Interview

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ナレーター 高島由紀子さん 後編

現在、ナレーターとして様々な活動をしている高島さん。実はナレーターになるのは子供の頃からの夢だったそうです。彼女はどのように子供の頃からの夢をかなえたのか。そしてどんな風に今も努力を続けているのかを伺いました。

 

 

【後編】

●自分に足りない表現力をつけるため、芝居の勉強を始めた

 

ロズリン : ラジオアナウンサーの次にどんな仕事をされたの?

 

高島 : 東京に戻ったのは体調を崩したこともあり、当初はのんびりと活動を始めました。

その後大手の事務所に所属したのですが、これまでのアナウンサーとしての経験を活かして、私は企業向けのナレーションやCMを受けることが多かったですね。

そこで数年お仕事をした後、仕事の幅を広げたいと思い、現在所属している事務所へと移りました。そこでは通常のナレーションの仕事のほか、ドラマに少し出たり、ニュースキャスター役で映画にちょっと出たり。それまでとは違う種類の仕事へ広がりがでたんです。

 

 

ロズリン : ラジオと違って、顔も出すお仕事になった。

 

高島 : そうですね。カメラに向かって話すのが慣れないうちは難しかったです。家でビデオカメラを買って、家で練習しました。画面に文字が出るプロンプターも、最初は慣れなくて。流れていく文字を追うのがけっこう難しかったです。やはり自分には何か足りないものがあるということが、いろんな仕事をすることでさらに自覚できました。

オーディションに受からなかったり、監督のいうとおりできなかったり。人が求めるものをなかなか表現できなかったので、仕事とは離れたところで表現力をつけようと思い、芝居の勉強も始めたんです。

 

ロズリン : あらすごい。劇団にはいったんですか?

 

高島 : 知り合いに小劇場に出ている方たちがいたので、ボランティアで勉強させていただいたんです。

アナウンスやナレーションは体を動かしませんから、最初はセリフは言えても舞台で棒立ちで、「何だそれは!」と監督に怒鳴れてしまったり。どうしたらいいのか、本当にわかりませんでした。できないのが悔しかった。

 

ロズリン : 難しいですよね。でもだんだん慣れたのでは?

 

高島 : はい。3〜4年続けていくうちに、慣れました。

それまではナレーションで、感情を込める表現など恥ずかしい気持ちがあったんですが、舞台で演技の勉強をして、むしろ楽しくなってきたんです。

 

ロズリン : それはよかったですね。今も続けているのですか?

 

高島 : いえ、今はやってないのですが、実は約10年前から、舞台の関係者からご紹介いただいた狂言の先生のお稽古に通っています。

日本の伝統文化を勉強してみたいと始めたんですが、そのおもしろさにはまり、今はすっかり趣味にもなっています。

 

 

ロズリン : すばらしいですね。私も狂言は大好きです。今までも、年に何回かは見に行っていますよ。

私、時代劇の言葉はわからないんですが、狂言は何とかわかるんです。

 

高島 : そうなんですか。すごい!

 

ロズリン : 声の出し方はまったくちがいますが、いい勉強になりそうですね。その舞台に立つことはあるんですか?

 

高島 : 趣味の域ですが、発表会で年に1回立っています。休日はお稽古三昧です(笑)。

 

●走ることが好き。フルマラソンに挑戦したことも

 

ロズリン : ほかに体を動かすことは?

 

高島 : はい。走るのが好きです。もともと高校時代陸上部で、昔から走ることが好きでした。

フルマラソンにも、もう10年以上前になりますが、仕事としてオーストラリアのゴールドコーストマラソンに挑戦させていただいたんです。

 

ロズリン : 仕事というと?

 

高島 : 観光案内の映像で、初めてフルマラソンに挑戦する人の姿を撮りたいということで。フルマラソン経験者と2人で挑戦しました。

それまでフルはしり込みしてた部分がありますが、せっかくの機会なので、やってみようかと。毎日30分ぐらいですが走って練習しました。

 

 

ロズリン : フルは大変ですよね。走れましたか?

 

高島 : それが、天気がよくて、とても走りやすかったんです。暑くも寒くもなく、ちょうどよくて。景色がきれいでサーファーズパラダイスのところをずっと走っていたのですが、ゴールドコーストは本当に海がきれいですね。

 

ロズリン : 最高です。空気もおいしいし。

 

高島 : そうですね。住宅地では、住民の方たちがバーベキューをやりながら、応援してくださって、すごく心強かった。

 

ロズリン : やはりマラソンを走った私の友人が言ってましたが、20キロをすぎる頃から、疲れてもうやめようもうやめようと思っていると、沿道の方が「がんばれ」と声援送ってくれると、なんとか最後まで走れるそうです。

 

高島 : ゴールが見えてくるとほっとしますよね。私も最後のあと5キロというところはきつかったのですが、やはり声援で元気をいただきました。道も平坦で、ゴールドコーストマラソンは初心者の方にはおすすめです。その映像はかなり長い間流れてたみたいです(笑)

 

 

ロズリン : それは見たかったですね。他の場所で走ったことは?

 

高島 : おととし、ホノルルマラソンを走ったのですが、すごくアットホームな大会で、やはり、地元の方々の応援に励まされて走りきれました。

日中は気温が高いので朝5時にスタートするのですが、だんだん気温が上がってくるのと、後半にあるダイアモンドヘッドの上りがきついんです。最後の最後に坂があるのでね。

 

ロズリン : そんなきつい思いをしても走るのはなぜですか?

 

高島 : 「自分との対話」みたいなところがあって、何を考えているわけじゃないけど、何となく頭の中が整理されていく感じでしょうか。

フルマラソンは確かに30キロを過ぎた地点からきついけど、歓声が後押ししてくれ、徐々に景色がビビッドに見えてくる。

そういうことを魅力に感じます。

 

ロズリン : 走ってみないとわからない経験でしょうね。

ご自分の夢だったナレーターに関してはどうですか。やってみて、どんなことを感じましたか?

 

高島 : 1つの作品が完成するのがおもしろいし、ナレーションで、物作りに関われるのが楽しいです。

 

ロズリン : ナレーションの仕事に興味のある人に向けて何かメッセージがありますか?

 

高島 : あきらめないことですね。そして続けること。私自身、それだけをやってきたと思います。その都度、これが必要だからと勉強しながら仕事をする繰り返し。

やりたいという気持ちを持って、ぜひあきらめずに続けていただきたいと思います。

 

ロズリン : ご自身は、今後どのように仕事をしていきたいですか?

 

高島:いろいろな分野のナレーションをしたいのと、これは最終目標ですが、人の心を動かせるような朗読会みたいなことができたらと思っています。

 

ロズリン : 高島さんならきっと実現できますよ。 応援しています。今日は本当にありがとうございました。

 

 

【感想】

とてもエネルギッシュな高島さん。ナレーターになりたいという子供の頃からの夢を実現させただけでなく、そこから広げて色々なことに挑戦し続けている姿には刺激をもらいました。何事もあきらめずに続けると必ず形になることを、体現されていますね。

これからも夢に挑戦し続ける高島さんを応援しています!

 

【高島由紀子さんプロフィール】

東京都出身。2000年、ラジオ福島にてアナウンサー職で入社。中継やナレーション、インタビュー、一人喋りなど、幅広く活動する。2004年に俳協への転籍をきっかけに、舞台にも出演。2008年よりアクロスエンタテイメント所属し、現在に至る。趣味は、着付け・トレイルランニング・狂言。


結婚40周年クルーズ旅 お土産プレゼント!

