Interview

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ナレーター 高島由紀子さん 前編

現在、ナレーターとして様々な活動をしている高島さん。実はナレーターになるのは子供の頃からの夢だったそうです。彼女はどのように子供の頃からの夢をかなえたのか。そしてどんな風に今も努力を続けているのかを伺いました。

 

 

【前編】

●子供の頃、ドキュメンタリー番組が好きだったのがきっかけ

 

ロズリン : その節は、アパガードプレミオが殿堂入りになった記念動画のナレーションをしていただき、ありがとうございます。と

ても自然な感じでやっていただき、よかったです。

 

高島 : 気に入っていただき、ありがとうございます。

 

ロズリン : お仕事の肩書の名称は「ナレーター」でいいですか? アナウンサーとか、いろんなお仕事をされているようなので。

 

高島 : はい。アナウンサー出身なのですが、現在は司会、ナレーター、番組アシスタントなど様々な仕事をやらせていただいています。でも、私が子供の頃から一番なりたかったのがナレーターなので、自己紹介の時は、そういわせていただいています。

 

ロズリン : そうなんですね。子どもの頃からなりたかったというのは、どんなきっかけですか?

 

 

高島 : 小学校の頃、NHKスペシャルなどドキュメンタリーを見るのが好きだったんです。あぁいう番組ってナレーションが入りますよね。番組を感動的に盛り上げる。それに感動して、自分もこういう仕事につきたいと思いました。当時は、ナレーターという仕事があるという具体的なことはわかっていませんでしたが。

 

ロズリン : 親御さんや親戚にそういう関係の方はいたんですか?

 

高島 : いいえ。だからなり方とか全然わからなくて。中学校の先生に相談したら、一番近いのはアナウンサーじゃない?といわれ、では、その道にいってみるかと、その時決めました。

 

ロズリン  道というと、具体的な方法があるんですか?

 

高島 : まず女子アナは採用の時、四大卒が条件なので、とりあえず大学には行こうと。

大学2年生の時には、情報収集と受験対策のためにアナウンサー養成の専門学校にも入りました。

 

ロズリン : 専門学校はあるんですね。その学生数は何人くらいですか?

 

高島 : 1クラス30人ぐらいで、それが何クラスかあります。9割が女性で、いろんな学校から集まっているので、楽しかったです。とはいっても競争相手ですけど。

 

ロズリン : こうしてお話していても、高島さんの日本語はとてもきれいですが。学校では発声練習から行ったのですか?

 

高島 : どちらかというと、アナウンサーになるための受験対応がメインで、発声は多少やりましたが、しっかりとした訓練はしませんでしたね。ロズリンさんの日本語こそすばらしいです。英語が母国語の方は、日本語の発音がきれいだと聞いたことがありますが。

 

 

ロズリン : 実は私自身、オーストラリアにいた子供時代、オーストラリア訛りにうちの母はコンプレックスがあったんです。隣にスピーチの先生がたまたま住んでいたので、母が通わせてくれ、きちんとイギリス的な発音をできるようになったんです。もしかしたらそのことで、私は色々な言語を習得できたのかもしれません。

 

高島 : すばらしいですね。

 

ロズリン : 学校からは、何人アナウンサーになれたんですか?

 

高島 : 私をいれて2人です。もう1人の方は日本テレビへ就職しました。

 

ロズリン : やはり厳しい世界ですね。

 

高島 : 主要なキー局を落ちたところで、就職活動をやめる方もいますからね。私はキー局に落ちてもあきらめず、とにかくどこでもいいからアナウンサーになりたいと思っていたので、地方のテレビ局やラジオ局を受け、全国行脚の旅に(笑)。その途上でラジオ福島に受かったので、そこで受験を終えました。

 

●ラジオ局でアナウンス以外、さまざまな仕事を経験

 

ロズリン : ラジオ福島というと、移転することになったんですね。

 

高島 : はい。東京から福島に行きました。地方のラジオ局は、いつも少ししか新人をとらないのですが、この年は5人採用があり、同期はみな社宅にすみ、心強かったです。

知り合いが誰もいない土地でしたが、同期がいることが助かりました。地方局は常に人出不足で、アナウンサーで採用されても、しゃべる仕事だけでなく、ディレクターの仕事から現場、編集作業と放送に関わることはみんな自分でやるので、最初は大変でした。

 

ロズリン : でもそのほうがおもしろかったでしょう。

 

高島 : はい。いろいろなことをさせていただきました。

ニュース番組からマラソンの中継まで。長く番組を担当していたので、地元の名物おばあちゃん、農家や工場勤めの方など、福島のラジオ局でアナウンサーをしていなければ会えなかった様々な方にお会いすることができ、貴重な体験でした。

 

 

ロズリン : ラジオのアナウンサーは、姿が見えないですね。テレビのアナウンサーとは特に違うところはどういうところですか?

 

高島 : テレビ局のアナウンサーは顔を認知されているので、例えば外で飲んでいるときでもみんな気を遣っていますが、私はその点、気楽でした(笑)。

仕事での違いはいろいろありますが、まず圧倒的に違うのは、ラジオは「画」を見せられないこと。そこにあるものを伝える時に、聴取者の方がイメージできるような表現で、自分で説明しないといけないところです。花を伝えるにも、菊だとみなさん知っていても、それがもし葡萄の花であればどんな花だか、説明しないと想像できませんから、一生懸命形を伝えます。そんなところが難しいし、やりがいのあるところでした。

 

ロズリン : そのいろんなお仕事をする中、思い出深いものはなんでしたか?

 

高島 : 福島には、日本一長い桜並木があるんですが、それにちなんだ「桜文大賞」という中高生向けの作文のコンテストがあるんです。その作品を朗読する機会をいただいたのが、とても楽しかったし、私自身の望む仕事に近かったので、やりがいがありました。局のディレクターが、私の希望を知って、番組中の私のコーナーでやらせてくれたんです。

 

 

ロズリン : ストーリー性のある文章は表現がむずかしいでしょうね。

 

高島 : はい。その時、ディレクターさんのオーダーになかなか対応できなくて。思い入れのある文章をきちんと表現できていないんじゃないか、もっとできるんじゃないかと。自分には圧倒的に表現力が足りないとこの時に自覚したんです。とても楽しいお仕事だったから余計にそう感じました。でも、作文を書いた方に朗読のテープをお送りし、とても喜んでいただいたのは良い思い出です。

 

ロズリン : ラジオ福島にはいつまでいらしたの?

 

高島 : 4年間いました。かなり体力的にもきつかったので、無理がでまして。東京に戻ってきました。

 

ロズリン : それから現在までの活動について後半で教えてくださいね。

 

 

【高島由紀子さんプロフィール】

東京都出身。2000年、ラジオ福島にてアナウンサー職で入社。中継やナレーション、インタビュー、一人喋りなど、幅広く活動する。2004年に俳協への転籍をきっかけに、舞台にも出演。2008年よりアクロスエンタテイメント所属し、現在に至る。趣味は、着付け・トレイルランニング・狂言。

 

 


ヴァイオリニスト 宮陽江さん 後編

 

スイス・ジュネーブを拠点に、国際的に活動するバイオリニスト、宮陽江さん。
子供の頃からバイオリン一筋。思春期の頃も今も、気が付くとクラシックの作曲家のことで頭がいっぱいになっているという筋金いりの音楽家。彼女のバイオリン人生と、音楽への思いを伺った。

 

【後編】

●総合芸術を目指し、衣装も公演のテーマにあわせて作る


ロズリン : 芸術家の方は、その作品だけではなく、作品を創りあげていくその姿全体がすでに芸術だと思っているんです。たとえば100歳をとうに超える美術家の篠田桃紅さん、彼女が墨をすり、大きな紙の上で描く。彼女の立ち居振る舞いのすべてが芸術で、素晴らしい。ですから、さきほど宮崎さんが公演は演奏だけではなく、総合芸術を目指しているとお聞きして、非常に共感しました。演奏する女性は衣装も非常に大切ですよね。


宮 : そうなんです。実は私の衣装は以前、ロズリンさんのこのブログにも登場されている、ウェディングドレスデザイナーの花嶋千賀さんが担当してくれているんです。
彼女と出会ったのは10年以上前になります。当時の私は、自分の演奏や公演ごとのテーマに必要な衣装を探し、いろんなお店や人にコンタクトをとって探したのですが、ぴんとくるものがなくて。ある日、美容院で雑誌を見ていた時に、彼女の作品を見て、「あ、この方だ」と。すぐに彼女のアトリエに電話をさせていただき、飛び込みで突撃したんです(笑)。
それ以来のおつきあいで、公演のたびにテーマからご相談し、作っていただいています。


ロズリン : 彼女の衣装は本当に素敵ですね。宮さんのコンサートに伺った時の衣装も、とても印象に残っています。音楽もドレスもとてもドラマティックだった。


宮 : ありがとうございます。よく生地からこだわって、織元までいって作っていただくんですが、ロズリンさんが来てくださった時の衣装もそう。結んでいた5色のリボンは絽の着物の生地で、五泉駒絽という絹を、そのために織っていただいたんです。透け感や太さなど細かいところまで非常にこだわりました。


ロズリン : それほどこだわって作っていたのですか。本当にすごいですね。
総合芸術という意味では、衣装のほか、やってみたいことはありますか?


