にひどい目に遭わされてきました。そういう人が国際援助機関に保護されても、トラウマなどで普通の生活に戻ることはとても難しいんですね。彼らに対して、メンタルケアと職業訓練を提供している日本のNGO団体の施設がウガンダ北部にあり、できたらそこの団体とコラボし、卒業生を雇用できたらと考えています。

 

ロズリン:素晴らしい考えです。今、仲本さんの毎日はどんな感じですか?

 

仲  本:ウガンダと日本と年間を通じて行ったり来たりしています。ウガンダでは、工房だけでなく、バッグはもちろん雑貨などのちょっと気の利いたおみやげを売っているお店も運営しているので、ほぼ毎日両方に顔を出すようにし、スタッフに声がけをしています。生産状況などチェックをしたり、お役所に行って対応したり、ローカルマーケットで生地の仕入れをしたり、幅広い業務に日々追われています。

 

ロズリン:生地は注文ですか?

 

仲  本:いいえ。マーケットにあるものを一定量だけ購入しています。そのため人気があった布をまた買いに行こうと思ってももうなかったり。本当に一期一会なんです。今サイトで売っている同じ柄のバッグがまた出るとは限らないんです。

 

ロズリン:柄がとてもおもしろいですよね。

 

仲  本:はい。このプリント生地自体はウガンダで生産されておらず、主にコンゴやガーナ、ナイジェリアから輸入されています。柄は、幾何学模様や日常のもの、たとえばお魚や果物、ドルマークなど、いろんなものがモチーフになっていて、おもしろいですね。

 

ロズリン:お忙しいと思いますが、休日は何をされてますか?

 

仲  本:実は無趣味なのが私の悩みでして(笑)。休日も仕事をしてしまうことが多いですが、犬と遊んだり、本を読んだり。でも最近乗馬を始めました。ちなみに現地の方は日曜日は教会に家族でいきます。まるでカラオケ大会みたいに盛り上がるんですよ。リードボーカルの方にあわせて、みんなで聖歌を歌って踊るんです。

 

ロズリン:ああそうですか。ぜひ見てみたいです。

 

仲  本:また機会があったらぜひアフリカにいらしてください。

 

 

 

インタビュー感想>

 東北の震災をきっかけに、人生における大きな決断を下し、方向転換をはかった仲本さん。自身の夢を叶えるためとはいえ、現地で単身ビジネスを立ち上げることは非常に困難が多かったのではと思います。

ウガンダのありのままを受け入れ、ご自身も楽しみながら取り組んでいるからこそ、そこに共感する方も多いのでしょう。社会的に疎外された状況の人々を積極的に雇用しようという姿勢も素晴らしいです。今後も母娘二人三脚で、ウガンダと日本を結ぶ懸け橋であり続けてほしいですね!


RICCI EVERYDAY COO 仲本千津さん 前編

 

アフリカン・プリントの布地に魅せられたRICCI EVERYDAYのCOO仲本千津さん。
ウガンダの女性の雇用を創出するために現地でブランドを立ち上げ、独特なプリントを使用したバッグやトラベルアイテムなどを販売しています。現在は日本の大手百貨店のポップアップストアや自社オンラインストアなどを中心に展開。そんな彼女にアフリカに興味を持ったきっかけから、ビジネスを立ち上げた経緯などを、うかがいました。

 

 

アフリカに子供の頃から魅せられていた

 

ロズリン:このバッグ、本当にカラフルでおしゃれですね。とても丈夫そうで、重宝しそうです。

 

仲 本 :ありがとうございます!アフリカン・プリントはダイナミックな原色使いの組み合わせが特徴的で、すごく元気をもらえる気がします。バッグはそのまま手提げとしてもっていただくほか、折たたんでクラッチとしても使えますし、セットの肩紐をつけていただければショルダーや斜め掛けにもなって4パターンで使えるんですよ。

 

ロズリン:それは便利ですね。どのようにして売っていますか?

 

仲 本 :はい。現在ブランドを立ち上げてから2年目ですが、私はウガンダの工房と日本を行ったり来たりする生活を送っているので、日本での販売や営業は母に任せています。自社オンラインストアと共に、徐々に期間限定のポップアップストアでの販売が広がっています。地元・静岡の伊勢丹をはじめ、デパートなど全国数十か所で販売実績があります。

 

ロズリン:会社名の「RICCI」は?

 

仲 本 :(笑)。「RICCI」は、代表をしてくれている母の名前の律枝と私の名前の千津を組み合わせたものなんですよ。


ロズリン:あら、素敵ですね(笑)。今日はお聞きしたいことが山のようにありますが、なぜウガンダ?なぜアフリカで?というところからお聞きします。

 

仲 本 :はい。私は子供の頃、ドキュメンタリーを見たり本を読んだりして、アフリカにとても関心を持ちました。砂漠化や子供たちが飢えや病気で死んでいく。そういうことは今でこそ、アフリカの一部でありすべてではないとわかりますが、当時はそういう状況を少しでも改善できたらと考えたんです。それで東京の大学に進学し、大学院までずっとアフリカの政治を勉強し、開発課題に関係する仕事につきたいと思っていました。

 

ロズリン:すぐそういうお仕事についたのですか?