前回のブログでは、仕事を終え、親戚のいるスウェーデンの旅についてご報告しました。

続いてこの夏のご報告ブログ第3弾は、特別な夏休みとして計画した“クルーズ旅”の紹介です。

 

※第1弾:IADR in London こちら

※第2弾:スウェーデンの休日 はこちら

 

私事ですが、サンギの会長である佐久間周治と結婚したのは40年前のこと。

今年結婚40周年の夏を迎えることができました!

 

留学生だった私が京都タワーの下で彼と出会ったのは(実は友達の紹介でしたが)、もうすでに40数年も前のこと。

当時はまだ国際結婚も少なく、私の両親は遠い日本の地で娘が暮らしていくことをとても心配して、結婚するまでいろいろとありました。

結婚してからその心配が消え、思い返せば、たくさんの幸せに恵まれたと思います。

 

この節目に、かねてから行きたいと思っていた地中海クルーズが実現したんです!

 

 

私たち夫婦が、アテネからイタリア・ベニスまでの8日間を旅した、フランス籍の船です。230名の乗客を運ぶ客船です!

 

航路はギリシャのアテネを出港し、同国では3つの町(Hydra、Ithaca、Parga)に寄港。

続いてモンテネグロのKotorという港に寄り、クロアチアでは4つの町(Dubrovnik、Mljet、Korcula、Hvar)に寄港して、終点ベニスへと向かいました。

 

 

 

最初に寄港した、ギリシャのHydra(イドラ)。

この島には車がなく、移動はバイクかロバのみ。とてものんびりとした町で、私たちも町を探索したり、ランチをしてビーチで泳いだりと、リラックスしてゆったりとした時間を過ごすことができました。

 

クルーズ旅は、宿泊はすべて船内です。

船上では、当然電話連絡がなく、仕事に追われることもなく、良い意味で、することがない状態(笑)。

もちろんプールなどアクティビティは充実していますが、私の場合は本当に久しぶりに、読みためていた小説を3冊も読み終えることができました。

 

 

驚いたのは、アテネの町はもちろん、ギリシャの沿岸の町々で、本当にたくさんの猫がいたこと!人間を警戒することなく、堤防や歴史的建造物の石の上などで寝転んで、のんびりとまどろむ姿を目にしました。

オープンエアーのレストランに入れば、よくエサをもらえるのでしょうか、客席の間をちょこまかと動き回る猫もよく見かけました。

 

 

3番目の寄港地、ギリシャの町Parga(パルガ)。

シーフロントには、レストランやお土産を売るたくさんのお店が並び賑やか。

このパルガで、町の女性がハンドメイドで作るかぎ針編みのポーチを三つ買いました。

 

パルガを出港すると、いよいよクロアチアのアドリア海沿岸をめぐりました。 

「アドリア海の真珠」とうたわれるドゥブロブニクの町、Mljet(ムリェト)島、Korcula(コルチュラ)島、Hvar(フヴァル)島へ。

どの島もそれぞれに美しく、またオレンジ色の屋根の町並みがとても印象的でした。

でも本当に観光客が多かった!

 

ドゥブロブニクでは、もう一つのお土産、町の芸術家がハンドペイントしたトートバックを買いました!ちょっとユニークな絵柄で、こちらもプレゼントにします。

 

40年という節目に、こんな素晴らしいクルーズ旅をすることができ、主人にも本当に感謝しています!これまでを振り返り、ちょっと大げさですが、間違っていなかったと感じました(笑)。

 

すっかり充電して、またパワフルに毎日を送っていきたいと思います!

皆さんにも、たくさんの幸せが訪れますように。

 

 

では最後に、お土産プレゼントです!

 

 

イドラの町で購入した、手編みのショルダー付きポーチを3名の方に!

※デザインはそれぞれ異なりますが、すべてのポーチに肩掛けできるショルダーが付いています。

 

 

そしてドゥブロブニクの町で手に入れた、トートバックを3名様にプレゼントします!

どの絵柄があたるかは、お楽しみに。

 

 

本プレゼントのご応募は、10月18日(木)17時をもちまして

 締め切らせていただきました

 たくさんのご応募ありがとうございました!

 

 

 


スウェーデンの休日 お土産プレゼント!

この夏のご報告ブログ第2弾は、プライベートで訪れたスウェーデン滞在です。

 

ロンドンでのIADR終了後、現地企業との打ち合わせや、ドイツ現地法人への訪問などを終えて、いよいよ夏休みに突入しました!

 

※第1弾:IADR in London こちら

 

実はスウェーデンには私のハトコが住んでいて、以前から一度遊びにきてと誘われていたんです。

これまでなかなか叶わなかったので、これはチャンス!と、少し足を延ばしました。

私の父と彼女の母が“いとこ”という関係です。

 

 ウプサラ大聖堂

 

ストックホルムから北へ一時間あまり、ウプサラというスウェーデンで4番目に大きな町から20分はなれた村に、ハトコの家はあります。

町自体は、1477年に創設された北欧最古の大学である「ウプサラ大学」を有し、天文学者セルシウスや、「分類学の父」として知られる植物学者、リンネの誕生した地です。

 

ご存知かもしれませんが、セルシウスは温度の単位セルシウス度(℃)を考案した人物です!

 

 

最初の写真で外観を紹介しましたが、このウプサラ大聖堂はスカンディナヴィア諸国で最大級の教会。高さ118.7メートル、幅118.7メートルだそうです。

 

教会の中にも入りましたが、とても素晴らしい装飾で、正午の演奏に遭遇!

豪華なパイプオルガンの壮大な音色に癒されました。

 

 

こちらは、ウプサラ大学が1778年から1887年の間に大学の本館として使用していた建物。現在では、大学の博物館として使われています。

 

この建物で、最初の人体解剖学講座がひらかれました。

見学コースがあり、当時の手術道具や解剖台も見ることができましたよ。

あと(もちろん)、バイキングの刀剣やヘルメットなどの展示もあります!

 

観光を終えて、いよいよハトコの家へ!

 

 

町の中心部からわりとすぐの場所にありますが、周りをリンゴの木に囲まれた静かなコテージでした!

写真の奥に見える赤い屋根は、かつて冷蔵庫もない時代に食料やワインを保存しておく小屋として使用していました。

今もワインがいっぱい入っています!

 

お部屋に敷かれたラグや、すてきなカーテンは、全て彼女のお母さんの手作りだったそうです!

 

 

スウェーデンの伝統的な暖房です。

 

北欧の寒い季節を暖かく過ごすためには、欠かせないものです。

今回、私と主人が泊めてもらったお部屋にありました。もちろん滞在中は真夏なので活躍することはありませんでした。

 

長年の夢が叶い、短い滞在でしたが、ハトコとの楽しい時間を過ごすことができました。

ウプサラは日本ではあまり知られていませんが、歴史のある素敵な町でした。

機会があれば、是非訪れてみてくださいね。

 

では最後に、お土産プレゼントです!

 

 

 

ウプサラ大聖堂で購入した、北欧デザインのティーインフューザーと、アプリコットやルバーブ、レモンなどを配合したフレーバーティーをセットにして3名の方に!

 

 

そして町で見つけた、こちらも北欧デザインのカラフルな鍋敷きを同じく3名様にプレゼントします!

この鍋敷き、実はデンマークのデザインなのに、ネパール製だということが後から判明しました。

よくあるお話ですね。とてもかわいいので、ぜひこれもご応募の対象に。

 

 

■本プレゼントのご応募は、10月4日(木)17時をもちまして

  締め切らせていただきました

  たくさんのご応募ありがとうございました!

 

 

 

 


国際歯科研究学会でロンドンへ

久しぶりのブログです。(しばらくの間、忙しかったです!)

今年の夏は酷暑でしたが、皆さんはいかがお過ごしでしたか?

