Interview

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元学習院大学非常勤講師  鏡味貴美子さん 前編

舞台に魅せられて

 

元学習院大学 非常勤講師 鏡味貴美子さん

 

歌舞伎から縁があって、狂言のお稽古。48歳で大学に入学、卒業後は大学院に進んで『歌舞伎研究』を専攻。

大学で『日本の伝統芸能』という授業の講師となる。雅楽から能狂言、歌舞伎、落語など日本の伝統芸能で活躍する方々を講師に迎えて、実技や理論を学生に教える授業。その中で、和泉流狂言師の石田幸雄師と出会い、素人弟子となる。

今ではご自身も一年に一回狂言の舞台に立っている。

現在は、カルチャーセンターで歌舞伎の講師として活躍され、月に数回歌舞伎を観に行くほどに。

そんな鏡味さんに、歌舞伎や狂言の魅力を語っていただきました。

 

 

● 歌舞伎を教えるなかで出会った狂言

 

ロズリン : 私、狂言大好きでよく観に行くんですよ。

昨年、知人が出るアマチュアの発表会に誘われて、プロ級ほど素晴らしかったので驚いて。出演されていた鏡味さんにぜひお話をお聞きしたいと思いました。

鏡味さんはどんなきっかけで狂言を始められたのでしょう。

 

鏡味 : 歌舞伎を研究していた学習院大学で、『日本の伝統芸能』という授業の非常勤講師となりました。

その授業は、日本の伝統芸能(雅楽から能、狂言、歌舞伎、文楽など)を理論と実技を通して一年間で教えるというものでした。実際に舞台で活躍しているそれぞれの専門の方々を講師としてお招きして、授業の中で実際に演技をしていただき、学生たちは日本の伝統芸能を間近に見ながら学べるのです。

この授業を通して素晴らしい専門の方々と知り合う機会を得た私でしたが、中でも和泉流の狂言師である石田幸雄先生の素晴らしい講義や実技、さらにはそのお人柄にすっかり惹かれるようになり、厚かましくも石田先生に狂言を教えていただきたいとお願いしました。

 

ロズリン : 狂言は言葉が馴染みやすいですよね。

 

鏡味 : そうですね、分かりやすいです。

石田先生のお許しをいただいて素人弟子の一人に加えていただきましたが、お稽古というのは先生から狂言の台詞を教えていただくだけだと思っていました。舞台に出ることになるとはまったく考えていませんでした。

ところが、「うちのお弟子さんたちは素人でも年に1度本物の能舞台を使った発表会がある」と言われました。

まったく予想外でしたが、入会した翌年の秋にもう舞台に出させていただきました。

 

ロズリン : え、早い! その最初の舞台を踏んだときはどうでしたか?

 

鏡味 : 何がなんだか分からなかったですね。でも、うまいとか下手とはではなく、達成感がありました。

第一回目の発表会からすっかり舞台に魅せられてしまいました。

 

 

ロズリン : 一度出ると、また出たくなるということですか?

 

鏡味 : はい。私なんかは年齢的にも、台詞を覚えるのもやっとですし、まして本物の狂言の衣装を着けて舞台で動くわけですから、本当に大変なんですよね。でも、楽しいです。

 

ロズリン : 昨年私が観た『蚊相撲』は、鏡味さんにとって何回目の舞台ですか?

 

鏡味 : 11回目ですね。

 

ロズリン : そうですか。長く続けておられますね。

 

鏡味 : 私、声が大きいんですよ。カルチャーセンターで歌舞伎を教えている生徒さんたちが発表会を観に来てくださるんですが、声が大きい私を上手だと思ってくださって(笑)、「すごく分かりやすくて上手」「先生の声はよく通って聞こえやすい」とほめてくださいます。

ほめていただくと、また舞台に出てみたいな、と。普段の生活の中では、声が大きいことはあまり褒められることではありませんからね。

 

ロズリン : お上手でしたよ。練習は相当されたんですか?

 

鏡味 : はい。お稽古は大変です。石田先生のお稽古はすごく厳しいです。

私はお弟子さんたちの中では年齢が上ですので、先生もご遠慮なさってそんなに怒鳴られるっていうことはないですけど、それでも何度教えていただいても、覚えていなかったりすると、「僕の教えていることを聴いているのか!」って叱られたりします。

先生に教わるお稽古は月に3回ですが、発表会が近くなると、お稽古の回数を増やしてもらったり、一緒に舞台に出る方と先生のお稽古場をお借りして練習したりしています。

 

ロズリン : お一人で練習する時間も多いのですね。

 

鏡味 : 私はもう79歳にもなりますので、ふだんの生活の中では、家の中でも外でも誰かから注意されたり、叱られたりすることって少なくなっていますよね。

それが狂言のお稽古を始めてから、久しぶりに先生から注意されるという貴重な経験をしています。

 

ロズリン : それは刺激的ですね。

 

鏡味 : どちらかっていうと私は他人から注意される前に、頑張っていろいろ勉強していくタイプの人間でした。

48歳で大学に入る前までは、鎌倉彫の教室に通って資格をとったり、通信教育で大学の講義を受けたり、いろいろやっていました。

ところが、実際に大学に通って、18歳の人たちと一緒に講義を受けたり、体育の授業をうけたりしていくなかで、「ああ、こんなに世の中には知らないことがあるんだ」って気付かされました。

 

 

 

● 48歳で大学入学、歌舞伎の研究者の道へ

 

ロズリン : どんなきっかけで、48歳で大学に入られたのですか。

 

鏡味 : 私は父も母も早く亡くなり、高校を出てすぐに公務員として勤めました。

夜間の大学に通ってみたりしてもなかなか続けることができなくて、 “大学を出ていない”というのがずっとコンプレックスでした。

 

ロズリン : なるほど。

 

鏡味 : そんな私に早稲田大学の教授だった兄は常々「生活が落ち着いたら大学に行くことを考えてみたら?」と言ってくれていましたが、47歳で亡くなってしまいました。

ちょうどその年に学習院大学が社会人学生を募集し始めたので、文学部の国文学科を受けました。

 

 

ロズリン : そもそも国文学科を選ばれたのは、もともと歌舞伎とかそういうものがお好きだったんですか?

 

鏡味 : そうですね。日本舞踊を習っていたこともありますし、亡くなった母が三味線を弾いていたり、母がまだ元気だったころ何回か歌舞伎に連れて行ってもらったことがあったりしましたので、日本の伝統芸能そのものに興味がありました。

 

ロズリン : 鏡味さんが48歳で大学に入られるとき、ご家族はどんな反応でしたか。

 

鏡味 : 大学の入学試験を受けることは誰にも言っていなくて、受かってから夫に「大学に行ってもいいかな?」って話しましたら、「子どものことと家のことをちゃんとやるならばいい」と。

少しは褒めてくれるのを期待していましたが、まあ昔ながらの日本の男性ですから、そんな反応でしたね。

 

ロズリン : 鏡味さんが大学に入られたとき、お子さんはおいくつだったんですか?

 

鏡味 : 上の娘が中学生で、下の男の子はまだ小学生でした。

 

ロズリン : まだ手がかかる年齢ですよね。大学の入学試験も簡単ではなかったでしょう?

 

鏡味 : 試験は、論文と、国語が古文と現代文、あとは外国語が選択で私はドイツ語にしました。

 

ロズリン : なぜドイツ語?

 

 

鏡味 : 大学に入る前、夫の仕事でドイツに3年間行っていました。

ドイツに行く前には、丁度娘を妊娠中だったのでドイツ語をまったく勉強できませんでした。ドイツで出産してから、ようやくドイツ語を勉強する時間がもてました。成人学級に通ったり、知人のドイツ人女性から個人レッスンを受けたりしました。

私はすごくおしゃべりが好きなんです(笑)。どうしてもドイツ語がしゃべりたくて、まだドイツ語がたどたどしいのに、ドイツ語が話せなくても買い物のできるスーパーマーケットではなく、町の普通のお肉屋さんやパン屋さんなどに行って、「これは何ですか?」「いくらですか?」とおしゃべりをしていました。

 

ロズリン : ドイツはどのあたりに行っていたんですか?