宮 : はい。いずれバレリーナの方と舞台で共演したいと思っています。


ロズリン : おもしろそう。ぜひ見てみたいです。


●今年はバロックのコンサートにチャレンジする予定

 


ロズリン : 話はかわりますが、舞台の上で大失敗したことや、ネズミが舞台を走ったみたいな、ハプニングが起きたことはありますか?


宮 : ネズミには会ったことはないですが(笑)、本番の前に通しで練習する「ゲネプロ」で、2回弦が切れてしまったことがあります。1回切れることはたまにあるので、サブのバイオリンを持って行っていますが、この時は一度バイオリンを変えたら、また切れてしまって。ちゃんとメンテナンスもしていたし、時期も悪くなかったんですが驚きましたね。本番ではなく助かりました。


ロズリン : それが本番だとどうするんですか?


宮 : オーケストラとの共演の場合は、コンサートマスターの方からバイオリンをお借りして弾き続けることになりますね。


ロズリン : それは大変(笑)。弦は自分ではるんですか?


宮 : はい。予備で少し使い込んだものを持ち歩いていて、それをはりますね。


ロズリン : そうなんですね。私がステージを見ていて危ないと思うのが、楽譜。まとまって何ページかめくってしまったりしないのかしらとか(笑)。そういえば、この間知ったんですが、今度、演奏中の楽譜も、タブレット端末でできるようになるそうですね。合理的ですが、電波の状態とかフリーズしたりしないんですかね。

 

 

宮 : 足で操作するようですけどね。どうなんでしょう。楽譜といえば、一度ハプニングありました。基本的に暗譜しているのですが、楽譜は万が一の時のためにおいているんですね。ある無伴奏の大変な難曲で、メロディーが途切れない⾧い曲を弾く際、5枚ぐらいつなげた⾧い楽譜を作って、それを公演の際にスタッフが譜面台に置いてくれたのですが、演奏開始後に何か変だなと思ったら、上下が逆さだったんです。「あ、もうこれは見てはいけない」と。(笑)

そのまま暗譜で弾き切りましたが、あの時は弾きながらとてもびっくりしました。


ロズリン : それは恐ろしいです・・・ちなみに、宮さんは作曲もされますか?


宮 : はい。朝目覚めたときに聞こえてくる音をかきとめ、作曲しています。CD も出させていただいてるんですよ。


ロズリン : 聞いてみたいですね。教えることにも興味はありますか?


宮 : 大好きです。実はスイスで教育過程をとったので、ディプロマを持っているんですよ。でもツアーで移動していることが多いので、責任を持って生徒さんを見ることは今はまだできないので、いずれやらせていただきいと思ています。


ロズリン : バイオリンのほかに趣味はありますか?


宮 : すべてのことが音楽に結びつくというか、バイオリンが趣味と実益をかねているというか、音楽に浴することに常に飢えているので弾かないと干からびちゃうんです。


ロズリン : 練習は多い時はどのぐらいされますか?


宮 : 時間がとれる時は16時間とか。弾いていない時も、その時に取り組んでいる作曲家のことで頭がいっぱいです。思春期の頃も、ベートーヴェンの曲を弾いている時は、彼の耳が聞こえなくなったことで頭がいっぱいになったりしてましたね。なんというか、クラシックのおじさまたちのことが、昔も今も常に頭にある感じです(笑)。ワインを飲んでいても、彼らはどんなワインを飲んでいただろうなどと気になって仕方ないです。

 


ロズリン : 本当にバイオリンとクラシックがお好きなのね。


宮 : はい。あとは比較文化、という観点でも興味があります。私は今は日本人ですが、ヴァイオリンという楽器も元をたどると東洋の楽器から進化したもの。その意味では、異文化に見えつつも本質は同源なのではという考え方から、今後も音楽を通して、そこに流れるエネルギーと文化の本質を追求していきたいと思っています。


ロズリン : それはいいですね。今後はどんなことにチャレンジしたいですか?


宮 : 今年はバロックに取り組むコンサートを7月と12月に東京で行います。


ロズリン : バロックは大好きです。ある意味、バロックは完成された世界ですね。


宮 : はい。その通りだと思います。現代はバロックを演奏する人が増えていますが、一人ひとりがどういうバロックを弾くのか問いかけられている大変な時代だと思っています。一般にいうピリオド楽器は、モダン楽器との構造の違いから奏法も自ずと変わってきます。弦についてだけでも、今の弦はガットの表面にスチールが巻いてありますが、バロックのものはガットがむき出しですので、音が自然な生の音というか、牧歌的な親しみやすい音色になります。弓の形も違うし、ボディの構造も強度も仕様も違う。バロックを演奏する時にバロックバイオリンを使うかどうかは人によりますが、私は今どうしようかと考え中で、来ていただいてのお楽しみということになりそうです。


ロズリン : ぜひ伺いたいです。楽しみですね。

最後に一つ、質問します。私は猫が好きなんですが、宮さんは動物は飼ったりしてますか?


宮 : 家を空けることが多いので難しいですね。でも近所の親類が動物がとても好きで、おうちに犬や猫が必ずいる状況なので、私もそこにいくとかわいがっていますよ。


ロズリン : 今度ジュネーブに行くことがあったらぜひお邪魔したいです(笑)


宮 : ぜひ! お待ちしてます。

 

 

 

〜宮陽江さんコンサート情報〜

URL:http://www.yoe.jp/topics.html

 

■宮陽江 山口裕子  ヴァイオリンとハープ 響きあう弦〜名小品集〜 

 

[ 札幌公演] 2 0 1 8 年7 月6 日( 金)1 8 :3 0 開場/ 19 : 00 開演
六花亭札幌本店10 F きたこぶしホール


[ 旭川公演] 2 0 1 8 年7 月8 日( 日)1 4 :3 0 開場/ 15 : 00 開演
旭川 島田音楽堂

 

[帯広公演] 2018 年7 月10 日(火)18:00 開場/18:30 開演
とかちプラザ・レインボーホール

 

■宮陽江 バロックへの誘い〜調和と創意の試み〜 vol.1

[東京公演] 2018年7月24日(火)18:30開場/19:00開演
東京オペラシティ B1F リサイタルホール

 


【宮陽江さんプロフィール】
ニューヨーク州イタカ市生まれ、幼少期をパリにて過ごし、3歳よりヴァイオリンを始め
る。桐朋学園高等学校音楽科を経て、桐朋学園大学音楽学部演奏学科卒業。その間、堀正
文、山口裕之、江戸純子各氏に師事。同大学を卒業と同時に全額奨学金を得て米国タング
ルウッド音楽祭(小澤征爾監修)に参加。後、ジュネーヴ高等音楽院に留学、名匠ジャン=
ピエール・ヴァレーズ氏に師事。在学中、室内楽をガボール・タカーチ、モダン・バロッ
ク両楽器をハンス=ハインツ・シュネーベルガー氏の下で学ぶ。1997 年、同音楽院をプル
ミエ・プリ(一等賞)にて卒業。
これまでにスイス、フランス、スペイン、オーストリアなど、ヨーロッパ各地での演奏会、
国際音楽祭に多数出演、また、ソリストとして、札幌交響楽団、読売日本交響楽団、北東
ドイツ管弦楽団、スロヴァキアフィルハーモニー管弦楽団、デュッセルドルフ管弦楽団な
どと共演を果たす。現在は国内外問わず幅広く音楽活動を展開。音楽文化の普及・発展に
精力的に取り組んでいる。

【感想】
音楽をはじめとした芸術は、その作品自体が完成品というよりも、演奏するアーティスト
の生き様や表現している姿、そういったもの全てが作用しあう「総合芸術」になって初め
て完成するもの、という宮さんの価値観にとても共感しました。お酒を飲んでいるとき
でも作曲家や音楽のことを考えてしまう…という宮さん。日常生活のそういった小さな
こと全てが大きな舞台で表現され、素晴らしい演奏につながっているのだと思います。
7 月・12 月のバロックコンサートはわたしも是非伺いたいです。今後の宮さんのご活躍
を楽しみにしています!