 

私の夏は、海外出張からスタートし、出張後そのまま現地から夏休みに突入(笑)。

久々の長期休暇ですっかりリフレッシュして、今はまた毎日を忙しく過ごしています。

 

いくつかに分けて、この夏のことをご報告したいと思いますが、今回はまず、ロンドンで開催されたIADR(国際歯科研究学会)についてお話したいと思います。

 

お土産プレゼントも考えていますので、お楽しみに!

 

 

初日に会場で撮影したものです。

 

IADRは以前にもこちらのブログで紹介していますが、毎年開催され、各国から歯科関連業者と専門家(歯科医師や学者など)が集まり、様々な研究成果が発表されます。

企業がブースを出展し、オーラルケア商品を紹介もしています。

 

これまでもだいたい毎年サンギ研究員が参加し、研究成果を発表していますが、今年はサンギにとって特別な年でした。

学会のプログラムの1つとして、サンギ主催で “オーラルケアにおける、ナノ粒子ハイドロキシアパタイト” のシンポジウムを開いたからです。

 

海外でのこの様なシンポジウムは、サンギにとっても初。

タイ、ドイツ、米国の研究者、そして日本からは私が登壇しました。

 

 

テーマは、歯科におけるナノ粒子ハイドロキシアパタイトテクノロジーの役割。

日本で生まれたこの技術は世界的に注目され、「ハイドロキシアパタイト」が現在幅広く歯みがき剤などに使われているということです。

そのパイオニアとして、また長年商品開発に携わってきたサンギとしては、本当に喜ばしいことです。

 

シンポジウムでは、ナノハイドロキシアパタイトのむし歯予防、バイオフィルム(歯垢)の除去、知覚過敏に対する予防効果と、安全性(これが私の発表です)についても講演され、周りからも評判が良かったと聞いています。

 

 

そして今回もサンギは、商品展示を行いました。

これまでも何回も商品を出展はしていましたが、今回は今年のヨーロッパ市場進出に伴って、ヨーロッパ向けに製造した、新「アパガード」と「アパデント」商品を紹介しました。

 

サンギは、6か国でOEMを含めた商品を展開してきましたが、いよいよ昨年ドイツに現地法人を設立し、EU市場での発売を8月からスタートしたんです!

 

「アパデント」の研究を発表したロシアの研究者と

 

説明するサンギ研究員

 

今回はポスター発表も行い、シンポジウム、商品展示を含めて、たくさんの方にサンギの研究や独自成分、商品について、深く知っていただく機会を持つことができました!

 

我々の開発した商品群を、世界中の方々に使っていただけるように。

これからも頑張ります!

 

 


ナレーター 高島由紀子さん 前編

現在、ナレーターとして様々な活動をしている高島さん。実はナレーターになるのは子供の頃からの夢だったそうです。彼女はどのように子供の頃からの夢をかなえたのか。そしてどんな風に今も努力を続けているのかを伺いました。

 

 

【前編】

●子供の頃、ドキュメンタリー番組が好きだったのがきっかけ

 

ロズリン : その節は、アパガードプレミオが殿堂入りになった記念動画のナレーションをしていただき、ありがとうございます。と

ても自然な感じでやっていただき、よかったです。

 

高島 : 気に入っていただき、ありがとうございます。

 

ロズリン : お仕事の肩書の名称は「ナレーター」でいいですか? アナウンサーとか、いろんなお仕事をされているようなので。

 

高島 : はい。アナウンサー出身なのですが、現在は司会、ナレーター、番組アシスタントなど様々な仕事をやらせていただいています。でも、私が子供の頃から一番なりたかったのがナレーターなので、自己紹介の時は、そういわせていただいています。

 

ロズリン : そうなんですね。子どもの頃からなりたかったというのは、どんなきっかけですか?

 

 

高島 : 小学校の頃、NHKスペシャルなどドキュメンタリーを見るのが好きだったんです。あぁいう番組ってナレーションが入りますよね。番組を感動的に盛り上げる。それに感動して、自分もこういう仕事につきたいと思いました。当時は、ナレーターという仕事があるという具体的なことはわかっていませんでしたが。

 

ロズリン : 親御さんや親戚にそういう関係の方はいたんですか?

 

高島 : いいえ。だからなり方とか全然わからなくて。中学校の先生に相談したら、一番近いのはアナウンサーじゃない?といわれ、では、その道にいってみるかと、その時決めました。

 

ロズリン  道というと、具体的な方法があるんですか?

 

高島 : まず女子アナは採用の時、四大卒が条件なので、とりあえず大学には行こうと。

大学2年生の時には、情報収集と受験対策のためにアナウンサー養成の専門学校にも入りました。

 

ロズリン : 専門学校はあるんですね。その学生数は何人くらいですか?

 

高島 : 1クラス30人ぐらいで、それが何クラスかあります。9割が女性で、いろんな学校から集まっているので、楽しかったです。とはいっても競争相手ですけど。

 

ロズリン : こうしてお話していても、高島さんの日本語はとてもきれいですが。学校では発声練習から行ったのですか?

 

高島 : どちらかというと、アナウンサーになるための受験対応がメインで、発声は多少やりましたが、しっかりとした訓練はしませんでしたね。ロズリンさんの日本語こそすばらしいです。英語が母国語の方は、日本語の発音がきれいだと聞いたことがありますが。

 

 

ロズリン : 実は私自身、オーストラリアにいた子供時代、オーストラリア訛りにうちの母はコンプレックスがあったんです。隣にスピーチの先生がたまたま住んでいたので、母が通わせてくれ、きちんとイギリス的な発音をできるようになったんです。もしかしたらそのことで、私は色々な言語を習得できたのかもしれません。

 

高島 : すばらしいですね。

 

ロズリン : 学校からは、何人アナウンサーになれたんですか?

 

高島 : 私をいれて2人です。もう1人の方は日本テレビへ就職しました。

 

ロズリン : やはり厳しい世界ですね。

 

高島 : 主要なキー局を落ちたところで、就職活動をやめる方もいますからね。私はキー局に落ちてもあきらめず、とにかくどこでもいいからアナウンサーになりたいと思っていたので、地方のテレビ局やラジオ局を受け、全国行脚の旅に(笑)。その途上でラジオ福島に受かったので、そこで受験を終えました。

 

●ラジオ局でアナウンス以外、さまざまな仕事を経験

 

ロズリン : ラジオ福島というと、移転することになったんですね。

 

高島 : はい。東京から福島に行きました。地方のラジオ局は、いつも少ししか新人をとらないのですが、この年は5人採用があり、同期はみな社宅にすみ、心強かったです。

知り合いが誰もいない土地でしたが、同期がいることが助かりました。地方局は常に人出不足で、アナウンサーで採用されても、しゃべる仕事だけでなく、ディレクターの仕事から現場、編集作業と放送に関わることはみんな自分でやるので、最初は大変でした。

 

ロズリン : でもそのほうがおもしろかったでしょう。

 

高島 : はい。いろいろなことをさせていただきました。

ニュース番組からマラソンの中継まで。長く番組を担当していたので、地元の名物おばあちゃん、農家や工場勤めの方など、福島のラジオ局でアナウンサーをしていなければ会えなかった様々な方にお会いすることができ、貴重な体験でした。

 

 

ロズリン : ラジオのアナウンサーは、姿が見えないですね。テレビのアナウンサーとは特に違うところはどういうところですか?

 

高島 : テレビ局のアナウンサーは顔を認知されているので、例えば外で飲んでいるときでもみんな気を遣っていますが、私はその点、気楽でした(笑)。

仕事での違いはいろいろありますが、まず圧倒的に違うのは、ラジオは「画」を見せられないこと。そこにあるものを伝える時に、聴取者の方がイメージできるような表現で、自分で説明しないといけないところです。花を伝えるにも、菊だとみなさん知っていても、それがもし葡萄の花であればどんな花だか、説明しないと想像できませんから、一生懸命形を伝えます。そんなところが難しいし、やりがいのあるところでした。

 

ロズリン : そのいろんなお仕事をする中、思い出深いものはなんでしたか?