 

鏡味 : フランクフルトです。夫がフランクフルトの事務所に勤めていて、そこから車で30分くらいのクロンベルクという小さな町に住んでいました。日本人はほとんどいないようなところでした。

ドイツ語は全然わからないまま行ったんですが、勉強をしながら、夫の仕事の関係のパーティーに出たり、自宅にドイツ人のお客さんを呼んだり、娘の友達のお母さんとお話をするうちに、だいぶ話せるようになりました。

 

ロズリン : いいですね、素敵です。

 

鏡味 : ドイツ語は文法が複雑で難しいのですが、ドイツ人は日本人にとても親切で、私が話そうとしていることを一生懸命聞いてくれたり、私が間違ったドイツ語を話していると直してくれたりするんです。

3年たって日本へ帰ってきてからも、せっかく話せるようになったドイツ語を忘れてはもったいないと思って、通信教育などを使って独学でドイツ語を勉強していました。

大学では、ドイツ語を勉強するのもいいかなと思いましたが、日本の文化を系統的に勉強して、大好きな歌舞伎などをドイツ語でより深くきちんと説明できるようになったらいいんじゃないかと思いました。

 

 

後編に続きます。

 


元パイプオルガン奏者 小林丸人さん 後編

パリでパイプオルガン奏者の経歴を持つ小林丸人さん。バッハからメシアンまで幅広いレパートリーを持ち、フランス国内で演奏活動を行っていたオルガニストであるにも関わらず、数年前に日本に戻り、演奏活動を休止しています。

偶然のパイプオルガンとの出会いから、山あり谷ありの人生を語っていただきました。

 

 

●パイプオルガンは一人オーケストラの演奏もできる

 

ロズリン : パイプオルガンのどんなところに魅せられましたか?

 

小林 : やっぱり音ですね。あれを聞いてしまうと、今までの音楽体験がふっとんじゃう。家のちっちゃなオルガンで練習して、パイプオルガンで音を出すと驚くほど、すごい音が出る。

ただ、弾いてると頭がおかしくなるんですよ(笑)。鍵盤を弾いてから、遠くのパイプから音が出るのは0,3秒後。自分が弾いてる音と聞こえる音が違うので、演奏中は集中しています。

 

ロズリン : パイプオルガンはいろんな音がでますよね。

 

小林 : そうですね。パイプに風を送って、空気を振動させて音を出す仕組みなので、どの音を鳴らすかは、鍵盤とストップレバーで決めます。トランペットの音が出したければ、そのストッレパーを引っ張る。フルートの音、オーボエの音など一つの鍵盤で出せる音はたくさんあります。今はコンピュータを内臓しているものが多いですが、アナログだと、音を選び、ストッパーを引っ張るというのが本当に手間がかかる。昔は、助手がパイプオルガンの横でストップを引っ張ったり押したりしていたんですよ。いろんな音を一度に出すこともできるから、パイプオルガンはある意味、一人でオーケストラの演奏ができて、壮大なんです。

 

 

ロズリン : ものすごく複雑なんですね。

 

小林 : 大きなパイプオルガンになればなるほど難しいので、コンサートなどで、単調な演奏をする方も多いんです。そもそもオルガン奏者は、芸術性より、教会のミサで、どれだけ多くの曲を初見で弾けるかなどに意識が向いてしまう人も多い。そんな中、僕の師匠のジャン・ギユーは、大きなパイプオルガンの音色を立体構造で使う、妥協のない演奏で本当に素晴らしい方なんです。

 

ロズリン : 小林さんの演奏も、師匠から大きな影響を受けたんですね。CDに収録されている楽曲はどれも素晴らしく、感動しましたよ。これはいくつの時に出したのですか?

 

小林 : 1枚目は43歳の時です。バッハのオルガン曲やブラームスのピアノ曲をオルガン用に編曲して弾いたもので、自分としては心の鍵のような存在であるバッハの「パッサカリアとフーガ」を入れられて、本当にうれしかったです。パッサカリアとは中世の舞曲なんですが、バッハはプレリュードやトッカ―タとのフーガは何十曲も作っているのに、なぜかパッサカリアは1曲だけ。いくらでも作れたはずなのに。それがとても神秘的で、この曲が好きという方に出会うと、初めて会っても、生まれる前から知っていたような気になる。そんな存在の曲です。

 

 

ロズリン : なるほどね。日本での評判はいかがでしたか?

 

小林 : 保守的な日本ではなかなか受け入れられないと思っていましたが、日本の最高峰の評論家達が絶賛してくれまして。とりわけ「小林丸人は、疑いなく、知・情・技の三拍子揃った逸材である。」と濱田滋氏に論評していただき、本当にうれしかったです。その後、日本のホールでコンサートのお誘いがありましたが、ほとんど断ってしまいました。

 

ロズリン : どうして断ったんですか?

 

小林 : パイプオルガンは会場のものを使うので、事前に音を作り出す設定をしないといけないんですが、私の場合はかなり複雑で。1曲30時間は必要なので5曲やるなら150時間。それにスムーズに音を出せるよう、練習もしないといけませんし。でもリハ―サルでそんなに長時間使えないし、普通は1日2,3時間でも10万円ぐらいかかる。だから実質無理なんです。例外的に、リリアホールがぜひにと、100時間パイプオルガンを貸してくれたので、一度だけコンサートを行いました。

 

ロズリン : そういうことなんですね。でも、どうして音楽活動をやめてしまったの?

 

小林 : パリで主任演奏者になるには、政治的な行動も必要でした。そういうところが僕には合わず、疲れてしまって。

 

ロズリン : 演奏以外の理由から音楽活動を離れることは、辛かったでしょう。その後、日本に帰国した理由はあったんですか?

 

小林 : 80年代に初めてパリに行った時は、本当に優雅で素敵で。カフェに行っても、いろいろな活動をしている人がいて活気がありました。

当時、アルジェリアの移民の方たちはフランス人になれて感謝していたんですが、その子供たちが差別を受け、いくら努力していい成績をとっても、能力が劣るフランス人が採用される。それで反乱を起こし、街の雰囲気にも疲れてしまって6年前に帰国しました。

 

 

 

●パイプオルガンを弾けるように環境を整えたい

 

ロズリン : 日本に帰国されてからは、ご実家に帰ったんですか?

 

小林 : はい。実家が仙台で。そうしたらしばらくして父が脳梗塞で倒れてしまい、半身不随になり妹と二人の介護の日々で5年が過ぎました。

 

ロズリン : それは淋しい話ですね。

 

小林 : 初めての経験で結構大変でした。それから父の状態が安定したので1年前から東京に出てきて、何かできることを、と考え、フランスの輸入化粧品の会社で仕事をはじめました。何もかも一人でやっているので、平日は夜中まで働き、土日は死んだように寝てしまって。60代になって初めて普通の仕事をしているので、まだ慣れません(笑)。

 

ロズリン : お仕事をされているなかでも、なんとか時間を作って、オルガンを弾けないんですか?というより、弾きたくないんですか?日本にはバブルの時期に、パイプオルガンがずいぶんいろんな場所に設置されています。

 

小林 : 日本では、まずパイプオルガンを弾ける場所を探さないといけないのと、まだ自分の環境が整ってないというか。今より時間がとれる仕事に変えようかなど、いろいろ考えているんですが、難しいですね。音楽を教える仕事も探すのですが、クラシックは少ないみたいで。

 

ロズリン : 演奏だけじゃなくて、いろいろなことにこだわりが強いのですね。

 

小林 : そうですね。マニアックすぎて生きていけないタイプです(笑)。

 

ロズリン : 今は昔に比べて仕事も探しやすくなりましたし、クラシックの芸術家に限らず、多くの働く人たちはどこかで妥協して生活しています。私が行っている教会にもパイプオルガンがありますが、楽器に触りたい気持ちはもうないんですか?

 

ベルギーのchant d’oiseaux教会のオルガン(パリ・Saint-Eustache教会の主任オルガニスト Jean Guillouが音色設計に関わったオルガン)

ベルギーのchant d’oiseaux教会のオルガン

パリ・Saint-Eustache教会の主任オルガニストJean Guillouが音色設計に関わったオルガン

 

小林 : パイプオルガンのある教会があっても、専任の演奏家がいるのではないかとつい遠慮してしまって。それに、自分が気持ちよく演奏できる状態を作ってからじゃないといけない、と思ってしまうんですね。

 

ロズリン : でも、もう5年も弾いていないとか。自分の持っている才能をいかさないと、人間はフラストレーションがたまってしまいますし、本当にもったいない。

 

小林 : そうですね。帰国前にベルギーで、アルバム用の録音をしてきたんです。向こうのスタッフがのんびりしていて、まだ形になっていないんですが。最初にアルバムを作った時から15年経ち、客観的に聞いてみると、演奏はここまで変わるのかと時の流れを実感しました。若い時はエネルギーが強いですが、時を経たことで、美しさに変化している。それを皆さんに聞いてもらうのが、今一番の楽しみです。

 

ロズリン : 早くCDになるといいですね。ぜひ聞きたいです。これからの目標や、やりたいことはありますか?