ヴァイオリニスト 宮陽江さん 前編

 

スイス・ジュネーブを拠点に、国際的に活動するバイオリニスト、宮陽江さん。
子供の頃からバイオリン一筋。思春期の頃も今も、気が付くとクラシックの作曲家のことで頭がいっぱいになっているという筋金いりの音楽家。彼女のバイオリン人生と、音楽への思いを伺った。

 

【前編】
●無意識にバイオリンを弾くジェスチャーをした幼少期


ロズリン : お久しぶりです。前に伺った、サントリーホールでのコンサート、演奏だけでなく、衣装も含めてドラマティックなチャイコフスキーで素晴らしかったです。

 

宮 : ありがとうございます。演奏はもちろんですが、私は衣装も含め、総合芸術としてその公演ごとにテーマを設定し、作り上げていきたいと心がけているので、そこを感じていただけてうれしいです。

 

ロズリン : それは素敵ですね。今日はぜひいろいろなことを聞かせてください。
宮さんは今、スイスのジュネーブに住んでいらっしゃるそうですが、子供の時から海外生活が多かったんですか?

 

宮 : はい。父の仕事の関係で、生まれたのはアメリカ・ニューヨーク州で、一度日本に帰り、パリに6歳までいました。その後は大学卒業まで日本です。

 

ロズリン : バイオリンはいつ始められたの?音楽はご家族の方もやっていたんですか?

 

宮 : はい、母がアマチュアでピアノを弾いていて、祖母はお琴の名手でした。
バイオリンを始めたのは3歳の頃。当時、母は私にバレエや絵画教室などいろいろなものを習わせてくれていたんですね。そんな中、私がティッシュの箱を首にはさんでバイオリンを弾くようなジェスチャーをしたそうで。

「この子、もしかしてバイオリンをやりたいんじゃないかしら」と気付いた母が習わせてくれたんです。それ以来、どの写真をみても、私はバイオリンケースを持っています。

最初から本当に大好きで、なんというか、この楽器を持つのは初めてではないというか、まるで前世で弾いていたかのような、最初からなじんだ感覚だったことを覚えています。

 

 

ロズリン : それはすごいですね。演奏家になろうと思ったのはいつ頃ですか?

 

宮 : ずっと大好きで弾いていたので、自然な流れでしたが、桐朋女子高等学校音楽科に進学したことは大きいかもしれません、周囲もコンクールに出たり、海外に音楽留学する方が多かったです。

 

ロズリン : 桐朋女子高等学校・同大学を卒業した後は海外に出られた?

 

宮 : はい。幼少期をヨーロッパで過ごしたので、また戻りたい気持ちが強かったんです。

相談していた先生がパリ在住だったので「こちらにいらっしゃい」といわれた時はてっきりパリだと思ったら、なんとその先生はスイス・ジュネーブの高等音楽院で教えてらしたんです。でもそんな偶然でしたが、スイスにはとてもご縁を感じています。
当時、私はエルネスト・アンセルメというスイスの指揮者が大好きだったので、「スイスだ。アンセルメの国!」とうれしかったですし、その後、ジュネーブの室内管弦楽団に所属したのですが、スイスのフランス語圏、スイスレマン一帯にはまだアンセルメのカラーが残っていた気がします。なんというか、自然豊かな環境の中で生まれた音楽。たとえばレマン湖の透明感やきらめく光など、そういうところから育まれた音楽はとても美しいんですね。

 

ロズリン : ジュネーブはきれいな街ですね。ヨーロッパの各国にとても行きやすいという利点もありますし。

ソリストになってから、活動もしやすいのでは?

 

宮 : はい。ヨーロッパの国々を訪れることが多いので、確かに便利です。永世中立国だからかはわかりませんが、いろいろな国とバランスがよくて、自分の音楽を作る環境としては、とても居心地がいいんです。


●一夜の公演の音楽づくりはシェフがディナーを作ることに似ている。

 

 

ロズリン : 宮さんは舞台であがったりしますか?

 

宮 : ほとんどあがらないです。思春期の頃に、教えていただいたことを考えすぎて迷ってしまった経験はありますが。今は舞台の上は別世界。立った途端に別次元に入る感じです。クラシック音楽という文化の深さは、人類の歴史そのものだと思っていますので、ある意味、それを奏でることは人間である1つの証明だと私は思ってます。

 

ロズリン : バイオリンという楽器自体も貴重品だと思いますが、音楽自体貴重ですね。
造られてから何世紀もの歴史がある。同じ曲を何回も弾き、その日によってやはり表情が違ってくるものですか?

 

宮 : 公演だと、お客様が違うと返ってくるエネルギーが毎回違いますね。

 

ロズリン : それはたとえばどんな感じですか?

 

宮 : こうでなくてはいけない、ということはないんですが、たとえばスロヴァキアでコンサートを行った時のこと。ほかの西欧の国より比較的、同じ髪や肌の色など、人種的に同じ方たちが集まっていたんですね。スロヴァキアの民族的に共有してきた歴史があるのか、なんとなく、そこにいるだけでまとまっている感があり、そこに音楽のインパクトを加えることで、似たような空気感というか、エナジーみたいなものが伝わってくる感じですね。言葉でいうのは難しいですが。

 

ロズリン : なるほど。演奏は指揮者によっても変わってくるでしょうね。

 

宮 : そうですね。一期一会です。共同作業というか。日本語はおもしろくて、「共演」の「共」は、「競」や「響」でもあり、いろんな字がありますが、「狂演」にだけはならないようにしようと思っています(笑)。
指揮者と演奏者の関係は、たとえるとしたら一つのディナー。こういう新鮮な素材が入ったから、これをどう料理し、お酒は何を組み合わせようとか、シェフがいろいろ献立を考えてできた料理が、その日の音楽。その時の素材をどう活かして最高のものに仕上げるか作ることが醍醐味だと思います。

 

 

ロズリン : うちの会社は東京シンフォニアという弦楽器だけの室内オーケストラのスポンサーをしていて、公演前の合同練習を見学したことがあるのですが、いつも驚くことに、みんなであわせる練習は2日ぐらいしかしないんですね。プロとはいえ、すごいと思います。

 

宮 : かえって緊張感があっていいかもしれないです。練習時間がたっぷりあっても、だれてしまうことがありますからね。

 

ロズリン : なるほど。そういうものなんですね。

 

後編に続きます。

 

 

 

〜宮陽江さんコンサート情報〜

URL:http://www.yoe.jp/topics.html

 

■宮陽江 山口裕子  ヴァイオリンとハープ 響きあう弦〜名小品集〜 

 

[ 札幌公演] 2 0 1 8 年7 月6 日( 金)1 8 :3 0 開場/ 19 : 00 開演
六花亭札幌本店10 F きたこぶしホール


[ 旭川公演] 2 0 1 8 年7 月8 日( 日)1 4 :3 0 開場/ 15 : 00 開演
旭川 島田音楽堂

 

[帯広公演] 2018 年7 月10 日(火)18:00 開場/18:30 開演
とかちプラザ・レインボーホール

 

■宮陽江 バロックへの誘い〜調和と創意の試み〜 vol.1

[東京公演] 2018年7月24日(火)18:30開場/19:00開演
東京オペラシティ B1F リサイタルホール

 

 


NVUS Japan CEO Maneesh Kalraさん 前編

 

ヨガとは人と自然との「融合」。本当のヨガをたくさんの人に広めたい

1994年にカナダから来日。外資系金融会社のビジネスマンとして六本木ヒルズで働き、転勤で香港にも勤務。その後、思うところありインドでヨガを学び、今は東京・六本木のスタジオでヨガを教えているマニーシュさん。そもそもヨガとは何かというところからお話ししていただきました。

 

●自分より大きな存在と自分とのつながりに気づくことがヨガ

ロズリン:ヨガは大昔、オーストラリアで母とやっていたことがあります。地域の主婦の集まりに参加していたんです。体を動かしたりするのは楽しかったですね。でも、実はヨガのことはよくわからない。ヨガって、いったい何なのでしょうか?