 

高島 : 福島には、日本一長い桜並木があるんですが、それにちなんだ「桜文大賞」という中高生向けの作文のコンテストがあるんです。その作品を朗読する機会をいただいたのが、とても楽しかったし、私自身の望む仕事に近かったので、やりがいがありました。局のディレクターが、私の希望を知って、番組中の私のコーナーでやらせてくれたんです。

 

 

ロズリン : ストーリー性のある文章は表現がむずかしいでしょうね。

 

高島 : はい。その時、ディレクターさんのオーダーになかなか対応できなくて。思い入れのある文章をきちんと表現できていないんじゃないか、もっとできるんじゃないかと。自分には圧倒的に表現力が足りないとこの時に自覚したんです。とても楽しいお仕事だったから余計にそう感じました。でも、作文を書いた方に朗読のテープをお送りし、とても喜んでいただいたのは良い思い出です。

 

ロズリン : ラジオ福島にはいつまでいらしたの?

 

高島 : 4年間いました。かなり体力的にもきつかったので、無理がでまして。東京に戻ってきました。

 

ロズリン : それから現在までの活動について後半で教えてくださいね。

 

 

【高島由紀子さんプロフィール】

東京都出身。2000年、ラジオ福島にてアナウンサー職で入社。中継やナレーション、インタビュー、一人喋りなど、幅広く活動する。2004年に俳協への転籍をきっかけに、舞台にも出演。2008年よりアクロスエンタテイメント所属し、現在に至る。趣味は、着付け・トレイルランニング・狂言。

 

 


ヴァイオリニスト 宮陽江さん 後編

 

スイス・ジュネーブを拠点に、国際的に活動するバイオリニスト、宮陽江さん。
子供の頃からバイオリン一筋。思春期の頃も今も、気が付くとクラシックの作曲家のことで頭がいっぱいになっているという筋金いりの音楽家。彼女のバイオリン人生と、音楽への思いを伺った。

 

【後編】

●総合芸術を目指し、衣装も公演のテーマにあわせて作る


ロズリン : 芸術家の方は、その作品だけではなく、作品を創りあげていくその姿全体がすでに芸術だと思っているんです。たとえば100歳をとうに超える美術家の篠田桃紅さん、彼女が墨をすり、大きな紙の上で描く。彼女の立ち居振る舞いのすべてが芸術で、素晴らしい。ですから、さきほど宮崎さんが公演は演奏だけではなく、総合芸術を目指しているとお聞きして、非常に共感しました。演奏する女性は衣装も非常に大切ですよね。


宮 : そうなんです。実は私の衣装は以前、ロズリンさんのこのブログにも登場されている、ウェディングドレスデザイナーの花嶋千賀さんが担当してくれているんです。
彼女と出会ったのは10年以上前になります。当時の私は、自分の演奏や公演ごとのテーマに必要な衣装を探し、いろんなお店や人にコンタクトをとって探したのですが、ぴんとくるものがなくて。ある日、美容院で雑誌を見ていた時に、彼女の作品を見て、「あ、この方だ」と。すぐに彼女のアトリエに電話をさせていただき、飛び込みで突撃したんです(笑)。
それ以来のおつきあいで、公演のたびにテーマからご相談し、作っていただいています。


ロズリン : 彼女の衣装は本当に素敵ですね。宮さんのコンサートに伺った時の衣装も、とても印象に残っています。音楽もドレスもとてもドラマティックだった。


宮 : ありがとうございます。よく生地からこだわって、織元までいって作っていただくんですが、ロズリンさんが来てくださった時の衣装もそう。結んでいた5色のリボンは絽の着物の生地で、五泉駒絽という絹を、そのために織っていただいたんです。透け感や太さなど細かいところまで非常にこだわりました。


ロズリン : それほどこだわって作っていたのですか。本当にすごいですね。
総合芸術という意味では、衣装のほか、やってみたいことはありますか?


宮 : はい。いずれバレリーナの方と舞台で共演したいと思っています。


ロズリン : おもしろそう。ぜひ見てみたいです。


●今年はバロックのコンサートにチャレンジする予定

 


ロズリン : 話はかわりますが、舞台の上で大失敗したことや、ネズミが舞台を走ったみたいな、ハプニングが起きたことはありますか?


宮 : ネズミには会ったことはないですが(笑)、本番の前に通しで練習する「ゲネプロ」で、2回弦が切れてしまったことがあります。1回切れることはたまにあるので、サブのバイオリンを持って行っていますが、この時は一度バイオリンを変えたら、また切れてしまって。ちゃんとメンテナンスもしていたし、時期も悪くなかったんですが驚きましたね。本番ではなく助かりました。


ロズリン : それが本番だとどうするんですか?


宮 : オーケストラとの共演の場合は、コンサートマスターの方からバイオリンをお借りして弾き続けることになりますね。


ロズリン : それは大変(笑)。弦は自分ではるんですか?


宮 : はい。予備で少し使い込んだものを持ち歩いていて、それをはりますね。


ロズリン : そうなんですね。私がステージを見ていて危ないと思うのが、楽譜。まとまって何ページかめくってしまったりしないのかしらとか(笑)。そういえば、この間知ったんですが、今度、演奏中の楽譜も、タブレット端末でできるようになるそうですね。合理的ですが、電波の状態とかフリーズしたりしないんですかね。

 

 

宮 : 足で操作するようですけどね。どうなんでしょう。楽譜といえば、一度ハプニングありました。基本的に暗譜しているのですが、楽譜は万が一の時のためにおいているんですね。ある無伴奏の大変な難曲で、メロディーが途切れない⾧い曲を弾く際、5枚ぐらいつなげた⾧い楽譜を作って、それを公演の際にスタッフが譜面台に置いてくれたのですが、演奏開始後に何か変だなと思ったら、上下が逆さだったんです。「あ、もうこれは見てはいけない」と。(笑)

そのまま暗譜で弾き切りましたが、あの時は弾きながらとてもびっくりしました。


ロズリン : それは恐ろしいです・・・ちなみに、宮さんは作曲もされますか?


宮 : はい。朝目覚めたときに聞こえてくる音をかきとめ、作曲しています。CD も出させていただいてるんですよ。


ロズリン : 聞いてみたいですね。教えることにも興味はありますか?


宮 : 大好きです。実はスイスで教育過程をとったので、ディプロマを持っているんですよ。でもツアーで移動していることが多いので、責任を持って生徒さんを見ることは今はまだできないので、いずれやらせていただきいと思ています。


ロズリン : バイオリンのほかに趣味はありますか?


宮 : すべてのことが音楽に結びつくというか、バイオリンが趣味と実益をかねているというか、音楽に浴することに常に飢えているので弾かないと干からびちゃうんです。


ロズリン : 練習は多い時はどのぐらいされますか?


宮 : 時間がとれる時は16時間とか。弾いていない時も、その時に取り組んでいる作曲家のことで頭がいっぱいです。思春期の頃も、ベートーヴェンの曲を弾いている時は、彼の耳が聞こえなくなったことで頭がいっぱいになったりしてましたね。なんというか、クラシックのおじさまたちのことが、昔も今も常に頭にある感じです(笑)。ワインを飲んでいても、彼らはどんなワインを飲んでいただろうなどと気になって仕方ないです。

 


ロズリン : 本当にバイオリンとクラシックがお好きなのね。


宮 : はい。あとは比較文化、という観点でも興味があります。私は今は日本人ですが、ヴァイオリンという楽器も元をたどると東洋の楽器から進化したもの。その意味では、異文化に見えつつも本質は同源なのではという考え方から、今後も音楽を通して、そこに流れるエネルギーと文化の本質を追求していきたいと思っています。


ロズリン : それはいいですね。今後はどんなことにチャレンジしたいですか?