 

小林 : まずは弾ける場所を探して、演奏を聞いてもらうこと。死ぬまでにバッハの曲で録音し残した曲などを収録したいと思ってます。後は、写真の個展を開きたいですね。

 

ロズリン : うちの教会でしたら紹介できますので、気が向いたらいってくださいね。

ぜひ、パリの教会で、最初にパイプオルガンを弾かせてくださいといった時の自分を思い出してください。今日はありがとうございました。

 

 

【感想】

学生時代に小さな勇気を出してパイプオルガンを演奏したきっかけから、長年パリで音楽活動だけでなく写真家としても幅広く活躍をされた小林さん。私も東京で教会に通っているくらい、神聖で美しい教会は心を清らかにしてくれます。

人生も色々な経験を重ねることで、輝きをいつまでも持ち続けたいですね。小林さんの思いの詰まった次のCDが聴ける日を楽しみにしています。

 

 

【小林丸人さんプロフィール】

1958年、宮城県生まれのオルガン奏者。中央大学法学部卒業後パリに渡り、スコラ・カントラム音楽院オルガン科を卒業する。ジャン・ギユー、ジャン=ポール・アンベールに師事。バッハからメシアンまで幅広いレパートリーを持ち、フランス国内で演奏活動を行っていた。1991年のパリでのコンサートは、新聞紙上で絶賛。1992年、ユーファム国際オルガン・コンクールで2位受賞した。また、その才能は写真芸術でも開花。2002年に出版された小説写真集『巴里製皮膚菓子』(文・山田詠美)の写真を担当した。2007年書肆 林檎屋からフジコヘミング肖像写真集”FUZJKO”を出版。フジコ・ヘミングのCD『トロイメライ』にも彼の写真が使われている。ALM RECORDSからCD”ORGUE”(オルガン)と”Chaconne”(ピアノ)をリリース。


元パイプオルガン奏者 小林丸人さん 前編

パリでパイプオルガン奏者の経歴を持つ小林丸人さん。バッハからメシアンまで幅広いレパートリーを持ち、フランス国内で演奏活動を行っていたオルガニストであるにも関わらず、数年前に日本に戻り、演奏活動を休止しています。

偶然のパイプオルガンとの出会いから、山あり谷ありの人生を語っていただきました。

 

 

●由緒ある教会のパイプオルガンを弾かせてほしいと申し出た

 

ロズリン : 昨年は、サンギ創立45周年にあたり、弊社がスポンサーをしている弦楽器だけの室内オーケストラ 「東京シンフォニア」 が主催する “モーツァルトマラソン” へ特別協賛をしました。

ピアノ協奏曲全 21 曲を8日かけて演奏し尽くすこのコンサートに、小林さんも来ていましたね。

 

小林 : はい。その時に、私の以前出したパイプオルガンのCDをお渡したら、お忙しいなか聞いてくださって、本当にうれしかったです。

 

ロズリン : 小林さんのCDを聞いて、本当に驚きました。あまりにもすばらしくて。それで次にお会いした時に聞いたら、さらにびっくり。今は東京のピアノもオルガンもない部屋で、いっさい弾いてないというから。

 

小林 : 実は6年前にパリから帰国し、昨年から60代になって初めて、本格的にサラリーマンとして仕事をしているんです。なかなか精神的にも肉体的にも余裕がなくて。5年弾いてないでしょうか。

 

ロズリン : そのお話もびっくりです。そもそも、パリでパイプオルガンの演奏者になったいきさつは?

 

小林 : それは本当に偶然の出来事だったんです。

僕は学生時代、医学部をめざしたのですが、まじめな性格じゃなくて、遊んでしまって3浪したんですね。それで医学部はあきらめ、中央大学の法学部に進学しました。当時ベトナム難民のことが日本で問題になっていたことで、将来国連に務めるには、国際法の勉強が必要だと思ったんです。でもやっぱり法学部が合わなくてね。4年の時に、フランス革命が専門の教授から「小林くん、パリに行ってきたら?」と、エクス・マルセイユ第径膤悗鮠匆陲気譴泙靴拭

 

 

ロズリン : フランス語はできたんですか?

 

小林 : 第2外国語でやってました。それでパリにアパートを借りました。僕は不真面目なので田舎町に住めなくて(笑)。パリに戻ってソルボンヌ大学に在籍しながら、自由に遊んでたんですよ。当時のパリは本当に楽しく、いろんな人が集まってきていて、たくさんの出会いがありました。

 

ロズリン : パイプオルガンとの出会いは?

 

小林 : パリのサントゥスタッシュ教会です。ここは、モーツァルトのお母さんの葬儀や、リストの新曲の発表会などが行われた、とても由緒ある教会なんですが、世界有数のパイプオルガンがあります。パイプの数が約7千本以上もある大きなものです。以前からちょっとやっていたので、思い出にこれを弾きたいと思い、そこにいた奏者の方に思い切って弾かせてもらえないか聞いてみたんです。するとなんと後日、1時間弾く時間をとってくれるというんですよ。

 

Saint-Eustache教会の大オルガン

Saint-Eustache教会の大オルガン

 

ロズリン : それはすごい!

 

小林 : 約1か月後に時間をとってくれたのですが、せっかくだからと、教会用電子オルガンを弾ける場所で猛練習して、準備しました。弾いてみたら、その響きと音にそれは感動しましてね。見も知らない日本人に、時間を融通してくれたその方を、お礼としてお寿司屋さんに招待したんです。彼女も演奏を聞いてくれたんですが、「オルガンを続けなさい」と。その場で彼女が親しくしているSaint-Eustache教会のオルガニストでスコラ・カントラム音楽院教授‥ジャンポール アンベール氏に「いい人がいるので、登録してください」と電話してくれたんです。

 

ロズリン : よほど演奏を気に入ったんですね、すごい。

 

小林 : ありがたいことに(笑)。それでとりあえず、日本に帰って中央大学を卒業だけして、またパリに戻り、そのスコラ・カントラム音楽院の高等科に入学しました。オルガン科の教授であるジャンポール アンベール氏は、ジャン-ギユ―という世界的なオルガ二ストを紹介してくれたのですが、彼は僕が弾かせてもらった教会の主任オルガニストであり、ラッキーなことに彼の弟子にしてもらったんです。これは本当にめったにないことで、彼と知り合わなかったら、演奏者としての自分はなかったと思いますね。

 

 

 

●パリの音楽院へ留学

 

ロズリン : 親御さんはパリの音大に行くことに反対しなかった?

 

小林 : 父は僕のやりたいことを応援してくれたので、何もいいませんでした。ただ、学費がね。ただでさえ3浪して大学に行って、その後のパリでの音大だったから、大学院はもうお金がないと。それで困って、パリ在住の友人に相談したら、彼の知り合いの詩人が美智子さまのデザイナーをしていた植田いつ子さんと、ペリエの副社長を紹介してくれて、お二人から月に5万円ずつ大学院を卒業するまで援助していただけることになりました。

 

ロズリン : それもすごいですね。お金を出してもらう代わりに、何か協力されたんですか?

 

小林 : 少しだけ。植田さんには、ヨーロッパの王室の最新の写真などにコメントをつけて時々送りました。その情報を美智子さまの装いに生かしていたようです。

ペリエのほうは、年に2回ぐらい。日本からのお客様とフランス人スタッフの会議の通訳や、工場に案内して説明する仕事をしてました。そのご好意でなんとか大学院を卒業できました。

 

ロズリン : 卒業後は演奏者になったんですか?

 

小林 : 時々コンサートなどをしていましたが、父からはパリのホームレスといわれるほど貧乏でしたよ。大学院時代から、友人と屋根裏部屋をシェアしていたんですが、当初は二人で7万円。テーブルも椅子も道でひろったもの。なかなか素敵でしたが、6階まで運ぶのが本当に大変でした。ピアノも部屋において。でも、どんどん家賃があがって、友人はのちに帰国したので一人で11万円ぐらいかかるようになってしまい、本当にきつかった。それでもいろんな友人と遊んでました。若いってすごいですよね。怖さを知らないので。

 

 

ロズリン : それは大変でしたね、その他には写真家の活動もされていたとか?