 

マニーシュ:ヨガはインドから来たもので、サンスクリット語で「融合する」という意味の言葉です。何と何との融合かというと、本当の自分――つまり魂のようなものと、自分より大きな存在。自分より大きな存在というのは、神さまを信じているなら神さま、あるいは自然とか宇宙とか、そういったもの。自分がそこにつながっているということに気づくことがヨガなんです。つながることが目的ではないんです、気づくことが目的なんです。ここが大事。

 

 

ロズリン:すでにつながっているからですね。

 

マニーシュ:そうです。でも、人間は自然から離れたことで、自分がそういう存在だということを忘れてしまっています。

ちなみに、インドの「ナマステ」という言葉は、英語では「ハロー」、日本語では「こんにちは」などと訳されるけれど、直訳すると「私の中にある光はあなたの中の光と同じものです」という意味。すべてのものはつながっているという考え方は、インド古来のものなんです。

 

ロズリン:深いですね。

 

●心と体を落ち着かせるためにポーズや呼吸法がある

マニーシュ:ヨガというと、柔軟性に富んだアクロバティックなポーズや呼吸法、瞑想などのイメージがあるようですが、それらは実は道具に過ぎなくて、本当の目的は「融合」なんです。自分より大きな存在とつながっていることを感じながら、ありのままでそこにいる。そのための修行というか練習が、ヨガのポーズや呼吸法なんです。でも、最近のヨガはダイエットとか美脚とかに目的がずれてしまっている。それがとても残念ですね。

 

ロズリン:ありのままでそこにいる、とはどういうことですか。

 

マニーシュ:ただじっとしているだけでもよいのですが、人間は何もしないで体や心を落ち着けていることができないのです。体はそわそわし始めるし、心にはすぐに雑念が湧いてくる。とくに現代人にとっては難しいですね。少し前の時代だったら、ぼーっと夕日を見ていることもあったと思うのですが、いまはそんな時間があったら、すぐに携帯をいじってしまうでしょう? そこで、ヨガのポーズを利用するんです。ポーズを取ることに集中すると、心から雑念が取り払われる。

 

 

ロズリン:その状態が、ありのままということですね。

 

マニーシュ:そうです。そのうえで呼吸法を利用して、気や生命力を高めます。そうすれば本来、自分が自然に持っている力をもっと伸ばしていくことができます。

 

ロズリン:マントラも使いますか? 

 

マニーシュ:流派にもよりますが、しばしば使いますね。マントラは、日本でいうお経のようなもの。音には、人の心を落ち着かせる力があるのです。

 

ロズリン:ということは、どんな音楽でもいいの?

 

マニーシュ:コンサバティブな人は「本場のマントラでないと」と言うかもしれませんが、個人的には、その人に合っている音楽ならいいと思いますね。実際、ジャズでもどんな音楽でも、聞いていると時間を忘れてしまうということがあるじゃないですか。それはヨガの状態と同じなんですよ。

 

ロズリン:たしかにそうですね!実はヨガは生活ととても密着していたんですね。

 

それでは後編では、ヨガとの出会いや現在のレッスンについてお聞かせください!

 

 

【Profile】マニーシュ・カルラ

カナダの大学にて薬理学を学んだ後、経営学を学びMBAを取得。大学院卒業後は、金融機関に勤務し、アジアや東京でVice Presidentを務める。その後、中小企業を中心に、新規事業の開拓や海外展開、マーケティング、経営計画や危機管理等、多岐にわたる分野におけるコンサルタントとし約20年経験を積む。現在は化粧品や環境テクノロジー、物流、健康等の企業に対して、経営計画や海外マーケット進出のアドバイスをする傍ら、インドの就学児童を増やすことを目的としたチャリティー・Yoga Gives Backの活動をアンバサダーとして支援する。


銭湯ペンキ絵師 田中みずきさん 後編

 

現在日本に3人しかいない銭湯ペンキ絵師の田中みずきさん。銭湯の数が減るとともに、銭湯ペンキ絵師の数も激減。今や、70代・80代のベテラン絵師と、若手の田中さんのみが銭湯の壁のペンキ絵を描き続けている。なぜその仕事についたのか。銭湯のペンキ絵はどのように作るのか? 貴重なお話を伺いました。

 

(後編)

 

●銭湯のペンキ絵は銭湯の定休日一日で仕上げる。

 

ロズリン:銭湯の絵は何時間ぐらいで仕上げるんですか?

 

田中:銭湯がお休みの日で仕上げないといけないので、大体10時間ぐらいで終わるようにがんばっています。お休みの日で終わらないと、銭湯の一日の売り上げが減ってしまいますからね。

 

ロズリン:それは忙しいですね。銭湯の絵は富士山が多いですが、それは銭湯のご主人が希望されるのですか?

 

田中:そうですね、約9割の方が富士山を希望されます。だから、いろんな方角のものを描くようにしています。静岡県側から、山梨県側から。また朝日をあびた明るい富士山などバリエーションも考えます。ご主人が好きなことを組み合わせることも多いですね。故郷の風景とか趣味とか。

 

 

ロズリン:残りの1割はどんな感じですか?

 

田中: 銭湯店主の故郷や地元の風景のほか、趣味が反映されることが多いです。ゴルフの好きな方はゴルフ場とか、ペットのわんちゃんとか。桜のようなお花をいれることもあります。本来、銭湯の絵は季節感を出さないものなんですが、基本的にはご希望に沿ったものを描きます。

 

ロズリン:お任せします!といわれて、好きなものを描くことはありますか?

 

田中:それはほぼないです。銭湯の絵は、自分の個性を出しても、自分の表現をする場ではないと思っていますので、お任せしますといわれても、ご主人にお話しを伺いますね。前にどんな絵があったのか、その銭湯は何をモチーフにしているのか、どんな場所なのか。そこに空間があるというのは、何かそこのコンセプトがあるはずなので、建築やその場の歴史などいろいろリサーチしてご提案します。

いずれにしても、ご主人に事前にイメージを見てもらうため、富士山の時も簡単な構図を事前にお見せするようにしてます。

 

ロズリン:それはいいですね。今はどうやってお仕事がきているのですか?

 

田中:私は電話番号をいれたブログを行っているので、そこで見て電話をくださったり、お仕事をした方からの紹介であったり。ありがたいことに、自分で営業をしたことがないんですよ。

 

ロズリン:それはすごい。絵はもともとある絵の上から塗るんですか?修復をすることもあるのですか?

 

田中:場所によって、絵の傷み具合は違いますが、基本的に修復はやらず、直接上から新しい絵を描きます。

 

ロズリン:行ってみたら、ものすごい素晴らしい絵があることもあるでしょうね。

 

田中:あります。そういう時は本当にもったいないですが、撮影して記録を残してから作業します。銭湯のペンキ絵の場合、湿気が多いし、書いてある場所の材質によっては、2,3年で傷むんです。だからしょうがないんですけどね。自分が描いた絵の上に書き直すのはさっさとやりたいけど、昔の良い絵や描かれた方がなくなっていたりすると、ペンキ絵の宿命とはいえ、本当に残念な気持ちです。

 

 

 

ロズリン:実際にどんな風に銭湯で描くのですか。たとえば洋服は?

 

田中:洋服はいつも作業用の長袖のTシャツとワークパンツです。まず足場を組んで、ペンキが付かないように下にはブルーシートをひき、マスキングテープで間を埋め、ペンキのにおいで酔わないように、窓は全開。そして事前に作っておいた構図にそって、今ある絵の上から描いていきます。

 

ロズリン:前の絵があると難しくないですか?

 

田中:いえ。富士山が多いですが、せっかく描き直すのならば違う絵にしたいので、同じ富士山でも、元の絵にあった位置から場所を変える際、前の絵があったほうがやりやすいです。

とにかくキャンバスが大きいので、近くで描いたら、ちょっと離れて全体を見て、の繰り返しです。一日描き続けるのには、ものすごく体力がいります。途中で血糖値が下がって足がつってきたりするので、飴をたべて血糖値をあげて描き上げます。

 

ロズリン:本当に体力がいりそうですね。ペンキを運ぶのも大変じゃないですか?

 

田中:現在は、夫が便利屋をやっていて現場に同行してくれるので、車で荷物を運んで、足場も組んでくれたりと、とても助かっています。

 

 

●旅館のお風呂、地域おこしなど、ペンキ絵のオファーは広がっている。

 

ロズリン:それはいいですね。今、どのぐらいのペースで描いているのですか?

 

田中: 月に4,5件ですね。最近は銭湯以外にペンキ絵を描く仕事のオファーをいただいています。

 

ロズリン:どんなところに描くのですか?

 

田中:東京オリンピックを見据えて、旅館のお風呂に描いたり、個人のお宅での注文などいろいろです。

 

ロズリン:やってみたいことはありますか?