宮 : 今年はバロックに取り組むコンサートを7月と12月に東京で行います。


ロズリン : バロックは大好きです。ある意味、バロックは完成された世界ですね。


宮 : はい。その通りだと思います。現代はバロックを演奏する人が増えていますが、一人ひとりがどういうバロックを弾くのか問いかけられている大変な時代だと思っています。一般にいうピリオド楽器は、モダン楽器との構造の違いから奏法も自ずと変わってきます。弦についてだけでも、今の弦はガットの表面にスチールが巻いてありますが、バロックのものはガットがむき出しですので、音が自然な生の音というか、牧歌的な親しみやすい音色になります。弓の形も違うし、ボディの構造も強度も仕様も違う。バロックを演奏する時にバロックバイオリンを使うかどうかは人によりますが、私は今どうしようかと考え中で、来ていただいてのお楽しみということになりそうです。


ロズリン : ぜひ伺いたいです。楽しみですね。

最後に一つ、質問します。私は猫が好きなんですが、宮さんは動物は飼ったりしてますか?


宮 : 家を空けることが多いので難しいですね。でも近所の親類が動物がとても好きで、おうちに犬や猫が必ずいる状況なので、私もそこにいくとかわいがっていますよ。


ロズリン : 今度ジュネーブに行くことがあったらぜひお邪魔したいです(笑)


宮 : ぜひ! お待ちしてます。

 

 

 

〜宮陽江さんコンサート情報〜

URL:http://www.yoe.jp/topics.html

 

■宮陽江 山口裕子  ヴァイオリンとハープ 響きあう弦〜名小品集〜 

 

[ 札幌公演] 2 0 1 8 年7 月6 日( 金)1 8 :3 0 開場/ 19 : 00 開演
六花亭札幌本店10 F きたこぶしホール


[ 旭川公演] 2 0 1 8 年7 月8 日( 日)1 4 :3 0 開場/ 15 : 00 開演
旭川 島田音楽堂

 

[帯広公演] 2018 年7 月10 日(火)18:00 開場/18:30 開演
とかちプラザ・レインボーホール

 

■宮陽江 バロックへの誘い〜調和と創意の試み〜 vol.1

[東京公演] 2018年7月24日(火)18:30開場/19:00開演
東京オペラシティ B1F リサイタルホール

 


【宮陽江さんプロフィール】
ニューヨーク州イタカ市生まれ、幼少期をパリにて過ごし、3歳よりヴァイオリンを始め
る。桐朋学園高等学校音楽科を経て、桐朋学園大学音楽学部演奏学科卒業。その間、堀正
文、山口裕之、江戸純子各氏に師事。同大学を卒業と同時に全額奨学金を得て米国タング
ルウッド音楽祭(小澤征爾監修)に参加。後、ジュネーヴ高等音楽院に留学、名匠ジャン=
ピエール・ヴァレーズ氏に師事。在学中、室内楽をガボール・タカーチ、モダン・バロッ
ク両楽器をハンス=ハインツ・シュネーベルガー氏の下で学ぶ。1997 年、同音楽院をプル
ミエ・プリ(一等賞)にて卒業。
これまでにスイス、フランス、スペイン、オーストリアなど、ヨーロッパ各地での演奏会、
国際音楽祭に多数出演、また、ソリストとして、札幌交響楽団、読売日本交響楽団、北東
ドイツ管弦楽団、スロヴァキアフィルハーモニー管弦楽団、デュッセルドルフ管弦楽団な
どと共演を果たす。現在は国内外問わず幅広く音楽活動を展開。音楽文化の普及・発展に
精力的に取り組んでいる。

【感想】
音楽をはじめとした芸術は、その作品自体が完成品というよりも、演奏するアーティスト
の生き様や表現している姿、そういったもの全てが作用しあう「総合芸術」になって初め
て完成するもの、という宮さんの価値観にとても共感しました。お酒を飲んでいるとき
でも作曲家や音楽のことを考えてしまう…という宮さん。日常生活のそういった小さな
こと全てが大きな舞台で表現され、素晴らしい演奏につながっているのだと思います。
7 月・12 月のバロックコンサートはわたしも是非伺いたいです。今後の宮さんのご活躍
を楽しみにしています!


ヴァイオリニスト 宮陽江さん 前編

 

スイス・ジュネーブを拠点に、国際的に活動するバイオリニスト、宮陽江さん。
子供の頃からバイオリン一筋。思春期の頃も今も、気が付くとクラシックの作曲家のことで頭がいっぱいになっているという筋金いりの音楽家。彼女のバイオリン人生と、音楽への思いを伺った。

 

【前編】
●無意識にバイオリンを弾くジェスチャーをした幼少期


ロズリン : お久しぶりです。前に伺った、サントリーホールでのコンサート、演奏だけでなく、衣装も含めてドラマティックなチャイコフスキーで素晴らしかったです。

 

宮 : ありがとうございます。演奏はもちろんですが、私は衣装も含め、総合芸術としてその公演ごとにテーマを設定し、作り上げていきたいと心がけているので、そこを感じていただけてうれしいです。

 

ロズリン : それは素敵ですね。今日はぜひいろいろなことを聞かせてください。
宮さんは今、スイスのジュネーブに住んでいらっしゃるそうですが、子供の時から海外生活が多かったんですか?

 

宮 : はい。父の仕事の関係で、生まれたのはアメリカ・ニューヨーク州で、一度日本に帰り、パリに6歳までいました。その後は大学卒業まで日本です。

 

ロズリン : バイオリンはいつ始められたの?音楽はご家族の方もやっていたんですか?

 

宮 : はい、母がアマチュアでピアノを弾いていて、祖母はお琴の名手でした。
バイオリンを始めたのは3歳の頃。当時、母は私にバレエや絵画教室などいろいろなものを習わせてくれていたんですね。そんな中、私がティッシュの箱を首にはさんでバイオリンを弾くようなジェスチャーをしたそうで。

「この子、もしかしてバイオリンをやりたいんじゃないかしら」と気付いた母が習わせてくれたんです。それ以来、どの写真をみても、私はバイオリンケースを持っています。

最初から本当に大好きで、なんというか、この楽器を持つのは初めてではないというか、まるで前世で弾いていたかのような、最初からなじんだ感覚だったことを覚えています。

 

 

ロズリン : それはすごいですね。演奏家になろうと思ったのはいつ頃ですか?

 

宮 : ずっと大好きで弾いていたので、自然な流れでしたが、桐朋女子高等学校音楽科に進学したことは大きいかもしれません、周囲もコンクールに出たり、海外に音楽留学する方が多かったです。

 

ロズリン : 桐朋女子高等学校・同大学を卒業した後は海外に出られた?

 

宮 : はい。幼少期をヨーロッパで過ごしたので、また戻りたい気持ちが強かったんです。

相談していた先生がパリ在住だったので「こちらにいらっしゃい」といわれた時はてっきりパリだと思ったら、なんとその先生はスイス・ジュネーブの高等音楽院で教えてらしたんです。でもそんな偶然でしたが、スイスにはとてもご縁を感じています。
当時、私はエルネスト・アンセルメというスイスの指揮者が大好きだったので、「スイスだ。アンセルメの国!」とうれしかったですし、その後、ジュネーブの室内管弦楽団に所属したのですが、スイスのフランス語圏、スイスレマン一帯にはまだアンセルメのカラーが残っていた気がします。なんというか、自然豊かな環境の中で生まれた音楽。たとえばレマン湖の透明感やきらめく光など、そういうところから育まれた音楽はとても美しいんですね。

 

ロズリン : ジュネーブはきれいな街ですね。ヨーロッパの各国にとても行きやすいという利点もありますし。

ソリストになってから、活動もしやすいのでは?