フジコ・ヘミングさんの写真集にも関わったそうですね。

 

小林 : 知り合いの出版社の編集者に頼まれて、パリでフジコさんを時々撮影していました。でも音楽活動より、多少生活の足しになるくらいだったので、今はやっていないんですよ。

 

ロズリン : 拝見してると本当にすばらしい写真です。多才ですね。

 

 

後編に続きます。

 


インターナショナル・クルーズ・マーケティング株式会社 中川節子さん 後編

「シルバーシ―・クルーズ」や「ザ・ワールド」など世界各地のクルーズ会社の日本地区正規販売代理店を務めるインターナショナル・クルーズ・マーケティング株式会社の代表取締役・中川節子さん。

クルーズ旅の魅力について存分に語っていただきました。

 

 

●アクティブ派もリラックス派も楽しめる

 

ロズリン : 1週間も船に乗ったら退屈するのではないかと言う人もいます。実は私も、乗る前はそれを心配していました。

 

中川 : 乗ってみると、忙しかったのではないでしょうか(笑)。船に乗るとき、たくさん本を持っていく方がいらっしゃいますが、読む暇がないみたいですよ。

 

ロズリン : 小さいけれど図書館もありますものね。私は小説、3冊読みました。ふだんは読む時間がまったくないので、嬉しかったです。

 

中川 : 仰る通り、ゆったり過ごすのもいいですし、毎日アクティブに、寄港地に着いたら精一杯遊んで過ごすのもいいですよね。外国の方は、プールサイドで本を読んで楽しまれる方も多いですが、日本の方は概してアクティブですね。

でも、実際、忙しいんですよ。朝起きたらブレックファースト、次にランチ、現地の観光から戻ってシャワーを浴びてビール飲んだりしながらリラックスしたらアフタヌーンティーの時間になって、カクテルタイムがあって、ディナー、そのあとバー。結局一日中、なにか食べてますね(笑)。

 

ロズリン : おかげで4キロくらい太ってしまいました(笑)。

 

中川 : そうなんですよ。みなさん3キロくらいは太って帰られます(笑)。ダイエットしなくちゃ、ってみなさん、デッキを走ってらっしゃいますね。大海原をみながらのジョギングやウオーキングは気持ちいいですよ!

 

 

●二人で10日間乗ると約100万円

 

ロズリン : あとみなさんが心配されるのは、服装ですかね。

 

中川 : 豪華客船でフォーマルと言うと、タキシードやロングドレスじゃなくちゃいけないんじゃないかとおっしゃるんですけど、最近はだいぶカジュアルダウンしてきました。男性なら、ジャケットやダークスーツにタイをしていれば大抵、大丈夫。女性なら、ロングドレスじゃなくても、ホテルのレストランに行くくらいで十分です。

 

ロズリン : 費用はどれくらいかかるんですか。

 

中川 : 船のランクによりますが、高級船ですと、お一人様一泊あたりだいたい5、6百ドル。日本円にして5、6万円、お二人で10万円ちょっとです。10日間乗ったら100万円ってことですね。

 

ロズリン : それなりに、しますねえ。

 

中川 : カジュアルな船は、1泊1万円以下のもあります。でも、そうするとカフェやバーでいちいちお金を取られたりして、トータルすればそれほどお安くはないこともあるので、注意が必要です。

 

 

●50代以上の夫婦が多いが、一人旅も大歓迎

 

ロズリン : お客さまはどんな方が多いですか。年齢層としてはどのくらい?

 

中川 : 日本人は50代以上の方が多いです。だいたいは夫婦単位ですが、家族2世代、3世代、あるいは友人同士で乗る方も。還暦のお誕生日祝いで、子どもたちとそれぞれの家族も一緒に、大勢で乗られる方もいました。

13歳以下の子どもがタダになる船もありますので、お子さま連れの方も多いですね。キッズルームなどがあり、大人が食事をしたり寄港地観光に行っている間、預かってくれるので安心です。

また最近は、ハネムーンでの利用もありますし、ヨーロッパでは修学旅行で船を使うこともあるんですよ。

 

ロズリン : ハネムーンなんていいですね! 

 

中川 : 船内で結婚式ができる船もあります。ウエディングドレスを着て、海を背景に写真を撮ったり、すごく素敵です。

 

ロズリン : ロマンチックですね。

 

 

ロズリン : 一人で乗る方もいますか。

 

中川 : たくさんいらっしゃいますよ。シングルの方を集めてのパーティーなども開催されるので、そこでお友だちができたりします。楽しいと思いますよ。

 

ロズリン : どんなクルーズ旅が人気ですか。

 

中川 : 最近の流行りは、リバークルーズとエクスペディション(探検船)でしょうか。

 

ロズリン : 探検船というと、どのあたりに行くんですか。

 

中川 : 南極とか北極とか、ポリネシアのあたりですね。欧米の方は外洋のレジャークルーズ旅はすでにたくさん経験しているからか、特殊なものを好むみたいです。

 

●1回乗るとクセになる

 

ロズリン : 中川さんの会社では、どんなクルーズ旅を扱っていらっしゃるんですか。

 

中川 : もう数限りなくあります。今、どんどん新しい船ができていますし、うちが直接扱っているのはちょっとラグジュアリーなタイプの船中心ですが、それ以外でもご希望に合わせていろいろなタイプの船をご紹介しています。

 

 

ロズリン : 直接、扱っていらっしゃるのは何社くらい?

 

中川 : だいたい12、3社ですね。うちは船会社と直結しているのでお客様へのレスポンスは早いです。すぐに空き状況が調べられ、予約できるんです。

 

ロズリン : そうなんですね。今、人気がある船は予約がなかなか取れないみたいですね。私たちも今年、北極に行きたかったんですけど取れなくて、来年に予約しました。

 

中川 : 乗船中に次を予約するといいですよ。日程はあとからでも変更できますし。

 

たとえば地中海だと7泊とか8泊の旅が多いのですが、船って初めて乗ると最初は慣れなくても2日くらいすると生活のパターンが見えてきて、4日目、5日目がいちばん楽しいわけですよ。それで6日目になると、そろそろ下船の案内が来てしまう。そこでみなさん、次を予約するんです。すごくよかったから、ここで降りるのはいやだ、って気持ちになっちゃうんですね。

 

ロズリン : 私たちも乗っている間に予約すればよかった。船によっては5%割引にもなるので後悔してます。

 

中川 : 1回乗るとクセになりますよね。私も船に乗るようになってから、飛行機で旅行するとすごく疲れてしまって。どんなに船が楽か、楽しいか、ということがすごくよくわかります。なので、若い方にもどんどん乗っていただきたいんですよ。

 

ロズリン : クルーズ旅、本当におすすめです。中川さんとお話ししていたら、すぐにでもまた乗りたくなりました。今日は夢いっぱいのお話をありがとうございました。

 

 

 

【感想】

クルーズ旅の裏話や流行など、魅力についてたくさん語ってくれた中川さん。

「もっとクルーズのよさを広めたい」と夢を持っていらっしゃいました。クルーズ旅のお客様へ楽しみや癒しを提供することに真剣に向き合われている姿勢が印象に残りました。

ホテルにいながら観光地がやってくるようなクルーズ旅なら、何度でも行きたくなりますね。中川さんの夢が多くの人に届きますように。

 

 

 

 

 

 

 


インターナショナル・クルーズ・マーケティング株式会社 中川節子さん 前編

「シルバーシ―・クルーズ」や「ザ・ワールド」など世界各地のクルーズ会社の日本地区正規販売代理店を務めるインターナショナル・クルーズ・マーケティング株式会社の代表取締役・中川節子さん。

クルーズ旅の魅力について存分に語っていただきました。

 

 

● 観光地が自分のところにやってくる

 

ロズリン : 去年、初めてクルーズ旅を経験したんです。結婚40周年記念に夫のリクエストで、ポナン社の船に乗りました。

 

中川 : フランスの船ですよね。すごくおしゃれですね。

 

ロズリン : 8日間の船旅で、アテネで乗って最後はベニス。ギリシャの島とかモンテネグロとかクロアチアも回ったんです。もう最高でした!