 

田中:はい。実はお子さんたちと、その地域の銭湯の壁画を一緒に描きたいんです。自分の絵がある銭湯に入るのって、すごくいいんじゃないかと。

 

ロズリン:いい考えですね。楽しそう。

 

田中:過去には、子供たちと板の上に描いた絵を飾ったことはあります。銭湯を日常的に使う人は若い世代には減っていますが、広いお風呂に入る気持ちよさが好きで行く方や、ドラマで見て行ってみたいと思う方も増えているんですよ。また日本各地の銭湯で、地域おこしのために、その土地の風景や、昔壁に描いてあった絵をモチーフにしたりと、ペンキ絵があちこちで復活しているんです。銭湯に注目が集まり、行く方が増えれば銭湯文化も続いていくので、いろんな面で良さを伝えていきたいです。

 

ロズリン:田中さんのお仕事の責任も大きいですね(笑)

銭湯ペンキ絵師のやりがいはどんなところにありますか?

 

田中:描き終わって、ご主人が笑顔で、よくなった!と言ってくださったり、銭湯のお客様たちが、入浴しながら「この絵変わったのね」といいながら、その話でもりあがってくださったりするのを見ると、とてもうれしいです。銭湯の絵って、ご主人からお客様まで、銭湯という場所に関わる全てのかたのものなんだと実感しています。

 

 

 

ロズリン:今でも銭湯に行くことはあるんですか?

 

田中:ありますよ。本来銭湯はリラックスしにいくものですが、私の場合、自分の絵がある場所なら、みんなの反応をうかがってしまいますし、他の方の絵があるところだと、「なるほどこうなっているのか」と観察しているので、一人だけ険しい顔をしているかもしれません(笑)

 

ロズリン:それは大変ですね(笑)。これからも日本の銭湯文化を盛り上げて、銭湯ペンキ絵師も更に増えるように、がんばってくださいね。

 

田中:はい。日本特有のこの文化がこれからもずっと続くようがんばります。

 

 

【感想】

日本で3人しかいないという銭湯ペンキ絵師。そのなかで田中さんは最年少でありながらも、ご自身の銭湯ペンキ絵師としての役割をしっかりと認識し、文化の継承者であるという責任感をひしひしと感じました。私も留学生時代から銭湯にはなじみがあったので、通っていた場所に描かれていた絵を思い出しながらお話を聞いていましたが、ペンキ絵は銭湯に関わっている全ての人のものという一言にはとても共感しました!生活のワンシーンとして、いつまでも思い出の中に残るものですね。

これからも挑戦を続けられる田中さんの今後に期待しています!

 

 

<田中みずきさん>

1983年大阪生まれの東京育ち。明治学院大学で美術史を専攻。在学中の2004年に銭湯ペンキ絵師の中島盛夫さんに弟子入りして修行を始め、2013年に独立。同年、便利屋を営む駒村佳和さんと結婚。現場では、駒村さんに足場を組んでもらうなど2人で協力して仕事をする。現在は銭湯をはじめ、個人宅、店舗や介護施設など全国各地のさまざまな場所でペンキ絵を制作。銭湯の魅力を伝える活動にも力を入れている。ブログ「銭湯ペンキ絵師見習い日記」http://mizu111.blog40.fc2.com/blog-entry-649.htmlを逐次更新中。

 


銭湯ペンキ絵師 田中みずきさん 前編

 

現在日本に3人しかいない銭湯ペンキ絵師の田中みずきさん。銭湯の数が減るとともに、銭湯ペンキ絵師の数も激減。今や、70代・80代のベテラン絵師と、若手の田中さんのみが銭湯の壁のペンキ絵を描き続けている。なぜその仕事についたのか。銭湯のペンキ絵はどのように作るのか? 貴重なお話を伺いました。

 

 

●銭湯の壁のペンキ絵に魅せられて

 

ロズリン : 銭湯ペンキ絵師とは、とても珍しい職業ですね。

 

田中 : はい。現在、日本で専門的に銭湯の壁に絵を描いているのは私を含めて3人です。

 

ロズリン : そんなに少ないんですか。それは貴重な職業についていますね。

実は私、銭湯大好きなんです。だから、今日はお逢いできるのがすごくうれしくて。

 

田中 : こちらこそうれしいです。銭湯の壁のペンキ絵は、明治、大正の頃、絵の横に広告を入れることから始まったそうで、昔は歯みがき剤の広告はとても多かったと聞いています。だから、今日は私もご縁を感じています。

 

ロズリン : 確かにそうです。

私は若い頃、留学生として日本に来て、アパートで独り暮らしを始めた時、お風呂がなかったので、同じアパートの留学生が近くの先頭に連れて行ってくれたんです。最初は、銭湯の前でおじけづいて、入れなかったのですが、通りかかった地元のおばさんが「どうしたの?」と聞いてくれて。彼が「彼女初めて来たので、恥ずかしがってるみたいなんです」といったら、おばさんは「あら!私と一緒にどうぞ」といってくれたんですね。一度入ってみたら、すごく気に入って、それから大好きになったんですよ。夜遅くに行くと、商店街の奥様たちが仕事を終えて集まり、いろんな話をして、背中を流し合って。彼女たちの楽しい時間がこれから始まるという雰囲気が楽しくてね。私も一緒に話をしましたが、そういう銭湯の文化みたいなものがすごく好きです。

 

 

田中 : 銭湯だけで会える人というのもいるんですよね。名前も何も知らないけど、同じ時間に来るので「今日は寒いね」とか、軽い会話はする。そういう少し不思議な関係が生まれる場所でもありますね。

 

ロズリン : 外国の友人が日本に来た時は、温泉をお勧めしますが、時間のない時は、銭湯に連れていくんです。みんなやはり最初は戸惑って「私はいい」というんですが、入ると気持ちよくて、好きになっちゃうんですよね。田中さんは、小さい頃から銭湯に行っていたんですか?

 

田中 : いえ、実は幼い頃は行ったことがなくて。大学の時に、あることがきっかけで銭湯に興味を持って行ったのが最初です。

 

ロズリン : そうなんですか。そのきっかけとは?

 

田中 : 大学で美術史を専攻していて、何を卒論のテーマにしようかと考えた時、横尾忠則さんや福田美蘭さん、束芋さんといった好きなアーティストが、いずれも銭湯をモチーフにした作品を作っていたんです。

それで行ってみたら、はまってしまって。それまで私はインタラクティブアートという、現代美術が好きだったんですね。それは見る側からの働きかけがあることによって完成する作品です。初めて銭湯にいった時に、お風呂から湯気がもくもくと上がっていて、それが壁画の富士山に描かれている雲と重なって。大きな湯船につかり、ほかのお客さんと絵を眺めながら、ゆらゆら揺れるお湯に身を任せていると、なんだかその絵の中に、自分がはいっていくような不思議な感覚がありました。その感覚がおもしろくて、銭湯の壁画を見ることにはまったんです。都内の有名なペンキ絵がある昔ながらの銭湯を回り、カメラで記録もさせていただくようになりました。

 

ひだまりの泉 萩の湯(台東区)玄関前襖

 

●この文化をなくしたくなくて、師匠に頼み込んで弟子入りした

 

ロズリン : 銭湯の絵の撮影は、営業時間中は自分も裸だし、大変そうですね。

 

田中 : はい。何回か通って事情を話して営業前に撮影させていただくことが多かったです。閉店してしまう店は撮影を断られてしまうことも多かったのですが、粘り強く通って、なんとか資料に残すことができました。

 

ロズリン : それはよかった。美術館に残す絵と違って、銭湯の壁画は閉店すると、こわしてしまいますものね。 そもそも絵は子供の頃からお好きだったのですか?

 

田中 : はい。小さなころから大好きで、美術部にも入っていたし、美術館に行くのも大好きでした。美大に行こうとデッサン教室にも通ったのですが、結局美大には行かず、大学では美術史を学びました。

 

ロズリン : でも後悔してないでしょ? 絵は自分でも描けるけど、研究はなかなか一人ではできないですものね。

 

田中  はい。教授から、美術史として論ずるためにどんな視点や文献があるか、また調べ方などを教えていただき、とても貴重な経験をしたと思います。

 

ロズリン : 銭湯ペンキ絵師になることを決めたのは?

 

田中 : 銭湯のペンキ絵のおもしろさにはまってから、銭湯の数が減るとともに、絵師の数もとても減っていることがわかったんです。当時も3名しか日本にいなかったんですね。銭湯自体、1960年代には東京だけで2600軒以上あったのに、現在は700軒以下になるほど減ってしまっていて。それで、この文化をなくしたくない思いが募り、ベテラン絵師の中島盛夫さんに学生時代から弟子入りしたんです。

 

 

ロズリン : どのぐらいの期間弟子入りでしたんですか?

 

田中 : 約8年ですね。

 

ロズリン : 師匠は弟子がきて喜んだのでは?