 

宮 : はい。ヨーロッパの国々を訪れることが多いので、確かに便利です。永世中立国だからかはわかりませんが、いろいろな国とバランスがよくて、自分の音楽を作る環境としては、とても居心地がいいんです。


●一夜の公演の音楽づくりはシェフがディナーを作ることに似ている。

 

 

ロズリン : 宮さんは舞台であがったりしますか?

 

宮 : ほとんどあがらないです。思春期の頃に、教えていただいたことを考えすぎて迷ってしまった経験はありますが。今は舞台の上は別世界。立った途端に別次元に入る感じです。クラシック音楽という文化の深さは、人類の歴史そのものだと思っていますので、ある意味、それを奏でることは人間である1つの証明だと私は思ってます。

 

ロズリン : バイオリンという楽器自体も貴重品だと思いますが、音楽自体貴重ですね。
造られてから何世紀もの歴史がある。同じ曲を何回も弾き、その日によってやはり表情が違ってくるものですか?

 

宮 : 公演だと、お客様が違うと返ってくるエネルギーが毎回違いますね。

 

ロズリン : それはたとえばどんな感じですか?

 

宮 : こうでなくてはいけない、ということはないんですが、たとえばスロヴァキアでコンサートを行った時のこと。ほかの西欧の国より比較的、同じ髪や肌の色など、人種的に同じ方たちが集まっていたんですね。スロヴァキアの民族的に共有してきた歴史があるのか、なんとなく、そこにいるだけでまとまっている感があり、そこに音楽のインパクトを加えることで、似たような空気感というか、エナジーみたいなものが伝わってくる感じですね。言葉でいうのは難しいですが。

 

ロズリン : なるほど。演奏は指揮者によっても変わってくるでしょうね。

 

宮 : そうですね。一期一会です。共同作業というか。日本語はおもしろくて、「共演」の「共」は、「競」や「響」でもあり、いろんな字がありますが、「狂演」にだけはならないようにしようと思っています(笑)。
指揮者と演奏者の関係は、たとえるとしたら一つのディナー。こういう新鮮な素材が入ったから、これをどう料理し、お酒は何を組み合わせようとか、シェフがいろいろ献立を考えてできた料理が、その日の音楽。その時の素材をどう活かして最高のものに仕上げるか作ることが醍醐味だと思います。

 

 

ロズリン : うちの会社は東京シンフォニアという弦楽器だけの室内オーケストラのスポンサーをしていて、公演前の合同練習を見学したことがあるのですが、いつも驚くことに、みんなであわせる練習は2日ぐらいしかしないんですね。プロとはいえ、すごいと思います。

 

宮 : かえって緊張感があっていいかもしれないです。練習時間がたっぷりあっても、だれてしまうことがありますからね。

 

ロズリン : なるほど。そういうものなんですね。

 

後編に続きます。

 

 

 

〜宮陽江さんコンサート情報〜

URL:http://www.yoe.jp/topics.html

 

■宮陽江 山口裕子  ヴァイオリンとハープ 響きあう弦〜名小品集〜 

 

[ 札幌公演] 2 0 1 8 年7 月6 日( 金)1 8 :3 0 開場/ 19 : 00 開演
六花亭札幌本店10 F きたこぶしホール


[ 旭川公演] 2 0 1 8 年7 月8 日( 日)1 4 :3 0 開場/ 15 : 00 開演
旭川 島田音楽堂

 

[帯広公演] 2018 年7 月10 日(火)18:00 開場/18:30 開演
とかちプラザ・レインボーホール

 

■宮陽江 バロックへの誘い〜調和と創意の試み〜 vol.1

[東京公演] 2018年7月24日(火)18:30開場/19:00開演
東京オペラシティ B1F リサイタルホール

 

 


NVUS Japan CEO Maneesh Kalraさん 後編

 

ヨガとは人と自然との「融合」。本当のヨガをたくさんの人に広めたい

1994年にカナダから来日。外資系金融会社のビジネスマンとして六本木ヒルズで働き、転勤で香港にも勤務。その後、思うところありインドでヨガを学び、今は東京・六本木のスタジオでヨガを教えているマニーシュさん。そもそもヨガとは何かというところからお話ししていただきました。

 

【後編】

●インド人の両親の影響でヨガに出会った

 

ロズリン : マニーシュさんとヨガとの出会いについて教えてください。

 

マニーシュ : 僕はカナダ生まれで、親が二人ともがインド人。ヨガはインドのものですから、両親の影響で、ヨガにはなじみがありました。でも、小さい頃からずっと様々なスポーツを経験していましたが、ヨガを正式に学んだことは一度もなかった。

ヨガをライフスタイルに取り入れたのは、社会人になってからです。本格的に学んでみたいと思ったのは、けがをしてから。たまたまバドミントンの試合に出ていたとき、転んだわけでもないのにアキレス腱を切ってしまい、しばらく動けなくなったんです。4歳くらいからずっとスポーツをしてきて、体を動かすのはもう生活の一部になっていたので、それがいきなり断たれたのは辛かった。リハビリとしてヨガをもっと取り入れるようにしたかった。はじめてみると、その奥深さにはまり、いろいろ考えるうち、ふと「ヨガを追求してみよう」と思ったんです。

 

 

ロズリン : それで、インドに行かれたんですね。

 

マニーシュ : そうです。インドのマイソール市というヨガマスターたちが沢山いるところで1年くらい学びを深めて、帰ってきてから友だちに教えるようになりました。その後、いろいろなところから声がかかり、ワークショップなども開催しながら、スタジオでも教えるようになり、今に至ります。

 

●体を診断し、その人に合ったプログラムをつくる

 

ロズリン : スタジオでのレッスンはどのように進めるのですか。

 

マニーシュ : 今、スタジオでは2つのクラスを持っています。一つは、90分のよくあるヨガクラス。こちらは全員が同じプログラムで動きます。もう一つは、平日の朝6時半から9時までスタジオを開放し、自分のペースで個人のプログラムをこなしてもらうクラス。僕はその場にいて、質問があれば答えたり、アドバイスをしたりしながら指導をします。

 

ロズリン : さっき見学させていただいたのは、朝練のクラスですね。いろいろな年代の人が好きな時間に入ってきて、それぞれ自分の練習をしていましたね。中によく知っている歯医者さんもいて、びっくりしました。彼女は「この毎朝のヨガは私には欠かせない」と言っていました。ヨガが初めての人は、どんなふうにスタートするのでしょうか。

 

マニーシュ :  はじめに、さっきお話ししたヨガの概念を説明します。それから、体の状態をみます。現代人は、特に都市部に住んでいる人はたいてい運動不足で、座る時間が長い。股関節や肩甲骨の動きが悪い人が多いんです。そこでまずは、体を動かしてもらいながら、どんな体のくせがあるかを見ていきます。

ロズリンさんもいかがですか? ちょっと手を組んでみてください。どちらの手が上にきた? 左手? では、逆に組んでみてください。

 

 

 

ロズリン : あら、すごくやりにくい(笑い)。

マニーシュ : でしょう。体にくせがついてしまうと、こんな簡単なことでも難しいんです。足の組み方も同じ。胡座をかくときに、前にでる足は決まっていると思います。こうした体のくせが体の歪みになるんです。

 座って仕事をしているほとんどの人の腰は後ろに傾いて、そうすると肩が下がり、首が前に突き出る。そうなると肩が凝ります。いくら揉んでも治らない。鍼灸院、マッサージに行っても治らない。体の歪みを直さない限り治らない。この歪みは、呼吸にも関係してきます。首が前に突き出て姿勢が悪くなると、肺が縮こまる。そうすると呼吸が浅くなって、酸素が毛細血管にまで行き渡らない。