 

中川 : 船って楽なんですよね。船が移動してくれるから、観光地が自分のところにやってくる。

 

ロズリン : 荷物が重たくても、乗っちゃえば関係ないですし。

 

中川 : 乗ってすぐに荷物を解いてしまえば、降りるまでそのままでいいんです。寄港地で観光に行くときも、トートバッグにタオルとクレジットカードとお水を入れるくらいで身軽に出かけられます。そういうのが船はすごく楽ですね。

 

ロズリン : お金が必要なのは降りたときだけですよね。クレジットカードがあれば、船の中ではお金は一切いらない。

 

 

中川 : どんな船でも食事は完璧についていますし、ラグジュアリー船はアルコールを含むお飲み物も基本、フリーです。マッサージやスパなどは別料金だったりしますが。

 

ロズリン : とにかく気に入りました。実は行く前は、どうかなと思っていたんです。でも、乗ってみたら完全にハマってしまって。そんなわけで、クルーズ旅を提供する側の中川さんにもっとくわしくお話を聞きたいと思ったんです。

 

中川 : ありがとうございます。

 

 

●日本人で初めて外国船スタッフとして乗船

 

ロズリン : まずは、中川さんがこの業界に入ったきっかけから教えてもらえますか。

 

中川 : 今から30年以上も前になるのですが、ノルウェーのロイヤルバイキングラインという往年の豪華客船の日本代表事務所の社長が知り合いで、日本人もクルーズ船に乗るようになってきたから日本人スタッフもいた方がいいということで、私を誘ってくれたんです。それで、日本人で初めて外国船の中で働くスタッフとして入りました。

それまで船のことを全然知らなかったのですが、乗ってみて、こんな世界が世の中にあるのか、と感動しました。スタッフも本当にエンジョイしています。寄港地では1日休みをもらえますし、仕事をしているのか遊んでいるのかよくわからない感じです(笑)。

 

ロズリン : 船の中ではどんなお仕事をしていたんですか。

 

中川 : ホテルのレセプションのような仕事や、いろいろな国に行くのでその際に必要となるお客さまの入国手続きの書類を揃えたり、日本人のお客さまに翻訳や通訳などのお世話をしたり、ホステスとして船内で楽しんでいただくサポートをしていました。

 

 

ロズリン : どのぐらいの期間、乗っているんですか?

 

中川 : 4ヶ月乗って2ヶ月休みとかそんな感じ。

 

ロズリン : わあ、大変ですね。でも、そういうのが好きな人もいるでしょうね。

 

中川 : 船の仕事って合う合わないが大きくて、すごくフィットする人と、閉鎖的な空間に長い時間いることに耐えられない人とがいるのですが、私は全然平気でした。

結局、3年半ほど船で仕事をして一旦辞めて、その後しばらくマーケティングの会社にいたのですが、前に私を雇ってくれた人がまた誘ってくれて、今度はオフィスで働き始めたんです。そうしたらその人が急に「会社を辞めます」と。例の同時多発テロ、ああいうことがあると旅行業界って一気に冷え込むんですよね。それで、もう会社をたたむことにした、って言われたんだけど、そうしたら私、失業しちゃうので「じゃあ、私がやります」と言って、社長になったんです。それから20年、いろんなことがありながらも楽しくやってきました。

 

 

●いちばんの魅力は「目覚めれば次の街」

 

ロズリン : クルーズ旅のどういうところがおすすめですか。

 

中川 : いちばんは、移動の無駄がない、というところです。たとえば1週間くらいでヨーロッパを回る場合、ツアーだとヨーロッパ周遊3カ国とかのプランが一般的ですよね。でもそうすると、飛行機で行って、ホテルに入って荷物を解いて、1日経ったら荷物をまとめて、また飛行機に乗って、という繰り返しで移動の無駄がすごく多いんですよね。船は朝、港に着いて夕方から夜にかけて出航するので、まる1日遊んで船に帰って来て食事やショーを見たりなど楽しんでいる間に次の港に着いてしまいます。つまり、目覚めれば次の街。毎日違う景色が目の前に広がるんです。

 

ロズリン : ホテルごと移動してくれるようなものですね。

 

 

中川 : すごく体が楽なんです。なので年配の方が多いんですが、その理由はそれだけではなくて、日本の場合、とくに若い方は長い休みが取りにくいんですよね。クルーズ旅って大抵7日間なんです。そうすると、出港地への行き帰りを合わせて9日間くらいはお休みしないといけない。でも、最近は働き方改革なども言われているので、だんだん変わっていくでしょうね。

 

ロズリン : みなさんが不安になる点として、揺れの問題はどうですか。

 

中川 : それはどうしても、地域や気候によっては揺れることもあります。リバークルーズはほとんど揺れないので、初めての方にはおすすめです。

ちなみに大きい船だと揺れない、小さい船だと揺れるとか、そういうわけではないんですよ。大きい船はゆらーんという感じ、小さい船はもうすこし小さく揺れる感じです。でも、薬を飲んでおけばすむことですし、船には必ずお医者さまが乗っていますから、そこで薬をもらうとか、注射を打てば5分で効きますよ。眠くなっちゃうのがちょっともったいないですけどね。

 

 

後編に続きます。

 

 

 


Greenpeace Japan サム・アネスリーさん 後編

アイルランドから日本へ。社会貢献をしたいという思いがグリーンピースにつながった。

高校時代に日本へ留学。世界各国での様々な経験を経て、今、国際環境NGOグリーンピース・ジャパン事務局長をしているサム・アネスリーさんに話を聞きました。

 

 

◼ピースボートの経験がグリーンピースにつながった

 

ロズリン : 医学部の入学は難しいでしょ? 

 

サム : 難しいです。皇學館大学で職員として仕事をしながら勉強をして、試験を受け、合格しました。でも、最終的には放棄してしまったんです。入学までに半年空いたので、通訳のボランティアとして地球一周のピースボートに乗りました。ちょうどいい暇つぶしのつもりだったんですが、これは楽しい!しかも社会貢献になる!ということで、ハマってしまいまして。それで、医学部に入るのはやめました。

 

(マチュピチュにて)

 

ロズリン : まあ(笑)

 

サム : すごくもったいないんですけど(笑) 結局、ピースボートは4年間ぐらい乗りました。

 

ロズリン : 何カ国くらいに行ったんですか。

 

サム : 50カ国ぐらいです。非常に勉強になりました。もともと社会問題には興味があったんですが、自分の目で見ると、やはり違います。

ピースボートに乗る前も社会問題には関心があり、一般市民の私でもできることはないのかな、と思っていました。

ピースボートに乗って、それぞれの国の社会問題を見ることで、自分の立場が見えてきました。それで、船を降りてから更に4年間、ピースボートのスタッフとして働きました。

 

ロズリン : そうなんですね! それからどうしたのですか。

 

サム : そのスタッフとしての4年間はとても有意義な時間でしたが、市民レベルの活動だけでは物足りないと感じ始めました。

もう少し企業やビジネスの世界を理解しないと、うまくやっていけないと思ったんです。それで、金融関係の仕事に就きました。

とてもいい経験でした。その後、あしなが育成会という日本の有名なNGOに勤めました。そこにいるときに声をかけられて、いのちの電話の事務局長になり、それからグリーンピースに移りました。

 

(ⓒDermot Killoran / Greenpeace)

 

◼フォーカスしているのは気候変動

 

ロズリン : いろいろ経験してきたんですね! グリーンピースについては、くわしく知っていましたか?

 

サム : そんなにくわしくはなかったです。環境保護問題に取り組んでいるということ、そして、反捕鯨運動の活動しているというイメージが強かったです

 

 

ロズリン : 捕鯨については、なかなか難しい問題です。私も昔、オーストラリアの日本大使館に勤めていたことがあるんですが、

そこで私は、捕鯨の弁護をしなければならない立場でした。余談ですが、日本は昔、鯨をとっていましたけど、捕まえるのも大変だし、

命がけの仕事だったんですよね。だから、その毛にいたるまで全部使って、大事にしていたのです。

アメリカでは半分、スポーツ感覚だったんですね。今は全然違いますが。捕鯨する必要はありません。

グリーンピースでは今後、何にフォーカスして活動していくのですか。

 

サム : 主に気候変動です。先日、国連が報告書を出したのですが、今、地球の気候は非常に深刻な状態になってきています

気候変動を含め環境破壊は問題が大きすぎて、一人ひとりの力ではどうしようもないと感じることもあるかもしれません。

でも実際にはできることは山ほどあります。コンビニやスーパーでレジ袋を断ることから、署名に参加する、メールや投書などにより

政治家や企業に声を届ける、環境保護団体に寄付をすることまですべてが意味のある行動です。それを皆さんに知ってもらうことが、

これからの課題です。

 

 

ロズリン : なるほど。啓発活動ですね。

 

サム : とはいえ、私たちの活動は正しいから従いなさい、というような上から目線のメッセージはよくないと思っています。

とくに私のような白人の男性がそんなことを言っても、反発されるだけでしょう。日本にはもともと自然を大事にする心があるので、

そこを強調して、美しい日本を守りましょう、そのために改善していきましょうと伝えていきたいと思っています。

 

◼自然エネルギーへの転換を広めたい

 

ロズリン : 環境のためには、石炭を使う火力発電はやめたいところですよね。でも、原子力もやりたくないでしょう?