 

田中 : いや、やっかいな奴がきたと迷惑だったんじゃないでしょうか最初は断られたんですが、何度もお願いにあがり、食べていけるかわからないから、就職もすることを条件にようやく受けていただきました。それで、一度企業に就職をして、土日だけ師匠について修行したのですが、体を壊しまして。そこで会社をやめ、バイトしながら修行しました。

 

ロズリン : どのように学んでいったのですか??

 

 

田中 : 師匠は見て技を盗め、というスタンスの方だったので、とにかく師匠を見て、動き方を覚えるところから始めました。大きな壁に描くには、どこから手をつければいいのか、さっぱりわかりませんので。時間配分は、師匠の動きを見て覚えようとしましたが、これが難しかった。いろんな現場を経験することで慣れるしかないんですね。最初のうちは、単色で塗れる空を描いていき、次に雲を描かせて頂きます。その後、遠くに見える松だけとかちっちゃい部分を描かせてもらい、それを師匠がまた直して下さるという感じで、試しに全部描かせてもらうようになったのはようやく7年目でしたね。

 

ロズリン : 大変ですね。そこで独立したわけですね。

 

 

引き続き、後編でお話お聞かせください!

 

 


クリエイティブディレクター エミ・シェマーさん 後編

アイデアパーソンとして仕事に生きる日々

 

 

ロズリン : 今は、具体的にはどんなお仕事を?

 

エミ : 簡単に言えば、クリエイティブディレクターですね。たとえば、時計を作っている会社と組んで、新しいコンセプトの時計をプロデュースしたり。最近は、工務店と組んで、住宅の新しい売り方を考えています。例えば、車を買うときに試乗するでしょう? 同じように住宅もテストドライブしたらどうか? と。実際に住んでみて、設計に生かしていく「体験設計」のアイデアを形にしようとしています。

 

 

ロズリン : 面白いですね! 

 

エミ : なんでも「経験」って大事だと思っていて。アパガードもそう。自分が使ってみて「いい」と思ったからこそ、自信を持ってwebサイトで紹介できたんです。

 

ロズリン : 新しいアイデアはどんなときに湧いてきますか。

 

エミ : お風呂に入っているとき、歯をみがいているときなどに「あ!」という感じが多いですかね。

 

ロズリン : お仕事が好きなんですね。飽きてしまうことはない?

 

 

エミ : ないですね。クリエイティブの仕事は人ありき。同じ商品の紹介でも、10代向けとワーキングウーマン向けではアプローチの方法が全然違いますし、退屈に感じたことはありません。

 

ロズリン : たしかにクリエイティブワークは刺激的ですよね。では、ルーティンワークは苦手?

 

エミ : そうでもないですよ。けっこう早起きなので、朝起きたらヘルシーな朝ごはんを食べ、運動をして、会社に行って、と同じことの繰り返しでも「さあ、やりましょう!」と。

 

 

自然、温泉、わびさび。日本の文化が大好き!

 

 

ロズリン : 忙しそうですね。睡眠はしっかりとれていますか。

 

エミ : 必ず6〜7時間は寝るようにしています。でないと、こういったエネルギッシュな生活は無理。遊びの時間や友だちとの時間を削って、睡眠時間にあてています。

 

ロズリン : オフは何をしていますか。

 

エミ : おいしいものを食べに行ったり、買い物をしたり。あとは、自然が大好きなので、時間があれば水上温泉とか南房総、御宿などに行って、散歩したり海で泳いだりしています。自然の中だと落ち着くのは、カナダのルーツかな。たまに東京から出てリフレッシュしていますね。

 

ロズリン : 温泉は好きなんですか。

 

エミ : 大好き! 

 

ロズリン : 私も大好き。オーストラリアには温泉がないので、最初は人といっしょにお風呂に入るのには抵抗がありました。でも、慣れてしまえば全然!学生時代は銭湯に通っていましたし。オーストラリア人の友だちが遊びに来たときに連れて行ったら「恥ずかしくて入れない」なんて言っていたけれど。

 

 

エミ : 慣れていないとね。でも、私は大丈夫です。

 

ロズリン : 温泉のほかに、日本の文化で好きなものはありますか。

 

エミ : わびさびの文化が好きです。派手ではなく、着物の裏地にちらっと鮮やかな色味が見えるような、そういった美の扱い方がとてもいい。花も、どんとゴージャスに活けるのではなく、一輪をシンプルに魅せるとか。お料理にしても、見た目をとても大事にしている。アートもフードも人を喜ばせることを考えているなと感心しますね。

 

ロズリン : 今後、これまでにやったことのないことでやりたいことはありますか。本を書くのはどう?

 

エミ : 本、書けたら嬉しいですね。チャンスがあればやりたいです。女性のインスピレーションやモチベーションの本。実は母が作家だったんです。

 

ロズリン : それならばぜひチャレンジして欲しいです。

 

エミ : はい! 頑張ります。今は会社に所属していますが、いずれ完全に独立して、いろんなことに挑戦していきたい。35歳くらいまでに次のキャリアステージに行きたいですね。

 

ロズリン : 応援しています。

 

 

<感想>

とてもイキイキとご自身のキャリアについてお話くださったEMIさん。最初は苦労もされたようですが、ビジネスセンスとアイデアを発揮しながら日本で活躍される姿に、私もパワーをもらいました!

今後は独立し、クリエイティブディレクターの他に出版などにも挑戦してみたいとのこと。EMIさんのますますの活躍を応援しています!

 

 

 

【プロフィール】

Emi Schemmer

カナダ・トロント生まれ。父はドイツ人、母は日本人。カナダでグラフィックデザインやマーケティングの分野でフリーランスとして仕事をした後、23歳で渡日。東京で仕事を始める。現在、クリエイティブディレクター及びビジュアルスタイリストとして、ファッション業界を中心に活躍中。


クリエイティブデイレクター エミ・シェマーさん 前編

「日本文化の美の扱い方が大好き!」なクリエイティブディレクターが語る仕事と夢

 

 

カナダから単身日本へ! 現在、広告代理店に籍を置きながら、フリーランスとしても活躍するエミ・シェマーさん。自身のwebサイト上にアパガードの商品を紹介したことが縁で今回、対談が実現しました。

 

母のルーツを知るために、単身日本へ

 

ロズリン : webサイトでアパガードの商品を載せていただき、どうもありがとうございます!「うちの商品が紹介されている」と聞いてサイトを拝見したら、実に的確に説明くださり嬉しかったです。それで、ぜひお会いしたくて、今日はこちらに来ていただきました。

 

 

エミ : ありがとうございます。何か良いものを見つけたら必ず友達に知らせて、シェアしたいです。

 

ロズリン : エミさんは、日本人じゃなくて?生まれはどこですか?

 

エミ : カナダのトロントです。母は日本人でしたが、10年前、母事故で亡くなったのです。そのことで自分のルーツを知りたくなって、スーツケース2つだけを抱えて日本に来ました。私の父がカナダに住みながらドイツ人。

 

ロズリン : 日本語が上手ですね。

 

エミ : 日本語は、日本に来てから覚えました。でも、私は長女なので、小さいころ母は私に日本語で話しかけていたみたい。最初の言葉は日本語だったそうです。きっと頭の中には日本語が残っていたんでしょうね。

 

 

ロズリン : 日本には度々来ていたんですか。

 

エミ : はい。祖父が名古屋、親戚が岐阜の田舎に住んでいるので、そこを訪ねて、年に1〜2回は日本に来ていました。

 

ロズリン : ご両親は日本で知り合ったんですか。

 

エミ : いいえ、トロントで。そのとき、母はまだ25歳。一人でバックパッカーしながら、アメリカやカナダを回っていたんです。旅の途中で父と出会い、そこで恋に落ちた(笑い)。母が日本に帰ってからも、インターネットがない時代なのでエアメールでラブレターをやりとりし、お付き合いをして、半年後には父が日本に来て母の両親に挨拶。その後、父はしばらくの間スリランカで働くことになったので、スリランカで結婚しました。

 

 

ロズリン : まあ、ロマンチックですね。エミさんは、結婚は?

 

エミ : まだなんです。

 

ロズリン : じゃあ、これからの出会いが楽しみですね。

 

エミ : そうなんです。でも両親のストーリーがロマンチックすぎて、理想が高くなってしまって(笑い)。

 

 

日本で働き始めるも最初は「ドアがクローズ」

 

ロズリン : 日本に来てから、どんなふうにお仕事を始めたんですか。

 

エミ : 23歳で日本に来て、まず東京にウイークリーマンションを借りました。カナダでは、大学時代から始めたビジネスでフリーランスとして成功していたので、日本でも絶対にうまくいくと思ってた。

 

ロズリン : 大学時代から! どんなビジネスを?