 

仲 本 :いえ。最初は日本のビジネスパーソンとしての経験を積もうと銀行に入りました。営業で中小企業の経営者などとお話する機会も多く、いい経験になりました。

 

ロズリン:ウガンダは何かきっかけがあって?

 

 

仲 本 :実は3・11の東日本大震災が私の転機となりました。あの日、東京でわずかながら地震を経験し、その後の東北の状況を見て、人生で後悔しないよう、やりたいことを先延ばしにするのはやめようと思いました。そして銀行をやめ、アフリカに関係するNGOへの転職活動を始めたんです。

 

ロズリン:ご両親は賛成でしたか?

 

仲 本 :母は最初から私をサポートしてくれましたが、父親はアフリカに行くことへの心配もあって、銀行をやめるのはもったいないと。私自身、行員時代にアフリカの支店への希望を出していましたが、なかなか叶わなかったんですね。
でも、実際求人を探し始めたら、募集要項に「途上国での経験を2~3年積んでいること」という条件がどのNGOにもあって、これまで現場経験のなかった私は「これじゃ転職できない」とショックを受けていました。
でもある国際農業NGOの東京オフィスで、やる気があって英語ができれば経験はとわないという条件だったところを見つけ、どうにか採用していただきました。

 


とても住みやすそうと思ったウガンダに駐在

 

ロズリン:どんな仕事をしていましたか?

 

仲 本 :東京オフィスに2年半いました。その団体はウガンダやエチオピア、マリ、ナイジェリアの4か国で農業支援をしていたので、その関係で毎月のようにアフリカに出張に出ていました。

 

ロズリン:その中でウガンダの印象はどうでした?

 

仲 本 :あ、意外と住みやすそうって(笑)。私がイメージしていたアフリカとは違い、高層ビルもあり発展していながらも、緑の多い初夏の軽井沢のような気候で、東京よりも住みやすく感じたほどです。訪れたアフリカの国々の中で一番好きになったので、ウガンダへの駐在希望を出し、それが通って2016年の3月まで2年弱、駐在しました。

 

ロズリン:現地ではどんな仕事を?

 

仲 本 :団体は農業支援を行っていますが、私はそういった専門知識はないので、現地の事業マネジメントを中心に行っていました。

 

ロズリン:食べ物はおいしいのですか?

 

仲 本 :はい、とても。炭水化物系が多いですね。お米も食べますが、主食はバナナです。甘くないバナナをふかしてマッシュしたものや、とうもろこしの粉をゆがいておもちのようにしたもの、芋類がよく出てきます。そしてそれらに、ヤギや牛、鶏などの肉をトマトべースのスープで煮込んだものをかけて食べたりしています。

 

ロズリン:おいしそう! 治安や政治的な問題などは、大丈夫ですか?

 

 

仲 本 :ウガンダは1986年から今の大統領が長年政権を担当しているので、ある意味安定しているんです。テロもほとんどないので、基本的なことを守っていれば快適に過ごせます。来てみるまで自分がアフリカに抱いていたイメージのほとんどは間違っていたなと、目が覚める思いでしたね。

 

ロズリン:私は学会で南アフリカのケープタウンに行ったことがありますが、町並がとてもきれいで、快適でしたね。

 

仲 本 :南アフリカは歴史的にヨーロッパの影響を受けていますし、ものすごく発展してますね。

 

ロズリン:ちなみに、仲本さんが現地で起業しようと思ったきっかけとなった、アフリカン・プリントの生地とはどこで出会ったのですか?

 

仲 本 :ローカルマーケットです。私は好奇心旺盛なので、ウガンダに駐在してから、週末にいろいろなところに繰り出していたんです。ローカルマーケットにはカラフルなプリントの布地が天井高く積まれていて。「かわいい!」と思ったものを見せてもらい、気に入った布は買う。それは、まるで自分だけの宝探しのような気分で、本当に楽しくてはまりました。

 

 

ロズリン:なるほど。その布地は洋服用に売っているのですか?

 

仲 本 :主にはそうですね。6ヤード(5.5メートル)や12ヤード(11メール)で売られている布を、必要な分だけカットしてもらいます。ウガンダではテーラーリングの文化がとても発達していて、道端でミシンを踏んでいる多くのテーラーの中から、上手そうな方に頼んで、普段着からドレスまで作ってもらうんです。簡単なデザインだけでなく、雑誌の切り抜きなどを持っていくと、手のこんだデザインのお洋服も上手に作ってくれるんですよ。

 

ロズリン:それはおもしろくて、にぎやかですね。


仲 本 :はい。太陽の光があたると色がより一層映えて、本当にきれいなんです。しかも布地は数千種類!数えきれないほどあるんです。この素敵なプリント生地とウガンダのテーラーリングの文化を利用して、何かビジネスがしたいと思いました。

 

ロズリン:なるほど。後半では、具体的にビジネスのことを教えてください。

 

 

お話は後編へと続きます。お楽しみに。



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日本で人生の半分以上を暮らし、動物(特にネコ)と自然、最近はゴルフも愛する、心優しきオーストラリア人。
ワインなら何杯でも?いける口です♪

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