 

サム : そうなんですよね。大震災後、原発はいったん全部止まったんですけど、今は稼働しはじめている。

 

ロズリン : 発電といえば、うちの研究所が埼玉にあるのですが、そこにあったテニスコート、そして屋根全体を潰して太陽光発電にしています。小さな貢献ですけど。

 

 

サム : 自然エネルギーも今後、持続可能な形でもっともっと増やすべきですね。石炭やめましょう、原発やめましょう、だけでは困ります。

その代わりに、じゃあどうすればいいのかについても考えていかないといけません。具体的にできることを一つひとつ発信して、共有して、行動する人の輪を広げていくのがグリーンピースの役割だと考えています。

 

◼百名山突破が夢

 

ロズリン : 忙しい毎日かと思いますがプライベートもエンジョイできていますか?

 

サム : 山登りが好きで、時々行っています。百名山を突破するのが夢なんです。まだ20個くらいしか行けていませんが。

 

(鹿島槍にて)

 

ロズリン : 5分の1じゃないですか!素晴らしい。

 

サム : もともと自然が好きなんです。よく、なぜ日本に住んでいるのかと聞かれるのですが、理由があるとしたら、日本が美しい国だからです。アイルランドもきれいですけどね。

 

ロズリン : でも大都会はどうですか。

 

サム : 実は代々木公園の近くに住んでいます。23区内に住まなければいけないのであれば、せめて緑の多い場所にと思って。

とても暮らしやすいです。日本に暮らしてみて思うのですが、日本人は自分の国のことを謙遜しがちですよね。

でも、日本は美しいし、食事も美味しいし、素晴らしい国。もっと自信をもってほしいと思います。

 

ロズリン : 本当にそうですね。今日は興味深いお話をありがとうございました。

 

 

【感想】

些細なきっかけで日本に来て、今や国際環境NGOで国内外のエネルギーや自然環境のことまで考えているサムさん。

その経験からも日本に対する想いの強さを実感しました。私たちも環境のことを考えつつ生活しようと、改めて考えるいい機会になりました。

これからもサムさんの活動を応援しています!

 

【サム・アネスリーさんプロフィール】

1982年、イギリス・北アイルランド生まれ。

日本に興味を持ち17歳の時に、高等学校の交換留学で一年間滞在する。

その後、英国ケンブリッジ大学で日本語を専攻し、三重県皇學館大学にて神道学を学ぶ。

大学卒業後、南米やヨーロッパでの勤務経験を経て、2007年に日本へ戻る。

以来11年間、NGO「ピースボート」や親を亡くした子どもたちを支援している団体「あしなが育英会」など、日本のNGOで東日本大震災の被災地支援や原発問題などの環境問題、平和教育、そして文化交流などに携わる。

自殺予防に取り組むNPO法人「東京英語いのちの電話」の事務局長を経て、2018年12月より現職。

 


Greenpeace Japan サム・アネスリーさん 前編

アイルランドから日本へ。社会貢献をしたいという思いがグリーンピースにつながった。

高校時代に日本へ留学。世界各国での様々な経験を経て、今、国際環境NGOグリーンピース・ジャパン事務局長をしているサム・アネスリーさんに話を聞きました。

 

 

◼奨学金を得て、日本へ。どんどん興味が湧いてきた

 

ロズリン : 6年ほど前にも一度、グリーンピースの方にインタビューをしたことがあります。実はそれまでは、消極的な印象をもっていました。

ちょっと過敏なのかな、って。でも、大震災の後、すごくいろいろな活動をされたことを知って、ぜひお話を聞いてみたいと思ったんです。

日本全体が混乱しているなか、真っ先に海や魚の安全性などを検査していた。具体的で素晴らしいと思いました。

 

 

サム : ありがとうございます。

 

ロズリン : サムさんは、北アイルランドの出身なんですね。日本語が上手ですね。向こうで勉強したんですか。

 

サム : 17歳のとき、日本へ留学をしました。アニメや漫画が好きで、というよくあるパターンではなく、ただ単に海外に行ってみたくて、

いろいろ調べたところ、日本への留学の奨学金制度を見つけたんです。日本のことはあまり知らなかったんですけど、じゃあ、行きましょう、と。

それで、岡山県に来ました。

 

 

来てみたら、日本に対する興味がどんどん湧いてきて。いったんヨーロッパに戻って、イギリスのケンブリッジ大学に入り、もともとは宗教学をやりたかったんですけど、

日本語専攻に変えました。大学時代にまた伊勢神宮の近くにある皇學館大學に1年間留学し、神道を学びました。非常にいいところでした。

 

ロズリン : いよいよ、宗教学の勉強ができたんですね。

 

 

◼コロンビア、ドイツを経て、再び日本へ

 

ロズリン : 大学を卒業してからは、どうしたんですか

 

サム : イギリスに戻って、1年間、南米のコロンビアに行きました。

最終的には日本に戻ってくるつもりだったんですが、いったん戻ったら出るのは難しいと思って、ちょっと旅行してみようと思いました。

 

ロズリン : コロンビアでは何をしていたんですか。

 

サム : 実は英語と日本語の先生をやっていました。

 

ロズリン : 人に教えることがいちばん、自分の勉強になると言いますよね。いいチャンスだったでしょう。

 

サム : そのとおりです。その後、ドイツで少し仕事をしてから、2007年に日本に戻ってきて、それからずっと日本にいます。

日本では、いろいろな仕事をしてきましたが、筋が通っていると思うのは、社会のためになるような仕事をしてきたという部分です。

 

 

ロズリン : はじめはどんな仕事を?

 

サム : 三重県の嘱託職員として、伊賀市にある文化国際館に勤めました。

 

ロズリン : 自分で三重県を選んだのですか?

 

サム : はい。皇學館大学で勉強していたので、三重県とは縁があって、また行きたいと思ったんです。

伊賀市では、国際交流員として働き、忍者に詳しくなりました。2年してから、皇學館大学に職員として戻りました。大学には3年くらい勤めましたね。

その後、本当はイギリスに戻って医学部に入ろうと思ったんです。医者になりたくて。

 

ロズリン : ええ、そうですか。その話をぜひ聞きたいです。

 

後編に続きます。

 

【サム・アネスリーさんプロフィール】

1982年、イギリス・北アイルランド生まれ。

日本に興味を持ち17歳の時に、高等学校の交換留学で一年間滞在する。

その後、英国ケンブリッジ大学で日本語を専攻し、三重県皇學館大学にて神道学を学ぶ。

大学卒業後、南米やヨーロッパでの勤務経験を経て、2007年に日本へ戻る。

以来11年間、NGO「ピースボート」や親を亡くした子どもたちを支援している団体「あしなが育英会」など、日本のNGOで東日本大震災の被災地支援や原発問題などの

環境問題、平和教育、そして文化交流などに携わる。自殺予防に取り組むNPO法人「東京英語いのちの電話」の事務局長を経て、2018年12月より現職。


9児の母であり、医師 クリスティーナ・ジーゲルさん 後編

今回出ていただくのは、アイルランド出身のクリスティーナ・ジーゲルさん。実は彼女のおなかにいるのは、9人目のお子さんです。生まれる直前にインタビューを受けてくださいました。多くのお子さんを育て異国に住む生活。毎日、どんな風に生活しているのか? またどんな子育てをしているのか、興味津々です。

 

 

●子供たちは公立の日本の小学校に通学させている

 

ロズリン : お子さんが8人もいると、ごはん時など大変でしょうね。

 

クリスティーナ : うちは基本的には、家族全員で食事をすることにしています。ごはん時にはルールが1つあります。それは食事の選択肢はないということ。出てきたものを食べてもらいます(笑)。そして子供たちにも、手伝ってもらうので、彼らにも仕事があるんですよ。夕食はお手伝いさんをお願いしているので、一緒に作ります。みんな和食が好きで納豆もぎょうざもよく食べますね。買い物は大変なのでオンラインで頼むことが多いです。

 

ロズリン : それはいいですね。ご主人も一緒に食事できるんですね。

 

 

クリスティーナ : 夕方は17時に帰宅しますので可能です。米国西海岸の企業と仕事をしているので、時差の関係で、逆に朝は早く起きて仕事してます。

 

ロズリン : 家族旅行もおおごとになりますね。

 

クリスティーナ : そうですね。全員でしたのは、今までで1度だけです。通常は主人か私のどちらかが家に残り、たとえば女子チームで旅行するなど分けて行動します。

 

ロズリン : 楽しそうですね。日本での生活はいかがですか?カリフォルニアのほうが自然が多く、子供を育てやすかったんでは?