 

エミ : グラフィックデザインやマーケティングです。

 

ロズリン : へえ、すごい。

 

エミ : カナダではクライアントもついていたし、経験もたくさんあったのに、日本ではそれが通用しなかった。名前もコネも何もないから、営業に回っても毎回、毎回、ドアがクローズ。

 

 

ロズリン : 大変でしたね。

 

エミ : そのうちに友だちの紹介で、ファッション関係の会社に入り、そこで何年か勤め、すごくいい経験になりました。おかげでハイファッションの世界にツテができて、その後の仕事につながりました。

 

ロズリン : しばらく勤めてから独立したんですね。

 

エミ : そうです。自分でクライアントと契約を結んで仕事を始めましたが、また別のファッションブランドの会社にスカウトされて、そこにもしばらく勤めました。勤めている間にもフリーランスで仕事をしたりと、わりと自由な働き方をさせてもらっていたので、いろいろなチャレンジをしながら今に至っている感じです。

 

後編へ続きます。

 

【プロフィール】

Emi Schemmer

カナダ・トロント生まれ。父はドイツ人、母は日本人。カナダでグラフィックデザインやマーケティングの分野でフリーランスとして仕事をした後、23歳で渡日。東京で仕事を始める。現在、クリエイティブディレクター及びビジュアルスタイリストとして、ファッション業界を中心に活躍中。

 

【アパガードをご紹介いただきました!】

https://savvytokyo.com/hamigaki-art-beautiful-smile/


歯科衛生士 片山章子さん 後編

 

大切な歯を守る予防歯科の存在を、もっと多くの方に知ってもらいたい!

片山章子さんは、フリーランスの歯科衛生士。臨床の現場に立ちながら、「予防歯科の普及」をテーマに研修や講演活動に力を注いでいます。そんな片山さんに予防歯科の必要性や歯科衛生士という仕事について語っていただきました。

 

(後編)

目指すのは、削る治療が圧倒的に少なくてすむ歯科医院

 

ロズリン:いまお勤めのクリニックでは、ある程度は「予防歯科」のシステムができていたんですか。

 

片山:わたしが入社した当初は医院が開設して間もない時期で、予防歯科のコンセプトは明確でしたが、その手段については模索の段階でした。そのころは、「痛い」「詰めものがはずれた」という理由で来院なさる患者さんばかりで、そこが解決したら通院は終わりという昔ながらのお考えです。そこで、まずは、予防歯科を知ってもらうことからはじめたのですが、「痛くもないのに、なぜ通わなくちゃいけないのか?」という疑問の声がほとんどでした。

 

ロズリン:それは大変でしたね。最初のアプローチはどのように?


 

片山:患者さんとのやり取りのなかで多くの経験を重ね、初回に何を語るかが重要だと気づきました。患者さんが自らケアをしたくなるような、心に響く情報提供です。

そこで、患者さんがはじめにいらしたときに、よく話すのが「削らない治療」についてです。むし歯は穴があく前の初期の状態なら削らなくてすむことを知ってもらい、そのための有効な手段がケアであることをプレゼンします。

穴が開くまでの長い年月とプロセスを含む「本当のむし歯」の実態を知らない方がほとんどのようで、このプレゼンに皆さま驚かれます。

いまだ、初診の方や初めて出会う方と話すたびに、初期のむし歯はケアで回復できることを知らずに、どうにもできないものだと諦めている方が多いことを痛感します。予防先進国と比べて、むし歯の正しい情報を知る機会が少ない日本の課題ですね。

 

ロズリン:なるほど。むし歯の正しい情報とは?

 

片山:初期のむし歯を回復するためのケアは、医院におまかせするプロケアだけではなく、患者さん自身が行なう日々のセルフケアが要となります。私たちと患者さんとの協働作業がうまくできなければ予防は成立しません。そこで次に、「一緒に取り組んでいきませんか? 私たちは全力で支援します」とお話します。

正直、全員が同意されるわけではないですね。痛みを取りのぞいたり、壊れた詰めものをつくり治す治療と違って、予防は効果をすぐに実感することが難しいので、お金と時間をかけることはハードルが高いようです。でも、長く医院に通ってくださるうちに、いつか必ず気づきのときが来るかな、と。

 

 

ロズリン:気づいていただくために、工夫をしていることはありますか。

 

片山:ビジュアルでお見せすることを意識しています。例えば、お口の中の状態を撮影した写真をよく使いますね。むし歯や歯周病というお口の疾患は、大抵はご本人が見えない、もしくは見えにくいところで起こります。その見えない世界を見えるようにして、分かりやすくご説明することが、私たちのお役目だと思うのです。写真をじっと眺めていただくと、歯肉の色の違いなどに患者さんが自らお気づきになることが多いのですが、「あれ?なにか違う」という気づきから、「これは、一体なにが起こっているのか?」という疑問に変わるときが、ご説明のチャンスなんです。写真などを通して、まずご自身の口腔内をよく知っていただくことが、予防歯科の第一歩ですね。

 

ロズリン:なるほど。歯に対する意識は年々高まってきていますから、予防歯科の認知も進んでいきそうですね。

 

片山:そうですね。最近は患者さんを通じての紹介で、初めから予防歯科を目的に来てくださる方が多くなってきました。先日いらした方は「これからは、自分の歯を大切にしたいと思っています。頑張って通うのでお願いします」と言ってくださいましたが、とてもうれしかったですね。

銀座という場所柄、地域や家族ぐるみでの関わりは難しく、違う展開になるかと思いきや、自分が受けてよかった健診やケアは大切な人にも受けてもらいたいと思ってくださるようで、うちの医院は家族で通われる方も多いのですよ。

 

 

ロズリン:そうなると、歯科医師より歯科衛生士の出番が増えてくる?

 

片山:いいえ。ケアの専門家が歯科衛生士であることを考えればそうでしょうが、ケアを行うためには歯科医師の確定診断が重要ですし、あらゆるリスクから患者さんの歯を守るためには治療とケアの連携 つまりチーム歯科医療が軸となりますから、双方とも出番は変わりませんね(笑)。

目指すは、削る治療が圧倒的に少なくてすむ歯科医院なんです。

 

技術と思いを未来へ引き継ぐことがミッション

 

ロズリン:ところで、片山さんはさすがきれいな歯ですね。

 

片山:ありがとうございます。唾液検査でむし歯のリスクを測りましたが、リスクは低く、むし歯にはなりにくいようです。それを思うと、若いころ、学校検診で初期のむし歯と言われてすぐに削ってしまったのが残念ですね。ケアで回復する見込みがある場合は、極力削らないほうがいいんです。というのも、削ると人工物で穴を埋めますが、その隙間から二次感染するリスクが高まってしまうので。

 

 

ロズリン:一番むし歯リスクが高いのは、歯科治療を受けている人だと聞いたことがあります。皮肉ですね。

いまは世界中で、できるだけ削らない方向になっているとか。

片山さんはスピーカーとして、いろんなところでそういったお話をされているんでしょう? 素晴らしいお話でしょうね、ぜひ聞いてみたいです。

どのようなきっかけで講演のお仕事を始められたのですか。

 

片山:勤務先の理事長がデンタルショーのブースに立って話をする機会をくださったのがきっかけです。それから10年以上、講師活動を続けています。初めは新しい経験に面白さを感じつつ、こなすことに精一杯で、講師としてのミッションが定まっていなかったことを思い出しますね。

いまは、次世代の歯科衛生士を育てるというミッションを胸に、講師活動に力を注いでいます。患者さんの大切な歯を守るためには、患者さんの生涯を通してメンテナンスで支え続けることが重要ですが、現在46歳の私がそれを最後まで行うことはできません。ですから、早い段階から、技術と思いを未来へ引き継ぐことが大切だと強く思うのです。若い歯科衛生士たちの成長を応援することが、予防歯科の継承になると考え、この仕事にやりがいを感じています。

 

ロズリン:この仕事は、片山さんにとって天職なんですね。今日は興味深いお話をどうもありがとうございました。

 

 

<感想>

臨床の現場に立ちながら、予防歯科の普及活動や後進の育成に取り組まれている片山さん。現在の医院では予防歯科のシステムを一から築き上げ、「歯の大切さ」を伝える活動をされています。私たちサンギも、「健康的で美しい歯の大切さ」を伝えている企業として、共感できる部分がとても多かったです。予防歯科の意識の高まりとともに、ますますご活躍される片山さんの今後が楽しみです!