 

ロズリン : わあ、怖いですね。本人では気づきにくいです。

 

マニーシュ : ですよね。だから、体の状態を確認して気づかせたうえで、バランスを整えるためにはどんなポーズをとったらいいかプログラムを考えてあげる。

 

ロズリン : 人によってプログラムが違うのですね。

 

マニーシュ : そう。クラスには10代のタイボクシングの選手から、20代のフットボール選手、70代の人、がんを患っている人など、様々な人が参加しているし、それぞれ目指すところも違うから、同じプログラムは無理。その人に合ったプログラムを工夫しています。

 

●毎日、この瞬間が「ヨガ」

ロズリン : マニーシュさんご自身は、ヨガは毎日やっているのですか。

 

マニーシュ : 常にやっています。今この瞬間も、ヨガなんです。

 

ロズリン : そうか。ヨガは「するもの」ではなくて「状態」なんですものね。

 

マニーシュ : 公園で子どもが遊んでいるのを見ていると、ああ、ヨガをしているな、と思いますよ。自分自身を忘れて、夢中になって遊んでいる。子どもはもう自然にヨガをしているんです。

 

ロズリン : その通りですね。私もあらためてヨガをしてみたくなりました。素敵なお話をどうもありがとうございました。

 

【感想】

最近日本でも習い事ランキングの上位にあがるヨガですが、そのルーツやゴールとしているものの奥深さに驚きました!昔と違って世の中が煩雑になっている今、ひとつのことに集中して自分と向き合うことが難しくなってきています。きっと多くの人がヨガを通してを静める時間を求めているんでしょうね。私も改めてヨガをしてみようと思いました。マニーシュさん、レッスン後のお時間をありがとうございました!

 

 

【Profile】マニーシュ・カルラ

カナダの大学にて薬理学を学んだ後、経営学を学びMBAを取得。大学院卒業後は、金融機関に勤務し、アジアや東京でVice Presidentを務める。その後、中小企業を中心に、新規事業の開拓や海外展開、マーケティング、経営計画や危機管理等、多岐にわたる分野におけるコンサルタントとし約20年経験を積む。現在は化粧品や環境テクノロジー、物流、健康等の企業に対して、経営計画や海外マーケット進出のアドバイスをする傍ら、インドの就学児童を増やすことを目的としたチャリティー・Yoga Gives Backの活動をアンバサダーとして支援する。


NVUS Japan CEO Maneesh Kalraさん 前編

 

ヨガとは人と自然との「融合」。本当のヨガをたくさんの人に広めたい

1994年にカナダから来日。外資系金融会社のビジネスマンとして六本木ヒルズで働き、転勤で香港にも勤務。その後、思うところありインドでヨガを学び、今は東京・六本木のスタジオでヨガを教えているマニーシュさん。そもそもヨガとは何かというところからお話ししていただきました。

 

●自分より大きな存在と自分とのつながりに気づくことがヨガ

ロズリン:ヨガは大昔、オーストラリアで母とやっていたことがあります。地域の主婦の集まりに参加していたんです。体を動かしたりするのは楽しかったですね。でも、実はヨガのことはよくわからない。ヨガって、いったい何なのでしょうか?

 

マニーシュ:ヨガはインドから来たもので、サンスクリット語で「融合する」という意味の言葉です。何と何との融合かというと、本当の自分――つまり魂のようなものと、自分より大きな存在。自分より大きな存在というのは、神さまを信じているなら神さま、あるいは自然とか宇宙とか、そういったもの。自分がそこにつながっているということに気づくことがヨガなんです。つながることが目的ではないんです、気づくことが目的なんです。ここが大事。

 

 

ロズリン:すでにつながっているからですね。

 

マニーシュ:そうです。でも、人間は自然から離れたことで、自分がそういう存在だということを忘れてしまっています。

ちなみに、インドの「ナマステ」という言葉は、英語では「ハロー」、日本語では「こんにちは」などと訳されるけれど、直訳すると「私の中にある光はあなたの中の光と同じものです」という意味。すべてのものはつながっているという考え方は、インド古来のものなんです。

 

ロズリン:深いですね。

 

●心と体を落ち着かせるためにポーズや呼吸法がある

マニーシュ:ヨガというと、柔軟性に富んだアクロバティックなポーズや呼吸法、瞑想などのイメージがあるようですが、それらは実は道具に過ぎなくて、本当の目的は「融合」なんです。自分より大きな存在とつながっていることを感じながら、ありのままでそこにいる。そのための修行というか練習が、ヨガのポーズや呼吸法なんです。でも、最近のヨガはダイエットとか美脚とかに目的がずれてしまっている。それがとても残念ですね。

 

ロズリン:ありのままでそこにいる、とはどういうことですか。

 

マニーシュ:ただじっとしているだけでもよいのですが、人間は何もしないで体や心を落ち着けていることができないのです。体はそわそわし始めるし、心にはすぐに雑念が湧いてくる。とくに現代人にとっては難しいですね。少し前の時代だったら、ぼーっと夕日を見ていることもあったと思うのですが、いまはそんな時間があったら、すぐに携帯をいじってしまうでしょう? そこで、ヨガのポーズを利用するんです。ポーズを取ることに集中すると、心から雑念が取り払われる。

 

 

ロズリン:その状態が、ありのままということですね。

 

マニーシュ:そうです。そのうえで呼吸法を利用して、気や生命力を高めます。そうすれば本来、自分が自然に持っている力をもっと伸ばしていくことができます。

 

ロズリン:マントラも使いますか? 

 

マニーシュ:流派にもよりますが、しばしば使いますね。マントラは、日本でいうお経のようなもの。音には、人の心を落ち着かせる力があるのです。

 

ロズリン:ということは、どんな音楽でもいいの?

 

マニーシュ:コンサバティブな人は「本場のマントラでないと」と言うかもしれませんが、個人的には、その人に合っている音楽ならいいと思いますね。実際、ジャズでもどんな音楽でも、聞いていると時間を忘れてしまうということがあるじゃないですか。それはヨガの状態と同じなんですよ。

 

ロズリン:たしかにそうですね!実はヨガは生活ととても密着していたんですね。

 

それでは後編では、ヨガとの出会いや現在のレッスンについてお聞かせください!

 

 

【Profile】マニーシュ・カルラ

カナダの大学にて薬理学を学んだ後、経営学を学びMBAを取得。大学院卒業後は、金融機関に勤務し、アジアや東京でVice Presidentを務める。その後、中小企業を中心に、新規事業の開拓や海外展開、マーケティング、経営計画や危機管理等、多岐にわたる分野におけるコンサルタントとし約20年経験を積む。現在は化粧品や環境テクノロジー、物流、健康等の企業に対して、経営計画や海外マーケット進出のアドバイスをする傍ら、インドの就学児童を増やすことを目的としたチャリティー・Yoga Gives Backの活動をアンバサダーとして支援する。


銭湯ペンキ絵師 田中みずきさん 後編

 

現在日本に3人しかいない銭湯ペンキ絵師の田中みずきさん。銭湯の数が減るとともに、銭湯ペンキ絵師の数も激減。今や、70代・80代のベテラン絵師と、若手の田中さんのみが銭湯の壁のペンキ絵を描き続けている。なぜその仕事についたのか。銭湯のペンキ絵はどのように作るのか? 貴重なお話を伺いました。

 

(後編)

 

●銭湯のペンキ絵は銭湯の定休日一日で仕上げる。

 

ロズリン:銭湯の絵は何時間ぐらいで仕上げるんですか?