 

クリスティーナ : 確かにカリフォルニアの家は、目の前に海があり、山にも囲まれ、本当に自然豊かでした。でも日本の都心の生活はとても便利で、子育てがしやすい。子供たちも楽しそうで、特にアメリカの生活がよかったとは言っていませんね。ヨーロッパもそうですが、日本は家族が中心なので、私にはとても暮らしやすいです。アメリカは個人主義が強く、個にあまりにもフォーカスしてくるので、子育てに難しさを感じていました。

 

 

ロズリン : 確かにそうかもしれませんね。今は日本で、学校はどうしてるんですか?

 

クリスティーナ : 15歳の長男は、アメリカのハイスクールの授業をインターネットで受けていますが、他の子たちは日本の公立の小学校や近所の保育園に通っています。

 

ロズリン : 日本語はできますか?

 

クリスティーナ : ヨーロッパでは2か国語話せるのが普通なので、現地の学校に入れれば、自然と日本語が身につくだろうという目論見です。

 

ロズリン : なるほど。事前に日本語の勉強をさせましたか?

 

クリスティーナ : ほとんどしてませんが、子供はなじむのが早いですね。

 

ロズリン : すごいですね。日本とアメリカではかなり違うんでは?

 

クリスティーナ : そうですね。アメリカは親が車で送り迎えが必須ですが、日本の学校は歩いて行ける。これは治安の問題でもありますが便利です。また給食があり、給食当番の制度があるのをすごく気に入っています。そして、アメリカはどんなに小さな子でもアイパッドなど電子機器を使って教育が行われていますが、日本は鉛筆で書くという基礎を大事にしているのがいいと思います。電子機器は急がなくても、その時がくればすぐにできますからね。そういうことより、自分で判断できる基礎を養うことが大事だと思っています。

 

 

●大切にしているのは、親の行動や姿勢を見せること

 

ロズリン : 子育てでなにか心がけていることはありますか?

 

クリスティーナ : 将来の大人を育てている意識が強いですね。もちろん、それぞれ性格が違うので、対応は違います。とてもおしゃべりが好きな子、静かにしているのが好きな子、部屋で読書をしている子と、みんな違いますが、自分に注目してほしい時期は必ずある。私も見ますが、うちの場合は、兄妹に話を聞いてもらったり、相談したり、慰めあったりしていますね。思い返すと、最初の子が一番大変でした。次からは兄妹と遊ぶようになり、子供が多ければ多いほど、楽だと今は感じています。3歳から6歳は子供が自分の力を試す時期なので、なるべく自由にさせるようにしていますね。

 

 

ロズリン : 1番大事にしていることは?

 

クリスティーナ : 言葉よりも、親として行動や姿勢を見せることでしょうか。それを見て子供がそのことを大事だと思うようになります。今、私はアメリカの大学の通信課程をとっており、ネットで勉強しているのですが、それを見て長男がスタンフォード大学のハイスクールに入学し、ネットで学ぶことを決めました。子供は常に親を見ているものです。

 

ロズリン : お子さんの世話で本当に忙しいでしょうに、大学の通信課程もとっているとは。素晴らしいですね。

 

クリスティーナ : 医師はやめましたが、医学に貢献したい気持ちはあります。特に公衆衛生に貢献したいので、研究しています。学ぶことは楽しいですよ。通信でも3か月ごとに大学にスクーリングにも出かけており、次は1月なので、生まれてくる赤ちゃんと行くことになるでしょう。

私には自分のための時間も日々必要なんです。それがないと母親としてもやっていけない。それをみんな理解してくれているので、「はい、ここからは私の時間」という区切りがあります。

 

ロズリン : それはすばらしいことです。クリスティーナさんがとても健康な秘訣を伺いたいんですが、何か気を遣っていることはありますか?

 

クリスティーナ : どんなに忙しくても運動します。家族で利用できるジムに入っていて、そこに行きますね。その姿も子供は見ています。あと、6時に起きて21時に寝るサイクルです。よく寝ていますよ。

 

ロズリン : わぁ。健康的ですね。見習いたいです。今日はクリスティーナさんのエネルギーの秘密がわかったような気がします。ぜひ無事に赤ちゃんを産んでお写真を見せてくださいね。

 

クリスティーナ : ありがとうございます。

 

 

【感想】

実はこのインタビューの日の夕方、ご自宅で無事元気な女の子を出産されました!

 

 

キャリアのことから家庭のことまで語ってくれたクリスティーナさん。とてもエネルギッシュで、話しているこちらも元気になりました。子どもの中にも社会があることをしっかりと認識して、大人と同じように接する姿勢がとても印象的でした。

出産後もスクーリングするとのこと。いつまでも自分らしく輝いているクリスティーナさんを応援しています!

 


9児の母であり、医師 クリスティーナ・ジーゲルさん 前編

今回出ていただくのは、アイルランド出身のクリスティーナ・ジーゲルさん。実は彼女のおなかにいるのは、9人目のお子さんです。生まれる直前にインタビューを受けてくださいました。多くのお子さんを育て異国に住む生活。毎日、どんな風に生活しているのか? またどんな子育てをしているのか、興味津々です。

 

 

●おなかにいる9人目の赤ちゃんと共に

 

ロズリン : 今日は、臨月なのに来てくださって、本当にどうもありがとうございます。おなかの中にいるのは、9人目のお子さんですね。

 

クリスティーナ : はい。うちには15歳を筆頭に、6人の息子と2人の娘がいます。私はアイルランド生まれですが、主人がカリフォルニア出身の関係で、6人アメリカで出産し、2人がアイルランド。そして今回、43歳にして初めて日本での出産を迎えます。

 

お子さんたちのブーツ。かわいらしい!

 

ロズリン : そうなんですね。日本にいらしたのは、ご主人の仕事の関係ですか?

 

クリスティーナ : はい。ソフトウェア関係の事業をしています。結婚当初はカリフォルニアのサンタバーバラで仕事をしていました。起業し、日本には5年の予定できていますが、今は非常にビジネスがうまくいっており、家族はみんな日本が好きですし、もっといることになるかもしれません。

 

ロズリン : ご主人との出会いは?

 

 

クリスティーナ : 私はアイルランドで医学を学びましたが、アメリカで研修医をしていた頃に知りあいました。アイルランドは人口が400万人ぐらいの国なので、海外で働きたい人が多いんですね。私もアメリカで働きたくて、現地で試験を受けるために渡米したんです。

 

ロズリン : 当初からお二人はお子さんをたくさん欲しかったんですか?

 

クリスティーナ : はい。割と早い段階で、キャリアと子育てについて話をしましたね。私が医師になるということで、「僕は結婚したら、子供がたくさん欲しいと思っているけど、そうなるとあなたのキャリアが犠牲になる」と言われたんです。彼が1枚の紙を出して。それに2人が結婚した場合の、10年後、15年後までの計画をたてたんです。とにかく2人とも子供が多いほうがいいということで、結婚前に、5人出産の予定をたてました。

 

 

ロズリン : それはとてもユニークですね(笑)。医師の仕事のことはどう考えましたか?