 

 

片山章子さん

「大切な歯を守る」信念のもと、医療法人社団純厚会 銀座デンタルケアークリニックを中心に様々な歯科医院で予防歯科を実践するフリーランスの歯科衛生士。痛みがでる前に歯科医院へ通う「お口の定期健診」があたり前の習慣になることを願い、女性誌取材や講演会出演で「むし歯も歯周病も適切なケアで予防できること」を発信する。また、予防ケアのスペシャリストである次世代の歯科衛生士を育てるために、専門誌執筆や全国各地へ赴く研修活動にも力を注ぐ。

片山章子HP URLdh-katayama.jp


歯科衛生士 片山章子さん 前編

 

大切な歯を守る予防歯科の存在を、もっと多くの方に知ってほしい。

目指すは、削る治療が圧倒的に少なくてすむ歯科医院!

 

片山章子さんは、フリーランスの歯科衛生士。臨床の現場に立ちながら、「予防歯科の普及」をテーマに研修や講演活動に力を注いでいます。そんな片山さんに予防歯科の必要性や歯科衛生士という仕事について語っていただきました。

 

(前編)

 

ひょんな流れで歯科衛生士に

 

ロズリン : 肩書きが「フリーランス歯科衛生士」とのことですが、具体的にはどのような働き方をしていますか?

 

片山 : 歯科衛生士として、週3回は歯科医院に勤めていますが、主な業務は、皆さまの大切な歯をむし歯や歯周病などの疾患から守るためのメインテナンスです。皆さまには、歯科健診と保健指導という言葉の方がイメージなさりやすいかもしれませんね。

一方で、講師として、次世代の歯科衛生士を育てるために、全国各地へ赴き講演や研修活動を行なっています。

 

ロズリン : 歯科衛生士になったきっかけは?もともと歯に興味があったんですか?あるいは歯科医院に縁があったとか?

 

片山 : いいえ、実は興味もご縁もありませんでした。

高校時代に進路を決めるころ、将来について初めて腰を据えて考えましたが、絵を描くことが好きだったので、その道に進めないかと思いました。それで、美術の先生に相談したら、もっと早くから行動していないと、美大を目指すのは無理だと言われたんです。そう言われてすぐに諦めましたが、諦めるということは本気じゃなかったんですね。

 

 

さあ、どうしようかというときに、目的の持てないままで進む大学の道よりも、手に職をつけて働く方が堅実だと思い、専門学校に行くことを考えました。そのキッカケのひとつは、おそらく母の影響です。母は、私が幼少の頃は専業主婦でしたが、外の世界で働くことに強い願望があり、子供たちが成長した頃には自営業を営んでおりました。その頃は、女性が仕事をするための環境が今ほどは整っていない時代だったと記憶しています。そのようななかで、働く母の姿を近くで見ており、それが心に残っていたんでしょうね。

 

 

どのような専門職に就こうか考えていたころに、歯科衛生士の養成校があることを知りました。地元は福井県なんですが、県内に学校ができて間もない頃でした。このときに歯科衛生士という職種があることを初めて知り、好奇心がわいたのを覚えています。人の健康に直接関わりお役に立てる仕事がしたいと、漠然と考えたのですが、実は、看護師という選択肢もあったんです。でも、夜勤が怖くって(笑)。私、かなりの怖がりで、テレビで怖い番組を見ただけで、シャワーも浴びられなくなっちゃうんです。その点、歯科衛生士なら、夜勤がない。それも、歯科衛生士養成校入校を決めた理由ですね。

 

ロズリン : そんなユニークなきっかけで、こんな素晴らしい歯科衛生士が生まれたなんて! 運命ですね。神様に導かれたんですね。 

 

片山 : ですが、学生の頃は、そもそも歯科衛生士という仕事がどのようなものかも分かっておらず、目指すものがボンヤリとしていて、学校ではかなりの落ちこぼれでした。先生にご迷惑ご心配かけてばかりでしたが、本当によく面倒みてくださったな…と。今はもう感謝の思いばかりですね。

 

歯周病患者を任され、プロとして目覚めた

 

ロズリン : いまのお仕事のやり方に行き着くまでの流れは?

 

片山 : 専門学校を卒業し、地元の歯科医院に6年ほど勤めました。そこでの主な仕事は歯科医師の治療アシスタントで、歯科衛生士個人として患者さんを任される場面はありませんでした。これも時代でしょうが、このころは今のように歯科衛生士の専門業務をおこなえる歯科医院は少なかったと思います。

また、携帯電話やPCも普及していない時代ですし、東京とくらべて情報を得る手段や機会がすくないこの頃は、自身の仕事に疑問をもたず、そんなものだと思っていたのでしょうね。歯科衛生士としてのミッションもありませんでしたし。

 

ロズリン : では、その時点ではまだ、仕事が面白い! と思っていたわけではなかったんですね。

 

片山 : そうですね。でも、汗水垂らして一生懸命働き対価をいただくという、そんなあたり前のことですが、社会人としての大事な基本を学べたと思います。

 

ロズリン : では、仕事が面白くなったきっかけは?

 

 

片山 : 結婚を機に上京し、今までとは全く違う環境に身を置き、歯科医師のアシスタント以外の歯科衛生業務をはじめて任されたことです。上京した後に勤めた歯科医院で、歯周病の患者さんの治療に携わりましたが、それまでは治療のついでに行う、いわゆるクリーニングしか経験がなかったので、どうしてよいか分からずに自分の無力さを思い知りました。経験も知識も、専門家としてのスキルがあまりにも足りてないことに気づかされたんです。いまの自分では患者さんに貢献できないと痛感しました。それで、その足りないものを補うための勉強をしなければと思ったんです。

 

ロズリン : どのように勉強したんですか?

 

片山 : 歯科衛生士が集い学ぶスタディグループに所属したり、様々なセミナーに参加したり。その時は、とにかくできるだけ多くの情報と知識を得て技術を身につけたいという気持ちが強く、学ぶテーマを絞らずに機会を見つけてはすぐに出かけていました。セミナー開催などが乏しい今までの環境と違い、あちこちで見聞きする情報は、すべてが新鮮で衝撃的でした。同時に、自分の実力の無さをますます感じさせられました。でも、それがよかった。自身と向き合うことで、歯科衛生士の資格に恥じぬよう貢献するプロ意識がようやく芽生えたのだと思います。

 

ロズリン : ターニングポイントになったのは?

 

片山 : 学びをすすめていくうち、予防歯科に取り組みたいという思いがわいてきました。同じ頃に、スタディグループの定例会があり、たまたまそばに座ったメンバーのひとりにその思いを話したところ、その方は予防歯科に力を入れるため開設したばかりの医院の主任だったのです。しかも、ちょうど常勤の歯科衛生士を探していたタイミングでした。ラッキーなことに、お声をかけていただき、理事長との面接に伺い雇っていただけることになったのです。本当に素晴らしいご縁に恵まれました。

 

 

痛くなる前に歯科医院へ来てもらう難しさ

 

ロズリン : 「予防歯科」とは、具体的にどのようなものですか。

 

片山 : 「予防歯科」は、あらゆるリスクや疾患から歯を守り、お口の健康を管理することです。例えば、むし歯という疾患ですが、穴があいてから削る治療ではなく、穴があく前に予防することが大切です。むし歯も歯周病も、悪化するまでに段階があり、軽度なら適切なケアで予防できるんです。

そのためには、一人ひとり違う疾患のリスクを把握して、その個人のリスクに応じたケアプログラムを立てて実践することが必要なんですね。それが、メインテナンスです。歯を守る予防は、このメインテナンスが土台となります。大切なことは、若いときからメインテナンスを始めて、定期的に受け続けること。私たちは、大切な歯をひと削りもしたくない思いから、全員に生涯メインテナンスを受けてもらいたいと願っています。

 

 

ロズリン : なるほど。多くの人は歯が痛くなって初めて病院に行くと思うんですが、いまのお話を聞いていると、「予防歯科」とは「痛くなる前に病院へ」というものなんですね。

 

片山 : そうなんです。でも、それがなかなか難しいんです。

 

インタビューは後編へと続きます。お楽しみに。

 

 

<片山章子さんプロフィール>

「大切な歯を守る」信念のもと、医療法人社団純厚会 銀座デンタルケアークリニックを中心に様々な歯科医院で予防歯科を実践するフリーランスの歯科衛生士。痛みがでる前に歯科医院へ通う「お口の定期健診」があたり前の習慣になることを願い、女性誌取材や講演会出演で「むし歯も歯周病も適切なケアで予防できること」を発信する。また、予防ケアのスペシャリストである次世代の歯科衛生士を育てるために、専門誌執筆や全国各地へ赴く研修活動にも力を注ぐ。

URL:http://dh-katayama.jp



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日本で人生の半分以上を暮らし、動物(特にネコ)と自然、最近はゴルフも愛する、心優しきオーストラリア人。
ワインなら何杯でも?いける口です♪

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