 

田中:銭湯がお休みの日で仕上げないといけないので、大体10時間ぐらいで終わるようにがんばっています。お休みの日で終わらないと、銭湯の一日の売り上げが減ってしまいますからね。

 

ロズリン:それは忙しいですね。銭湯の絵は富士山が多いですが、それは銭湯のご主人が希望されるのですか?

 

田中:そうですね、約9割の方が富士山を希望されます。だから、いろんな方角のものを描くようにしています。静岡県側から、山梨県側から。また朝日をあびた明るい富士山などバリエーションも考えます。ご主人が好きなことを組み合わせることも多いですね。故郷の風景とか趣味とか。

 

 

ロズリン:残りの1割はどんな感じですか?

 

田中: 銭湯店主の故郷や地元の風景のほか、趣味が反映されることが多いです。ゴルフの好きな方はゴルフ場とか、ペットのわんちゃんとか。桜のようなお花をいれることもあります。本来、銭湯の絵は季節感を出さないものなんですが、基本的にはご希望に沿ったものを描きます。

 

ロズリン:お任せします!といわれて、好きなものを描くことはありますか?

 

田中:それはほぼないです。銭湯の絵は、自分の個性を出しても、自分の表現をする場ではないと思っていますので、お任せしますといわれても、ご主人にお話しを伺いますね。前にどんな絵があったのか、その銭湯は何をモチーフにしているのか、どんな場所なのか。そこに空間があるというのは、何かそこのコンセプトがあるはずなので、建築やその場の歴史などいろいろリサーチしてご提案します。

いずれにしても、ご主人に事前にイメージを見てもらうため、富士山の時も簡単な構図を事前にお見せするようにしてます。

 

ロズリン:それはいいですね。今はどうやってお仕事がきているのですか?

 

田中:私は電話番号をいれたブログを行っているので、そこで見て電話をくださったり、お仕事をした方からの紹介であったり。ありがたいことに、自分で営業をしたことがないんですよ。

 

ロズリン:それはすごい。絵はもともとある絵の上から塗るんですか?修復をすることもあるのですか?

 

田中:場所によって、絵の傷み具合は違いますが、基本的に修復はやらず、直接上から新しい絵を描きます。

 

ロズリン:行ってみたら、ものすごい素晴らしい絵があることもあるでしょうね。

 

田中:あります。そういう時は本当にもったいないですが、撮影して記録を残してから作業します。銭湯のペンキ絵の場合、湿気が多いし、書いてある場所の材質によっては、2,3年で傷むんです。だからしょうがないんですけどね。自分が描いた絵の上に書き直すのはさっさとやりたいけど、昔の良い絵や描かれた方がなくなっていたりすると、ペンキ絵の宿命とはいえ、本当に残念な気持ちです。

 

 

 

ロズリン:実際にどんな風に銭湯で描くのですか。たとえば洋服は?

 

田中:洋服はいつも作業用の長袖のTシャツとワークパンツです。まず足場を組んで、ペンキが付かないように下にはブルーシートをひき、マスキングテープで間を埋め、ペンキのにおいで酔わないように、窓は全開。そして事前に作っておいた構図にそって、今ある絵の上から描いていきます。

 

ロズリン:前の絵があると難しくないですか?

 

田中:いえ。富士山が多いですが、せっかく描き直すのならば違う絵にしたいので、同じ富士山でも、元の絵にあった位置から場所を変える際、前の絵があったほうがやりやすいです。

とにかくキャンバスが大きいので、近くで描いたら、ちょっと離れて全体を見て、の繰り返しです。一日描き続けるのには、ものすごく体力がいります。途中で血糖値が下がって足がつってきたりするので、飴をたべて血糖値をあげて描き上げます。

 

ロズリン:本当に体力がいりそうですね。ペンキを運ぶのも大変じゃないですか?

 

田中:現在は、夫が便利屋をやっていて現場に同行してくれるので、車で荷物を運んで、足場も組んでくれたりと、とても助かっています。

 

 

●旅館のお風呂、地域おこしなど、ペンキ絵のオファーは広がっている。

 

ロズリン:それはいいですね。今、どのぐらいのペースで描いているのですか?

 

田中: 月に4,5件ですね。最近は銭湯以外にペンキ絵を描く仕事のオファーをいただいています。

 

ロズリン:どんなところに描くのですか?

 

田中:東京オリンピックを見据えて、旅館のお風呂に描いたり、個人のお宅での注文などいろいろです。

 

ロズリン:やってみたいことはありますか?

 

田中:はい。実はお子さんたちと、その地域の銭湯の壁画を一緒に描きたいんです。自分の絵がある銭湯に入るのって、すごくいいんじゃないかと。

 

ロズリン:いい考えですね。楽しそう。

 

田中:過去には、子供たちと板の上に描いた絵を飾ったことはあります。銭湯を日常的に使う人は若い世代には減っていますが、広いお風呂に入る気持ちよさが好きで行く方や、ドラマで見て行ってみたいと思う方も増えているんですよ。また日本各地の銭湯で、地域おこしのために、その土地の風景や、昔壁に描いてあった絵をモチーフにしたりと、ペンキ絵があちこちで復活しているんです。銭湯に注目が集まり、行く方が増えれば銭湯文化も続いていくので、いろんな面で良さを伝えていきたいです。

 

ロズリン:田中さんのお仕事の責任も大きいですね(笑)

銭湯ペンキ絵師のやりがいはどんなところにありますか?

 

田中:描き終わって、ご主人が笑顔で、よくなった!と言ってくださったり、銭湯のお客様たちが、入浴しながら「この絵変わったのね」といいながら、その話でもりあがってくださったりするのを見ると、とてもうれしいです。銭湯の絵って、ご主人からお客様まで、銭湯という場所に関わる全てのかたのものなんだと実感しています。

 

 

 

ロズリン:今でも銭湯に行くことはあるんですか?

 

田中:ありますよ。本来銭湯はリラックスしにいくものですが、私の場合、自分の絵がある場所なら、みんなの反応をうかがってしまいますし、他の方の絵があるところだと、「なるほどこうなっているのか」と観察しているので、一人だけ険しい顔をしているかもしれません(笑)

 

ロズリン:それは大変ですね(笑)。これからも日本の銭湯文化を盛り上げて、銭湯ペンキ絵師も更に増えるように、がんばってくださいね。

 

田中:はい。日本特有のこの文化がこれからもずっと続くようがんばります。

 

 

【感想】

日本で3人しかいないという銭湯ペンキ絵師。そのなかで田中さんは最年少でありながらも、ご自身の銭湯ペンキ絵師としての役割をしっかりと認識し、文化の継承者であるという責任感をひしひしと感じました。私も留学生時代から銭湯にはなじみがあったので、通っていた場所に描かれていた絵を思い出しながらお話を聞いていましたが、ペンキ絵は銭湯に関わっている全ての人のものという一言にはとても共感しました!生活のワンシーンとして、いつまでも思い出の中に残るものですね。

これからも挑戦を続けられる田中さんの今後に期待しています!

 

 

<田中みずきさん>

1983年大阪生まれの東京育ち。明治学院大学で美術史を専攻。在学中の2004年に銭湯ペンキ絵師の中島盛夫さんに弟子入りして修行を始め、2013年に独立。同年、便利屋を営む駒村佳和さんと結婚。現場では、駒村さんに足場を組んでもらうなど2人で協力して仕事をする。現在は銭湯をはじめ、個人宅、店舗や介護施設など全国各地のさまざまな場所でペンキ絵を制作。銭湯の魅力を伝える活動にも力を入れている。ブログ「銭湯ペンキ絵師見習い日記」http://mizu111.blog40.fc2.com/blog-entry-649.htmlを逐次更新中。

 



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日本で人生の半分以上を暮らし、動物(特にネコ)と自然、最近はゴルフも愛する、心優しきオーストラリア人。
ワインなら何杯でも?いける口です♪

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