 

クリスティーナ : キャリアよりも子供を優先することにしました。実際、内科医として勤務はしましたが、3人目の出産の後、仕事はやめ、育児に専念することにしたんです。

そして、計画に従い35歳までに5人出産の予定でしたが、もう1人できて、結局6人産みました。でもちょうどその後、周囲の友人たちが産み始めて。それを見ていたらかわいくて、もう1人!と産んだら、その子に年の近い子がいたほうがいい、と思いさらにもう1人産んで、合計8人に。そして今回は日本で生みたくなったという(笑)。主人も子供が大好きですし、みんな元気で、トラブルもなく、本当に私はラッキーだと思っています。

 

ロズリン : すばらしいですね。ご両親もうれしいでしょうね。

 

クリスティーナ : 普通、祖父母は孫が来るとうれしいと思いますが、うちの場合は1時間もすると、騒々しくて我慢できなくなるみたいですよ(笑)。

 

●過去8回、全て自宅出産を選んだ

 

ロズリン : クリスティーナさんは何回お産してもとても元気ですが、なにか秘訣はありますか?

 

クリスティーナ : もともと丈夫なことが大きいです。アイルランドでは、子だくさんな人はけっこういるので、その血統なのかもしれません(笑)。ただ、私はどの国で出産する時も、いわゆる「産婆さん」の手ですべて自宅出産しています。

 

 

ロズリン : そうなんですか。それはびっくりです。日本では今は産婆さんは「助産師」さんといいますが、アイルランドではそういう職業の方はなんと呼ばれていますか?

 

クリスティーナ : ミッドワイフです。

 

ロズリン : クリスティーナさん自身、医師なのに、どうして自宅出産を選ぶんですか?

 

クリスティーナ : 人間の歴史の中で、病院で産むようになったのはまだ最近のことで、長い間、女性は産婆さんの助けを借りて自宅出産していましたよね。今まで経験してきて、とても自然に出産ができて、気に入ってます。私の通う助産院では、自宅出産を望むと、出産まで毎回1時間ぐらい検診で見てくれます。これもすばらしいです。

 

ロズリン : でも自宅の出産の途中で、何かあったらと心配はない?

 

クリスティーナ : 少しでも問題があれば、すぐに提携の病院にいくので大丈夫ですよ。

アメリカでは自宅出産と病院での出産と完全に分かれていますが、病院では痛み止めの薬も使うし、帝王切開も増えています。みんな帝王切開を簡単に考えていますが、回復するまで長いし、術後もかなり痛いようです。自然分娩だと、産んでしまえばあとは痛くないし、体の負担も少ないですから。

 

ロズリン : でも、陣痛など痛いでしょう? 自宅で痛がると、お子さんたちが怯えません?

 

クリスティーナ : 確かに自宅出産だと痛み止めはないですが、骨折のような痛みとは違う種類で、我慢しやすいかもしれません。子供たちは寝ていますし、痛みというよりか圧力を感じ、波のような感覚で。東京マラソンを走ってるような感じともいえます(笑)。そういう状況で、事前に何度も検診してお話をして親しくなった方がつきそってくれるのでとてもリラックスして産めるんです。

 

ロズリン : なるほど。自然なお産をしてきたから、今の元気なクリスティーナさんがいるんですね。

 

後編に続きます。

 


口で絵を描く、車椅子の画家 古小路浩典さん 後編

絵があってよかった、描き続けてきてよかった。

10代で頚椎を損傷、全身マヒとなり、車椅子で生活する古小路浩典(こしょうじ ひろのり)さん。当時の入院先で口と足で描く画家の存在を知り、挑戦。退院後に本格的に指導を受け、職業画家となりました。現在は勇気ある1人暮らしをしながら、絵を描き続けています。

 

 

■飼っていた猫をテーマに描いたことも

 

ロズリン:絵は、油絵ですか。

 

古小路:そうです。色鉛筆や水彩画にもチャレンジしてみたんですが、油絵の具のほうが粘着力が強く、パレットを立てた状態で混色して色をつくれるので、これがベストだと行き着きました。絵の具を重ねて、厚みを出していくのが面白いです。

 

ロズリン:絵のテーマは?

 

古小路:いろいろです。メルヘン画ではなくて、風景画であったり人物画であったり。これは(と指し示して)、前に飼っていた猫です。

看護師の娘さんが拾って、育てられないというので引き取りました。一緒に生活していると、いろんな姿が見られるので面白くて、たくさん描きました。

 

 

ロズリン:私も猫が好きで、合計で7匹飼っています。私は写真をよく撮るのですが、なかなかじっとしてくれません。

 

古小路:ですよね。自由気ままで、カメラを向けると隠れたりします。今だ、と思った瞬間に撮ると、本当に自然ないい表情なんですが。わざとポーズをとることもありますね。

 

ロズリン:今は、その猫は?

 

古小路:もう亡くなってしまいました。

 

ロズリン:別の猫は飼っていますか。

 

古小路:いえ。また猫と暮らしたい気持ちはありますが、同じような感じで飼えるかどうか。前は、猫好きの人が近くにいて、その人のところで預かってもらえることもあって大丈夫だったんですが。どこかで踏ん切りをつけて、飼ってみようかなとは思っています。

 

ロズリン:描いた絵は、個展や展示会に出すのですか。

 

古小路:協会主催の絵画展が定期的にあるのでそこに出すのと、商用のイラストを描いています。個展は、春と秋にやっています。

 

 

ロズリン:こういうテーマで描いてくれ、と頼まれることもあるのですか。

 

古小路:協会と打ち合わせをして、テーマを決めて描くこともあれば、割と自由に、たとえば今度、オリンピックがあるからそれに向けて、動物たちがスポーツをやっている絵などを描くこともあります。

 

■好きな画家はモディリアーニ

 

ロズリン:絵を描くうえでのインスピレーションはどこから得ているんですか。

 

古小路:海外が舞台の映画を観て、いい風景だなあと思うと、その一コマが頭に残って、下絵を描いているときにポッと浮かんできたりします。映画を観ることが好きだし、アイデアの元にもなってますね。

 

ロズリン:好きな画家はいますか? 

 

古小路:人物画を描く絵描きさんが好きなんです。たとえば、モディリアーニとか。不思議な絵描きさんですよね、同じ絵ばかり描いているのに、とても魅力的。

あとは、形がユニークだったり、構図が面白い絵にも惹かれます。風景画でも静物画でも、何か惹かれるバランスがある。

 

ロズリン:小さいころは漫画を描いていたと言っていましたが、今でも漫画を描くことはあるんですか?

 

古小路:漫画は描かないですけど、憧れてはいます。たとえばスヌーピーみたいに、単純な線でさらっと描いているようだけれども何か訴えかけるものがあるって、いいですよね。

 

 

■これからも絵を描き続けていきたい

 

ロズリン:これから表現したい世界は?

 

古小路:ストーリーがある絵を描きたいという思いがあります。できるだけ、絵本の一部として成り立つような絵を目指して描いています。

 

ロズリン:絵本を描くのが夢なんですね。

 

古小路:はい。挿絵を描いたことはあります。子育てをテーマにした絵本です。クマの親子を描きました。

 

 

ロズリン:親しみを感じる絵ですね。

 

古小路:いずれにしても、いい絵を描きたい、それが目標です。実は今年、協会の大会に参加するためにバルセロナに行く予定だったんですが、体調を崩して行けず、絵も3ヶ月くらい描けない状態でした。最近、やっともとの生活に戻れたんです。

休んでいる間に、やっぱり自分はずっと絵を描き続けたいなという思いが膨らみました。障がいを負ってしまったけれど、絵があってよかった、描いてきてよかった。初心に戻って、これからも頑張っていきたいと思います。

 

 

【感想】

17歳という若さで重度の障がいを負ってしまったにも関わらず、「絵を描く」という目標をもって意欲的に活動をされている古小路さん。

協会に飾られている古小路さんの絵からは、人一倍の優しさとあたたかさが伝わってきました。これからも是非、色々な絵を描き続けてほしいですね。

わたしも古小路さんの絵を楽しみにしています!

 

プロフィール

古小路浩典さん

1963年、宮崎県延岡市出身。9才の時に父親の仕事の関係で岡山県倉敷市に移る。高校生のときに器械体操のクラブ活動中に頭から落下し、頚椎を損傷、全身麻痺に。退院後から職業画家について指導を受け、絵描きとしての活動開始。「口と足で描く芸術家協会」のメンバーとして、収入を得ながら1人暮らしをしています。



Profile

日本で人生の半分以上を暮らし、動物(特にネコ)と自然、最近はゴルフも愛する、心優しきオーストラリア人。
ワインなら何杯でも?いける口です♪

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